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2015年3月 2日 (月曜日)

全力で生きてきたか

❏ 80年代後半の頃

▼結婚したばかりのころは無我夢中だった。誰もがそうだろうと思う。だが、よく考えると無我夢中というよりも、自分勝手なマイペースであったともふりかえれる。

▼現代の子どもはかなり完成さた形で社会に飛び出す。精神的に子どもであったり知識が欠乏していることは基本的な有り得ず、日常最低限の必要条件は揃っている。万一の事態でも誰かに助けを求める機知などもあるはずだ。学校で学ぶ知識で法律的なことや社会構造も学んでいる。骨太で独り立ちするといえよう。もちろん未熟な面もある。未熟さがあるゆえその部分に枝・葉や肉をつけていくのだし、その過程でその人の持ち味を発揮するチャンスが巡ってくるともいえる。

▼怪我もせず痛い目にも遭わずにいってほしいと願う。不運なくまっとうに生きていけば、仕事の失敗もせず、人に騙されたり陥れられたり裏切られたり、金銭的に失敗をしたり大きな損失を抱かえこんだりすることなく、社会人として生きてゆく。これは、簡単そうでありながらそうたやすいことではないかも知れない。その暮らしの中で、わずかでありながらも貯蓄をし資産を蓄え、人付き合いもこなし社会の中の1人前になってゆくのだ。

▼結婚をして子どもができるまで3年半ほどの間に、二人の新婚生活から人生設計までを考えたのかどうか、今になって回想すると怪しい面もあるものの、未来にはどうなりたいか、どんな暮らしをしたいのか、どんな仕事をしていたいかなどと、思いを巡らせていた時期がある。夢は多様化して時々刻々と揺らいでいた。その一瞬を切り取って方向付けたのが現在であるのかもしれない。だが、運命とはそんなにもケーキを切るようにさっぱりとしたものでもないかもしれない。

▼二十歳後半から三十歳ころまでは仕事でも遊びでも忙しい時期であった。感情も激しく、チームの上司ともなかなか歯車が合わずにヤケになったり、自分の無力に気付かされたり、不運を羨んでみた時期もあった。あとで考えれば歯車を合わせる手法を変えれば違った結果があったかもしれないし、思うようにいかない人生であっても考え方や視野を広げれば違った作戦も生まれたかもしれない。そう言ってはみても、所詮わたしの器には限界があったであろうし、怠け者の性格は死ぬまで治らないのだろうから、おしなべて幸運に生きてこれたというのがまっとうな反省姿勢ではなかろうか。

❏ デジャヴュ

▼書き尽くせないことは山積だ。だがそれは、誰の眼にも耳にも入ることなく、誰にも注目されることなくわたしの日記の片隅で消えてゆく。それでいいのだろうし、そんなものだ。ただはっきりと言えることは、消えてしまうような事件であっても、同じ血脈を受け継いだわたしの後世の誰かは間違いなくデジャヴュ的に同じようなことを感じたり体験したりするに違いない。時代や文化は変わっていても再現するような気がしている。

❏ 関西支部

▼30歳くらいのころだった。大学同窓会の関西支部の幹事をF君が担当していて、そのつながりがあって支部総会に出席したことがあった。それまでは大学の同窓会など興味もなく面白味も感じなかったが、このときに総会に出席して世の中の先輩に会い、社会に触れることができた。凄い人たちが先輩にいるのだと知って自分もそんなところでおちおちしてはいられないと感じたのだった。

▼TV局の部長であったり関西の総合電機メーカーの取締役などの肩書が並ぶ同窓会に、1人のヒラの私が顔を出して、それは腰が抜けるような思いだったことを覚えている。会食の席でも、見たことのないような高級料理が、私にしたら幻の料理が次々と出てくる。「キミらに金の心配をさせるようなことな何もない。腹いっぱい食って帰ってくれ。僕らはそんな心配させるような給料で仕事なんかしとらんわ」と堂々たるものだった。私も大物にならねばアカンという思いがじりじりと沸き上がってきた。

❏ 人生を見つめなおす

▼あのときに自分の考えが刺激を受けなければ京都の会社は辞めなかったかもしれないし、もっと沢山の給料をくれる会社が世の中にあることにも関心を示さなかったと思う。ツマから見れば、私は荒波の大海に漕ぎ出そうとしていたのだから、恨むのも無理は無い。⭕️か❌をいえば❌であったかもしれない。しかし、マイナスにばかり考えるのもよくないだろう。人生なんてのは結果論でしか語れないのだ。

▼いつかは大きな家を建てて暮らそう。のんびり幸せに暮らしたい。一生懸命に勉強をして賢く教養のある子に育てて社会に飛び出せる子どもになって欲しいと心の片隅で願った。ツマとは仲良く楽しく人生を送りたいと考えた。(つづく)

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