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2015年3月 7日 (土曜日)

いつもと同じ春、いつもと違う春 ─ 啓蟄篇

新・写真日記(27)

ほうれん草と人参のおひたし 啓蟄の車窓から


6日は啓蟄

むかしむかし─それは結婚したばかりか、子どもがよちよちだったころとか─そんなころを回想しておりますと、あれこれれと涌き出てくるものがあります。

啓蟄という言葉をラジオの歳時記のような番組で紹介しており、アナウンサーがその意味をわかりやすく解説していました。つまりは、春になって虫たちが蟄居から這い出してくるというような話だったわけです。何を感じたのか、その自然の生業に目を向ける質素な暮らし目線での日常がとても新鮮に感じられ、それ以来季節の移ろいが気になるようになったのです。

自分の力でグイグイと人生を突っ走っているかのように思っていた時期がありました。勉強をして試験を突破し知識を得て自分の筋書きのように仕事を進め余暇に至っても自由に我が身の好きなように勝手気ままをしていたひとつの時代です。みなさまのさんざんお世話になって助けてもらってきた。そのおかげで今があるのだと気付くのは随分と後になってからです

子どもは私よりも三十年後ろの時間軸を歩んでいきます。私は父より二十数年後ろの時間軸を歩んでいる。あのころはそんなことなどこれっぽちも考えなかったし、気付くゆとりもなかった。当然、子どもに対してもそんなふうに考えて明確に未来を構築する手立てを打っているわけではなかった。

正しい方法や選択手段が他にあったかもしれないと反省をする一方で、そういう日常が間違っていたとまでも言わなくてもいいようにも思います。一生懸命にそれこそ全力で子育てをしてツマと二人三脚で三歩進んで二歩下がるような暮らしをしていました。

贅沢と言われるようなこともしていました。不義理なこともしていても気付かずに横着な生活をしていたのでしょうが、それを何ひとつ必要以上には叱ることもなく大きく見守っていた父は二十数年先を歩んでいる自分の道から遙か後方のさらに三十年先にいる孫の世代までお見通しであったのだろうと思うと、正直、親子でありながらこんな恥ずかしい思いはありません。

これから死ぬまでの間、大勢の方々や社会に恩返しをしなくてはならないステージなんだと考えています。

今年は未年ですから父が生きていれば八十四回目の春を三月二十日に迎えたことになります。六十六回目の春を迎える直前で逝ってしまったので、還暦が近づいてやっとのことで父に追いついて手が届く付近まで来ることができ、そんな今に思うと、さぞや心残りであったことだろう、ということがわかってくる。

ツマの母も四十年前の三月十四日に無くなっています。中学の卒業式を翌日に控えた日であったとツマは話します。

逝く人があれば生まれる人、新しく一歩を踏み出す人もいます。ウチの娘さんもその仲間のひとりです。生活道具が全く揃わない一部屋のアパートに移り住んで十日ほどですが、「まずまず」の暮らしが動き出しているようです。

金子兜太さんは「他界」のなかで、逝ってしまう人はもう一つの世界に移ってゆくだけで魂までもが消滅するわけではないのだとおっしゃる。新しい他界で人生を始めるのだから、つまりはこの世には終わりという概念はなく始まりばかりだといえましょう。

そういえば、春は卒業の季節。思い起こすとお別れは確かに淋しかったけど新しい天地で次の出会いやチャレンジが待っていると思うと泣いてなんかいないで、はしゃぎ回って飛び跳ねていたような記憶もあります。

五十年を回ったころから人生を見つめる目に変化が出てきたように思います。それは良いことばかりともいえませんけど、私は喜んでいます。ツマは私のそういうモノの見方に、考え方の後退だとか怠け者になっしまう、生活水準の低空飛行に理屈をつけているだけだなど手厳しく申します。ご隠居するには早すぎましょうが、子どものころなら五十五歳の定年は当たり前で六十過ぎて没してしまうなんてのはざらだったのですから、何もそんなに欲深く生きて行かなくてもいいように思います。

庭の片隅にロウバイを植えました。花が咲くのは来年か再来年の春でしょう。むかしはそのようなゆっくりに進む時間を受け入れるような心のゆとりがなかった。

ほんの五十年ほど昔には、母の背中に袢纏でぐるぐる巻きにされおんぶされて、麦踏みの田んぼでヒバリの声を聞いていた時代があった。

母は私がヒバリをさして「るりるりが鳴いとる」と言ったものだと回想します。「るりるり」は私と母だけの共通の言葉なんです。誰にも受け継げない言葉です。

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