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2015年3月28日 (土曜日)

サクラ

新・写真日記(27)

三重高校のサクラ 三重高校のサクラ


高校野球春季地区予選の試合をしているところに偶然遭遇。観戦後、桜の写真を撮って帰ってきました。

2015年3月26日 (木曜日)

かぼちゃサラダ

新・写真日記(27)

チャレンジ・かぼちゃサラダ(チーズを投入) チャレンジ・かぼちゃサラダ


再びかぼちゃサラダを作っているようす。

レーズンやヨーグルトやチーズを放り込むのですが
なかでも、レーズンは子どものころに袋に入ったおやつがあって
つまんで食べた覚えがある。

あのころは、おいしいなあと思ったものだ。
そんな夫婦の会話

2015年3月25日 (水曜日)

きっと転びそうな予感

雨降茫々日々記 1277
というブログを拝読したあとに勝手随想しているが、何らコメントにもならないわたしの戯言なのでコチラにあげてTBの印だけを残すことにする。

むかし、転ぶという言葉がそれ自体も響きも嫌いだった時期があって、高校に不合格になったときも大学に10箇所以上落ち続けたときも、進級の壁に立ち向かうときも、わたしは転び続けたわけでした。

師よ何度転べばよろしかろう七度ですか
そう得体も知れず目に見えぬ自分の心の奥深くの影と対話を続けた。(目にも見えぬ)師は優しく、八度起き上がればそれでよろしい、などとは言わなかった。

それでよかったのだ。いつまでも寝転んでいるわけにもいかないし、はたまたいつまでも大空を見あげているわけにもいかないのだから、大急ぎであれ、やれやれと…であれ、起き上がるのだ。

無資産で貧乏な家に生まれて、他人に迷惑をかけたりするのを恥と思う人間であったはずだが、妙に夢だけは大きかったのかもしれない。親にだけは多大な迷惑をかけて東京の大学にまでやってもらった。けれども、ムスコは大馬鹿息子のままだった。村長や村会議員をした爺さんや曾祖父さんが三つ子までのわたしに何を囁いたのかは、今となっては全く想像できないのだが、母が言うように脈々と流れるグウタラな血が流れているようだ。

ちょっと起き上がるまでにナマクラをし過ぎて情けない暮らしをしているのだが、わたしが次の世代に何を伝えられるかにかかっている。ムスメ1人だったので結構バクチみたいになっていることは否めないが。

☆春雷や善きひとはみな先をゆき
☆まだすこし遊び足りない春灯  砂女

砂女さん、ちょっと弱音を吐きかけたなんてことはないと思うが、ナマの声は届いてこないからそれはわからないままだ。

ただ、転んでみて地面の低さまで視線が移動して、転んだ数を勘定してしまったら、ついでに歳の数を勘定したのかどうか、弱音だとは決して思わないけど

でもまたきっと転びそうな気がする
なんて書いているから、ちょっと笑って飛ばしておこうではないかと考えた。

ニンゲンの記憶脳っていうのはタマネギと同じような構造で、外から(新しいところから)段々と腐って剥がれているのです、なんてのをTVに出ててる科学者が話すのを聞いて、なるほどと思いつつも、そんな科学よりも……と、また別のことを考えていた。

科学が進化するのは結構ですが、どうだっていいことはたとえ面白い科学であろうが追いかけるのをやめて、もっと糞の役にも立たないことで心を豊かにできるようなものはないものか、などとわたしは捻くれてみる。

捻挫が3日ほどで治ったとかいう記憶の突然変異と脳科学とが関係するのかどうかワカランけど、人の記憶とはとても曖昧なものであることを、先ごろわたしも体験した。

10年ほどむかしに新採で配属されてきた一人の女性がいて、彼女は転々と異動しながら着々と大人になってられ、先日、久しぶりに話をする機会があったのだが、あまりにも雰囲気が記憶と食い違ってしまい(別人かもしれないと不安になって)躊躇した。

高校時代の数学の先生が(≒定年だったので)、新人のころの教え子と再会したら顔は全く覚えていないが声を覚えているものだ、声は変化しないよ、と仰っていたのを思い出した。なるほど。人間の骨格は変化しないから、声の周波数帯域は変化しないわけか。

転ぶという現象は、うっかり屋さんという心理的な側面もあるが、カラダの構造的な(解剖学的な側面の)ことにも起因するならば、死ぬまで治らないのかもしれない。つまりは、よく転ぶ人=いつまでも転び続けるのだ。

いつまでも試験に通らなかった昔を思い出して、ほとほと納得をした。運命だから付き合うしか無い。


新・写真日記(27)

サバの唐揚げ 筑前煮

2015年3月24日 (火曜日)

進化するものしないもの

新・写真日記(27)

豚汁 小松菜・おあげ 鯛


ゆうべは、叔父の訃報が飛び込んであたふたとする夜を過ごす。

ムスメさんは引越し後の生活が始まって超オンボロ(旧式)のお風呂と付き合う暮らしを始めている。あまりのポンコツ旧式過ぎる風呂に辟易しているのかどうかその辺りは不明だが、旦那さんが「この家の湯舟には浸からん」と宣言しているらしい。ほんまかウソかはわからんし、理由もボロいからか狭いからか汚いからかもワカランけど、そんな話がツマ経由で耳に入ってくる。(母と娘というのは仲良く話をするらしい)

先の日記にも書いてみたが、技術は進化するので、古い技術を知っている我々にすればなんてことのない只の不便であり、意識を巻き戻せば少し辛抱することで暮らせることだってたくさんある。

技術の進化を否定するつもりはないが、過去の不便を実体験するのは、未来を生きてゆくときに役立と思うのだが。

交換手に話しかける電話、ダイヤルの電話、赤電話、ピンク電話、100円電話、カード電話、コードレス電話、携帯電話と、電話ひとつとってもこれだけ変化をしている。

生まれたときから、携帯電話があり、電子レンジがあり、トースターがあり、自動炊飯器がある。お風呂は温度を設定すれば自動でお湯を張り指定の量で止まる。蛇口をひねればお湯が出て、部屋の温度は常に快適に設定されている。

外に出て電車の乗ってもクルマを運転しても、役所やお店での手続きにおいても、過去を思い出すのが不可能なほどに技術は進化をしている。

暮らしの制度においても然りであろう。あらゆる補助金や保障制度、保険システムは充実して後戻りを許さない。

これらは一種の既得権としてわたしたちに、あまりにも当たり前の権利として存在するのだ。これらの何割かを返上しなくては、次の世紀には万人が幸せといえる暮らしはこないだろう。しかし、誰も返上はしないだろうから、困っているのだ。

30年も昔に食べていた食事と同じようなものを食べなから、進化というものを考えた。

自分は快適に暮らし、他人に迷惑をかけなければいいのだ、というあたかも完成されたような社会システムだけで世の中が進化する事はありえない。

2015年3月23日 (月曜日)

刻一刻と過ぎゆく時間

【- Walk Don't Run -】遺す言葉 のシリーズのなかの15番目

遺す言葉 - 15

向き合うということ ─ 平成25年秋へと

に関連する話を書きます。


1年半前にお見舞いに行きました叔父が23日の朝になくなりました。直接の死因はまだわたしには届いてこない状況ですが、わたしの父が66歳、もう一人の叔父が70歳、そしてこのたび亡くなった叔父が一番弟で75歳で逝きました。

男性は3兄弟でみんな短命です。ガンなどのような手ごわいとされる病気ではなく、ごくありふれた身近に耳にする病気ばかりです。もちろんありふれた病気を軽視するわけではないのですが、早くから病気の症状を予測して対処をしていたにも関わらず、儚くも短い結果となりました。心臓が特別に弱いと言われたわけでもなく、タバコは早々に控えて晩年は断ち切っていましたし、食事の栄養配分や塩分濃度などにも気をつけている(夫婦の)対話を何度も耳にしました。

短命とは、運命でないか、とこのごろになって確信を持っています。だから、どう騒ぐわけでもないし、対応することもできない。あり余るほどに飛び交う情報を大切にして手を打つことも、それほど精一杯できるものでもない。

現在という時間が流れている一種の時空間には、地球とか太陽系が支配する時の流れというものがあり、それによって時間が定義され、人間の生命の周期という80余年の寿命・節目が存在するにすぎない。だから、運命が人それぞれである以上、周期に差異があっても仕方がないし、カラダは千差万別であるわけで寿命もそれぞれでしょう。

だから、わたしも短命の血脈をいただいているわけでして、刻一刻とそのときに近づくわけです。

2015年3月22日 (日曜日)

おひっこし ─ 春分篇

新・写真日記(27)

朝のサラダ(食べかけ) かぼちゃのサラダ

◎○◎◎◎

水ぬるむ春分に─塵埃秘帖春分篇 の随想を書いてから丸々6年の歳月がすぎる。

その年ごとに思うこと感じることやそのアツさ加減も違ってくる。いつもどんなときも全力で生きていることに間違いはないものの、あとになって思えば力の入れ具合が下手であったりもう一つ敷居の隣にあった考えでも良かったかもということもある。

失敗はつきものだ。

(追記分)

作成中としておいてムスメの引っ越しに出かけた。この子が生まれる前に建ったというアパートだそうで、相当に古いモノが各所に伺える。なんぼかの住宅手当のような補助が出て、家賃の何割かに当てるという暮らしがこれから続く。

新婚のおりに二人で住んだアパートを思い出しながらツマとあの頃の暮らしを振り返ってみる機会がこの引越に行ったことで生まれた。お風呂は種火点火をする方式で、追い焚きもできるというのは画期的で新しいお風呂給湯システムだった。台所にもお風呂の給湯器からお湯を送れた。種火の扱いには注意が必要で、長時間つけっ放しには特に気を使うことなどを教わった。次に引っ越しをしたアパートはもう少し進化した給湯システムで種火方式に変わりはなかったが、点火も楽になり使いやすくなっていたが、台所にはお湯は出なかった。

人は不便を直接体験してより暮らしやすいデザインや技術を開発してゆく。今の子どもたちの頭のなかに描いていたお風呂の給湯システムのデザインや技術が30年以上も巻き戻ったことになることを、気の毒だと思いながらも、非常に価値のある体験であるかもしれないと思うような者はわたしくらいかもしれないが、決して間違っていないと確信している。

2015年3月20日 (金曜日)

三月・お彼岸・雨ふり

新・写真日記(27)

オールド・パー チョコ 桜餅 蝋梅(ロウバイ) オリーブ


さて、
3月19日を
ゆっくり書こうかな。

これを書いているのは1日あとの20日です。おとやんが生きていれば、ひつじ年やから計算は簡単で、84歳になる日です。わたしはこの年令まで生きていられるかな、といつも誰かの誕生日を聞くたびに考えている。

66歳で逝ってしまったのだから早いよなあ、あと数年でわたしもその歳になりますからね。

オリーブとシマトネリコを結婚29年記念に植えて、今年は31周年の結婚記念とムスメの結婚記念でロウバイを植えた。

雨が降ると新芽が生き生きしているように見える。新しい門出を迎えたムスメたち夫婦もこの新芽のように迷うことなく伸びようと頑張っているのだろう。わたしたち夫婦も新婚になったように静かにおゆうはんを食べる日が増えたかもしれない。ビールを飲みながら、晩酌の旨さを味わえるようになってきたのかもしれない。

2015年3月19日 (木曜日)

土砂降り予報ちょっとだけ雨やんで

新・写真日記(27)

蝋梅(ロウバイ) オリーブ


とりわけ喜ぶわけでもなく三連休
二日間は晴れで昨日の夕方から雨降り
ぽかぽか陽気で夜もちょっと寝苦しい
ビールが飲みたくてお好み焼きをしたゆうべ
食べ過ぎて胃が持たれ気味で今朝はマミーだけで済ませる

2015年3月18日 (水曜日)

ぽかぽか年度末三連休

重松清 流星ワゴン

ドラマになってるんだそうで、TVメディアは関心がないので見ませんけど、今ごろにこの作品を引っ張りだしたのも時代の流れなんでしょうかね。

重松清 流星ワゴン

感想はコチラ

物語の内容はほとんど覚えていません。
あの時代にこの本を読んでとても感動したということを記憶しているだけです。
永遠に感動を持ち続けたいと考えたと思うけど、今はそんなことは思わなくなりました。

時間軸上に存在するあらゆるもの、それは人生であり出会いであり、成功であり失敗である。命も在る。

いつかは消えるのだと真っ向からそう感じている。

◎◎◎◎

さて、
定番にもなっているほうれん草のおしたしです。
このごろは小じんまりとした静かなおゆうはんが一番いいです。

再び・ほうれん草と人参のおひたし

新・写真日記(27)

2015年3月16日 (月曜日)

結婚記念日

新・写真日記(27)

お魚屋さんのお寿司

お魚屋さんのお寿司

2015年3月16日 (月)


(16日)
結婚記念日ということであっても何かを特別に祝ったことがないような気もするが
ケーキだけは毎年欠かさず買っていたかもしれない。

今年はムスメさんが欠員になったので二人だけでお祝いをするのだ。

おゆうはんを手抜きすることの幸せとおいしいものをささやかに食べることの幸せ
ふだんから手を伸ばせずにいるようなお酒、でも決して高価なものを望んでいるわけではない。

何故かと語れば人生論になるので飲み込んでおくことにしよう。

◎◎◎
◎○

別日記から)

いつも同じモノをあげるけど、かっこ良く言えば「シリーズもの」ともいえますけど、ワンパターンともいう。

近所のスーパーの「ぎゅ」さんや「オー」さんは歩いて行けるので重宝している。

お魚を食べたくなったら、昔は「メーム」(と私は呼んでいる)に出かけていったものだ。

しかし、少し品揃えに雑さが目立つのと大量消費のお客さんをターゲットにしているように感じて私には商品がそぐわなくなってきた。

そこでこのごろは少し離れた川井町というところに在る「マッ」のお魚屋さんを覗きに行くことがやや増えた。

ただし、土日にしかいかない。

ウィークデイに行くときはもっぱらお肉を買おうという時だけで、水曜あたりは狙い目かもしれない。

オーさんのお魚は今のところ一番信用できると思って贔屓にしている。何も並んでいないときは魚が上がらなかった日だというのが何となく分かるような気がするので好きなのでしょう。

そのお魚屋さんがお寿司を並べてくれると、同じ店の惣菜コーナーの寿司よりも高い目になるのですけど、じっと睨んで良ければ買ってくる。その分少なめに食べるのでカラダにもいいかもしれない。

オーさん、もう一個いいことがある。ビールなどの発泡する酒類の品揃えが充実しているし、先取りでもある。おねだんは普通です。

2015年3月15日 (日曜日)

久々の京都日記

新・写真日記(27)

東寺 京都マルイ 神戸屋 江戸前天丼


京都日記

■ 13日 (金)

京都駅のポルタ地下街でお昼になりました。

1時ころに電車が着いて、伊勢丹の上階に行ってみたのですが、ラーメン横町はものすごい人でした。

なぜ?春休みだからでしょうか。
金曜日なのに。

気を取り直して、駅前の地下街に降りてみようと妻を誘いました。

ポルタは、あまり良かった思い出もないのですが、ちょっとずつ雰囲気が変わってきたような気もします。伊勢丹の影響や量販の大きな電気屋さんやカメラ屋参賀できた影響も有るのかもしれません。

天丼はすんなり意見が一致して、満足に食べました。お値段も千円+80円とお手頃でしたし。(ハゲ天)

■ 14日(午前)  お墓参り

■ 14日 (土)お昼 (京都マルイ 神戸屋)

ツマが強くこの店に行きたいと主張するので迷うことなく決定しました。神戸屋のベーカリーであることは、店の前の椅子に腰掛けて待っているときに知りました。

デパートの地下にあるふつうのパン屋さんですが、ビュッフェ形式でパンをよりどりで取り放題のメニューがあります。

あまりパンを好んで食べない私は、シチューのセットを選びました。大きなふんわりとしたパンを四切れに切ってたっぷりとバターを塗ってくれています。シチューセットもこのパンだけですがおかわり自由です。私は四切れで十分でした。

シチューがとても美味しかったです。

写真は食べかけになってしまいました。
パン大きな一欠片を食べたあと。

■ 14日 (土)午後

電車の中から。(東寺)
珍しく明るい時刻に電車の乗りました

行きも帰りも電車でしたが、帰りは東寺側に座れたので写真を撮ってみました。花が咲くには少し早いですが、ぽかぽかと暖かい日差しがさしていました。

今朝は、冷たい雨が降っていました。バスでお墓まで行く間も、墓地の中を歩いているときも、お参りの最中も冷たい雨が降っていました。

私たちの結婚式(16日)のある前日も大雨で、当日の朝まで降り続いていたのを思い出してツマと懐かしんでいました。

2015年3月12日 (木曜日)

ゆうべのおゆうはんです

新・写真日記(27)

  もう一切れのお肉も 二人でお肉を


ゆうべのおゆうはん

2015年3月11日 (水曜日)

鰤のにぎり鮨(ぶりのにぎりずし)

新・写真日記(27)

鰤鮨(ぶりずし)

10日 (火)鰤のにぎり鮨(ぶりずし)

夕方から、デスクの脇に置いたはずのノートが紛失したのを探しまわって時間が過ぎた。

歳を食うと何かの拍子に何処かに持って行き置いてきてしまってその場所を忘れてしまうことが一番多い。きっとその辺にあるのだろうが、大事なことはノートに書いておくというための2冊のノートの1冊であっただけに、気がかりで夕方から慌ただしい時間を過ごした。

そのせいで、ツマと出かける買い物の予定がづれこんで、7時を回ってから近所の店へと買い物に行った。夕飯などする元気も出ない時刻であるから、魚屋さんの寿司を(いつものことだが)買って帰った。

もうそろそろ旬終わるブリ握り一口で 

2015年3月10日 (火曜日)

三月はそろりと始まりました

新・写真日記(27)

今夜はカレー(バーモント) ほうれん草の卵炒め 旅行のおみやげ ヤマザキの食パン お弁当(お昼)


7日の土曜日は朝は降っていなかってけど午後から雨になったなあ。二人は買い物に出かけしまったのでお弁当を買ってきえ家で食べました。

8日にも雨が残って、買い物の荷物が重たいのでっていうことでありあわせで食べようと、カレーになりました。ほうれん草もそろそろ季節が終わりですから、食べ納めになるのかな。

2015年3月 7日 (土曜日)

いつもと同じ春、いつもと違う春 ─ 啓蟄篇

新・写真日記(27)

ほうれん草と人参のおひたし 啓蟄の車窓から


6日は啓蟄

むかしむかし─それは結婚したばかりか、子どもがよちよちだったころとか─そんなころを回想しておりますと、あれこれれと涌き出てくるものがあります。

啓蟄という言葉をラジオの歳時記のような番組で紹介しており、アナウンサーがその意味をわかりやすく解説していました。つまりは、春になって虫たちが蟄居から這い出してくるというような話だったわけです。何を感じたのか、その自然の生業に目を向ける質素な暮らし目線での日常がとても新鮮に感じられ、それ以来季節の移ろいが気になるようになったのです。

自分の力でグイグイと人生を突っ走っているかのように思っていた時期がありました。勉強をして試験を突破し知識を得て自分の筋書きのように仕事を進め余暇に至っても自由に我が身の好きなように勝手気ままをしていたひとつの時代です。みなさまのさんざんお世話になって助けてもらってきた。そのおかげで今があるのだと気付くのは随分と後になってからです

子どもは私よりも三十年後ろの時間軸を歩んでいきます。私は父より二十数年後ろの時間軸を歩んでいる。あのころはそんなことなどこれっぽちも考えなかったし、気付くゆとりもなかった。当然、子どもに対してもそんなふうに考えて明確に未来を構築する手立てを打っているわけではなかった。

正しい方法や選択手段が他にあったかもしれないと反省をする一方で、そういう日常が間違っていたとまでも言わなくてもいいようにも思います。一生懸命にそれこそ全力で子育てをしてツマと二人三脚で三歩進んで二歩下がるような暮らしをしていました。

贅沢と言われるようなこともしていました。不義理なこともしていても気付かずに横着な生活をしていたのでしょうが、それを何ひとつ必要以上には叱ることもなく大きく見守っていた父は二十数年先を歩んでいる自分の道から遙か後方のさらに三十年先にいる孫の世代までお見通しであったのだろうと思うと、正直、親子でありながらこんな恥ずかしい思いはありません。

これから死ぬまでの間、大勢の方々や社会に恩返しをしなくてはならないステージなんだと考えています。

今年は未年ですから父が生きていれば八十四回目の春を三月二十日に迎えたことになります。六十六回目の春を迎える直前で逝ってしまったので、還暦が近づいてやっとのことで父に追いついて手が届く付近まで来ることができ、そんな今に思うと、さぞや心残りであったことだろう、ということがわかってくる。

ツマの母も四十年前の三月十四日に無くなっています。中学の卒業式を翌日に控えた日であったとツマは話します。

逝く人があれば生まれる人、新しく一歩を踏み出す人もいます。ウチの娘さんもその仲間のひとりです。生活道具が全く揃わない一部屋のアパートに移り住んで十日ほどですが、「まずまず」の暮らしが動き出しているようです。

金子兜太さんは「他界」のなかで、逝ってしまう人はもう一つの世界に移ってゆくだけで魂までもが消滅するわけではないのだとおっしゃる。新しい他界で人生を始めるのだから、つまりはこの世には終わりという概念はなく始まりばかりだといえましょう。

そういえば、春は卒業の季節。思い起こすとお別れは確かに淋しかったけど新しい天地で次の出会いやチャレンジが待っていると思うと泣いてなんかいないで、はしゃぎ回って飛び跳ねていたような記憶もあります。

五十年を回ったころから人生を見つめる目に変化が出てきたように思います。それは良いことばかりともいえませんけど、私は喜んでいます。ツマは私のそういうモノの見方に、考え方の後退だとか怠け者になっしまう、生活水準の低空飛行に理屈をつけているだけだなど手厳しく申します。ご隠居するには早すぎましょうが、子どものころなら五十五歳の定年は当たり前で六十過ぎて没してしまうなんてのはざらだったのですから、何もそんなに欲深く生きて行かなくてもいいように思います。

庭の片隅にロウバイを植えました。花が咲くのは来年か再来年の春でしょう。むかしはそのようなゆっくりに進む時間を受け入れるような心のゆとりがなかった。

ほんの五十年ほど昔には、母の背中に袢纏でぐるぐる巻きにされおんぶされて、麦踏みの田んぼでヒバリの声を聞いていた時代があった。

母は私がヒバリをさして「るりるりが鳴いとる」と言ったものだと回想します。「るりるり」は私と母だけの共通の言葉なんです。誰にも受け継げない言葉です。

2015年3月 6日 (金曜日)

金子兜太 他界

金子兜太 他界

金子兜太 他界

2015年2月20日 (金)


図書館で借りたのでさらりと読んでホイと返却してしまった。

読み終わったあと、しっかり書き留めなかったことをちょっと悔やんでいて、自選の句などがあったけど記憶から消えてさみしいと思っていた。
でも、それはそれでよかったのかもしれないとも今は思っている。

金子兜太さんがこの話を聞いたとしたらは、笑い飛ばされるかもしれない。そんな細かいことをあれこれという人ではないのだ。その句を思い出したければまた借りればいいと大らかに思っているに違いない。この本を読んでかなり金子兜太さんに近づけたような気持ちになっている。

読む前は「語る兜太」を詠んだだけで、少し身近になりつつあったけれど、やはり先生はどんなお人なのかは正体不明であった。何しろ、テレビに出てアナウンサー無視してちょっとエッチな話をしてみたり年齢を感じさせないオモシロイ(詰まらない)ギャグを言ってみたりするのだから。

だが、少し人柄に触れると、惹きつけるものを感じます。それは、長生きをしているという人の努力や能力の使い方を超えたところに在るようなパワーというよりももっとカリスマ的霊感のようなモノを感じる。自信や信念からくるものかもしれない。

お人柄も伝わってくる。明るいお方で真面目でカラリとしておられる。頭のなかでいろんなことが刺激的に回転していそうです。

そんな風にとても魅力的なものを感じて、本をさらに読み進めると、これが鈍臭いけど真面目で、知的なんだけど威張っていない、そして何だか大したことなさそうなんだけど……と思えてきて最後には、でもやっぱしスゴイ人なんだというところに達する。

色々とオモシロイ(興味深い)条件が整っているところも幸福で幸運な秘密なのかもしれない。

東大出でありながら出世をしていないってのが、変人でオモシロイのだ。私の知人・友人の東大出身者は、間違いなく転んでも頭がいいし、だいたい何をやっても失敗をしない事を考えてみても、先生はいろいろと控えめな書き方をしておられるものの、やっぱし先生でなければできないことだらけなのだ。本業の俳人にあっては、しっかりと歴史に名を刻んで、たくさんの人の心を動かしているんだから。

他界。これは、死んだあとの哲学的でもあるような信仰のお話だけではなく、他界という概念を通じて人生の刻一刻とどう向き合うのかというようなお話だと思う。

感動的なのは立禅。この言葉に出会ったときは、難しいことを想像したのだが、どうやら先生の創作語らしく、その説明が説教じみていないので読んでいると嬉しくなってくる。真似したくなった人も(真似した人も)きっとたくさんいたと思う。

戦争の体験の話、一茶のこと、周りの方々が先に逝ってしまわれることについて触れていること、そんな中で他界に移動したら再び82歳のときに死別した奥様にまた会えるということも書いておられる。

こちらまでブルブルとふるえるようなものを感じる。

何よりも、私は死ぬ気がしないんだなあ、とおっしゃる。この言葉には、金子兜太さんからしか飛んでこない力強さを感じる。ジジイ臭くないので驚いている。

(別の読後感想で追記)

毎週金曜日に、朝日新聞社で6千通ほどの俳句を現在も読んで選んでいる。
なんかしらわけのわからんような体操を毎日しているという。
普通の爺さんなら見向きもしないのだろうが
金子さんには不思議な力がある。

語る 兜太
に続いて、他界を読んだ。

生きているから他界が在る。
意味をしっかり受け止めて生きていかねばならない。
それは、生き抜くということかもしれない。

2015年3月 5日 (木曜日)

三重豚の角煮

新・写真日記(27)

三重豚の角煮

三重豚の角煮 3月 4日 (水)

久々。

不定期に食べたくなるのが豚肉のバラをこうして煮込んで
こってりと濃い目にした味付けをしたモノだ。

お店で食べても納得がいかない。
それなりに払えばおいしいものは食べられるのだが
貧乏根性もあるし、自分の気に入った味にして
一口おまけ的に多めに食べたいという
食いしん坊であるから。

自分で作るしか無い。
真四角に切って煮込んでみたり
今回のように薄切りにして煮込んでみたり
気持ち次第です。


昔の作品

角煮 角煮

2015年3月 4日 (水曜日)

サッド・カフェ(ランチ)

新・写真日記(27)

(4日)

サッド・カフェでコーヒーを サッド・カフェでドリア サッド・カフェ(ランチ)

ツマと食事に行きました。

おうどんが食べたいというので少し回り道をしてみたら
いつも行くセルフのさぬきうどん屋さんが改装工事中らしく
グルっと回ってサッド・カフェにやって来ました。

ブログの愛読者でありながら
白状すると一度も行ったことがなかったのですが
いい店ですからこれからはつとめて行きたいと思います。

2015年3月 3日 (火曜日)

三月は土砂降りで始まった

新・写真日記(27)

アサヒ・スーパー・ドライ 春限定

アサヒ・スーパー・ドライ 春限定

3月 1日 (日)

三月は土砂降りで始まった。

職場は寒いし
おなかは痛くなるし
膝から下にフリースをぐるぐる巻きにしてみたけど暖かくならないので
体調不良で1時間お休みをいただく。

でも帰ったら
春限定の鮮やかなピンクのラベルのビールがあったので嬉しくなる。

三月は土砂降りの雨で始まったことをよーく覚えていけばいいだろう。

2015年3月 2日 (月曜日)

全力で生きてきたか

❏ 80年代後半の頃

▼結婚したばかりのころは無我夢中だった。誰もがそうだろうと思う。だが、よく考えると無我夢中というよりも、自分勝手なマイペースであったともふりかえれる。

▼現代の子どもはかなり完成さた形で社会に飛び出す。精神的に子どもであったり知識が欠乏していることは基本的な有り得ず、日常最低限の必要条件は揃っている。万一の事態でも誰かに助けを求める機知などもあるはずだ。学校で学ぶ知識で法律的なことや社会構造も学んでいる。骨太で独り立ちするといえよう。もちろん未熟な面もある。未熟さがあるゆえその部分に枝・葉や肉をつけていくのだし、その過程でその人の持ち味を発揮するチャンスが巡ってくるともいえる。

▼怪我もせず痛い目にも遭わずにいってほしいと願う。不運なくまっとうに生きていけば、仕事の失敗もせず、人に騙されたり陥れられたり裏切られたり、金銭的に失敗をしたり大きな損失を抱かえこんだりすることなく、社会人として生きてゆく。これは、簡単そうでありながらそうたやすいことではないかも知れない。その暮らしの中で、わずかでありながらも貯蓄をし資産を蓄え、人付き合いもこなし社会の中の1人前になってゆくのだ。

▼結婚をして子どもができるまで3年半ほどの間に、二人の新婚生活から人生設計までを考えたのかどうか、今になって回想すると怪しい面もあるものの、未来にはどうなりたいか、どんな暮らしをしたいのか、どんな仕事をしていたいかなどと、思いを巡らせていた時期がある。夢は多様化して時々刻々と揺らいでいた。その一瞬を切り取って方向付けたのが現在であるのかもしれない。だが、運命とはそんなにもケーキを切るようにさっぱりとしたものでもないかもしれない。

▼二十歳後半から三十歳ころまでは仕事でも遊びでも忙しい時期であった。感情も激しく、チームの上司ともなかなか歯車が合わずにヤケになったり、自分の無力に気付かされたり、不運を羨んでみた時期もあった。あとで考えれば歯車を合わせる手法を変えれば違った結果があったかもしれないし、思うようにいかない人生であっても考え方や視野を広げれば違った作戦も生まれたかもしれない。そう言ってはみても、所詮わたしの器には限界があったであろうし、怠け者の性格は死ぬまで治らないのだろうから、おしなべて幸運に生きてこれたというのがまっとうな反省姿勢ではなかろうか。

❏ デジャヴュ

▼書き尽くせないことは山積だ。だがそれは、誰の眼にも耳にも入ることなく、誰にも注目されることなくわたしの日記の片隅で消えてゆく。それでいいのだろうし、そんなものだ。ただはっきりと言えることは、消えてしまうような事件であっても、同じ血脈を受け継いだわたしの後世の誰かは間違いなくデジャヴュ的に同じようなことを感じたり体験したりするに違いない。時代や文化は変わっていても再現するような気がしている。

❏ 関西支部

▼30歳くらいのころだった。大学同窓会の関西支部の幹事をF君が担当していて、そのつながりがあって支部総会に出席したことがあった。それまでは大学の同窓会など興味もなく面白味も感じなかったが、このときに総会に出席して世の中の先輩に会い、社会に触れることができた。凄い人たちが先輩にいるのだと知って自分もそんなところでおちおちしてはいられないと感じたのだった。

▼TV局の部長であったり関西の総合電機メーカーの取締役などの肩書が並ぶ同窓会に、1人のヒラの私が顔を出して、それは腰が抜けるような思いだったことを覚えている。会食の席でも、見たことのないような高級料理が、私にしたら幻の料理が次々と出てくる。「キミらに金の心配をさせるようなことな何もない。腹いっぱい食って帰ってくれ。僕らはそんな心配させるような給料で仕事なんかしとらんわ」と堂々たるものだった。私も大物にならねばアカンという思いがじりじりと沸き上がってきた。

❏ 人生を見つめなおす

▼あのときに自分の考えが刺激を受けなければ京都の会社は辞めなかったかもしれないし、もっと沢山の給料をくれる会社が世の中にあることにも関心を示さなかったと思う。ツマから見れば、私は荒波の大海に漕ぎ出そうとしていたのだから、恨むのも無理は無い。⭕️か❌をいえば❌であったかもしれない。しかし、マイナスにばかり考えるのもよくないだろう。人生なんてのは結果論でしか語れないのだ。

▼いつかは大きな家を建てて暮らそう。のんびり幸せに暮らしたい。一生懸命に勉強をして賢く教養のある子に育てて社会に飛び出せる子どもになって欲しいと心の片隅で願った。ツマとは仲良く楽しく人生を送りたいと考えた。(つづく)

2015年3月 1日 (日曜日)

金森敦子先生 講演会「古文書から紐解く旅人」

2月28日(土)

❏ 金森敦子先生 講演会「古文書から紐解く旅人」第5回「村送り」の光と陰

金森先生を聴きに行ってきました。
行ってよかった。会えて、質問も少し出来たし、とても満足です。


新・写真日記(27)

金森先生

おおそねうら 大曽根浦時刻表 熊野古道センター 熊野古道センター 熊野古道センターのおひさま祭り 熊野古道センターのおひさま祭り 熊野古道センター 大曽根浦ホーム まもなく紀伊長島駅 鈍行で尾鷲まで

写真日記(平成28年版)

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京都日記(平成27年春篇)

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日々是好日写真記

  • ハーモニカ
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