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« 墓参り ─ 秋分篇 | トップページ | 堀川惠子 永山則夫 封印された鑑定記録 (その2) »

2014年9月29日 (月曜日)

堀川惠子 永山則夫 封印された鑑定記録 (その1)

連続射殺事件を起こした永山則夫は19歳でした。1968年10月11日の東京を始めとして、京都・函館・名古屋で4人を射殺した事件で、(わたしは子どもでしたから知りませんでしたが)貧困がもたらした凶悪犯罪として世間は騒いだと記録にあります。

逮捕の28年後1997年、死刑執行。

著書によると、永山死刑囚は、哲学書や小説をむさぼり読む勉強家で、その傍ら、大学ノートに日記をつけていました。外の人との手紙のやり取りも手書きで複写していたとも書かれています。のちに『無知の涙』はベストセラーにもなり、印税は殺害被害者の受取拒否をしなかった遺族にも届けています。

永山の精神鑑定は278日間・約8ヶ月に及んで行われ、100時間に及ぶテープを、信じられないことにその当時に鑑定をした石川医師が保存していました。また、その鑑定書も永山が大切に死刑執行まで手元に保存して何度も読み返した跡を残しています。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)などは現代のように明確に学術解明されておらず、脳の状態をCTで撮影するなどということは夢にも及ばない時代に、石川医師は、信じられない根気で永山と接している。そしてその記録を、堀川さんは解析している。

それだけでも、体が震える驚きであるが、さらに、問題提起を読めば、わたし自身そのことを語る言葉を纏められなくなるほど奮えるような衝動に襲われる。

100時間のテープを解析することは、永山則夫の生い立ちから事件までの道筋を丹念にたどり、事件の動機に迫ることだった。

永山の家族の生い立ち、酷い父親の暮らしぶり、母親の育児放棄、失神するまで続く兄の暴力、周囲の人間の不信、連続する不幸や不運、母親代わりだった姉のセツのこと、貧しい暮らしぶり。

現代の豊かで幸せに暮らす多くの人々からみれば、全く架空の物語のような日々の連続で、現実味をもって想像することはできないのではないか。

その背景があって、永山は、生活を荒ませて貶め、破滅の道へと歩む。

永山は、石川医師に非常に細かく正確で正直に話している。その一部始終を収めたテープを堀川さんは聞き直し、考察している。

そして、石川先生の鑑定書は、インタビューの結果を細かく纏めて診断結果として記している。

だが、司法は採用しなかった。その後、司法は「被告人を事件に向かわせた根本的な問題」に目を背けながら無期懲役、死刑に関わり続け、さらに裁判員制度の求刑・判決にも影響することにも触れている。

堀川さんは著書の中で、元裁判官から聞いた「これほど被告人の心に迫った鑑定書というのは、私自身の裁判官人生でも読んだことがない」という発言も引いている。そんな恐ろしいほどに完成された鑑定書であったのに、封印されたわけです。

読みながらも体が震えてくるのがわかったのだが、読み終わってからも、これまでの数々読んだドキュメントにもなかった凄さを感じた。

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