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2014年8月 1日 (金曜日)

二十歳のころの旅   花も嵐もⅢ その78

二十歳前のころからボチボチと旅をするようになっていた。そもそも、見知らぬところへ行ったり1人で乗り物に乗ったりするのは好きだった。それが大学生になって初めての夏休みに本屋で旅行本を見ていて突如思い立ち北海道へ行った。これが最初だろうと思う。

1977年、1年になって半年ほどのころ、急に思い立って北海道への夜行列車に乗っている。本屋で旅本を買って帰った2,3日あとのことである。

大阪駅を夜中の9時ころに出る急行北国という夜行列車が青森まで走っていた。明くる朝に富山付近だったと思う。昼中カタコトと走って夕方に青森に着いた。しっかり明るい時刻に岩木山が見えて、美しい姿に感動している。

日が暮れてから青函連絡船に乗り、函館て再び日付が変わってそこから急行で6時間あまりかけて夜明けの札幌に到着する。通勤の人影は疎らな時刻だった。駅の前で野宿をしているカニ族などの旅人を駅の係員が水をまいて散らしている風景も記憶にある。

旅日記は、ブログのアンソロジーに書いた程度しか記録にない。残念であるが、記録に残っていない旅の記憶というのも染み染みとくるものがある。

2年生のころに信州にバックパッキングを担いで出かけている。これは体育の野外授業で4日間のキャンプ&登山に参加すれば半期分の講座と同様の単位がもらえた。これも人生に大きく影響を与えた旅だった。

テーマは戸隠山登山だった。天候の加減が悪く飯縄山の登山に変更になったが、キャンプの日程だけは4日間しっかりと行われた。

前半が雨降りで、雨が上がったときに戸隠山の岩場の斜面に幾つもの滝が見えたとどこかに記録している。今はそのことだけが記憶としてあるだけで、日記は残っていない。最後の日に飯縄山に登山をして野外講座は完了となった。

信州のどこかに寄り道をしながら1,2泊して帰ってきたような覚えがある。

3年になって、1980年の秋のことと思う。10月31日に東京湾・竹芝桟橋から船に乗り三宅島に出かけた。同級生だった花川(のちに東洋通信機)とリュックを担いで寝袋だけ持って野宿をしながら島を歩き回ろうという旅であった。

花川とは毎日学内で駄弁る仲間で、入学のときの同期だったので気軽に話もできた。ふとしたことから三宅島に行くという話が出て、花川が1人で出かけるところへわたしが付いて行くことになったのか、寝袋の旅をするにからオマエも行くか?と聞かれて、付いて行くとなりどこに行くかを決めたら三宅島になったのか、そのあたりは記憶もないし記録も残っていない。

1980_3

三宅島には2,3泊したと思う。

海岸にある東屋で寝袋にくるまって眠った。屋根があるだけで風は吹きさらしでとても寒くて、次の日には近所の酒屋さんでダンボールをもらって敷いたり被ったりして対策をした。島の中をリュックを担いであてもなく歩きまわった。自分で立てた計画ルートだったか花川と相談したのかそんなことさえも記憶に無い。三宅島はあれから2度ほど噴火をしたので、およそ一周歩いて回った三宅島は、噴火前の島だ。山にも登ったと思うが、頂上に辿り着いた記憶はない。

夜明け前に到着して、大きく広いところで写真を撮ったら飛行場であったりとか、とてつもなく強い風で波の花が砕け散っているのを初めて見て感動したり、探検者のようなサバイバル感のたっぷりな旅だった。

寂れた村の風景、野性的な森、雄大な山岳風景など、記録写真が殆ど残っていないというのが、貧乏な学生のぶらり旅であった証ではないのだろうか。

1981年の秋に井上(のちに富士電機)と信州をドライブした。この旅が学生時代では一番豊かであった。野宿をするわけではなく、YHに泊まりきちんと使うべき宿にお金も使っていくというように計画も目的もあった。

できたての関越自動車道を走って一気に信州まで行き、蓼科の温泉に入りお目当てのYH2箇所にも泊まってきた。まほろばYHは真新しいYHでとてもピチピチした雰囲気を放っているYHだった。諏訪湖YHは昔から人気のある伝統的なYHだった。1977年に北海道を旅したときにもYHを少し利用したが、それ以来だったかもしれない。YHの旅というのはノスタルジックであった。

まほろばユース

温泉に入る歓びを教えてくれたのも井上だった。今思うと、麦草峠も越えたし三国峠も走っている。社会人になってバイクの旅に夢中になっていく過程で必須条件だった温泉、峠、林道、YHをこのときに1度クリアしていたのだ。潜在的に植え付けられていたような気もする。

麦草峠や三国峠をあの時期に走れたことは、何も知らずに走ってきたのが残念だであるものの、とても幸運なことだった。蘊蓄も理屈も何もなく、風が靡くように吹かれるまま好奇心が向かう方へとたびに出てゆくことで、かけがえないものを味わえていたような気がする。とても純粋な旅だったともいえるのではないか。

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