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2014年8月30日 (土曜日)

八月が憎まれもせず去ってゆく

(27日・水曜日)

今季の初サンマ刺し身(北海道産)

なあ友よ話せば長いことがある 


bike-tourist.air-nifty.com > Apple 散歩(写真日記)

2014年8月25日 (月曜日)

秋足早に ─ 処暑篇

23日は処暑。

そしてあっという間に25日になって、今日は三重高校の試合でした。

三重高校・決勝

決勝です。

残念ながら仕事がありますので観戦はできませんでしたが、何故か試合経過は時々刻々と届いてきます。職場の玄関ロビーに行けば大画面液晶テレビで放送してますが、ホイホイとは見に行けませんし……。

休日にはテレビ観戦をして応援をしてきました。高校野球は、プロ野球と違って未熟さを感じますものの、一生懸命に選手が動き回ります。三重高校は派手ではなかったのですが、手堅く地味な守備がすごく好きです。

投手や打撃人、ほかの選手たち、それぞれが注目されています。しかし、一人一人がきちんと当たり前のボールを普段通りの練習のときと変わりなく処理をする姿に感動します。

何度も何度もノックを受けて絶対失敗しないように鍛えられるし、連携プレーも練習する。送球だっていつも真正面にと徹底して教えられも、本番でミスすることって必ずあると思う。そんな中での失策の少なさは誇れます。

選球眼の良さも目立ちました。こういうことは、地道な努力で完成するもので、一旦身につけたら崩れることが稀です。しかし、ひとつの実力としては非常に頼れるポテンシャルとなります。そういう基本的なものを普段から育てるという構想も素晴らしいです。

そういった積み重ねの力を発揮し、手堅く卒なく守備をこなしている姿。それが地味で真面目で素敵でした。

熱くなれた夏でした。とても思い出深い夏になりました。

今年は、雷雨や豪雨にやられましたが、それほど猛暑に悩まされることもなく、過去のような大きな災害もありませんでした。そろりそろりと秋になっていこうとしています。

時々刻々と季節がかわる。私もウカウカとしておれないことが身の回りで起こり始めています。


(追記)

このごろは、ワクワクドキドキをするようなチャンスが少なく、スポーツもゆっくりと観戦することが少なくなりました。でも、今年の夏の甲子園は久しぶりに熱心に見ました。

ムスメの母校ということもあるのですが、近所でもあります。毎日、日が暮れてもカキーンという音が聞こえてきます。

結構、マンモス高校で、1学年1000人以上いるのではないかな。

市長もこの高校の出身ですし、西野カナさんも新聞にコメントを寄せていました。

そばで見ていて、いかにも高校生らしい子どもっぽさもあり、ぼーっとした子もいますし、駅のベンチでしゃきっと勉強している子もいます。学校帰りの駅までの道のりでは青春を感じる光景もありますしね。

そんな思いで高校生を応援しました。

2014年8月19日 (火曜日)

アツイ人

熊野大花火も終わって、つまりお盆も終わって、愈々夏から秋へと加速をする。

秋風が吹いて、
ヒグラシが鳴き、ツクツクボウシが鳴く。

子どものころは、親から土用波が立つと言われて海へも出かけなくなったものだ。

夏の暑さをこの世の仇のように憎んだ7月から8月にかけてであったが、今はもう許してやってもいいかな、とさえ思えるほどに風が優しく吹いている。

飄々と、何もなかったかのように。

激しく燃えた日々を思い出す。

先日、ある人の語りから

あの人はアツイ人やったから……好きやな

という言葉を聞いた。

アツイ、ってどういうのをいうのだろうかと、あれから考えて続けている。

幾つも頭に蘇る情景がある。
わたしもアツイ人だと人に言われることがよくある。

「あの人」とは、わたしの父であるのだが、果たして、受け継いだのであろうか。


20140817kumanohanabi
Facebook(熊野~Mie Mythos)から

2014年8月18日 (月曜日)

夏もそろそろ  ─ お盆篇

8月7日が立秋。少しは秋めいてきたでしょうか、なんて考えておりましたら…

その数日後、10日に台風11号が四国に上陸し、三重県にも大雨特別警報が発令されました。みなさまの市町も騒然となったのではないでしょうか。

数十年に一度とされるこの大雨特別警報が全国ニュースで流れたために、あちらこちらの友人知人から電子メールが舞い込む夜となりました。

11日の早朝、丑三つ時のころには今年最大の満月(スーパームーン)が見られました。空を見上げるのに大忙しな日々を過ごしています。

そして、8月20日の「ライトダウン・みえ」では上弦の月が迎えてくれます。このごろは、夕涼みといって団扇片手に外で夜空を見上げたりすることも少なくなりました。

ちょうど今、お盆のころはなおさら、ちょうちんを片手に地元地区の盆踊りに出かけたりしたころが懐かしくなります。

 算術の少年しのび泣けり夏  西東三鬼

お盆が過ぎると一気に秋めいてきます。夏休みも終わりに近づき、図画工作などを大慌てで仕上げた夏休みの思い出があります。

 欠伸して鳴る頬骨や秋の風  内田百閒

 ひぐらしや熊野へしづむ山幾重  水原秋櫻子

そして夏休みが終われば、本格的な秋へと季節は移ってゆくのですね。

先月のメルマガで、8月20日の「ライトダウン・みえ2014」を紹介で「深夜になってから東の空に三日月がでます」と書きましたところ、読者のNさんから「三日月ではなく上弦の月ですね」とメールいただきました。

うっかりしておりました。ご指摘どうもありがとうございます。

というわけで、巻頭ではしっかりと「上弦の月」と書きましたが、秋はやはりお月見がいいですね。

月見にはお団子も大切です。我が家では、米粉で作る丸い団子を「おころ」と呼んでいます。この団子を供えて風流に月見をした覚えはほとんど無いのですが、とても大好きなおやつでした。

 月がいつしかあかるくなればきりぎりす  種田山頭火

来月お届けするメルマガは中秋の名月のころかなと思ったりしております。

---
(8月17日発行のメルマガ)

2014年8月16日 (土曜日)

稲刈り

稲刈り

7月17日に稲穂が出ているのを見つけてから半月が過ぎた。

(8月15日)
列車をおりてみると刈ってあったので驚いた。

稲刈りが早くなったのか、わたしの実家のあるところよりもコチラのほうが早いのか、よくわからないが、櫛田川の水に育てられている区域は水が早く来るのだろうか、稲刈りは早い。

麦を作らなくなったことが一番の理由と思うが、農機具が進化して、夏の暑い盛りでも稲刈りが可能になったこともあるのだろう。むかしのように鋸鎌でゴリゴリと一株ずつ刈り取る作業はこの暑い季節には不可能だ。

きょうは、大文字@京都。
送り火を夜空に見あげて、夏が過ぎてゆくのをじみじみと味わった。

ツマとムスメさんは京都の別邸に行っているが、今夜は雨が降り出すかも。

一方で、熊野の花火大会が17日にある。
コチラは雨の確率は低いので安心のようです。


(ほかの日記はコチラ)
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2014年8月14日 (木曜日)

お盆

Bon

お盆です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

職場はカレンダー通りに業務をしていますし、我が家のムスメもツマもお仕事ですが
わたしは非出勤日にして家におります。

明日はムスメが夏休みを取得して、明後日の大文字も見たいしお墓参りも行きたいので上洛するとか申していますが、雲行きが怪しいようです。

17日はわたしが出勤当番で、この日の早朝に京都の別宅から出勤してもいいのですが、道路事情などを心配し始めると、家でゆっくりしてるのもいいです。

別宅も秋が過ぎたらゆっくりと滞在できるようになります。

17日は熊野の花火でして、京都は早々に引き上げて花火に出かけるという話もしていたムスメさんたち。

それほど天気は崩れないと予想しますが、晴れるといいですね。

2014年8月12日 (火曜日)

語る 兜太  ─  わが俳句人生 金子兜太

 金子兜太さんという人は、朝日俳壇の選者もやっていて、テレビで何度か見たことがあり、ラジオでも話を聞いたことがある。

95歳ほどのおじいさんだけどしゃきっとしてはっきりものをいうさわやかな爺さんだ、というような印象くらいしかない。

毎週金曜日に朝日新聞で数時間で5千通以上の投稿の俳句を選んでいたり、変なストレッチ体操を今でもしているから若々しいのだと話していたり、ラジオでアナウンサーが(たぶん)真顔で話しているときにちょっとおもしろいギャグとかエッチな話とかをポロリと漏らしたりするということも知っている。

だから、とてもスリリングでエネルギッシュで気さくな人なのだと思ってこの本を読み始める。

俳人だという難しいところはしっかりとは理解できない。私自身、俳句を投稿したりして遊んだりするけど俳句を論じることはできないので、俳句以外の金子兜太さんの姿がきっと好きであるのだと思う。そうして兜太さんに触れて、俳句を身近に感じるようになって、俳句が好きになってくる。

その金子さんが語っているのです。だから、「語る 兜太」。ええ名前やなあ。

クロモモさん(黒田杏子さん)が聞き手と表紙に書かれていますが、クロモモさんと対談しているわけではないのです。これは、金子兜太さんの自伝です。

自伝なんか書いて、明日逝ってしまったら笑い話になってしまう、と心配しながら読むのですが、金子兜太さんなら大丈夫だと読みながらファイトが湧いてくるし、エネルギーも分けてもらえるのが分かります。

戦争の話が出てくる。ストレートに言いにくいこともズバッとくる。これが本当の反戦の書なのかもしれない、と感じます。戦争はいけない、なんて大きな声で全然語っているわけでもない。でも、金子兜太さんは、戦争に反対し、平和を望み、弱い人に手を差し伸べる優しい人なのです。人間味のある人だった。

◎ 酒止めようかどの本能と遊ぼうか

立禅の話が出てくる。このあたりから吸い寄せられるんです。その辺の爺さんや威張った文人や有名人が書いていたなら読まないかもしれないけど、近所の爺さんのような雰囲気を持っているので、ちょっといい話じゃないですか、と思って読むのです。

わたしもこんな生き方をしたいな、とまで思えてくる。

49歳で煙草をやめて、60歳を過ぎてお酒もやめた。

本能なんて言いながら、知らん振りしているところが大きな人物なんでしょう。とびきり言葉が詩的であるわけではないけど、俳人ってのはこういう雰囲気がいいなあ。

2つの顔じゃなくって奥にある顔のようなものを秘めている。わたしも真似してお酒止めようかなって思うのです。

本能というものを考えなさい、と講話を聞いているみたいで清々しい本でした。

金子兜太 語る兜太

2014年8月10日 (日曜日)

台風11号  ─  立秋篇

(8月7日立秋)

この日は台風がのちの報道になるほどにも大雨を齎すなどとは考えてもおらず

  • 立秋のブルーブラックは特別色
  • 秋立つと物音がするわけでなし終わりが近い夏休みの予感
  • わが父は夏好きやったやろか冬に逝く

などと書きなぐって遊んでいた。

10日には今年最大の満月(スーパームーン)の夜を迎える。
比較的暑くない日が続くので有難い。このまま秋風が吹いてくれればと願っていたのでした。

▼立秋と書く噛みしめて秋味わう

秋になるということがこっそりながらとても嬉しくて仕方がなかった。そのことを誰に話してもわたしの気持ちなどわかってくれるわけもない。ひとりで立秋のことを考え「裏窓から」には何を書こうか考えていたら、時は容赦なくトントンと過ぎていった。

トントン

しかし、台風はトントンとはやって来なかった。7日の金曜日はまだ遥か九州の南方洋上と思っていたものの、8日の土曜日になると四国上陸の予想がほぼ確実になり、10日の午前中に当県も暴風雨圏に巻き込むと報じられる。

立秋をのほほんと味わって風流等と言っておれない状況である。8日には朝から実家の母を訪ね安否を気遣い、お米となすび(レジ袋満杯)とスイカを1個もらって来ている。ちょうどクルマを走らせているころに1時間雨量45.5ミリを記録している。(昔の水害を思い出す)

この日記を書く暇もないほど(というかゆとりも無いほどに)雨が降り続き、大雨特別警報という耳慣れない予報が8日の夕方に出た。

このニュースは全国を駆け巡ったために安藤や中川さんからもメールが舞い込み、「よう降るなあ」と驚いているだけではなく身を引き締めねばならないのは自分ではないかと自らを省みるのであった。

函館駅

1989年の新大阪駅ホームでの集合写真が出てきたので少し前にも載せたが、調べてみると8月8日から9日に掛けて秋田県の沖日本海から小樽の方面へと抜けている台風13号ということがわかる。そのせいで(自分が悪いのだが)めげてしまいモト・トレインに乗って新大阪までビューンと帰ってきてしまったのだった。

風が少しずつ強くなる夜半に、ツマと食卓に座りニュースを見る。
子どものころにきた伊勢湾台風、第2室戸台風、宮古島台風の記憶が蘇るので、そのことを話してしまうのだが、理解できないようだ。住んでいた地域も違えば歳も少しだけ違う。

9日は長崎原爆の日。

(台風の被害にしても戦争の傷跡にしても)

消えてゆく過去をとても悔しい思いで胸に抱いておられる人々も多かろう。

今の世の中の多くの人に、そういう出来事をどこまで理解できるのだろうか。

あらゆるものを、どこぞの学者さんの論文の資料みたいにコピーして貼り付ける作業の繰り返しのように捉えてしまえば、ほんとうの意味での価値やドロドロしたものは能書きとしてでしか残されない。

悔しさの潜在的な苛立ちはそこなのではないか。


写真は1989年8月9日函館駅(日付は推測)

2014年8月 9日 (土曜日)

1989年夏新大阪駅のホームにて

1989年夏新大阪駅のホームにて

こんな列車に乗ることになったのは、あの年も台風がちょうどいまごろにきていて、函館で野宿もせずにホテルに泊まったりして時間を過ごしていて、そうこうしている間に急に帰りたくなってきたのでした。

列車に乗る日は、函館駅の近くでぶらぶらしてた。そう、あのときにTW200に乗って北海道を走り回っていたオンナの子と駅前でお茶をしたのを覚えている。可愛らしい子だったのに名前も聞かず連絡先も交換しなかった。さすがにあとで探しようがなかった。

というわけで、あのころは好き勝手してバイクで旅ばかりをしていました。それはそれで許されたのでしょう。

ひとつの時代というよりも世紀でした。

社会の流れは大波小波を繰り返しますが、決して同じではなく、新しい世紀の新しい文化となって歴史を作りますね。

2014年8月 5日 (火曜日)

下りの一番列車

下りの一番列車

夏の朝は夜明け前から目がさめるので、お手軽に散歩に出られます。
いつごろまで続けられるか全く予測がつかないけれど
8キロほどの農道を自転車で散策してくる。

50分ほどの間にJRが2度通過する。
下りの一番列車と上りの一番列車。

朝日が昇って窓に反射しているというまさかの一瞬。

この汽車の乗ってその先の人を訪ねに行きたいと何度も思った日々
それももう昔のこと。

5時過ぎにこの付近を出て、熊野市に8時20分に着く。


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2014年8月 3日 (日曜日)

おやつの時間

10時
おやつの時刻

わたしは出勤。

仕事が穏やかということは
街はゆっくりと休日を過ごしている
ということや。

この日のおやつ

2014年8月 2日 (土曜日)

よりみち

(8月1日金曜日)

ムスメさんが朝出かけるときに
今日の帰りは早い目だというので
駅で待つことにして、ちょっと寄り道をする。

最初はホルモン屋さんを考えていたが
ツマがバスで駅まで出てきて合流したので
予定を変更となった。

いろはにほへと

メニューにホッピーを発見した。

飲んでみよう。
初めてかもしれない。

ハイボールを2杯飲んだ後だったので、
ちょっと味気なかった。

ホッピー

2014年8月 1日 (金曜日)

二十歳のころの旅   花も嵐もⅢ その78

二十歳前のころからボチボチと旅をするようになっていた。そもそも、見知らぬところへ行ったり1人で乗り物に乗ったりするのは好きだった。それが大学生になって初めての夏休みに本屋で旅行本を見ていて突如思い立ち北海道へ行った。これが最初だろうと思う。

1977年、1年になって半年ほどのころ、急に思い立って北海道への夜行列車に乗っている。本屋で旅本を買って帰った2,3日あとのことである。

大阪駅を夜中の9時ころに出る急行北国という夜行列車が青森まで走っていた。明くる朝に富山付近だったと思う。昼中カタコトと走って夕方に青森に着いた。しっかり明るい時刻に岩木山が見えて、美しい姿に感動している。

日が暮れてから青函連絡船に乗り、函館て再び日付が変わってそこから急行で6時間あまりかけて夜明けの札幌に到着する。通勤の人影は疎らな時刻だった。駅の前で野宿をしているカニ族などの旅人を駅の係員が水をまいて散らしている風景も記憶にある。

旅日記は、ブログのアンソロジーに書いた程度しか記録にない。残念であるが、記録に残っていない旅の記憶というのも染み染みとくるものがある。

2年生のころに信州にバックパッキングを担いで出かけている。これは体育の野外授業で4日間のキャンプ&登山に参加すれば半期分の講座と同様の単位がもらえた。これも人生に大きく影響を与えた旅だった。

テーマは戸隠山登山だった。天候の加減が悪く飯縄山の登山に変更になったが、キャンプの日程だけは4日間しっかりと行われた。

前半が雨降りで、雨が上がったときに戸隠山の岩場の斜面に幾つもの滝が見えたとどこかに記録している。今はそのことだけが記憶としてあるだけで、日記は残っていない。最後の日に飯縄山に登山をして野外講座は完了となった。

信州のどこかに寄り道をしながら1,2泊して帰ってきたような覚えがある。

3年になって、1980年の秋のことと思う。10月31日に東京湾・竹芝桟橋から船に乗り三宅島に出かけた。同級生だった花川(のちに東洋通信機)とリュックを担いで寝袋だけ持って野宿をしながら島を歩き回ろうという旅であった。

花川とは毎日学内で駄弁る仲間で、入学のときの同期だったので気軽に話もできた。ふとしたことから三宅島に行くという話が出て、花川が1人で出かけるところへわたしが付いて行くことになったのか、寝袋の旅をするにからオマエも行くか?と聞かれて、付いて行くとなりどこに行くかを決めたら三宅島になったのか、そのあたりは記憶もないし記録も残っていない。

1980_3

三宅島には2,3泊したと思う。

海岸にある東屋で寝袋にくるまって眠った。屋根があるだけで風は吹きさらしでとても寒くて、次の日には近所の酒屋さんでダンボールをもらって敷いたり被ったりして対策をした。島の中をリュックを担いであてもなく歩きまわった。自分で立てた計画ルートだったか花川と相談したのかそんなことさえも記憶に無い。三宅島はあれから2度ほど噴火をしたので、およそ一周歩いて回った三宅島は、噴火前の島だ。山にも登ったと思うが、頂上に辿り着いた記憶はない。

夜明け前に到着して、大きく広いところで写真を撮ったら飛行場であったりとか、とてつもなく強い風で波の花が砕け散っているのを初めて見て感動したり、探検者のようなサバイバル感のたっぷりな旅だった。

寂れた村の風景、野性的な森、雄大な山岳風景など、記録写真が殆ど残っていないというのが、貧乏な学生のぶらり旅であった証ではないのだろうか。

1981年の秋に井上(のちに富士電機)と信州をドライブした。この旅が学生時代では一番豊かであった。野宿をするわけではなく、YHに泊まりきちんと使うべき宿にお金も使っていくというように計画も目的もあった。

できたての関越自動車道を走って一気に信州まで行き、蓼科の温泉に入りお目当てのYH2箇所にも泊まってきた。まほろばYHは真新しいYHでとてもピチピチした雰囲気を放っているYHだった。諏訪湖YHは昔から人気のある伝統的なYHだった。1977年に北海道を旅したときにもYHを少し利用したが、それ以来だったかもしれない。YHの旅というのはノスタルジックであった。

まほろばユース

温泉に入る歓びを教えてくれたのも井上だった。今思うと、麦草峠も越えたし三国峠も走っている。社会人になってバイクの旅に夢中になっていく過程で必須条件だった温泉、峠、林道、YHをこのときに1度クリアしていたのだ。潜在的に植え付けられていたような気もする。

麦草峠や三国峠をあの時期に走れたことは、何も知らずに走ってきたのが残念だであるものの、とても幸運なことだった。蘊蓄も理屈も何もなく、風が靡くように吹かれるまま好奇心が向かう方へとたびに出てゆくことで、かけがえないものを味わえていたような気がする。とても純粋な旅だったともいえるのではないか。

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