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2014年7月31日 (木曜日)

実り来て日一日と七月尽

車窓から

久しぶりに窓際の席に座った。
お盆ころには刈り入れなのだろう。

久しぶりの車窓から。
いつの間にか七月も果ててゆく

ししとう

ししとうには花かつお

なまぶし

生節といえば
ご飯にまぶして(汁もかけて)
納豆をトッピングするとおいしいです。

2014年7月30日 (水曜日)

金子兜太 わが俳句人生 語る兜太

BOOKs(読書日記)から

金子兜太 語る兜太

金子兜太さんの魅力と凄さはいったいどこから湧き出てくるのだろうか。

そう思うと、むかしを掘り起こして、自らが描く姿にお目にかかる必要があったのです。

図書館にて。
7月29日から8月12日まで

2014年7月29日 (火曜日)

それぞれの道   花も嵐もⅢ その77

何か言葉で自分を納得させようと考え続けているのがよくわかる。バイクを降りたのは決して諦めたり飽きてしまったからではない。そのことは自らの肌が感じている。だが、スキッとしないのはどうしてだろう。自分で問いかけて、そこに相づちを絶妙に入れてくれるものがあらわれないからか。その言い訳じみた理屈付けを乗り越えるために、「もしも」という仮説が飛び出す。もしも、仕事を辞めていなかったら、もしも、今の仕事に出会わなかったら、などなど。

(先日の日記で)そんなふうに書きだしたわけであるが、この「花も嵐も」のために考えていたのが大きく脱線してしまった。そこで、方向を切り替えて続きを考えてみる。

同じ時期にバイクにまたがり旅を楽しみ、キャンプ場に集い焚き火を囲んで語らった仲間たち。仕事社会から抜け出てきてお互いに元気を取り戻しあい自分の空間へと帰っていった。心も通じている友がいるという歓びを最高に旅の中で味わってきたのだ。

それぞれが新しい道を歩んでいる。

バイクを降りてしまったわたしがいる。同じように手放して、自転車、マラソン、登山、キャンプ、トライアル、グライダー、スカイダイビング、陶芸、絵画、カメラ、など、いろいろな分野で愉しみを継続して実践している人たちがいる。バイクは手放さずにときどき乗っている人もいる。

もちろん、パワーアップしてガンガン乗っている人もいる。これまでと違った旅の楽しみ方で、年齢も出会ったころから二十年以上も過ぎて、赤ん坊だった子どもが結婚するほどに育っている人もいたりする。

それぞれの人生模様の中でバイクというものが大きな役割を果たしていたのだと思う。

わたしは幸せだった。そういう乗り物を、特別の苦労もなく手に入れて、誰にも束縛されずに、走り回ってきた。実際には、家族の大いなる理解と妥協と諦めと怒りなどがあったのだが、鈍感にもそれを家族の好意として遊び回っていたのだから、わたしの罪は深い。

ヨチヨチと歩き始めた娘をおいて、ひとりで北海道に出かけるわたしを見送ったときのツマの気持ちを、最近になってポロリと聞いたが、わたしは感謝するだけだ。あれから二十五年以上も勝手気ままに日々を暮らしてきたのだし。

もう少し先で貧乏から解放されることができるなら(長生きができるならば)、ツマと二人でゆっくりと昔に夢見た場所を旅したい。

Aikokun

(写真は1984年)

2014年7月28日 (月曜日)

舵を切る

何か言葉で自分を納得させようと考え続けているのがよくわかる。バイクを降りたのは決して諦めたり飽きてしまったからではない。そのことは自らの肌が感じている。

だが、スキッとしないのはどうしてだろう。自分で問いかけて、そこに相づちを絶妙に入れてくれるものがあらわれないからか。

その言い訳じみた理屈付けを乗り越えるために、「もしも」という仮説が飛び出す。もしも、仕事を辞めていなかったら、もしも、今の仕事に出会わなかったら、などなど。


□■

水平線しか見えない遠洋への船旅のような人生のあの時期に、突如、航海を打ち切って船の舵を大きく切った。その先にあったものは、衝撃的で新しい世界だった。もしもあのまま航海を続けたら、新しいものには出会えず無知のままだった。一介の総合電機メーカーの技術者としてある側面では優雅で豊かに、そしてもうひとつの側面では井の中の蛙で終わってしまったのだろう。たとえマイナスが大きかったとしてもプラスがあったところに歓びを感じることができた。
(何よりも大勢の愚かな人々が愚かな会社を愚かな方向に導き社会までも変質させてしまうことができるのだということも分かった)

オクラ

実際には仕事を辞めて新しいことを始めようとして、それを損なってしまったわけだが、出会ったものが私の心を幸せに導いてくれた。もっと早く二十歳のころに出会えば全く違った生涯を送れただろうにと後悔をした。

だが、冷静に考えると湧き出るように見えてくる人生の筋書きのなかに、二十歳のころに現在の業界のような仕事に出会っていた…というドラマがあったに違いなく、紙一重なのかわたしの失策なのか断定できないが「没」になった。

どこかにも書いたが、曽祖父が村長、祖父が村議会議員、父が公務をしてきた。皆が社会に尽くした人たちだっただけに、わたしだけが恩返しを怠り逃げ出したのは掟破りであったのかもしれない。

人生は一度きりとはまさにその通りで、目に見えない神の導きに出会えなかった不運だとも思う。

急降下のころに、ムスメは受験時代を迎えていた。何がどのように転々とするのか理屈も何もないと思うが、着地点をしっかりと見て、着地するからにはそのモノをよく知り尽くし自信を持って生きてゆく。

果たしてわたしがあのときに感じ得たことは、伝えたい人たちに伝わったのだろうか。舵を大きく切った人生であったが、その舵をこれから引き続きしっかりと操縦しようと考えている。

2014年7月26日 (土曜日)

深く考える

問題解決の答えが出ない時の最も有効な解決手段は、解決案が出るまで深く考え続ける事だ。


孫正義 (平成26年5月18日 Facebook)

2014年7月24日 (木曜日)

利休氷 ─ 大暑篇

「高円寺」といえば、中学時代に夢中になった吉田拓郎の歌が

君を好きだなんて言ったりすると
笑われそうな気がして
とても口に出すのがこわかったけれど
気がついてみたら君の方が
僕を好きになっていて
それで口に出さないでもよくなったんだよ

君は何処に住んでいたのですか
高円寺じゃないよね
だって毎日電車に乗っても 違う女の子に
目移りばかり それで電車に乗るたびに
いつも色んな女の子にふられていたんだものね

と歌っていて。

そんな音楽を頭に焼き付けて高校時代を送ってわたしが上京して住んだのが東村山で、あのころ売れ始めたばかりの志村ケンと久米川から高田馬場まで向かい合わせで行ったことも思い出す。

そして、そのあと住んだ西武池袋線の江古田は高円寺とは華やかさが違っていた。

ちょっと負けてるなあ・・・なんて思い出しながら悔しがっている。

あのころの若者はそんな変なところに見栄っ張りがあって、そのくせ汚い長髪に下駄履きで街を歩いた。

そう、あのころは歳上のおねえさんが大好きで、北海道の帰りに青森から上野まで夜行急行の同じボックス席で帰ってきたかわいいOLのおねえさん(樽角さんっていう珍しかった名前まで覚えている人)にせっせと手紙を書いてみたりもしていた。

利休氷

とおとさんと砂女さんの神田「竹むら」のお話はおろか、二人の俳句人が御茶ノ水から神田界隈を大人の雰囲気で語り合うところには、なかなか踏み込めない。

さながら、素敵な女がとまり木の向こう側で粋にやっているところに貧乏学生の成り上がりが声をかけるようなものだ。野暮はやめておこう。(実は、ふたりの大ファンなんですが)

だが、こういう二人の話に耳をか傾けていると、早々に都会を諦めて京都へと引っ込んでしまった自分を些か後悔することもあり、その一方であのまま東京で暮らしたらきっと夢を見すぎて死んじまったかもしれないなあ、と想像してみたりしている。


□■

一節ごとに自分を見つめ直そうとし、社会も眺め、ちょっとだけ皮肉も書いて、反省もするようなモノを書いて、せっかくだから少しは味わいのあるものでありたいと、当初から欲張って書き始めた「裏窓から」シリーズだが、このごろは少しネタが尽きてきてしまった感がある。

7月23日は大暑。

伊勢市三大かき氷のひとつ、利休饅頭さんとこの利休氷をツマと食べに行き、ささやかな夏休みを過ごした。

2014年7月23日 (水曜日)

旅に終わりがあるか   花も嵐もⅢ その76

愛に終わりがあって心の旅が始まる。そう歌った人がある。

愛に終わりあるって、そんなの稀だと思う。終わりがあることのほうが不思議なくらいだ。

と言いながらも、終わらせなくてはならなかったことだってあったし、しかしながら、終わらせなくてはならない辛さをわたしは知らないだけなのだろう。

終わらない方がいいに決まっていると思う。だが現実に1度くらいは終わりを経験している人が多いだろう。終わらせたくなかった人もあれば、あれでよかったという人もあろう。

人生ってそんなもんだ。

旅に終わりがあるか、と書き出してみたものの、ここでは、旅をすることに終わりがあるか、と書くほうが正しいか。

わたしは生涯旅人と自分で思ってきたから、バイクを降りてしまっても旅は続けるつもりでいる。今、少し苦節の時期に差し掛かっているけれど、新しい旅のスタイルを必ず実現していくことをわたしは夢に見ている。

くまなく日本の峠や歴史街道を走り尽くしたい。こんなところにこんな暮らしがという驚くような村・集落を訪ねて回りたい。それが、全盛期のわたしの目標であり夢であった。そして、行きたくない沖縄を除いてすべての地域を走り、足跡を残し、思い出を築いてきた。

とことん何事も極めるには30歳から40歳を過ぎる頃が絶好の時期であるのか、と思う。金もあるし時間もある。意欲も好奇心も情熱も持っている。行動力も発揮できる。

わたしがそうだった。飽きることなど絶対にないと思っていたし、行動をする勢いに翳りが来るとも考えたことなど全くなかった。

乙見山林道

  • あれだけ走り回ったら飽きたのではないか
  • 同じ所に何度も行っても詰まらんやろ
  • 乗っているだけで何が楽しいのよ
  • 金もかかるし時間も要るやろ
  • ひとりで飛び歩くなんて身勝手や
  • 勝手ができるなど我儘すぎる
  • 家族を放ったらかしはアカンやろ

などと言われて、それらを全部否定して、もうバイクには乗らないことにしたけどまた乗りたくなったら乗る、とだけ言って処分してしまった。

もしも、メグロさんが元気で修理屋さんを続けていて、わたしのKLEの不調箇所を発見してくれていたら、わたしは修理を続けて乗っていたと思う。今度こそは錆びて崩れるまで手元に置いておこうと強く決心していたバイクなのだから。

39年間も付き合ってきたオートバイという乗り物のその向こうにあるものに浮気をしようとしたのかもしれないと自分を疑ったこともある。

言い訳だったかもしれない。でも、わたしは言い訳がどこまでも続く人生を送ってきたのだから、生涯そのペースは避けられないのだろう。

意地を張るのはやめよう。

2014年7月22日 (火曜日)

神田

むかし、そうだ!1977年のことだ。

ヒッチハイクと国鉄で北海道を旅していたときに列車の中でほぼ同年代の若者に同席になった。その子が「神田なんです」と言ったので、それであうんで、同じ大学だと閃いたということがあった。

神田で反応するということは、こんな瞬間をいう。そのことを砂女さんのブログにコメントで書いて、懐かしくなってきたのでここに書き写している。

神田も広いと後になって次第に気づくわけであるが、一昨々年、久しぶりに神保町界隈を訪ねる機会に恵まれて、雨の中にもかかわらず、ぶらりぶらりと歩きまわってみた。

「すっかり変わってしまったな」というのが真っ先の感想だった。でも、本当はそれほど変わっていなかったのかもしれない。久しぶりすぎてそういうセリフを自分で用意していたのかもしれない。

時間が過ぎてしまったのだから仕方がない。ネズミの通る穴まで知っていたのに、ネズミが居ませんね、みたいな。

泥臭くて埃臭い街だったのにちょっと残念だった。

20111111tokyo

◆ あんみつ

そうそう、餡蜜(あんみつ)のことを書こうと思って書き始めたのだった。

わたしは田舎の子だから、そんなハイカラものは大人になるまで知らなくて、せいぜい、みつ豆の缶詰をおやつに食べたことくらいがご馳走の思い出であった。

神田の大学に通うことになって、そこは喫茶店がたくさんあって大都会だったけど、外でお茶なんて飲んだことはなかった。

講義はそこそこにして、いつも古本屋に立ち寄って、古本を抱きかかえて下宿に帰った。大学からは1時間ほどかかるひっそりとしたわたしの城のようなところで、暢気に暮らした学生時代がある。そんな時代を思い出した。

神田という言葉は凄い。あらゆるものが蘇る。

2014年7月20日 (日曜日)

塩辛

7月19日 (土)

納豆のように3パックになっているイカの塩辛が売っていたので買ってきた。

時々、こういうものを買って食べたくなる。 ツマと二人で居酒屋風やなあ、と言いながらビールをちびりちびりとやっている。

旨いと思う。
食べ過ぎはいけないし、贅沢もイケないと思っている。

だが、こういうのを肴にしているときは、いつ死んでもいいなあ、と思っている。

イカの塩辛


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2014年7月19日 (土曜日)

手放し

◎ 手放しの自転車試す青田道
という砂女さんの句がとても素敵だ。

彼女は、いったい幾つわたしよりねえさんなのかわからない。もしも、途轍もないお転婆であったならば、白黒写真の時代に青春を送ったような、夏には川で泳いで真っ黒になっているような、そんな人だったならば、と想像をして楽しんでいる。

だが、わたしだって、そうも言っておれないほどに老化の波が押し寄せて、中性脂肪がピンと跳ね上がって蒼白になっている。それは6月下旬に定例で行う職場の健康診断の結果のことだ。

結果を見る前にすでに、このごろ、健康の意識して自転車に乗って近所を走り回っている。4度ほど早朝の住宅街や夕暮れの田園を駆けてみたが、若返るような気分になって爽快だった。

(ちっともおなか周りや体重は減らないけど)健康指数良くなってくれ、と願っている。

それで砂女さんの句。
この句を読んで、実はこっそりと手を離して漕いでみた。
ちょっと、ショック‥だった。

全国の峠という峠、歴史街道をくまなく二輪で走り尽くしてきたという自信があったわたしであるのに、1年前にバイクを降りて以来の二輪車で、ふらふらだったのだ。

押し寄せる爺(ジジイ)の波は怖い。

砂女さんの真似して(アレンジして)里山散策も試みようかと思っている。

2014年7月17日 (木曜日)

稲穂

稲穂

7月17日 (木)

最近は雨降りが続いたりして最寄りの駅に降り立つことが少なかった。

駅を出て田んぼ道に突き当たったときに、穂が出ているのに気がついた。

車窓から見ているだけでは気づかない。

もうあと2,3週間で刈取りやなあ。

そのころには秋風が吹き始める。

2014年7月15日 (火曜日)

神山神社参道にて

(7月13日)

神山神社は、元伊勢と呼ばれる神社の一つで由緒の有るところでした。

参道で井戸を見つけたので嬉しくて写真に撮りました。

一乗寺の登り口からは櫛田川の堰が見えます。JRの鉄橋もあって、撮鉄の若者が2人カメラを構えていたので真似して1枚撮ってみました。

2014年7月14日 (月曜日)

一乗寺と神山神社

(7月13日)

午後、雨が降りそうで降らないおかしな天気だったのですが、思い切って気になっていた一乗寺に行ってきました。「ちはやふる 神代の国より」さんのブログのおかげで最高に良かったです。ありがとう。

一乗寺登山道

登り口からは、15分くらいでお寺までいけます。しかし立派な登山道です。ほとんどが不規則な石段で、トレーニングみたいなかんじで登り続けました。

一乗寺山門(裏門)から

山門にたどり着くと立派な庭が見えます。汗が引きます。

一乗寺(庭)

大きなモミジの木があります。紅葉の写真を撮りに来たいです。

2014年7月13日 (日曜日)

長い野球人生の一部

 「このような形でチームを離れることになり、チームメート、そしてファンの皆様には大変申し訳なく思っております。球団からの発表の通り、これから数週間のリハビリに入りますが、これも長い野球人生の一部であると受け止めています。選手としてプレーを続けている以上、故障するリスクは常にあります。そういった状況に陥ったとき大切なのは、しっかりと自分の身体と向き合い、一日でも早く復帰できるように努めることだと思います。皆様に元気な姿を見せられるよう頑張ります」

 田中将大投手のコメント全文(原文のまま) ─ 平成26年7月12日ニュースから


ほんとうに実感として彼が「長い野球人生の一部」というものを今の瞬間に理解しているかどうかは、この時点でははっきりできない。人生というものはそんなにたやすく見通せるものではない。なにごともそうだが未来は誰も知らないし正しく確実に予測することもできない。

しかし、根拠のある冷静さと知性と判断で想像をすることはできる。そのような総合力が数々の歴史的な成功を導いてきた。そう思う。

迷走する現代社会や政治の姿にはそんなものはなく、言葉にもならない情けなさと憤りを感じる。せめて、田中投手には夢を叶えてもらいたい。

2014年7月11日 (金曜日)

誕生日─ぴょんぴょんと水たまり飛び越して夏になる

▼ぴょんぴょんと水たまり飛び越して夏になる
あくる日にこんなことばを残している。

七夕の日記(裏窓・小暑篇)にも書いたのだが、早いものでもう27回目の誕生日を迎えたのだ。
今年は、ロウソクを立てている写真があるので残しておこう。

京都から帰って四月いっぱいは学校で研修を受け、2年間県下最南端の部署に配属。それから県庁所在地に戻って2年。市内で異動して春から夏を過ごしている。

誕生日ケーキ

手元にケーキを吹き消している姿の写真もある。
日々の変化にはそれほど気づかないのが世の常で、昔を振り返れば大きな変化がある。

わたしらが小さいころと大きく変わったなと思うのは、今の人達は、このようなときに蘇らせる昔の残像をそれほど切なく懐かしまなくなったのではないか、ということだ。

デジタル画像や動画が簡単に残せその数や情報量も膨大である。

所詮、いつかは消えてゆく昔のことよりも、まず間違いなく同じ波長で繰り返されてくる現在の毎日のひとコマをじっと見つめて生きてゆくほうが貴重だ、ということなのだろう。

びょんと飛び越して夏になって、まだまだ次々と子どもたちにはドラマが続く。

2014年7月 9日 (水曜日)

願いごとないと言ったら嘘になる ─ 小暑篇

凸凹の少ない日常を送っている。そんな筈ではなかったと気がついたときは遅かった。

体力がないだけではなく、新しいものに反応したり食らいついてゆくスタミナもなくしつつあるのだった。

七夕の夜は、沖縄の南にいる台風8号の影響もあって曇り気味で、星空などは見えない。見えなかったと書いておかねば忘れてしまうような不安が襲う日々を過ごす。

豪雨災害のニュースが続いてパタリと梅雨が開けて夏になるのが七夕のころの特徴なのだと思っているのに、思い切り地面を叩く雨を今年は見かけないままだ。そんな夏があってもいいのだろうけど、筋書きが外れるとその後が少し怖い。

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◎◎

友だちに葉書を書いた。

自分がいちばんボケにくいと自信を持っていても、多かれ少なかれ心配なり対策なりをしなくてはならない年齢が近づいてきました。健康には気をつけましょう。それが一番大事ですね。うちはまだ娘がお嫁にいきません。なかなか決心がつかないのも世相なのかもしれません。

そんなようなことを書いた意味のない手紙になったけど、わたしたちの人生はそんな意味のないことを交わすステップが日常に求められている。それは、何も恥ずかしいことではなく、むかしからそうだったのではないか。

◎◎
◎◎
◎◎

七夕には

▼雨だとか晴れだとかよりプロポーズ
▼星のない夜よ貴方を独り占め
▼七夕は雨がよろしい蛇の目傘
▼笹の葉に飾りきれない願いごと

とつぶやき、あくる日には

▼初蝉や鳴いて哀しい学期末
▼初蝉を追うてさまよう森の中
▼キミのいた石段坂も夏休み
▼ぴょんぴょんと水たまり飛び越して夏になる

とつぶやいて、そのあとに

きのうは、小暑でたなばたさま。夏もいよいよ本格化します。仕事帰りに駅前で、カレー屋から出てきた高校生に試験は終わったかと聞いてみた。

休み明けにあります。
今日はクラブが休みで、息抜きで飯食いに来ました。
野球部です。
暑っついです。

と話してくれた。

と書き足している。

◎◎
◎◎
◎◎

二十数年前のそんな暑い夏にムスメが生まれた。わたしがぼんやり屋なのか、記憶とはそんなものなのか、1987年の7月9日の朝は晴れていて、まさに暑い夏の始まりであったということくらいしか記憶にない。今の時代なら想像もつかないのだろうが、わたしは仕事に出かけて、お昼すぎに職場に電話連絡をもらって五条にある市民病院へと駆けつけたのを覚えている。

アパートにはエアコンがついていて、それはムスメが生まれるからといって夏を迎える前に買ったエアコンで、その後も何度かの引っ越しに持ち歩いてゆくことになるものだ。実は今の家の寝室に最後に移設したのだが、四五年前から冷えなくなったので放置したままになっている。(我が家はエアコンなしの生活を送っているのです)

こうして思い出してみると、古文書が蝕んでボロボロになってしまっているように、頭のなかのあのころのページが断片化されている。消えてしまったものもあるのかもしれないし、わたしが無理やり思い出そうとしないから欠落したままになっているのかもしれない。

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◎◎

むかし、小学生だったころに、七夕飾りの短冊にわたしは何て書いたのだろうか。卒業の文集には「アナウンサーになりたい」とはっきり書いているのだが、それは一時的なものではなかろうか。もっと子どものころには船乗りになりたかったのだ。この夢はわりとわたしの中で筋を通し続けて、事あるごとに蘇ってきており、今でも大きな港町で海上保安庁の巡視艇を見たりすると、奮えるものがあるある。

現実路線を選んだのか、自分にはチカラがないと悟ったのか、それとも、長考の末に候補にしていた次の一手を打つ瞬間に、全く思いつきの(横から割り込まれたような)一手を打ってしまったときのように今の世界に飛び込んだのだろうか。神様もわたしもわからない。あのとき、あの人に出会わなければ‥‥みたいな回想は幾つもある。

◎◎
◎◎
◎◎

もうすぐ一学期が終わる。むかしと違って今の暦での七夕は、雨に降られることが多い。そのことを悔しく思ったり残念がったりしたこともなく、今も昔も

▼星のない夜よ貴方を独り占め
▼七夕は雨がよろしい蛇の目傘

のように感じでいる。

悩みごとはないけれど、出っぱってきたおなかがいろんなところでつっかえることが多くなってきた。

かと言ってそれほどにも困らない。

2014年7月 6日 (日曜日)

カツオ

半分はカツオ茶漬けにしました。

久しぶりで大満足。

カツオ

アサリをいただきました

かつお買いました


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2014年7月 3日 (木曜日)

それでいいのだ

7月2日、Lisa さんがご自身のブログで、励まし合う人を死という形で失って、「病気になったら 恵のとき」(晴佐久昌英)という詩を書き添えて悲しい想いを綴っている。私はコメントを書けるほどの立派な見識を備えているわけでもなく、ただただ一緒に考えこむだけである。

● 悲しみの共感

残念なことに多くの人は、他人の悲しみや喜び、怒り、憎しみなどを本当に心から理解することなど、そう簡単にできないのではないかと思う。もちろん、わかり合える人もあるし、心から通じるあえることを可能にする人もある。

でも、突き詰めて考えていけば、自分はひとりであり、誰のチカラも届かないところにポツンと置かれているのだ。孤独と寂寥に押しつぶされそうになって生きている。ひとりの人を自分の力ではどうしようにもできなかった悔しさと諦めと、怒りのようなものさえも湧いて、やがて静まってくると押しつぶされそうになってくる。

● 人生を振り返る

それは、順風満帆で健康なときであっても、あるいは、失意に満ちたどん底であっても、同じなのかもしれない。見栄を張って、自分の栄光を自慢しているときであっても、孤独は孤独である。だから、見栄や名誉やお金や地位など、あらゆる愚かなものに纏われて生きていても虚しいだけだと思った。そんな生き方はさぞや辛かろうにと思ってみたりして、輝かしかった過去をあっさりと捨ててしまう決断をして、人生を諦めて自分の弱さを噛みしめて暮らしたときもあった。

まだまだ、生きるということを見渡せていないわたしと、それに立ち向かおうとするわたしが、頭の中で闘っていた。わたしは、死んでいたも同然だと自分で自分を哀れんでみたこともあったのだ。

● 人生の果てに

随分と無駄な時間を費やしたけど、棄ててしまった時間などは今更思えばカスの様なもので、やはり、生きていることに価値があった。死んでしまえば楽になれると勘違いをして一足先にその道を選んだ友や同志も居た。

人生のラストスパートを走っている。確実にそう言える。しかし、わたしには、自信がない。本当の悲しみを共感する自信がないのだ。それは、私が未だに未熟だからだろうか。それとも、悲しむセンスを枯らしてしまったのだろうか。

● 真実の自分

生きることを諦めないで、いつまでも夢を捨てないで、一生懸命に生きてきた人の姿ほど美しいものはない。言葉にはできないほど、一瞬一瞬にまたたきがあるのだ。

だからこそ、そんな詩が生まれ、人を共感させ、新しい心を増殖させていくのだろうと思う。

「残念なことに」とはじめに書き出したけど、しかしながら、それはそれでいいのだとも思うことがある。それは神様の仕業で、わかってあげないようにできているのかもしれないと考えることもある。悲しんでいる人をわかってあげられない方が本当の自分なのではないか。ニンゲンってそんなもんではないのか。偽りなく生きていれば、しかも1回だけ、真実の自分に出会うことができるかもしれないのだ。

だから、その1回きりの悲しみをチャンスにして恩返しをしなくてはならないのかもしれない。

● 幸せと不幸せ

人は、地上にいる「いきもの」たちよりも、賢くて考えることができて、感情を持つこともできるし、優しくすることもできる。憎み合うことも殺し合うこともする。科学が進化して、命という運命の筋書きも書き直すことができるようになってきている。

なぜ、そんなことまでするのだろうかと考えたことがある。科学の力を使って、筋書きを変えてしまおうとか、幸せと不幸せを同時に生むことをやってみたり、危険と安全を詭弁に論じたりしている。

蝉は、一日でも長生きをしたいと考えることがあるのだろうか。トンボは外敵に襲われずに生き延びたいと思うのだろうか。では、人は幸せに暮らすことを生命体の本能として体内に刻み持っているのだろうか。

そんなことを考えているうちに、ニンゲンは、やっぱし賢いが故に、知能を働かせることができるが故に、とても寂しい思いをしたり、幸せの正反対であるような不幸せに対面しなくてはならなくなることがある。そのことが悔しいほどに愚かにも思える。

● それでいいのだ

だけど、ぐるぐると回って、結局は「それでいいのだ」となってしまう。無抵抗であり無能力でいいのだ。そう思ってしまう瞬間も出てくる。

いい機会に恵まれた。

こうして命というものと向き合って静かな時間を過ごすことは、途轍もなく掛け替えのないことだと本当に理解してれば、一生に一度だけの一瞬で、それがわかるならば、もうそれで十分だと思うようにしている。

だから、今度は恩返しをする番なのだ。

● 恩返し

前進する気力を喪失し自命を絶った人、気力が手に負えなくなった人、突然不可抗力の事故が襲いかかった人、立ち向かえない病魔に襲われた人。過去に出会ったその人たちは、親友であり家族であったりしたわけだが、その様々な生き様にじわりじわりと責められて、わたしはここまで生きてきた。

生きている人の使命は、一人でも多くの人に、自分が蓄えた生きる力を振る舞うことなのだろう。今はひたすら悲しんで、悲しみは背負って一歩一歩しっかり歩いて行こう。それでいいのだ。そう思う。

2014年7月 1日 (火曜日)

七月のはじめに考える

一年の半分が尽きてしまったのだ。

いつもの今頃よりも、集団的自衛権の行使のニュースのこともあって、ざわざわと騒がしいようにも思う。

しかし、わたしは至って平常運転。健康も異常なく……
いやスクスクと太りすぎてきて、おなかがいろんなタイミングで邪魔になったりつっかえたりすることが多くなった。

それだけ。


(6月の30日のつぶやきから)
▼夕立は他人事やと大はしゃぎ
▼夕立のことさえ知らずに靡く洗濯物
▼六月のみそかにヘソを掃除する
▼夜更かしもしなくなったの訳あって

そうなんです。他人事。わたしは知らんわ。
その一方で、知らぬが仏で濡れて乾いた洗濯物もあるのだ。

半年が終わったのだと、反省するでもなく。
六月の三十日(みそか)は真ん中・ヘソだと言ってみる。

そうですね、早く寝ますよ。
起きてても面白くもないし。
月も出ていないしね。

(29日には)
▼夕立が来そうでオロオロ物干し台

(28日には)
▼夕立が霧雨になる午後三時
▼蚊に喰われて痒い日の暮れ
▼かき氷あなたも融けてアレになる

氷が融けたらアレになる。
やがてわたしもアレになる。

早く梅雨明けこないかな、と心にもないことを書いてみて、遊んでいる。


メモ書きにこんなことが残っていた。

中旬に政府が公表した意識調査(最新版)でふれている結果を齧り読みする。未婚、晩婚について考える。

◎経済的に余裕が無い(男性多数回答)
◎独身の自由や気楽さを大切にしたい(女性多数回答)
条件を満たす相手に巡り会えないと答える未婚者が多く、女性は4割で男性は2割であるという。

異性との付き合い方も変わってきた。うまく付き合えないと思う人が、男性で2割(女性は7%)いる。

そもそも、女性と男性に考え方や生き方の違いがあっても構わないだろうと思う。
そしてそもそも、最近話題を呼んだ「結婚できないのか」のヤジにも表れているように、その根底には、結婚という大昔からの仕組みに変化が出てきていることにモヤモヤがあるのだ。

でも、このアンケートの答えって、本質的なところで大間違いであり大錯覚と思う。

二十一世紀の人類は、情報という形のないものの価値を見出し、それに育てられて賢くなっていくのだが、それに引きづり回されこだわり続け、幸せや豊かさに錯覚を起こし、新しいスタンダードを築き上げてきた。140文字で語り、その無力や馬鹿さに騙され続け、イデオロギーまでもが方向性を失ってゆく。

棄てられない日常のそれらの文化を棄てる人が出現すると称える。そのくせ、大勢は棄てることもしないで生きている。

でも、わたしが考えることができるのはこの辺りまでで、だから、世の中をどうしようとか、こう変えていかねばならないとかいうように思い患うのはやめることにした。

お好み焼き

ええ?
どうして?

もう、情熱も意欲も金もないからね。


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写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
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