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2014年5月 9日 (金曜日)

こどもの日に ─ 豆ごはん

よそ行きのええべべ着せてもろて
百貨店の屋上の
遊園地へ出かけた
子どもの日

汽車の窓を開けると
煙が目に入ったけど
風が気持ちよかったのは
夏が始まっていたからなんやな

そんなことを
ふと思い出したのでした。

今は、よそ行きの服というものは失くなったし
百貨店の屋上の遊園地も姿を消した。

鯉のぼりを屋敷のなかに
あげるおうちも少なくなった。

たとえ、
社会や個人が豊かになったとしても
あのときのような
素朴で謙虚な心を
失わないためにも
古き習慣やモノを
残しておくことは
とても大切だと思う。

幸せや豊かさを追い求めるだけでは
ホンモノの幸せは得られない。

(こどもの日にこんなことを書き残したのですが、こちらのブログにも書き写してきました)

ことしの豆ご飯

いつの時代にもついて回ることなのだろうけれども、文明というものが進化して、暮らしのなかに息づく文化が姿を変えてゆくことに対して、わたしたちはむかしから無抵抗であらざるを得なかった。

暮らしのなかでご先祖様から受け継いできた習慣・しきたり、遊びといったもののほかにも言葉や食事などがあり、わずかな年月の間だけでも思い出しきれないほどこれらを失ってゆくのを寂しく感じている人も多いことでしょう。

春の田植えの時期に、綺麗さっぱりと鋤き終わった水田に水が満ち、鏡のような一面に早苗が植え込まれていく風景を見ていると、この営みがほんとうに次の世代に伝えるべきことは何であるのかを考えさせられます。

人生の設計を二転三転させて、およその打ち手が後手に回ってきた五十数年間でした。こどもの日に自分の子どもや世の中の子どもたち、むかし子どもだった人たちを見ていると、わたしもあのようなヤンチャをしてきたのだから……と思うこともあれば、逆に大人し過ぎで冒険心に欠けているような点も感じます。着実に失敗をせず、他人も自分も傷つけること無く、みなさまに迷惑をかけることもなく物事をこなしてゆく。

面白みに欠けるともいえましょうが、当人は充実している。その陰でやはり失敗の連続を余儀なくされ失意に満ち、気力さえも失いかけている人もあることでしょう。

ここ数年、好んでこの季節には豆ご飯を食べています。子どものころにはそれほど食べた記憶が無いのです。それには理由があって、わたしの母がこのお豆があまり好きではなかったのだと思います。畑ではたくさん収穫しますがどうしていたのでしょう。そしてこの数年は、ツマのお父さんが自宅の家庭菜園で収穫する豆をたくさんくれるので、ツマは子どものころに回帰したように喜んで豆ごはんを作ってくれます。

わたしは、さやえんどうが大好きで、これは母も好きだったことから味噌汁などに入れてくれたのでしょう。ツマはそのことをやはり近年になって知り、サヤエンドウを見つけると好んでわたしの好きな豆といって買ってくれます。

ツマが自らはそれほど食べないサヤエンドウの豆を買ってくれるのを見ていて、わたしの母が、農家のしんどい作業を終えた日の夕飯に父のためにカツオをの刺し身を買って飯台に並べていたのを思い出します。子どもたちは生臭い刺し身をそれほど好んでは食べませんでしたが、父はうまそうに猫のように食べていました。

今は、わたしがこの季節になれば必ずカツオの刺身を喜んで食べています。そのことは、早く逝ってしまった父はたぶん知りません。一緒に食べられたら良かったけど、それはそれで仕方のなかったことなのだと思っています。

さて、わたしも、子どものためにそんな思い出が作れるといいのですが。

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