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2014年5月 5日 (月曜日)

切り捨てるもの ─ 一子相伝  立夏篇

夏も近づく八十八夜。子どものころに母と幾度も「せっせっせーのよいよいよい」をして遊んだことを思い出す。科学的・文明的おもちゃもなく、母と二人で遊ぶか縁側で裁縫をしている脇で話を聞くなどをして過ごしたのだろう。

今の時節ならば、もうすでに麦は大きく育って穂を出しているし、当時は現代のように田植えを5月初旬にはせず、1ヶ月先の6月初旬頃にした。。麦を刈り取ってから田植えを始めるので、5月は苗床を作るのも忙しかったに違いない。

もちろん、茶摘みの歌のようにお茶の収穫も農家にとっては大事な仕事だ。また、桑が大きく育ち始めるので、養蚕の方も忙しい。

83歳を超えてしまった母の昔ばなしを聞くのが、近ごろ楽しい。中身は決して楽しい話ではないのだが、苦しかったり辛かったことを、すべて過去のことにしてしまって話す母の姿を見るのが楽しいのだ。

二十歳の頃に嫁いできて、舅・姑、大姑がいて、夫には姉と妹、二人の弟がいた。そんな家族がどのように暮らしていたのかを話してくれる。詳細は書かないでおく。母や私が順次死んでいくときに消えていってしまうような記憶とすればいい、そんな理不尽で不条理な話しであった。

母は当時の人やその人の為したことやしきたりを私たちが想像できるレベルを超えて憎んだに違いない。今さらそのレベルを定量化してみたところで時代は変わらないし巻き戻せるわけでもない。怨みを果たせるものでもなかろう。その時代は既に過去なのだと切り捨ててしまえるような人の方が幸せなのかもしれない。

柱の傷

パソコンのなかの記録写真に柱のキズを写したものがあった。

▼背くらべそれも無縁なひとりっ子

その写真を見ながら、もはや、ここに名前の書かれている子どもたちはこの写真なぞ必要とはしていないのだと感じた。

ひとつずつ明日へのステップを踏み続けるために、もはや、このようなモノが必要な時代ではないのだ。私はもっと冷めてこなければイケナイと示唆されているのではないか。

母が切り捨てた過去は、確かに歴史的には尊いものであり人間の心が未来へと進化し成熟する時代のある種の証であるのかもしれないが、私たちにも(否、私にも)このような「切り」の決断が必要だと迫られたのだ。

父は生前に日記をつけていた。かなり若いころから1年に1冊という立派な日誌をつけていて、私の最古の記憶のころにすでに日記が枕元に置いてある様子がはっきりと残る。しかし、この日記は、晩年には1冊も残っていなかったのだから、どういう事件か事故か判断かで処分をされたのだと思う。

先日、母が更に古い記録を出してきて見せてくれた。それは昭和初期の我が家の家計簿に相当する記録だった。筆で和紙に綴っている。時代劇や平安絵巻の古文書みたいに流れるような墨字で書かれている。祖父が残していたものだと母は説明をしてくれた。

消えてゆくモノと残されるモノ、そして、切り捨てられるモノ。様々な記録や記憶があり、その時代が望んでいる方法でおそらく始末されてゆく。しかし、何等かの形で伝承していけたとしてもやがては消えてしまう。

父は何のために日記をつけて、のちになって、どのような判断で抹消(始末)したのだろか。それは何故だろうか‥‥と大きな疑問が残ったままである。

父からは何ひとつ形見として受け継いだものはなかったが、この心を推測するための目に見えない秘伝書のようなものを、伝心で受け継いだのだなと、このごろ何となく感づき始めている。

一子相伝という言葉が浮かぶ。

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