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2014年5月12日 (月曜日)

話を聞き始める(2) ─ 母の回想

昭和26年ころ、母はこの家に嫁いできた。

旧家屋は昭和7年に新築しているので、建って僅か20年ほどあとになる。その時代にすれば新築に当たるほどの新しさであっただろう。

当時、そのような大きな家は近所でも建てる人もなく、今で言えば大豪邸であったのかもしれない。そこに、無理やり父が母を嫁に欲しいと言ったのか、古来の習わしなのか、お嫁に来ることになったのであった。

全く嬉しくはなく、不安であった。仕方がない、そんな時代に生まれ落ちたのだ、と今でこそ話すが、そのころであるから、嫌で仕方がないが家の風習であるのだから仕方がない、と考えたのかもしれない。

家屋の話を簡単にする。

建物のほぼ中央に大黒柱があり、その西側(8時から12時の方向)に8畳の間が4部屋ある。

東側には、飯台などを並べる板間や、さらに東に土間が広がり、奥戸さんや炊事場になっている。

東の出口は背戸と呼び、3時の方向に位置する。背戸へ抜ける脇(0時から3時の位置)には味噌樽などが置ける小さな収納部屋、その向かい側(3時から6時の位置)に風呂、牛小屋が並んでいた。

牛小屋を通り抜ける通路は、5時の方向で東南の隅に通り抜けることができ、その先の外には便所があった。

この便所は家屋とは別棟になってい東南側に突き出す小屋の一番隅で、東南角から南に曲がり屋のように延びる建屋は、言わば蔵のような建物で味噌部屋があり、さらに農機具なども置ける倉庫になっている。

大黒柱が家屋の中央にあるので、4つの8畳間と台所・炊事場・牛小屋域を東西に分けている。そして5時から7時は家屋の正面にあたる。

正面玄関は真南に向かって通っている。その脇には立派な式台があり、格子をはめ込んだ木戸が生活空間である板の間とをきちんと仕切っていた。

玄関は立派なもので、私が子どものころは日常生活でさえもこの玄関からの出入りはしなかった。もっぱら生活通路は背戸であり、牛小屋のなかを抜ける通路だった。

嫁に行くというのが人生の定められた運命であったわけだが、ここに嫁ぐ前に、女学校を出てから働きに出ていた時期が母には2、3年あった。

製糸工場時代と知事の家に住み込んで女中時代を送っている。

だが、その当時にどんな暮らしをしたのかを断片的に話してくれるだけで、この時代のことについてきちんと書き留めて置けるような話はほとんどない。

辛くて厳しい暮らしであったに違いないが、知事の家では時々ご馳走をお呼ばれできることがあったとような思い出話をしてくれるだけで、知事は厳格な人だったので女中としては悲しい思い出もなさそうである。

製紙工場は辛かったようだ。労働条件も厳しかっただろうが、母は恨みのあるような生活を思い出したくないのかもしれない。

世間の大方の人がそのような苦労をする時代だっただけに、仕事に行けたことだけでも喜ぶべきことであったのかもしれない。

いずれにしろ、少しばかり仕事をしてから嫁入りしたわけである。

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