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2014年4月30日 (水曜日)

北の魅力  花も嵐もⅢ その71

北の魅力とは何だったのか。

あからさまに理由を書いてきたわけではないが、人と違うことをしたかったのだけれども、みんながバイクに乗って誰もが北海道へと行くようなら私は行かないでおこうと、単純にそう考えた。その考えに従ってターゲットを東北に変えてきたけれども、バイク雑誌のブームや充実したキャンプグッズが出回リ始めて、お金さえかければ快適を獲得できるツーリングをする人とは一緒の地域を走りたくないと私は考えたのだろう。彼ら彼女たちに何のポリシーもなかったというわけでもないが、画一化されて同じような格好で高速道をかっ飛んでいく姿を見るのが嫌だったし、道のりを鈍臭く走り続けるイメージの旅人が減ってしまったことが寂しかったのだろう。つまりは、大排気量のバイクでツーリングをすることを市場やメディアが一般化させてきたことで、私の描いているツーリングとは違った旅をしている人たちが増え、それを見るたびに、旅を愉しむ私のスタイルというものは(別に望むわけではないが)流行スタイルではなくなったし、同じようなスタイルや気持ちで旅をする人が減ったことで、変人な生き方を無意識でやっておきながらそんな仲間を見かけなくなったことを悲しんだのだろう。忙しい仕事の合間に旅をするのだから無駄な時間を愉しむなどという贅沢な時代ではなくなったのだ。だから、私は全く別のステージに移動するしかなかった。

GW(大型連休)には、休暇をとって必ず出かけた。意地でも休暇を取るという一種の反発心が会社に対してあったのかもしれない。今考えれば愚かな反抗心ではあるが、普段から使われているという意識の反発のひとつ、心理的な表れであったのだろう。会社の方もそこで休まれても痛くも痒くもなくどうぞ休んで勝手にしろというスタンスだった(この点は恵まれていたのだろうが)ことで、GWは必ず10連休ほどにして出かけた。

1992年の夏に四国を訪れてから四国ファンになっていった。GWは四国、夏休みは東北、秋は信州というようなイメージでツーリングをしてきた。30歳なかごろから40歳の前半ころまでに神に取り憑かれたように走り回った。人生のある一時期にものすごい勢いで夢中になっていたような印象があるが、10年あまりのことであったのだから今から振り返るとその分相当に熱かったのだろう。バイクに乗っていたのが16歳から39年間であったことを考え、冷めた気持ちで振り返ると、これはこれで掛け替えのないものだった。その間に子どもは小学校に入学し高校を卒業する。世の中の家庭的な父親ならば、その期間は家族で団欒に過ごし有意義な休日を送ったのだろうが、私は勝手で気ままなことをしていたのだから、罰当たりであった。

私を東北というエリアに惹きつけたのは、鶴さんがもたらしたイメージも去ることながら、みちのくの大きさと神秘性、東北が持っている潜在的な面白さを発掘する愉しみ、であったのだろう。ことばで表現をするのは難しいので、東北を語ろうとテーマを挙げて考え始めても答えを出せないまま中途半端になってしまう。

そういう意味では、私はまだ東北を走り足りなかったのだとも言えるのかもしれない。そんな反省も湧いてくる。

2014年4月29日 (火曜日)

(ひっそり)写真日記

あまり知らせていないのですが、

bike-tourist.air-nifty.com > Apple 散歩(写真日記)

というものを書いている。気まぐれに日記文を書きこむけれども、たいていは撮りっぱなしの写真の置き場所として使っている。

写真としての出来栄えは良くない。しかし、記憶を呼び戻すには役立っている。毎日が少しずつ違っている。同じものを食べても同じ味ではなく、同じものを見てもどこか違う。

あと何枚の写真を撮ったら、こんな遊びに飽きるのだろうか。飽きたらボクは次に何を始めるのだろうか。けっこう興味津々なのです。

カレー

2014年4月28日 (月曜日)

たけのこ

▼五月来るいろんな過去を思い出す

散策をするとハナミズキに出会う。

▼ハナミズキいつも会うあなたがそうでしたか
▼サクラ前線追いかけてあの人のところに行きたい

そんなことを呟きながら日曜朝市の買い物袋を下げて家へと帰る。

(27日)

たけのこ

2014年4月25日 (金曜日)

咎めるのは誰の役目か

世の中が自分を中心にして見渡せるように(ツイッターも)なってきていますから、使いながら世間のみんなはこんなふうに社会を見ているのだなと感じます。

ある1人の人のつぶやきにむけて私は上記のようなことをリプライした。ツイッターのアプリケーションがその人にとって使いづらいものに微小変更されていたことで悪さを嘆くつぶやきであった。(7月26日

ネットワークが繋がることで見かけ上はフラットに社会が連結できるようになり、情報はリアルタイムで流れ込む。また、発信できる快適なインフラのうえで便利になったように見えたのであるが、そんななかで、しかしながら、自分の存在を相当に強い力でアピールする必要性が出てきた。

テレビ・メディアは公共放送でさえ自社の番組を宣伝することに余念がなく、全く独立した他の番組の時間枠を食いつぶしてまで視聴率という数字を獲得するために「番宣」をする。このことを悪だと決めてかかってはいけないものの、番組愛好者には無関係の番組情報は甚だ迷惑であり、ましてお金を払っているならば返品して欲しいほど無駄なことも多い。(ここでテレビを切るかチャンネルを変更するのでその後のことはわからない)

新しいものをPRするという時代に変わっているのである。ホームページであっても、ほんの数年ほど昔の時代は、自らのPRにさほど熱心ではなくせいぜい検索にヒットしてくれればあとは口コミで(または噂で)広まってくれて上々な評判を得てゆくというスローな進行であった。しかし、今の時代のスタイルとしては、構成を時系列的にして、ブログ形式で発信をするものが増えたこともあって、それらで提供する情報群の価値には新しさという尺度が前面に出て、古いタイムスタンプが付いた情報は検索でヒットさせて活用するものではなくなり、必然的に保管さえもされなくなりつつある。サムネイルや検索用テーブルなどが幽霊のように網の隙間に残り、情報が散らばった仮想空間はゴミだらけで無秩序状態になっている。

このことにも善悪などはない。そこまで口出しができないのがほんとうのところだろう。新しいことは良いことで、クイックにアクションを起こし、生きた情報を活用して次のステップに役立ててゆく。誰に聞いてもそう考える「時代」であろう。

さらに、これらの情報化された社会システムや秩序がもたらしたことで、言い逃してはならないことがある。それは、これらの情報を活用している一般人の質の低下だ。月並みなことばで言えば、アホもカシコも、当てにならん情報や食いつきやすい情報、マスコミ(とくに話題性を拾って流し続けるニュースやツイッターに似たような低レベル報道)に翻弄されて、情報をたっぷりと纏い強靭に武装し、ネットやSNSに群がっては自分の意見を主張する。アホであろうとカシコであろうと同じように意見を述べるのは良いとしても、分別を付ける能力を持たないジャンルの群衆がネット上をでたらめな思想やイデオロギーで暴走を始めるのが怖い。カネになる話題であれば報道までもが食いついているから、呆れてモノが言えない。

安倍総理や一部の政治人がどのような不安や不満を与えようが、それは国民が願ったことであり(私は投票をしていないが)、願われた人々であり、然るべき方々なので、お任せする覚悟(諦め)はしたのだが、それ以前に得体のしれない烏合の意見が結集してメディアと交じり合い金儲けをする集合とも絡み合い困った方向に迷走して行くとなると、一体この世の中を咎めるのは誰の役目なのだろうか。

自分は黙っているべき人間なのだということをわきまえて欲しい、と思う。その一方で私自身の言い分でさえスレスレの発言であるとも思う。

たこ

2014年4月23日 (水曜日)

神去村(旧美杉村)のこと ─ 春土用篇

∞∞∞∞

 三浦しをんさんの「神去なあなあ日常」という旧美杉村が舞台の小説が映画化され、5月10日から公開される予定で、ちょっとした話題になっています。

 話の筋はシンプルですが感動的です。

大学受験に失敗し彼女にもフラれどうしようもないままで高校を卒業した勇気といういい加減な男子が、美人のパンフを見て林業の研修を決意し山深い田舎にやってきます。その村が神去村(旧美杉村)で、携帯電話も通じない駅に降り立ち大きなショックを受けるところからお話は始まります。出会ったことのないような生き物に驚き、人生を急展開させるような人間関係に揉まれながら、厳しい林業体験を経て、大きく成長していく物語です。

 ヒトは、大きな自然の中でまっすぐに生きていくことが本来の姿で、それを夢見て生きている。生物や植物のように命あるものを生み出し、それを育てながら、将来はその恵みに自らも育ててもらう。そして、自然に、あるいは文明が開けていない時代の人々たちは、地球上に数々の神を棲まわせながら、それらに畏敬を感じ恩返しをしながら生きてきた。文明がどれほど進んでもヒトはいつかそのことに気付いて来たわけだし、地球というものは永遠の恵みを与え続けてきたわけだ。

そのことは教科書に載っている話ではないが、全く大仰しくもなく、宗教じることもなく受け継がれてきた。

ドラマは、そんな大層なことをテーマにしているわけではないけれども、ちょっと形のないものに心を奪われ過ぎではありませんかという緩やかな提案のようにも思えてくる。

合理性を追求し机上で(利益を生み出しさえすればいいというように)発展していく暮らしの経済とは別次元のところにある百年二百年のサイクルで恵みを与えるものを(それは林業や漁業だけではないものも含めて)疎かにしてはいけないと「神様」が暗示しているようだ。だからタイトルにも神が存在するのではないか、と妙に納得させてもらえる。

作者である三浦しをんさんのお祖父さんは美杉村の出身だという。三浦さんは当然都会っ子だからこの作品を書くために美杉村を訪ねた時はさぞやびっくりなさったことだろう。環境と森林の行政部門と一緒になってPRもしてもらい、(私も来庁のときに偶然に文庫を持っていて名刺を見せて私の名前宛にサインまでもらえて)、全国のみなさんに村を広く知ってもらえれば嬉しい。

映画作品はコミカルでありながらも地味でそんなに大仰しいものではなく、年齢層のターゲットも広いように感じる。映画のPRは壮大にやっていますが、もっと娯楽的に捉えて、自然というキーワードでしばらくモノを見つめてみる機会とすればいいのではないでしょうか。

∞∞∞∞

旧美杉村の話を書きながら長閑な山村を思い浮かべ気持ちもリラックスしました。豊かな水量を誇り緑を流す雲出川、そしてそこ右岸左岸にはおいしいお米が収穫できる小さな平野があり、そのなかを真っ直ぐに東西に延びるローカル鉄道の名松線が走っています。のんびりと走り行くディーゼルカーと沿線の自然を背景に休日にはデジカメを持って走り回る鉄道ファン・写真ファンが増えつつあります。

林業のお話も面白くて魅力的ですが、この超ローカル線も、映画のロードショーをきっかけに注目してもらえるといいなあと思います。乗っているだけでも楽しい列車なのですが、沿線には自然と触れあえるところがたくさんあります。何よりもこれらはポテンシャルが高いにもかかわらず、今はそれほど有名ではないので、東北のリアス式海岸を走る列車や四国山脈に点在するド田舎を貫くローカル線などがTVや雑誌に登場するたびに、名松線も是非!有名にさせたいと思ってしまいます。

 神宮がある伊勢市と京都を結ぶ歴史街道がいくつも残り、太平洋・熊野灘という大自然の海に守られたところに当県は位置します。世界遺産の熊野古道などもあり、大きく胸を張ってアピールしてもいいと思います。しかし、自分たちの環境の素晴らしさに地元民が意外と気付いていないのです。こういう環境に暮らせることは幸福なのだと知り、恩返しのためにも未来に受け継がねばならないのです。

Photo_2

(写真は、名松線を元気にする会FACEBOOKから)

2014年4月20日 (日曜日)

「愛してる」を考えてみる ─ 穀雨篇

「愛してる」を考えてみる。

永年思い続けている事実がひとつある。それは、人が人を「愛している」とき、必ずそこに温度差がある、ということだ。

動詞は、「愛している」だけではなく、ほとんどが当てはまる。

愛している、憎んでいる、疑っている、信頼している、求めている、嫌っている、など。

私はある人を愛していた。
しかし、その人は、私と同じ温度で私を愛したわけではなかった。

好きだった。
でも、その人は、私のことを好きではなかった。

私が好きではなかった人もあったが、私以上にその人は私のことが好きだった。

憎んだ人もあった。殺してしまってもいいとさえ思った人もあった。
しかし、相手は私を憎んだわけでもなければ、殺そうとも思わなかった。

友情だって同じだ。
温度差があるのだ。

そんなもんだ、で済ませればいいのだろうが、割り切れないものもある。

人生の終焉が見えて始めてからこの温度差のことが非常に気に掛かるようになってきた。

許せない人がある。
でも、その人は私を許している。
当然、その逆の人もいる。

物理学で仕事をしてきた人生だった。
⊿T を追求してきた。

dT/dt という変化率。
私のエネルギーなのだと思うことにして、しばらく生きながら考えたい。

(写真は、全く関係なし。伊勢うどん)

2014年4月18日 (金曜日)

くつろぎ

イオンでワイン

イオンで買った 500円+α のワイン。
お安いお手頃値段で、おいしかったです。
4月17日 (木)に飲みました。


(16日)
お休みがもらえて家族が揃うので、久しぶりにお出かけをする。

イオンに出掛けて、
土鍋焼きカレーを食べ
衝動的に私のショルダーバックを、1万3千円余りもしたのに、買って
お安いワインも買って帰ってきた。

ワインはあくる日とその次の日にゆっくりとみんなでいただいた。


(18日)
夜半から雨が降り出した。
静かな雨で、
出勤時刻にもしょぼしょぼと降っていた。

この日の朝、少し早めの汽車の中で

▼植樹をした春は、 雨が待ち遠しかったこともある。静かに降ってくれたまえ

▼コーヒーが苦いと言って鏡見る

▼サイホンのボコボコボコ忘却の河

▼朧月あの人が食べたマシュマロ想う

とつぶやいている。

◎◎

あの日も雨が降っていたのだ。

2014年4月17日 (木曜日)

土鍋焼きカレー

土鍋焼きカレー

昨日、土鍋焼きカレーを食べました。

(たっぷりチーズ、ハンバーグ)

2014年4月16日 (水曜日)

父の居場所

いつも現代農業を読んでいた。寝床に入ると勉強をしていたのだろう。

どのようにしたら、この限られた田畑から少しでもたくさんお米が獲れるのだろうか、そのためにはどうすればいいだろう、おいしい米はどうしたらできるのか、と考え続けていた人だった。

収穫高だけではなく、旨い米ができる理由を考え、おいしい野菜を作る工夫もした。仕事の効率や作業性のことにも気を回した。

あれこれと諦めずに工夫をする人だったし、疑問があると必ずその原理を考えた。理由を追求して、変化の流れのようなものを探し出そうとする姿勢があった。

贅沢に物を使うこともあったが、あるだけの資材を工夫して、モノを作る姿勢も持っていた。

何かを発想すると実験的な試みを行ない、どこか他所の職人や専門家の仕事を見に出かけ、見て学んできては工夫を重ねていた。思い付いたときの投資も惜しまない方だった。

玄関に人が来ると(立つと)ブザーが鳴る装置を、私が子供の頃に既に作っていたというのは面白おかしくもある話であるが、輝かしい履歴と思う。

素直に、こんなものがあったら助かるだろうと考える。
技術の進んだ後世の時代から見れば馬鹿げていても、推し進めるところに異才があったと言える。

玄関ブザーは、それなりに重宝した。
それに続いて、自動的に閉まる木戸も作った。

猫が通るとドアを閉めないので冬などは隙間風に悩まされる。猫の奴は開けるのは自分で開けるのだから自動的に閉まればそれでよかった。

決して素晴らしいものができないにしても、工夫をして物を作ることによってそのものがどういう意味を持つのかとか、どのように使われるのか、ということを私たちも理解資するようになり、物を大切に扱う姿勢が備わってゆくのだと思う。

果たして、おとやん(父やん)の居場所とはどこにあったのだろうか。

2014年4月15日 (火曜日)

吉川英治 黒田如水、 「友の情け」の第二節で

 心と心の交わりは、そこに一壺の酒を置かなくても、話に倦むことを知らなかった。折々、どこからか舞って来る山桜の花びらを縁先に見つつ、終始、ふたりの話は軍事に限られていたようであったが、やがてふと、半兵衛重治からこう訊ねた。

「先頃は、度々のご戦功に依って、筑前様から名馬書写山をご拝領になったそうですが」

「されば、過分なご恩賞でした。けれど、それがしの功はまったく部下の働きに依るもので、家臣の中の母里太兵衛にふたたび授けてしもうたので、殿には、何と思召されているやら、実は、恐れ入っているわけですが」

「いやいや、あの儀に就ては、何とも思ってはおられません。しかし私が気にかかるのは筑前様より御辺へ宛てて、兄弟同様に思うぞというご意中を書かれたお手紙の参っていることですが」

「左様。そういう勿体ない御意を書中に拝したことはあります。それが、どうしてお心に懸かるのであるか」

「今も、そのご書面は、お手許にありますかの」

「家宝にもせばやと存じて、常に携えておりますが」

「あらば、重治に、一見させて下さいませぬか」

「おやすいことである」

 と、官兵衛はすぐ具足櫃から取出して示した。

 すると半兵衛重治は、つらつら黙読していたが、読み終ると、黙って、炉の中へそれを燻べてしまった。

「……あ?」

 官兵衛が愕きを洩らした時は、もう一片の白い灰となっている。さすがの彼も少し面を変えて難詰った。

「それがしに取っては、又なき君恩の品、唯一の家宝ともしておる物を、何で火中へ投じられたか。御辺にも似あわぬ不躾な所業。何かおふくみあっての事か」

 すると半兵衛重治は、すこし膝を退げて、詫び入る体で静かに諭した。

「ご賢明なあなたのことゆえ、すぐお悟りがつこうと存じて、つい逸まったことをいたした。これも友の情けと、お宥しください」

「どうして、これが、友の情けでござるか」

「さらば、かようなご誓文を、大事にして置かれては、末々、仕えるお方に対して、かならず不足も起り、不勤めにもなるものでござる。――その不足不平は結局、こ自身を破る因とはなり申すまいか。殿の御為を思い、あなたのご家門を思い、双方のために、要なきものと存じ、焼き捨てた次第です」

「ああ。……正に」

 官兵衛ははたと膝を打って、友の言に思わず感涙をながした。臣子の分というものを、このときほど痛切に教えられたことはない気がした。

 重治はよろいの袂を探って、べつに一通の書面を取出した。そして、凝然と悔悟に打たれている官兵衛の手へそれをそっと渡して告げた。

「せっかくお大事にしていたものを失って、お心淋しくおわそう。これはそれにも勝る書面かと思われる。あとで緩々ご覧下さい」

 薄暮の空を見て、半兵衛重治はやがて辞し去った。来るも去るも「静」という一語に尽きる人だった。官兵衛は陣門までその姿を見送り、その縁まで帰って来ると、手に持っていた物に気づいて、

「――誰の書状か」

 と、そこに腰かけたまま、封を切ってみた。

 わが子、松千代のてがみだった。

 安土へ質子として連れて行って以来、明け暮れ、忘れようとしても、つい戦陣の夢にもみる十一の子の幼い文字ではないか。

 中には、稚拙な文字と、天真爛漫な辞句で、自分の近況が書いてある。

 竹中半兵衛さまの美濃の菩提山のお城は、姫路のお城より高い山にある。冬は雪が深く、春は遅い。初めは淋しかったが、家中の人はみな私を大事にしてくれるし、家中のものの子ども達は、私の勉強のあいてに、毎日、大勢してお城のうちに集まって来るので、この頃は淋しくも何ともない。

 ――というような意味をつづり、また、末のほうには、

(わたしもお父上と一緒に、はやく戦場に出ていくさをしたい)


まるごと引用したが、それだけ感動するところだった。
ノートに貼っておきたいほどだ。

官兵衛のことを書いた箇所ではないが、半兵衛という人物があっての黒田官兵衛であり信長であり、秀吉であったことをわからせてくれる。

人はこのような人間関係というか繋がりで(最近のはやり言葉でいえば絆とでもいおうか)によって、心が出来上がり人間が完成してゆくのだなと感じる。

馬鹿正直なように生きている。愚かにも見えるが、よくぞ失敗もせずに歴史に名前の残るような足跡を築けたものだと、想像を超えて感動するが、ひとえに運というものだけではなかったのは、どこかに凄さがあったのだろうとも思う。

この後、村重の有岡城に幽閉されてしまうくだりへと続く。官兵衛という人物の深い部分を滾滾と綴ってゆく。事件が起こるわけでもなくドラマ的展開が来るわけでもない。

吉川英治はこういう進行の中での心の揺れを書くのがうまい。しかも、古典的な美文で魅了してくれる。

(読みながら切り出したところを
幾つか覚え置いておくことにします)


奮然、西を指して、

(中国へやれ)
 と、叫んだに相違ない。生涯二度と、信長の顔は見たくもないと唾して誓った
かも知れないのである。

 けれど今は──明け初めた今朝は──そういう心もわいて来ない。仄かに秋の朝となった地上を戸板の上から眺めて、

「ああ、ことしも秋の稔りはよいな」

と、路傍の稲田の熟れた垂り穂にうれしさを覚え、朝の陽にきらめく五穀の露をながめては天地の恩の広大に打たれ、心がいっぱいになるのだった。

 今、彼のあたまには、一信長のすがたも、一本の稲の垂り穂も、そう違って見えなかった。べつに、もっともっと偉大なものがこの天地にはあることがはっきりしていた。そして信長の冒した過誤へ感情をうごかすには、自分もまた稲の

一と穂に過ぎない一臣の気であることがあまりにも分り過ぎていた。

髪を地に置く

「魏の曹操のことだが。──かつて曹操が麦畝を行軍中、百姓を憐れんで、麦を害すものは斬らんと、法令を出した。ところが曹操自身の馬が飛んで麦田を荒らしたのだ。すると曹操は、自ら法を出して、自ら之を犯す、何を以て、兵を帥きいんやと、自分の髪を切って地に置いたという。……重治、これはいつか其方から聞いた話だったな」

 そして、どれ程な刻を経た後だろうか、ふと眼をさましてみると、枕元には静かな灯し火がともっているのみで、宿の者の跫音も聞えず、宿直の太兵衛、善助の影も見えず、ただ窓外の松風の声だけがひとり夜更けを奏でていた。

──水が欲しい。

 たれだっと、一喝されると、彼女のほうでもぎくとしたらしかった。ちらと、ひとみを官兵衛の方へ上げたが、すぐ両手をつかえて、

「菊でございまする……」

 と、聞きとれないほど低い声で答えた。

吉川英治 黒田如水

■□

この作品は、村重に幽閉されて1年余後に信長に再会し、秀吉にも再会して姫路城を譲るところで終わる。

文芸作品として好きです。

こういうものは物語や史料として読むのではなく、黒田如水の人物性として詩的に綴られているのだなと、読後にじわりと来ます。

大河ドラマで黒田官兵衛を扱ったものを放送していますが、全く別作品でしょうね。吉川英治は長編作家のイメージもありますが、素晴らしい短編でした。

2014年4月14日 (月曜日)

羅刹地獄 ── 新・平家物語から

羅刹地獄の六道の娑婆苦も能く救うというお地蔵さまも、まことは、一仏二体がその本相であり、半面は慈悲をあらわしているが、もう半面の裏のおすがたは、忿怒勇猛な閻魔王であって、もともと一個のうちに、大魔王と大慈悲との、二つの性を象っているものですよ、と母はよく言った。


吉川英治 新・平家物語
ぼちぼち、再び読み始めています。一向に進まないけど。

2014年4月12日 (土曜日)

髪を地に置く

髪を地に置く

「魏の曹操のことだが。──かつて曹操が麦畝を行軍中、百姓を憐れんで、麦を害すものは斬らんと、法令を出した。ところが曹操自身の馬が飛んで麦田を荒らしたのだ。すると曹操は、自ら法を出して、自ら之を犯す、何を以て、兵を帥きいんやと、自分の髪を切って地に置いたという。……重治、こ れはいつか其方から聞いた話だったな」

────────

先日読み終わった吉川英治 「黒田如水」のなかで、織田信長が竹中半兵衛に謝るところがある。そこの一節で。

この少し前の節では、以下の様なくだりもあります。

────────

稲の穂波

奮然、西を指して、(中国へやれ)と、叫んだに相違ない。生涯二度と、信長の顔は見たくもないと唾して誓ったかも知れないのである。

けれど今は──明け初めた今朝は──そういう心もわいて来ない。仄かに秋の朝となった地上を戸板の上から眺めて、「ああ、ことしも秋の稔りはよいな」と、路傍の稲田の熟れた垂り穂にうれしさを覚え、朝の陽にきらめく五穀の露をながめては天地の恩の広大に打たれ、心がいっぱいになるのだった。

今、彼のあたまには、一信長のすがたも、一本の稲の垂り穂も、そう違って見えなかった。べつに、もっともっと偉大なものがこの天地にはあることがはっきりしていた。そして信長の冒した過誤へ感情をうごかすには、自分もまた稲の一と穂に過ぎない一臣の気であることがあまりにも分り過ぎていた。

2014年4月10日 (木曜日)

北へと向かう  花も嵐もⅢ その70

バイクに乗れるということは、それなりに豊かだということだと前回に書いた。自分への恵みに感謝をするようになればわかってくる。その豊かさに感謝をしながら、貴重な資金と限られた時間を無駄にしないように、高速道路を使わず時間と勝負をしながら走り、その旅の過程もきちんと刻み楽しみながら旅をしてきた。

何もかもがおよそ完成して提供され、完成品に惜しまずに資金を投入する時代が来て、時間を買うことにも惜しまず満足を勝ち取っていく現代の手段に、別に怒っているわけでも否定をしているわけでもないのだが、モヤッとした疑問や反発を感じている。

バイクが大型化され、高速道路がETC化されてしまって、旅というものが商品化されていった。それが新しいバイクツーリストまで届いけられてきたときに、もはや、私の時代ではないと感じた。地図も姿を変えバイク雑誌の記事も変わっていった。そういうツールや動機で旅を続けようと私は思わなかったことを何度も書いてきた。何度も書いたのはそれがやはり悲しかったからだと今に思うのだけれど、だからこそ、バイクで旅をすることを一旦そこに留めて、離れることを決めたのだ。

北へとひたすら向かったときは、旅に飢えていた時代だった。ひとり旅という自分で選んできた設定のなかでとことん自分をどこかに追い込んでいこうとする無意識に近い思いがあった。決して屈折するものでもなく、しかしながら、美しいものでもなかったが、私の描いたひとつの夢の物語をあのころは追いかけることができたのだろう。

何かを得たわけではない。しかし、「鶴さん」や「ひろちゃん」に表れている私の夢がどこかにあって、私は北を目指したのだった。峠を越えるというある意味では無機質なような旅の一面に、私はときめきを与えて噛みしめていた。

私は未熟だった。だからこそ、そういうある種の馬鹿げた行動をいつまでも続けることができたのだろう。今が未熟ではないとは思わないが、厚かましくなって生きてゆけるし、社会を斜めに見ることもできるようになった。人生の情熱も冷めてしまった。決して後退ではなく、別のステージに来ていると思っているが、そのことに後悔はないし、後ろめたさもない。

あの時のように、幾つもの峠をあみだくじのように越えながら北を目指した私が昔いた事実の記録は残しておこうと考えている。今でもあのときの私みたいな若者や青年がいるのだろうかと思うことがある。もしかしたら、あんな馬鹿げた連中は今や化石になってしまっているとしたら、それが一番寂しいことかもしれないが、ひとつの歴史的足跡として生きている間だけでも残そうと思うのだ。

北には私を迎えてくれる感動があった。大きな得体のしれないものがドカンと存在し、食らいついても一向に齧り崩せないものだった。未知であったから良かったし、未知のままで克服できないまま、そして私も未熟なままドラマは終わっていった。いかにも私らしい一幕であったのかもしれない。

こんなことを書きながらも、実は、北に向かうことは諦めてはいない。チャンスは来るのだろうか、と思うものの、次のステージではもっと楽しみたい。

2014年4月 9日 (水曜日)

桜咲く、桜散る。あっという間に   ─  清明篇

▼大人になる春の嵐を乗り越えて

桜の花は、例外もなく春の嵐に晒されて散り散りに吹かれていった。その様子を見上げながら、三百数十日のうちのたった数日だけ胸を張って咲き誇った花に感謝しその儚さを嘆き悲しんだのであった。しかしながら、これも宿命とあきらめ、そしてまた決まってあくる年にも再会できるという約束を交わして花びらの流れ行くところを見ている。

花筏見送る人も無言なり

これは2年前の4月にこの日記に書き残したもので、この年も例外なく悲しい別れがどこかで果たされたあとだったのだ。花びらの流れゆく先は誰もしらないのだろうが、あの夜に月もない宵の中にやがて散りゆく花びらを咲き誇らせた時間があった。

酒を飲んでお祭りのように歓喜を祝えるならばそれが一番だろう。大いに狂うように祝い一陣の風に吹かれて潔く忘れられてゆく。散ればまた咲けばいい。ただそれだけだ。

清明。
4月5日のこの日に車折を訪ね、小倉山から天竜寺あたりをすこし歩いてきた。百人一首の句碑がその数だけ建てられているのを巡るわけでもなく、それは余りにも熱く悲しすぎるからだと言い訳をしながら、街なかでは散りそめているソメイヨシノがここで満開となっているのを見上げてくつろいでくる。少し肌寒い昼間であったが、小倉山の石畳をそろそろと歩けば少し汗ばんだのでした。

11時すぎに四人で廣川に並んで1時に食事が終わって嵐山の人混みへと再び吐き出されて、そのあと中の島の桜を見てからさくら餅を買って嵐電で車折まで帰った。

廣川でうなぎ

2014年4月 8日 (火曜日)

ないしょの話

春の花が散ってしまって
また新しい花が
風に揺られている。

わたしは
ないしょの話ができる人を
探してたのかもしれない。

数々の失望と大きな希望を抱きかかえて
それがばくんばくんと音をたてるほどに激しく鼓動をしているのを
我慢できなくなってくると

ほら、
ないしょの話だといって耳に口を近づける。

あなたは
頬にキスされてもいいほどの距離に
耳を近づけて

うんうんとこたえる準備をした細い涼しい目でわたしを見る。

惑わしながら、ふるえる視線。
ないしょの話は、始まる前からドキドキで
わたしの影は真っ赤になっている。

◎○
○◎

自分がドンドンとつまらなくなってくるような気がしていた。

それは、言ってみればわたしの中から「ときめき」が失せていっているということではないかと考え続けている。

季語だって同じで、俳句を愉しもうとそういう人たちの流れのなかに身を投じてみるものの、お遊戯会のように季語をテーマに詠んでいるだけじゃ、どこかに不満を持ち続けている。

わたしは、スリリングでドラスティックな展開を望み過ぎているのだろうか。

ぼんやりと田舎道を車で走っている時には止め処なく演歌のような歌詞や音楽が出任せに浮かんでくる。 でもやがて目的地に到着すればカラリと忘れてしまう。わたしの頭のなかはどうなっているのだろうか。

ないしょの話をしようと思ったのはいいけれど、惹きつけるパワーにちょっと自信をなくしかけているかも。

2014年4月 6日 (日曜日)

桜餅

きのう、嵐山にいったのは写真日記に書きましたが

桜餅がおいしかったので書いておこう。

桜餅

琴きき茶屋@嵐山

あんこが入っていないのです。
それが、おいしいのです。

2014年4月 2日 (水曜日)

鰆

ゆうべのおゆうはんは一の傳の鰆。

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