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2014年3月 2日 (日曜日)

中島京子 小さいおうち  感想篇

2014年2月20日 (木曜日)の日記中島京子 小さいおうちを買ったと書きました。感想篇です。

昭和初期の東京郊外でささやかに暮らしている家族とその手伝いさんの暮らしをとおして、その時代に生きた二人の女性が、その時代にしては余りにも激しい想いを抱いて生き抜いていった。

その時代の人がどんな衣食住のなかで暮らしていたのかを語りながら、本の帯では「恋愛事件」と書いているが、そんな甘ったるいものではなく、もっと真剣勝負的であった感情を、こともさり気なく書き綴った物語である。

作者の巧さが随所に現れている作品だった。

売れれば勝ちと言わんばかりで並んでいる本屋の文庫や新書の中にさり気なく置いてあったように思い買ったのだが、私もちょっとしたブームに買わされた感があって、すこしばかり悔しい気持ちで読み始めたのだが、先入観も持っていない作者(中島京子さん)の強い信念のようなものが迫ってきて、語り口の巧さとともに惹きこまれてしまう。

画一化されて、ある方向づけをされた種類の売れっ子作家ばかりが溢れる時代なだけに、こういう作品は心に優しく入ってきてくれる。低迷文芸のなかで光っている。永遠の0を対岸に追いて貶しているわけではないのだが、書きながら少しそんな錯覚も襲ってくる。しかし、ポリシーもテーマも、作家の姿勢も人間的根性も、みんな異質なのだから、比較してはいけないのだが。

東京郊外。何処だって良かったのだろうが読者は気にかかる。いや、ひとりの読者である私は、それが気にかかるような世代である。文学がこの時代を書かなくなったし、書けなくなったし、読み手や興味をもつ人も減りつつある二十一世紀に、最後の力を振り絞って、その力の素振りも見せずに物語を置いてくれた作者に感謝をしたい。

私の下宿を思い出す。(私の母より十歳ほど若かっただろうと推測する)下宿のおばさんが、その下宿の建物の古さを思いながら「この建物は昭和3年に建ったんですよ、空襲でも燃えなかったんです」と話してくれた学生時代の下宿は昭和57年ころで既に50年以上昔の建物で、友人が訪ねてきてビールを畳に置いて飲んで喋っているときに、ふとしたことでコップが倒れてしまい、一本の筋になって部屋の端から端までビールがするすると流れて行った、というほど部屋は傾いていた。あの建物に昭和の初期を感じ、愛しながら学生時代を送った私だけに、この小さなお家のモダンさが私なりに形を変えて伝わってくるようだった。

※その下宿も一昨年訪ねれば建替えられ「能生館」という建物の表札が新築の前に残るだけで感動的だった。江古田駅から徒歩で数分で、ここから早稲田に通学した多くの学生が日本中にいるはずだ。少し昔はここも郊外だったことを思うと、自分も物語のドラマの中に溶け込みそうにもなってくる。私は得な性格なのだ。

脱線修復。

というわけでセピア色風に物語が進行する。イタクラ・ショージという人物は、旨味調味料程度かなという感じでありながら本当の主人公だったレベルの物語というびっくり箱の持ち主のような位置づけであったわけで、事件そのものは現代ドラマにストレートにすれば視聴率をカウントできるところまでも及ばないような平凡なものであったわけだろう。しかし、昭和とか戦争とか暮らしとかを、衣食住という素材の上に載せて語ればこれほどまでに、上質で迫る作品にできるのだと感動的である。

作品の中には振る舞いであるとか、食べ物であるとか、感情というものが、実に巧妙に練りこまれている。一節一節が考え抜かれて書き上げらているのが伝わってくる。そういうところが上質さを感じさせてるのだろうし、売れればいいだろう的な作品群への挑戦状にも思えてくる。 多くの戦中文学(というのが正しいのかどうかわからないが、戦争中の青春文学)は、もっとリアルに悲壮的であったような気がするのだが、この作品はワザとそういう書き方をしないでいるのでしょうか。すっぽりと読み手ごとこの戦争突入前に連れて行く。だから、少し甘ったるい家庭向けのドラマ仕立てのような映画のシーンを、自分の頭のなかから引き出してきて割り当てて読んでしまう。(だがそれは間違いであるとすぐに気づく)

そんな甘っちょろいドラマでもないのに。光景こそまったく優しいのだけど、だから、解説だってそれなりにベールに包んで、どうぞと差し出してくれているのだが、この心の中は言葉にしてはいけないし、動作にしても、ましてや光景にしてドラマにしてしまってはいけないものだったのではないか。というか、こんな緻密なものを映像にできるのか、という難問疑問がある。

ぽたりと手紙を落とす。そのストップモーションに余韻を残して消えてゆく音があったのだろうな。ねえ、タキさん、話してほしいな、本当の心を。

悲しくも寂しくもない。楽しくも嬉しくも、可哀想でもない。でも、なんとなく泣けてくる作品なのだ。泣けない人は読まなくてよろしい。

中島京子 小さいおうち

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