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2013年12月18日 (水曜日)

余命と余生

▼老化してくると─老化しなくても、多面的な視点を失うのではないか。

三十歳を過ぎたころの一番勢いが乗って力強く邁進している時期が人の姿としてもっとも美しいと考えていたころがあった。それは間違いではなかったと省みるものの、第4コーナーを回ったモノの姿も美しいのだということに、自分もそのコーナーを回って以降に気がついた。垣根を曲がって見えるものが増えた。

▼棋士が高齢になるにつれ弱くなってくるとすれば、体力や頭の回転の老化ではなく、頑固な姿勢ではないか。

つまり強情になってくるので、柔軟な戦術よりも自分の気持ちを前に出してしまうのだ。その姿勢を何ら否定するつもりはないし出来るわけがない。ただ、坂田栄男、藤沢秀行という恐ろしいくらいのエネルギーを発散した人も碁の世界にはおられた。かの方々は、やはり勝負というものに対して辛くあったけれども視野が広かった。

▼余命と何か。科学的な話をしようというのではない。

私も、父が逝った年齢まで10年ほどと迫った。(祖父の逝った年齢にも同じであるし)見渡せば親戚じゅうの男性はみんな若いうちに逝っている。そういう血脈である。私が例外でいたいとは今更考えないし、希望もしない。

▼母は80歳を越えており、今年の冬にお迎えがあっても構わないように覚悟をしているだろう。

覚悟ができるほど頭が回転しているからまだもう少し先だなどと大勢に励まされているが、祖母(母の母)が長生きであったことが心の励みなのかもしれない。逝く間際まで極めて健康で意識も正常、数学の足し算などは私よりも正確な早さを誇っていた祖母であり、それを受け継いだ母である。あのように逝きたかろうな。今年の冬がとりわけ寒そうだと予想するだけに心配と覚悟が引いていかない。

▼年末やら年始を迎えるにあたって、様々なことを思うようになったのは、老化のせいか。

老化という言葉は良くないと言った人があった。「熟年」であると言いなさい、と改められた時代がある。

しかし、紛れも無く老化であるのだから、それでいいのではないだ老化、なんてオヤジなことを言いたく成るのもこの年齢である。

◎◎

▼姿勢を正し、純真な心であらゆるものと向かい合える一つの必要条件が余生を見据えた視線ではないか。

何も死んでしまうことを想像するように薦めているのではない。

光が届く限りの地平線を見ながら話をしようじゃないかというような気持ちでいたい。

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