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2013年12月31日 (火曜日)

年越しそば(平成25年大晦日)

年越しそば

紅白歌合戦の合間を縫って年越しそばをいただく。

このあと、年が明けるまでコタツでうたた寝をする。

2013年12月30日 (月曜日)

寒さいっそう厳しくなりて候

雨降茫々日々記 1078から

砂女さんの正体は不明なまま。
それでいいのだと思うことにした

作品に弱さがない。
しかしながら、男気が強いかというとそうでもなさそうだ。不思議をいっぱいにしておく。

さて、

  • 今日もまたたましひ濡らし冬の雨
  • 剃り残る髭さぐる指暮れやすし
  • ボンボンがくつくつ笑ふ冬帽子
  • 山国は冬に至れり水に傷
  • 底冷の底で抱きあふ蝦蟇二匹
  • 残り湯に膨れ傲岸さうな柚子

12月25日のページのもので、冬至のゆずのころの作品がある。

私は文芸人でもなく文学とも無縁であるがゆえに、このページのポンポンのついた帽子を気に入っている。

「たましひ濡らし冬の雨」であるとか、「剃り残る髭さぐる指」、「くつくつ笑ふ」、「抱きあふ蝦蟇」というところに、この人の視点があるのだ。しかしそれを横取りして、私なりのドラマが生まれ、そのドラマは生まれてのち成熟する妄想のような形で変化をする。

まこと、俳句というのは、私にとって好都合で勝手気ままに時空を飛び跳ねてゆく。

砂女さんは、ゆずが「傲岸」という。私は、ゆず湯につかっていないし、「傲岸」さや、あくる日に落ちぶれて情けない姿になり臭気を漂わせていても、やはりそれは私にとってドラマでしか無い。

大学時代、母が編んだ毛糸の帽子を冬の間じゅう冠っていた。それにはポンポンがついていた。肩まで伸びている長髪が突然朝になって跳ねてしまってもその毛糸の帽子は私の髪を優しくつつんだ。

何度も繰り返し読みながら、カエルは本当に「抱きあ」っていたのだろうか。
冬が寒くなればなるほどに、抱き合うぬくもりが恋しい。

男気が少しあらわれている。

あと二枚染み染みとつける日記かな

いよいよあと二日を残して、平成二十五年も終わろうとしています。
みなさま、いかがな年の瀬をお過ごしになっておいででしょうか。

時計

昨今、区切りのない暮らしが一般化し、そのような考え方に支障もなく、また合理性もあることから、大晦日に最後の節を越えるという意識は確実に形骸化されつつあります。

そんななかでひとり、そういう一団から抜け出て、師走から正月にかけて、今年一年をしっかりと振り返り、さらには生涯のあれこれも整理してゆく準備に取り掛かろうとしております。思うに、呼吸の折り合えし点のような、あるは満潮が引き潮に変化するときのような静かさを味わおうとしています。

◎◎

昭和三十二年から平成十年を引き算することは、西暦で表してないためそのままでは不可能です。平成十年から平成二十五年は簡単に引き算ができます。

これでいいのだ。これがいいのだ。

ヒトにはこういう非合理性が必要なのだと思います。

十二年という干支の周期、十年という十干、一年を二十四回に区切る節気、そして一年を四つに色分けする季節、それに月の満ち欠けを混ぜあわせた時間の流れで暮らす。

そういうところに、少しずつ戻っていこうとする心。
そして自分。

2013年12月29日 (日曜日)

【素直な心の10箇条】─松下幸之助

1.私心にとらわれない

私利私欲にとらわれることのない心、
私心にとらわれることのない心

2.耳を傾ける

だれに対しても何事に対しても、
謙虚に耳を傾ける心

3.寛容

万物万人いっさいを
許しいれる広い寛容の心

4.実相が見える

物事のありのままの姿、
本当の姿、
実相というものが見える心

5.道理を知る

広い視野から物事を見、
その道理を知ることのできる心

6.すべてに学ぶ心

すべてに対して学ぶ心で接し、
そこから何らかの教えを得ようとする
謙虚さを持った心

7.融通無碍

自由自在に見方、考え方を変え、
よりよく対処してゆくことのできる
融通無碍の働きのある心

8.平常心

どのような物事に対しても、平静に、
冷静に対処してゆくことのできる心

9.価値を知る

よいものはよいものと認識し、
価値あるものはその価値を
正しくみとめることのできる心

10.広い愛の心

人間が本来備えている広い愛の心、
慈悲の心を十二分に発揮させる心


七精神

  1. 産業報国の精神
  2. 公明正大の精神
  3. 和親一致の精神
  4. 力闘向上の精神
  5. 礼節謙譲の精神
  6. 順応同化の精神
  7. 感謝報恩の精神

これが多くの方がご存知の七精神です。毎朝、唱和をするので知らない人は社員経験のない人でしょう。


幸之助創業者の考えは、非常に立派なもので、ヒトとして成功を収め、人を使っても崇高なものでした。

普遍性を持ち、現在でも未来でも、組織を運営するには欠かせない哲学と、私は今でも考えています。

◎◎

この会社が後に形骸化されて、見るも無残なものになってしまうことは残念なことでしたが、宿命であったのかもしれません。幸之助の死後、精神は上で受け継がれるものの、人材は道具のように扱われ、経営精神は損をしない銭儲けの精神に利用されていきます。

優秀な社員の多くが腐ってしまい、それでも養殖エビを抽出して売りに出す海外の養殖場のように扱われていきます。それでもなお愛社精神を保ち社員が居残っていたのは、資本力を抱いた大企業という顔とその力にあったのでしょう。

しかし、社会は変化します。最初は大手家電メーカーとして損得を見ながら付き合いますが、時代はそれを許しません。繊維や鉄が過去の歴史で大きな変化を受け入れたように電機も受け入れるべきであったのでしょう。しかし、何故でしょうか、幸之助さんの素晴らしい精神を本当に骨の髄から理解している人が少なかったのか、ウサギと亀のウサギのようになっていたのか。

贅肉に当たるものが止めどなく纏わり付き、整理して削ぎとっても、あっという間に侵されていくのでした。私はこのころに、幸之助さんの精神だけを残して企業は解体すべきだと思いました。会社に魅力はなかった。パナソニックというブランドを前面に出してみても、裸の王様を連想するばかりでした。

◎◎

1918年大正7年に松下電気器具製作所を立ち上げるまでの幸之助さんの苦心と夢と、立ち上げて以降の努力を本当に理解することは、とても有意義なことだと思います。

そして、会社というものを愚かな大企業にしないための数々をこの会社の愚かさから学ぶのが良いと、今切実に感じています。

2013年12月28日 (土曜日)

島倉千代子さんのこと ─冬至篇

平成25年が更けゆく折の冬至を迎え、心のどっかに寂しさのようなものがひっそりとあるような気がしてならなかった。どうしてもその正体がつかめなかったのだが、どうやら島倉さんへの想いを何らかのカタチにしておきたいのかもしれないと気付き始めた。

11月8日逝去。そのあと、多くの新聞は彼女をコラムに取り上げた。

天声人語は、「いつまでも小料理屋の気さくな女将(おかみ)さんのような風情の人だった。」と結びの部分に綴っている。

「ものに憑かれたような迫力があった。戦争の悲惨。戦後の痛苦。昭和の日本人の情念を託せる歌い手が去った。─日本経済新聞、春秋」

「今、演歌歌手の王道を見事に渡り終え、終生「お姉さん」と仰いだ美空ひばりさんの待つ天国へ旅立った。─毎日新聞、余禄」

あの震えるような歌声が今でも脳裏に蘇る。美空ひばりが唄う歌と違い、心の情念に染みわたるようなかすれた声がいつまでもいくつになっても若々しく可愛らしい人であった。

人生いろいろ。まさに、彼女が歌うことで、感涙を堪えることのできない方々も多いのではなかろうか。

いったい、どれだけの人がこの色々な人生や、または、人生という得体のしれないものを理解して生きているのだろうかと考えさせられることが多い年齢になってきた。

今年はどんな重大ニュースがあったのだろうかと振り返りながら私にはこの島倉千代子さんの逝去が心にズキンと来てポッカリと穴を開けたままになっているのだ。

母よりも7歳若い。7年前の母を思い浮かべると、75歳のころはずいぶん若く元気でテキパキ・溌剌としていたと思う。それだけに余計に悔しく思うのだろうか。

島倉さんの歌を聞いて大きくなった世代は、私より年上の人たちばかりだったのであろうか、私がこれだけ言葉にならないモノを感じているのだから、大勢の人がズキンとやられているに違いない。各新聞社一斉に取り上げたのだから、執筆者のみなさんの年齢も見えてくる。

しまった・しまった・島倉千代子

年の瀬に今年に逝ってしまった人を見て大きな節目を感じる。一昨年よりも去年のほうが節がしっかりしていたように思え、さらに今年はずっしりとした節を迎えているように思う。何年後かは予測がつかないが、私の節が近づいているのだなと思う。

年末雑感

▼若いときは勢いもあったしそれなりに見えていた未来もあったので、年末年始を始めとして、その他宗教だけではなく、伝統行事的習慣に反発心を抱いたり、反抗ではないにしても異論的な視点をアピールしたりしていた時期があった。それは、(年末年始行事だけではなく、)行政施策であっても、日常の慣例行事であっても、また身近な人間関係であっても、である。

▼人生(生涯)のひとつの時代としてそんな時期が存在しても構わないし、なくてはならない時代であったとも省みるのだが、そのような視点を永遠に持ち続けるということには、このごろ異論を持つようになってきた。私なりのあの頃を顧みて反省をして、肯定もして、次期ビジョンにも役立てることは出来ないものかと考えてことが多いこのごろである。

▼異論を持つということは、こうでなくてはならないという強い意志を持ち突き進む人に対して、立ち止まって考えてもいいのではないかと投げかけるようなケースがあり、また、成功するためにはある手段が最適だと考える人に対しそうでもない別の視点や論座を提示したり勧めたりするようなこともあって、ある意味では逃げであり、弁解であり、また投了でもあり、寛容でもある。

▼社会は情報科学と経済・財政学のような底流が表に浮き上がってきたような形でねじれながら浮沈を繰り返してきた。そのことを否定するつもりはないが、そういう社会構造(既に過去のものであるもの)のなかで心に焼き付けられた成功の図式や邁進する際の尺度はそう簡単には変えることができない。

▼大雑把に言えば、今年に行われたアベノミクスという正体不明だった言葉にお馬鹿にも翻弄された人々がいた事実と、その人々の反省がそれほど見てこないまま、対座する論考も浮上することなく、新しい潮流はスッキリとは浮き上がれないままで少なからず進化をしてゆく。

◎◎

▼そんな中でも、特定秘密保護法というものを強行に採決をして、さらに多くの反対意見や論考に筋道を立てて説明をすることもなく、感情的な反発心をのこしたまま、メディアにも非難され続けて、走りぬけようとしていることが大きな問題なっている。

▼しかしこのことが、100年単位でまとめてみても、歴史的事件としてとても消すことのできない程のものであるであるのにもかかわらず、国民の隅々までに浸透してるのかどうか不安な状態のまま、政治は過半数を持った勢いでジリジリと進む。

▼止めることをできなくしたのは心まで貧困に成り果てている国民のなしたこと言って終わることも可能であろう。しかし、一旦悪い道に踏み込んでしまっても何らかの方法で未来へと繋げたいと努力するのも私たちの責務である。

▼だから、いい加減で自分のことだけを考えるのはやめて、みんなが幸せになることで自分も幸せになれる政策であり暮らしスタイルを拓かねばならないのですが、国民の「豊かさと満足度」からくるボケはなかなか治らん……。

◎◎

▼(Sさんに書いたコメントから)

そうは言いながらも、最近は節目が大事だなとよく思います。 宗教とかは関係なく、人として暮らす上で、文明が生み出したひとつの知恵でもあるとさえ思えることがありますね。近所のお店。景気のいい時代は元旦営業でしたが、この1,2年前から元旦のみ休業も増えました。今年は、仕事納めの日に、社内のお世話になった人に挨拶にいってきました。齢を食うと(みなさまの)「おかげで」ここまでこれましたありがとう、と思うことが増えてきます。頑固にもなりましたが。

▼(Oくんに書いたメールから)

秋ころから余り見かけなくなったので転勤したか何か事情ができたのかなと気にかけていたりします。この年令では、組織的にも身体的にも社会的にも突然な何かが起こっても不思議ではないので。 多かれ少なかれ冷静ではあるものの不安もあり、便りのないのは(訃報がこないのだから)良い知らせなのだという本質的な意味もこのごろ理解出来つつあります。 お忙しい年末ですか。昔のように正月らしく正月を送ることを忘れた(捨ててしまた)日本人ですが、どうなるんでしょうね。 齢を食ってだんだん、昔の頑固爺さんのようになってきたなと自分でも感心してます。 今年はどうもありがとう。

◎◎

▼脱線修復。

▼そういうわけで、年末年始には何もしないで過ごしたのがこれまでの慣例だったのだが、それを取りやめてできるだけ多くの皆様方に今年一年のお礼を伝え今後ともの発展を祈願しひとつの年の節目として意識を新たにしたいと考えています。

▼もう何年も前から数え年で年齢を勘定するようにしています。若いときはこのシステムをそれほど良いとは思わなかったのですが、なんて素晴らしい方法だろうと思います。

▼十二年毎にやってくる干支。十年毎にやってくる十干、一年を二十四節に分ける二十四節気、29.53日の周期で遷る月齢、一年に四度変化する季節。こういうときの節目に纏わられて生きている暮らしに感謝をしたい。

Mozu

三重県環境学習情報センター・ブログから)

2013年12月26日 (木曜日)

カレー + 生卵 +納豆

26日。お夕はん。

カレーには、卵と納豆を

カレーに楽しくトッピングをしてみた。

まず、卵を割り入れる。
それを覆うように納豆を添えて
かっこ良くカレーを掛けてみました。

甘い目の味がお好きな方は気に入ってもらえそうです。

欲ばりな私は、まだこれに、かつお節を振りかけてみたいとか考えていましたが
ごちゃごちゃになると味がわからなくなってしまうので控えました。

2013年12月23日 (月曜日)

連休の最後(23日)のおゆうはん

京都市内で用事を済ませて、
高島屋でケーキを買って
いつもよりも早めに帰ってきました。

鯛のにぎり寿司

おいしそうな鯛の握りがあったのでついつい買ってしまう。

にぎり盛り合わせ

疲れたので、簡単に済ませました。お夕はん。

でも、惣菜コーナーにいきますと、
チキンのオードブルがいっぱい並んでいるので、
ついつい買ってしまうのよね。

チキンなど

そして、
今年のケーキ。

平成25年のクリスマスケーキ

ヴィタメール。お店の写真から

20131225144

2013年12月22日 (日曜日)

三連休の22日(四条へ)

四条西洞院のバス停の前にある「味人」というお店で

フグを。(てっさ盛り合わせ)

ふぐ。(味人にて)

蟹も。

蟹。(味人にて)

10月に帰ってしばらくぶりに帰ったのですが
泊まって行くことにしたので、四条通に出て行きました。

嵐電の混みようには驚きました。
夕方の7時ころに乗ったのですが、
2両編成で、車両の中を移動するのが困難なほどの人です。

花灯篭というのをやってるんです。
嵐山で。

2013年12月21日 (土曜日)

おうちを居酒屋にしよう!

「飲めない」というご縁。


砂名さんがコメントを下さって。どうもありがとう。

無理やり押し付けたのではないかと気にもかけているが、人は現実社会ではなかなか会えないのでブログのような仮想空間で交流をしようと編み出されたのだろうから、大いにプラス面を活用して談話をしましょう。そして視野を広げるのに役立てて(マイナス面はマイナスとして学んで)いけば、新しい自分になれると、そういうことにしておく。

「きょうの料理」について首記のリンクで触れているので、またまたお料理の話であると食いしん坊の虫が収まらない。

料理には、「調理法やその理由、料理家さんがポロっと仰る食文化」があることを感じ取り書き留めているという。これは、とてもいいことですね。

教えてもらうことだけではなく、そこから刺激を受けて新たな想像力を活かしてください。

単に食べるだけではなく、農耕、漁業の歴史ある人々の暮らしに目を向けて、季節も考えて、その時代の生活実態も考証して、食べ物を考えることは、食だけではなく暮らしなどにも及んで広い洞察力のバックボーンが身につくと思います。

オトコの料理、って言葉があります。あれは二つの特徴を持っていますね。

ひとつは、ウンチク。漢字書き取りテストにも出題される「薀蓄」です。大根はどうして米のとぎ汁で下茹ですると美味しくなるのか。ぶりは臭みを取るために冷水でよく洗って血身をとる、私の場合、その後、お湯をサッと通して、再び冷水にさらしていますが、何故そうすると美味しくなるか。なんてのをダラダラと喋りながら、お酒を飲む。お酒を飲むときに薀蓄を聞かされる側に回った方は、負けずに次回何かで応酬しますか。

ぶり大根

もうひとつは、製法に凝る。昔、煮豚にチャレンジしたのですが、けっこう旨かった。二度目に作ったら、そうでもなかった。もっとおいしく作りたいと何度もチャレンジするものの、再現性を得るにはかなりの回数の煮豚を作ることになります。焼き鳥でも同じでして、少しでも飲兵衛がおいしく食べる焼き鳥を目指すのです。贅沢な焼き鳥になってきますが、原材料費が、焼き鳥屋の値段を超えてるほどの凝りようで、ボリュームも満点に成っている。年に何度かしか作らないが、けっこう定評があります。

角煮

焼き鳥

ぜひ、飲兵衛さんを驚かせてやってください。こういう素朴な酒肴が嬉しいものです。

2013年12月20日 (金曜日)

村松友視   トニー谷、ざんす (その後)

村松友視   トニー谷、ざんす

を18日の夜に最寄りの図書館で受け取ってきた。

ゆっくり読もうと思っております。

トニー谷、ざんす

(ぶり大根) + 焼きカレー風

写真日記にあげていますが、)

ぶりのアラ

ぶり大根

18日に、おいしいブリを食べたので、あくる日(19日)はカレーとなりました。

ぶりの大根のコツは何ですか?
と聞かれますが、ブリの臭みをどれだけ取ってやるかでしょう。

工夫して何度も失敗を重ねておいしくなりました。
大根の下茹もサボらずに。

例の、焼きカレー風にしてみました。

カレー焼き風

グラタン皿にご飯を盛ってチーズを載せて
カレーをかけて焼いただけですが
おいしかったです。

2013年12月18日 (水曜日)

続3・信州ゴーデンループ  花も嵐もIII その67

信州ゴールデンループの安倍峠の話から続けます。

寸又渓谷あたりでキャンプをするために大井川付近を訪ねたことは何度もあったのですが、なかなか広がりませんでした。

丸子のとろろ汁@丁子屋さんに寄ったりしたこともあるのです(信州7月(1998年))が、横に長い駿河国を走り切ることは難しく、伊豆方面も遠く感じるところでした。しかし、90年代になって国道1号線のバイパスが急激に整備されて早く移動ができるようになってきます。

安倍峠は、通行止めかもしれないという情報が飛び交っていたころなだけに、行ってみたいという衝動に駆られました。

コンクリートで舗装をしている峠道で、山梨県側は未舗装でした。路肩工事や土砂崩れの除去の工事などを何箇所かでしていて、工事用車両を何度も避けながら身延の方へ下って行った記憶があります。

オンロードのバイクでも走っていけるような道路でした。検索をすると駿河・甲州・信州〔右のマフラーが吹っ飛ぶ・東北断念〕1995年

でHITしました。

身延と静岡を結ぶのは富士川沿いの国道が便利ですからこの峠はいつかは消えていってしまう峠かもしれませんね。

初めての安倍峠のときには、夜叉神峠の方に行っていませんが、別の時に山梨から夜叉神峠を越えて、井川雨畑林道を経て寸又挟に出ているので、次はその時のことを思い出してみます。

余命と余生

▼老化してくると─老化しなくても、多面的な視点を失うのではないか。

三十歳を過ぎたころの一番勢いが乗って力強く邁進している時期が人の姿としてもっとも美しいと考えていたころがあった。それは間違いではなかったと省みるものの、第4コーナーを回ったモノの姿も美しいのだということに、自分もそのコーナーを回って以降に気がついた。垣根を曲がって見えるものが増えた。

▼棋士が高齢になるにつれ弱くなってくるとすれば、体力や頭の回転の老化ではなく、頑固な姿勢ではないか。

つまり強情になってくるので、柔軟な戦術よりも自分の気持ちを前に出してしまうのだ。その姿勢を何ら否定するつもりはないし出来るわけがない。ただ、坂田栄男、藤沢秀行という恐ろしいくらいのエネルギーを発散した人も碁の世界にはおられた。かの方々は、やはり勝負というものに対して辛くあったけれども視野が広かった。

▼余命と何か。科学的な話をしようというのではない。

私も、父が逝った年齢まで10年ほどと迫った。(祖父の逝った年齢にも同じであるし)見渡せば親戚じゅうの男性はみんな若いうちに逝っている。そういう血脈である。私が例外でいたいとは今更考えないし、希望もしない。

▼母は80歳を越えており、今年の冬にお迎えがあっても構わないように覚悟をしているだろう。

覚悟ができるほど頭が回転しているからまだもう少し先だなどと大勢に励まされているが、祖母(母の母)が長生きであったことが心の励みなのかもしれない。逝く間際まで極めて健康で意識も正常、数学の足し算などは私よりも正確な早さを誇っていた祖母であり、それを受け継いだ母である。あのように逝きたかろうな。今年の冬がとりわけ寒そうだと予想するだけに心配と覚悟が引いていかない。

▼年末やら年始を迎えるにあたって、様々なことを思うようになったのは、老化のせいか。

老化という言葉は良くないと言った人があった。「熟年」であると言いなさい、と改められた時代がある。

しかし、紛れも無く老化であるのだから、それでいいのではないだ老化、なんてオヤジなことを言いたく成るのもこの年齢である。

◎◎

▼姿勢を正し、純真な心であらゆるものと向かい合える一つの必要条件が余生を見据えた視線ではないか。

何も死んでしまうことを想像するように薦めているのではない。

光が届く限りの地平線を見ながら話をしようじゃないかというような気持ちでいたい。

2013年12月17日 (火曜日)

飲まない人

高村 砂名さんがご自身のブログ(sitoa)で「飲まない人達。」というタイトルの日記を書いて、お酒を飲まない側の人たちが織りなす面白い対話を紹介している。

とかくお酒は悪者であることが多いことを考えながら拝読すると、左党には些か辛口なお話にも思えてくるし、取り留めのないギャップのようなものを感じる。

私のツマは「飲まない人」で「暗い人」だったが、久しぶりでの同窓会で大勢の友達を驚かせたという。つまり、見違えるほどの変貌を遂げ、この二つの性格を逆転させてしまった……、いや逆転させているかのように振る舞えるようになり、実際にそんな暮らしをしながら生きている人となってしまったのです。そしてその立役者が私だったということで、そのとどの詰まりが私の酒好きが功を奏したのではないかと、ふと思いながら、それとは全く違う砂名さんのような家族もあるのだな、と。

まあ月並みな感想ですが、いろいろ考えてみたりしてました。

ツマは好きな人に(←わたしのこと)おいしいお酒を飲ませてあげたいと色々と考えたのでしょう。ブランド物や貴金属のようなもの金額の張るようなもの、さらに格好いい装いなどにも興味を示さない私にとって、おいしいお酒を飲ませることは、ひとつの楽しみだったのではないでしょうか。

お酒にはやけ酒という形容があったり、酒癖が悪いとか、乱暴な酒の例えもありますし、苦しさ紛らす酒なども演歌に登場します。

しかし私は、そんなお酒は一切飲まないのです。お酒は機嫌のいい時しか飲まないし、そんな時しか飲みたくならないように心がけています(まあそのような性格なんです)ので、常においしいお酒やおいしい飲み方、おいしいおつまみ、楽しい会話がなければお酒が出てきてはいけない雰囲気です。では悲しい時や怒っているときはどうするのかって……じっとしているんですが。(まあ、あんまし機嫌が悪くない人ですけど、ふだんから)

お酒ってのは、ナマモノですし、旬モノでもある。媚薬とも言われるし麻薬のようにも扱われる。しかし、品位のある高級な飲み物です。ちょっとした心づかいでとてもおいしくなります。その熟成過程をのウンチクに耳を傾けてみれば歴然としますが、それは置いといて、お料理をする人が高級食材を粗末にしないのと同じように、お酒も一滴一滴こころをこめて扱ってこそおいしくいただけます。

まったくお酒を飲まない知人が極上の一品料理を出してくれる居酒屋をしていました。心が分かるらしいです。おいしく飲んでもらえるように、必死になって工夫をするのです。

飲まない人であるからこそ出来るような、そして、お酒好きの左党のみなさんを喜ばせるような粋な計らいをなさってみてはいかがかなと思いました。

中には一緒に飲んで欲しいという方もありましょうが、私はそばに居てニコニコと相槌打って一緒に居ることを喜んでくれる人がいれば、それで十分です。

粋な計らいを味わえるような左党になりたいものです。

2013年12月16日 (月曜日)

流行りの言葉 ─ 大雪篇(あとがき)

平成25年の流行語が今月初旬に話題になっていました。年の瀬のお祭り騒ぎだという人や無縁な言葉が多く流行語というには疑問があると一蹴する声もあるようですが、その大賞候補の中に「PM2.5」という我々にも身近な用語がありました。みなさんは、熱い思いでこの言葉に注目していたのではないでしょうか。

四日市市には1960年代に多くの住民を苦しめた四日市公害という歴史があります。あの時代に発生した大気汚染物質に因る健康被害は、現代からみて想像以上のものです。二酸化いおう濃度は、1961年(昭和36年)には1ppm(1時間値)を超える値を記録しています。先月の平均値が、0.002ppm以下ですから、どれほど空

気が汚染されていたのかを想像することも困難なほどの隔たりです。

PM2.5も窒素酸化物、硫黄酸化物、揮発性有機化合物等と同様の大気汚染物資で、環境基準は「1年平均値が15μg/m3以下であり、かつ、1日平均値が35μg/m3以下であること」とされています。しかし、隣接する国では1日平均値が日本の環境基準の10倍に達しているところがあると報じられ、霞のかかったようなスモッグの空模様がニュースの映像で流れています。

四日市公害の歴史は、ご存知のとおり1970年代に10年以上の歳月を要し結審します。PM2.5もそういう意味では決して流行モノではなく、これから10年を過ぎても付き合っていかねばならない言葉であるともいえましょう。そして、10年後に大陸で計測される数値は現在の10分の1になっていなければなりません。

そのことにチャレンジするのは「今でしょ!」なのですね。

2013年12月15日 (日曜日)

恩返しとおもてなし

つぶやきに、

革のツナギとブーツと手袋とヘルメット、その他諸々をゴミで処分しなくてはならないのだが、お座なりにした日々が続いている

と書いた。

このときの購入価額を合算すると、これらだけでも二十万円ほどになる。遊ぶことは大いに結構であったと認めるものの、それは自分だけに役立っている自分本位的な歓びであって、同時に同額を社会に役立てて(積み立てて)活かしていこうという一種の社会貢献的な考えは、その当時毛頭持っていなかった。

それは、ある意味では当然のことであるのかもしれないし、ましてや現代社会のひとつの尺度から見れば何も誤りではないといえるのかもしれない。しかし、未来がどのようなことに成っているのかを考察する眼力をもっていたならば、またひとつ違った視点で居れたに違いない。私自身に、この辺りの社会的な読みが甘く、思想的にも未熟であったと顧みている。

これからの時代、人間の育成と社会の方向性として、常に自分のことだけを考えるのでは崩壊に近い道を歩まねばならない。もう既に、社会の一端に不安などが見え始めているのであるが、自分の方を向いた暮らしではなく、これからは、他人の方を見回すライフスタイル(生き方)を考えて持ち、未来を見据えた暮らしを構想することが誰にでも求められる。

人の本質的な部分に入り込むイデオロギーなだけに難しいが、しかしそれらの実現手段として、例えば消費税のようなものだけではなく、新しい社会構造を提案し心の構造を変革(意識の改革)をさせねば、必ず行き詰まる。

思いやりとかおもてなしという言葉はいくらでも自由に使うことができる。しかしながら、気持ちまで浸透させたホンモノとなるとそんなものはほとんど見せかけだけで、実際には嘘っぱちだらけであるのが現代の社会である。だから、それが現実であるのを認めて、少しでも早く方向性を見つけ出せるようにしっかり考えて行かねば、住みにくい社会に成って社会は滅び、心が荒む。

今さら何の恩返しを出来るわけでもない。しかし、新しい未来の構築に参加できないものかと思う。だが、余命もどんなに多く見積もっても30年程しかないのが残念だ。30年前にもっとしっかりと姿勢を正して生きていける自分になろうと努めなかったのが失策なのだ。

もちつき

2013年12月14日 (土曜日)

村松友視 「トニー谷、ざんす」

村松友視 「トニー谷、ざんす」という書籍を読み返している、と砂女さんが書いていたので、ちょっとゴミ(コメント)を書いてきた。


先日から、トニー谷さんの名前が出てくるので、ちょっと気に掛かっている。

誘拐事件のころは知らないが(生まれてなかった)その後のテレビ番組などでの活動は朧気ながら記憶にある。

人間の記憶機能は10歳ほどまでは未完成なところが多く例えば顔の輪郭などを捉えられても目鼻立ちまでを記憶することは難しいという話を読んだことがある。

山奥の鄙びた農家にテレビがやってくるのは東京オリンピックの頃であった。その時代に人々に憩いや活力を与え続けたテレビというものが、現代のように豹変していくことは誰も夢にも思わなかった。そのギャップの度合と同じほど、トニー谷さんの記憶も過去のものに成っているのでしょう。

しかし、すごく焼き付いていて、すごく私というニンゲンの骨に沁みている文化であるのではないかと思う。

母校の先輩でもあったことを最近ある書で知る。歴史というものを多角的な視点で見て、またまた驚く。

やはり、社会は未完成でなければ、イケナイ。そういう時代に生まれることが出来て幸せであったのかもしれないと思うのですよ。このごろ。

◎ ◎

(追記)この、トニー谷さんの本を探したら、県立図書館にあったので、昨日お取り寄せするようにしました。1週間ほどで最寄りの機関に配達してくれるので、年末はこの本を読みたいと思います。

ツマに「あなたのお名前なんてえの」といってテレビに出てくる人があったのを知っているかと尋ねたら、知っているといいましたが、細かいとことまで尋ねると曖昧なんです。

こういう世代の人々が今の社会の構想を作ったのだということと、その後の時代の人が引き継ぐのだということが、現代社会で起こっている事実ですね。

荒んだ社会にならぬように出来る限りのことをしたいですが、難しさと限界を感じるこのごろです。

(詰まらんコメントを連発しまして失敬しました、大目に見てくださいな)

2013年12月11日 (水曜日)

4年間で1回も使えなかったポイント(ケータイやめるにあたって)

■東南アジア台風30号 被災者支援金プロジェクト

内容
このたびの東南アジア台風30号の被害により被災された皆さまを支援するため、ソフトバンクポイントでの支援金を受付中です。

※一部の機種では正しく表示できない場合がございます。

受付期間
開始:2013年11月15日 午後01:00
終了:2013年12月20日 午後04:00

寄付先
被災地支援団体(特定非営利活動法人 ジャパン・プラットフォーム)

1口単価
1口 = 100pt = 100円
募金口数 17口
募金ポイント数 1,700pt
募金金額 1,700円

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ケータイ、やめます。

ソフトバンク。4年間で一回も使えなかったポイント。

2013年12月 8日 (日曜日)

アジのさし身

(7日)

ムスメが雪菜ちゃんの結婚式で
東京・青山に行ってしまって居ない。
夫婦でお風呂屋に出掛け
私は散髪も済ませて
スーパーでにぎり寿司と
おまけにアジの刺身も買うて
一番搾りまで奮発した。

アジの刺身

この一番搾り、去年も同じようなシリーズがでていたような。
そして、同じように何かの理由で買ってきたような気がする。

でも、すっかり「麦とホップ」が旨い。

一番搾り・とれたてホップ

大雪や日めくり薄し指を折り  ─ 大雪篇

二十四節気「大雪」も足早にすぎて、いよいよ暮れも本番となってまいりました。年始に置いた日めくりが、十二月になって薄っぺらになってくるのを見ているとやはり気持ちの何処かに焦るものを抱いてしまう今日このごろです。

今年の冬は寒いという長期予報でしたので、燃料代や電気代のことを気にしつつ、じわりじわりと押し寄せる寒さに少しジタバタしながら身を引き締めています。

 下駄買うて箪笥の上や年の暮  永井荷風

荷風が詠んだような光景は、もはやどこの家にも残っていないと思います。かつては、暮を迎えるにあたってどこの家も大忙しでした。小春日和の一日には箪笥を庭に出し、畳をあげて、布団をはたき、天井のすす払いをしました。そして障子を張りかえ、しめ縄を綯う。暮れが迫ってきたら餅をつく。

今ではこれらを済ませてから新年を迎えるという家庭は減りました。このようにひとつの儀式でけじめを付け節目で身を引き締めるという文化は、私たちが昔から受け継いできたかけがえのないものでした。合理性、経済性という視点で切り捨ててしまっては残念なことになります。

技術は弛まなく進化を続けても、私たちはもっと鈍感な部分があってもいいような気がします。荷風の句には、襟を正して純心さに胸弾ませている正月の姿が見えています。

年末年始、みなさまお忙しいことと思いますが、充実したときをお過ごしください。

2013年12月 7日 (土曜日)

続2・信州ゴールデンループ  花も嵐もIII その66

信州ゴールデンループの南の端っこの付近にあたる「地蔵峠」「青崩峠」「ヒョー越」を今思い出しながらこれを書いている。

◎ 地蔵峠

という名前の峠は、国内にいくつもあるので、峠名だけでは何処にあるのかわからない。けれども、伊那谷から天竜川を横切って南アルプスの方に踏み込んだところの峠といえば、大好きな人ならばピンとくる。

社会の授業で習う「中央構造線(フォッサマグナ)」の通る南北のライン上にある峠で、1990年ころは、国道の番号は付いているものの、北から南まで通り抜けていない道路で、県道1号線なんていうのを走った。

もちろんダートです。きれいな未舗装で、オンロードバイクだった私でも、オフロードを愉しんで走るにはもってこいの道路だった。景色もいい。人も少ない。高低の変化、左右のワインディング、森の静けさ、山の景色、寂しさ、空気の綺麗さなど、とても恵まれた時代に走らせてもらえたと感謝している。

◎ 青崩峠

ここは完全に行き止まりである。獣道に期待をするわけではないのだが、行き止まりがどんなふうになっているのかを見たくて入ってみると、ただの断崖であったという結末。人も寄せ付けない寂しさ。突き放したような行き止まりだった。

◎ ヒョー越

こちらを越えて、青崩峠越えを完了する。この峠の南には、天竜スーパー林道として有名だった山岳林道があり、南は浜松市内へと抜けて行ける。

バイクツーリストなら、街へは向かわないだろう。大井川上流にある寸又渓方面へと三級地方道ルートを東に向かう。

◎ 寸又渓から井川雨畑林道方面へ

にというルートを取るか、または

◎ 安倍川上流の安倍峠

を越えて山梨へと向かう。

2013年12月 6日 (金曜日)

続・信州ゴールデンループ  花も嵐もIII その65

終楽章というカテゴリーを作って、「その64」からこちらに書いています。信州ゴルデンループの話を少し続けます。

◎◎

ツーリング雑誌がバイク雑誌のコーナーにあふれている時期がありました。
それまで私は雑誌を読みませんでしたが、さすがにみんなの様子を知りたくてパラパラと見ました。

確かに良い記事もあったのですが、私にしたらツーリングをやがて破壊してしまうような、バイクツーリストの基礎を奪い取ってしまうような記事に見えて、このような雑誌から遠ざかってしまった。

写真が多かった。バイクツーリストの旅情を刺激する写真が多かった。しかし、これも、旅の愉しみを奪いかねない危ない味を持っていました。私自身がその写真に魅了されてしまうと、瞼に描く旅のいざないを失いそうで怖かった。

◎◎

地図を見て、この峠やルートを走りたいと思って、見知らぬ街を通り、何も情報を持たないで峠を超えてゆく。それがバイクツーリングの味わいだと思っていました。雑誌で写真をみてしまったら、美味しい料理を食べる前に批評している人の話を聞くような感じです。

天竜川沿いの数々の峠は、まだあのころは俗化された雑誌にのっていなかった。あんな荒れた国道を走って楽しむ人は、雑誌に情報を発信しないで、旅先で出会った人同士で情報を分かち合っていた。

天竜川から大井川、そして安倍峠へと峠を越えて行くときも、こじんまりしたバイクフォーラム(FBIKE@nifty)の囁きあいの情報だけで未知なるルートへと出掛けていけました。

今のこのあたりで昔のようなツーリングが楽しめるかどうかはわかりませんが、あのころは私だけの素敵な峠であり、私が見つけた鄙びた山村であり、野営場所であり、B級グルメでした。

あのころは、いわゆる現実からの逃避を試みようとしている自分があがいていたので、ゴールデンループは私の癒しの場所だったのでした。

2013年12月 5日 (木曜日)

信州ゴールデンループ  花も嵐もIII その64

信州ゴールデンループという名前は私が付けた。

天竜川を越えて東へと向かえば大井川がある。これを遡って安倍峠を越えて山梨県へとゆく。夜叉神峠を超えて甲府盆地、さらに八ヶ岳の麓を北上して、軽井沢を突っ切ってゆく。

昔、日航機が墜落した御巣鷹山を望むぶどう峠なども越えて群馬県へと足を踏み入れる。草津などの温泉街を堪能して、志賀高原を越えて、野沢温泉も立ち寄りながら大きく北信へとルートをとる。

千曲川から信濃川へと名前を変えた巨大な川を横切って、いよいよ信州の西半分へと踏み込む。戸隠、鬼無里、安曇野、そして乗鞍などを経て中山道を南下し、木曽山脈を横切って再び天竜川沿いに戻ってくる。

寄り道をすれは数限りないバリエーションがある。これが「信州ゴールデンループ」です。

私がこのルートに名前をつけたころは、数々の峠がまだまだトンネルにはならず、拡幅もなされていなかった。現在、どこまで魅力があるかどうかは、愉しむ人次第だと思うが、ひとつのツーリング黄金時代の素晴らしいルートであった。

2013年12月 4日 (水曜日)

前略。失敗作のこと

一日じゅう家に居て、誰とも喋らずに日向に腰掛けていると、風邪は、何ともありません。しかし、仕事に出掛けて、電話に出て声を出すと急に煙の中にいるように咳が出ます。

身体は楽ですし夜もよう眠れます。もうひと頑張りかなと思っております。

◎◎

昔に読んだ古い名作を二冊ほど本棚から出して来て、並行にパラパラと読んでいます。島尾敏雄「死の棘」遠藤周作「悲しみの歌」です。

どちらも、大学生時代に、寒い四畳半で、勉強から逃げ回りながらこのような作品に没頭していたのでした。私にもう少しの才能があったら、また違った道を歩もうとしたことも考えられますが、島田君が早稲田の文学部にどっぷりと浸りきっているのを微かに見ながら私は現実的に理工学の道を行くのだと確信めいたことを決めてしまった。

心のおおかた80%ほどを文学に奪われながらも、もしもあのときにあの道を歩んだら、僕は今ごろ途轍もない詰まらない人間になり、どうしようもない道を歩んでいただろうと思う。

しかし、だからといって、理工学の道を選び、世間でいう一流大企業に二十余年間勤めても、人間の本質という面で私は変化することが出来ずに来てしまった。

運命なんてのは、自分の描いた数々の物語のうちの失敗作の1つに落ち着くのかもしれない。私はそれで幸せだと思っているが、周囲がそれを許さなかった。

島尾敏雄 死の棘 (ハードカバー帯)

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