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2013年11月30日 (土曜日)

限定に弱い

アップルストアにしかない色だということで、この色に決めました。

限定に弱いなあ。

ipodtouch

久々に心斎橋をぶらぶら。

というか、難波から歩いてアップルストアまで行って、また難波に戻っただけです。

2013年11月27日 (水曜日)

風邪ひきさん少しずつ良くなってきて

(26日)

▼君のポトフ恐る恐るに食べてみたい

宮本輝「三十光年の星たち」のなかにスパゲッティーのソースを煮こむ光景が出てくる。野菜や肉を煮込むむという作業は、料理をつくる人にとって面倒くさいことでありながらも至福の時間ではないだろうか。そんなことを考えながら、好きな人がポトフを作ってくれたら喜んで食べに行くだろうけど、瞼に思い浮かべた人だったら少し食べるのが怖いなあって(苦笑)思った。

風邪を引いて休んだのが16日の金曜日で、これを書いているきょうは27日の水曜日だから10日以上もぜいぜいゴホゴホとやっている。

26日には遂に医者にも行った。10日間で3日間も休んでしもうた理由は、(ごほごほ)、「このまま死んだらまったくお父うと同じ最期やんか」と思ったからだ。急に医者に行かな怖くなったのだった。従来と合わせて6種類の薬を飲んでいる。

◎◎

医者に行く前の晩から明け方には苦しかったのでこんな一句も書いている、

▼咳き込んでゆうべの夢は異国なり

▼咳いて揺れる肩をすっぽり抱いてみる

日の当たる縁側で日向ぼっこをしていた昔の家を思い出す。

日向ぼっこ。あれは藁葺きの昔の家の縁側のこと。猫がいて犬がいて、牛がいて、ヤギがいて、ニワトリがいた。

そんなことを思い出しながら、最初に16(金)に休んで、次週には18−19(月・火)21(木)と出掛けて、22(金)を休んで、今週は25(月)は出掛けたけど26(火)に医者に行くので休んだ。

別に休みたいわけではないのだが、休まねば身体が思うようにならない。もう意地を張って生きることもなかろうと思うと楽になる。

◎◎

というわけで、去年はインフルエンザでやられたけど、その二三年前はなかなか健康で、風邪も引かずにいたのに、ちょっと今年は出足でしくじってしまったか。

11月23日にムスメさんが長野に花火を見に行ったのですが、そのお土産に林檎をくれた。子どものころは林檎の酸っぱいのがちょっと好きになれずに蜜柑がほんとうは好きだったのであろうに意地を張って林檎が好きだと言い張っていたのを今でもよく思い出す。

▼林檎ざくりと割って君の心も

2013年11月22日 (金曜日)

30年という言葉で探ってみる ─ 小雪篇

もう、小雪をむかえるのかと驚く反面、年の瀬が少し待ち遠しかったりもする。

▼小雪や風邪そこそこに靴磨く

様々な難題や岐路に立たされたり、あるいはゆとりが出来て人生を振り返るようなことがあるときに、私は幸せであったのだろうかと何度も繰り返し考えた。

そして、貧しかったことが即ち不幸となったわけではなかったというような朧気な解決でひとまず落ち着く。

身の回りには、資産家を受け継ぐ人もいれば、安定した事業を譲り受ける人もいて、或る時それを羨みの気持ちで見たことも何度かある。

しかし、無から有を生むためには私が舵を切らねば歴史は変わらないのだから、と思い、何も残せないけれども子どもには知の資産を残そうと漠然と考えた。知と仁があれば自分で歩めると信じたからだ。

6年制の私立中学に在学しているときに企業をやめたので、それから大学を卒業するまでの間に日本育英会の奨学金を400万円あまりを借金した。その負債は子どもに今も負わせている。

私の子育てに間違いはなかったと今でも信じているが、1円も肩代わりをして返済をしてやれないのは辛い。

■■

そんな苦渋の時代に、豊かさについて考えている。

豊かさと満足度
2008年(平成20年)6月12日 (木)

続・豊かさと満足度
2010年(平成22年)5月15日 (土)

何故こんなものを今ごろ見つけたのかというと、先日(前の日記)に読んだ宮本輝の小説の中に「30年」という節を見つめて未来へと生きてゆかねばならないということが書いてあった。

そこでちょうど、私もこの「30年」という数字で人生を振り返ったことがあったと思い起こし検索をしてみることにし、ブログの中にある検索窓へ「30年」と打ち込むと87件のヒットがあった。

社会批判や怨み、妬み、愚痴、不平、など、言い出せばキリがない。

宮本輝の小説「三十光年の星たち」のあとがきのなかで、非常にスカッとするほどに纏められた宮本輝の言葉がある。なかなか、言えないのではないか。

2013年11月21日 (木曜日)

宮本輝  三十光年の星たち

ブログに載せてから。
やっぱし、三十歳くらいの若者に読めと言っても無理な気もする。
ほんとうの意味がわかるのは六十歳近くなった人だけかもしれない。


一時期と比べると新作を出すペースが緩やかになって、話の内容も心に突き刺さるようなものが少なくなった。表現も特徴的でない売れっ子小説家の筆のようになったのではないか、と思っていた。

庶民的であったことには変わりがないが、ちょっとその辺の坊主どもが話すようなことを物語の中でも使ったりするところは、年季が入って完成度を上げた小説家の成せる技なのか、それとも一般的爺さんになってきて厚かましさがちょっとだけ出てきたのか。

オヤジギャクという言葉があるが、案外、日常もそんな身近さを身につけておられるのかもしれない。

辛辣だが、ファンとしてそう思ったことがあった。許さないのではない。人並なのかと嘆いたわけでもない。売れすぎたからだと悪言をいう人に同意もしない。この人にはこの人の作風があるのだから。

しかし、道頓堀川を書いていた頃のような、情熱が唸りを上げるような展開もなければ、惚れ込んでしまうような美人をさらりと主人公に当ててしまうような若き色気も、どこか別のところにしまいこんだかのようだ。あの天性と言っても過言にならないほどの、魔力を少しなくていることは間違いない。

これまで書いてきた数々の新聞小説の作法をおおよそ受け継いだ、宮本輝らしい優等生な作品で、その展開は持ち前の腕力でサバサバと進んでゆく。厚みのある、悪く言えば余分なこともふんだんに取り入れた作品でありながら、きちんと宮本流の眼点から睨む哲学も埋め込んである。

次々と出る新作を読みながら、物語を開拓して組み上げてゆく腕前は一級だと思う。美文で綴る作家であった若き時代と違って、普通になってきた分だけ、面白みがなくなってきたのかもしれなが、私との波長は今のところはぴったしで、蹴躓くこともなくあっと言う間に最終章になってゆく。

何かが物足りなかったような気がして、読後にいくらかのくぐもりのようなものを感じている。感想を思い浮かべながらそれは、魅力的な美人主人公が出てこなかったからだろうか、と思った。

宮本輝は何が言いたかったのだろうか。そう、それは自分であとがきに書いた二三行の一節だ。それでいいのだと思う。輝さん、三十年が経てば自分も変わらねばならないから、今の作風でいいような気がする。ボクはそれで十分に嬉しい。

(追記)私は30歳のときに娘が生まれて、もうすぐその子も30歳になります。30年違うことをじっくり考えていたころがありました。子どもが生まれる時から30年を遡った私が0歳だった時のことを何度も思い浮かべました。父も母も若く、社会が貧しかった時代です。戦後と呼ばれる世紀でした。

この小説は私が思ったのと全く同じ30年という年を投げかけてくれました。偶然ではなかったのだと思います。あと30年。やはり生きなくてはならない。私の使命だと思いました。


平成25年12月13日購入
宮本輝  三十光年の星たち

宮本輝 三十光年の星たち

2013年11月20日 (水曜日)

早くゆず大根を作りに行きたいが身動き撮れず

(20日)

▼林檎剥く皮の厚さや老いの風
▼冬座敷父の愛した本を読む

そんなことを書き残して、放置している。

早く、母を訪ねて行って、ゆず大根を作りたいのだが。

(風邪です)

2013年11月19日 (火曜日)

凩や八十五年も容赦なく

15日、金曜日の朝に、少しのどにピリッと痛みを感じた。それは、いつもの風邪の兆候で、放置しておくと「のどチンコ」の周辺が炎症を起こしているのが確認できるほどに変化する。

しかし、扁桃腺を小4のときに切除してから、発熱をしなくなったような気がして、どんなに身体がだるくても痛くてもギシギシとしていても体温計は37度あたりで上昇を停止してしまう。

大学時代に二三度高熱を発したことがあったものの、貧乏で医者には罹れず下宿で一週間以上寝たきりで過ごした。あれはきっと、インフルエンザであったのだろうと思う。

身体中が痛くて、痛さを紛らわすために腕を捻って痛みを分散したりする工夫をして夜を送ったのを記憶している。

80年代になり職に着いてからは、すぐに結婚したこともあってツマに助けられて今までやって来ることができた。レスリング部ですか?と声をかけていただけるような上半身であったのだが、母が言うことも加味して考えるに、私はやはり病弱であったし、今でも弱いのではないかと思う。

父が67歳で逝ってしまうし、祖父も同じくらいで50年ほど前に逝っている。どちらもカラダが丈夫でなかったというよりも、内蔵そのものが丈夫でなかったのではないかと思う。

つまり、素材が余り頑丈にできていない血脈で、腎臓や心臓、気管支あたりはご先祖様から脈々と弱さを受け継いでいるらしい。

そのことを受け入れざるをえない年齢になってきている。風邪と言っても意地を張って、あるいは責任感に満ちて仕事に出かけるのもいいのだが、生きることのほうが大事だと思うようになってきた。ある意味では厚かましいのだが、死んだら終わりと切実に感じる。そういう状況に向かい合う人にしかわからないと思うが。

そういうわけで、無理をしないで早く治さねば後にまで苦しむのは私自身であると考えた。

◎◎
◎◎

(16日)

▼凩や八十五年も容赦なく 
▼凩や蕾を揺らす母の家

そんなわけで金曜日は風邪で休んだのだが、それほど効果があったわけでもなく、ジリジリと喉の痛みは下に下がってゆく。扁桃の付近の腫れが痛みがあるだけではなく、痰が出るようになり、次第に咳も出るようになってくる。

お天気もいいので、気分転換にならないものかと思い外に出たり、風呂に入って暖かくして寝ようと考えたりして、その前に少し酒を飲んだのがまずかったのだが、悪化を招く。

(19日)

▼雪だより君住む街は知らぬ街 
▼寒波来る裸電球四畳半

月曜日、火曜日。

咳が出るものの、身体の中にじわっとある怠さが取れてきたので職場に出るが、気管支あたりだろうか、息を吸ったり吐いたりするするときに隙間風のような音が聞こえるみたいな苦しさが襲う。夜半には喋るのも辛くなってきている。

2013年11月17日 (日曜日)

火吹竹

火吹竹がテーマになって、ふと思うこと。

おくどさんを瞼に浮かべている人も多そうで、とても懐かしい風景が蘇ります。

冬の竈。そのねきでのてったいは、ぬくかった。

外でする薪割りよりも楽やった思い出が多いです。

(11月16日)

2013年11月16日 (土曜日)

君住む街

Y子さんに手紙を書いたことがあった。

◎◎
◎◎

あの子今ごろどこで何をしているのだろう。数年前、近所の大型ショッピングセンターでばったりであった時には結婚したといっていた。よかった、よかった、幸せの一歩を踏み出せたのだね、と一緒になって喜んだのだった。

何故、あの店で偶然に会えたのだろう。普通なら会わないようなところに住んでいるのに。神様のおかげなのかね。

いろんな事件に巻き込まれ、幸せとはいえないような人生へと急展開していく少し前に私たちは知り合いになれたのでした。今、その子の住む街はちょっと離れた半島の向こうの小さな市。きっと幸せに暮らしているだろうと思います。

前略、Y子さん。来ましたね。今年も寒波が。

2013年11月 9日 (土曜日)

向田邦子 夜中の薔薇

感想は、写真をクリック

向田邦子 夜中の薔薇

平成25年10月28日購入

向田邦子を読んでいます。飛び切り古いものを買ってきました。飛行機事故で亡くなられたのが1981年8月22日ですので、その2年余りあとに文庫化された「夜中の薔薇」という作品です。

向田さんは昭和4年生れでわたしの父や母と2歳違いです。それだけに、記述の内容の隅々までが、父や母の、特に母の呟きやボヤキ、ため息と共振していて、わたしに迫るものがあります。

エッセイは、20歳代から50歳に至るまであらゆる日常のことに触れていて、30年前にわたしを育ててくれた父母や身近な人たちに時代を飛び越して会いに行っている感覚をもらえます。

自分ではだんごっ鼻で可愛くなかったと繰り返し書いているのですが、70年代に彼女の作品に直面していたわたしは、向田さんの写真を見てお気に入りだったし、エッセイを今読んでも、その意地の強さや頑固さやお茶目さがなかなか素敵で、ヒトの味わいのようなものを愉しませてもらっています。

◎◎
◎◎

向田さんは観察眼が鋭いのだと皆さんが評されます。
それは、誰もが見た景色であり、一瞬であったのでしょうし、ときには会話であり音でありました。

わたしたちが幼いころと、現代っ子が幼いころとでは大きな隔たりがあります。
当然、同じように、向田さんの幼いころとわたしたちとも大きな隔たりがある。
戦争というものも存在したし、戦後というモノクロの社会も存在した。

向田邦子は、幼いころに聞いた或る日の朝の音をしっかりと書いています。

まな板は大振りの木でできていて、その上で母が大根や葱を切る。
そんな音を捉えている。
卵や納豆だけでご飯を食べる風景もとどめている。
心を風景で描いて無音にして解説してしまう。
卵は高価であったと書く。
お父さんの月給が130円家賃が17円の話も記録する。
わたしが子どものころ、母から聞かされたような話が続く。

現代っ子にこのような生活や文化をわたしたちは話したことがあっただろうか。(今は大人に成っているけど)子どもたちは、そんな話に興味を持ったり耳を傾けたりしたことがあっただろうか。

その姿勢の衰亡が現代社会を枯れさせたのか、枯れたからそんな姿勢でモノに耳を傾けなくなったのか。答えを出しても仕方のないことであるものの、向田邦子のこの随想が多くの人に読まれて、多くが共感したことは大いに意味深いことだった。

素晴らしいエッセイだったと評価が高いのはそれ所以でのことで、短編やつぶやきほどの短い随想集は、座右に置くにもふさわしい気がします。

電車のなかでマーカーを持って、職場では手元にある付箋を貼り付けながら読み進むのですが、あっという間にマーカーの意味があるのかしらとさえ思えてくるほど、付箋だらけマーカーだらけになってしまう。

おしゃれは言葉で。そんなことを書いた作品もあった。そのおしゃれに全部マークを付けたことになりました。

最後にもう一つ。

向田さんは爪を噛む。
そのことを隠すことなく至るところに書いている。
作品が身近に迫って、作者の姿が浮かんでくるのは、このせいだとすっと思いながら、愉しく読ませていただいた。

読み終わったときに、ありがとう、と言って机にそっと置く。そんな一冊だった。


父の詫び状

2013年11月 8日 (金曜日)

冬布団ぬくぬく  ─ 立冬篇

7日は立冬でした。何の変哲もない1日と思ったら、夕方家に帰るつく直前で時雨に降られた。そんな季節になりました。

▼冬布団みな一斉にベランダへ

(6日)朝は暖かい日差しがさしていたので、どちらの家もベランダの手摺に布団が並んだ。

▼木枯らしや木戸をバタンと閉めにけり

4日には近畿地方に木枯らし1号が吹いた。それほど寒いと思わなかったのは、窓のこちら側から景色を眺めていたからだろう。

▼南天の赤だけ脳に焼き付いて

隣の庭に赤い実をつけている南天。ピラカンサには刺があるということを教わったあとで南天を見るとやさしそうな実に思える。私のドラマでは少し刺がある方がいいのかもしれない。

▼冬の鍋死んだオヤジの箸の癖

▼冬支度あなたの味を思い出す

大波小波を伴いながら潮が満ちてくるように、寒さがじわり・ザザザと押し寄せる。その度に、今夜はお鍋にしようといってコンロの鍋をつついている。

父と母と弟と、鍋をつついて夜を過ごした日々は、もう40年も昔のことになる。貧しい家であったので、鶏の肉をざっくり土鍋に入れて、畑でとれた野菜を放り込んであっただけの鍋だった。今のように洒落た味付けなどなかった。ポン酢の酸っぱかったのだけが鮮烈に記憶にある。

▼ねぶか持ち蕪村のごとく夜寒かな

月のはじめに母を訪ねたら、畑に出ていたのでそこまで行って、白菜がほしい、と願いでたら、まだ時期が早いわ、と言う。玉葱の植え付けで忙しいので、余りゆっくりと話をできなかったが、手伝わずに帰ってきたことを後悔している。もちろん、今までに一度も手伝ったことはないのだが、一度は手伝わねばとこのごろになって思う。手伝わんでくれ、手伝われたら明日逝ってしまうかもしれんわ、と叱られそうな気もしている。

柚子もたわわに成っている。母は柚子風呂にゆっくりと浸かるような性格でもないし、あの柚子はどうなるのだろう。ドロ土だらけの大根と竹籠(しんぐり)に一杯あった柿をもらって帰ってきた。

▼昼過ぎに畑で掘った大根をおろす

▼老夫婦小さい鍋でおでんなり

もらってきた大根をおでんにして食べた。

ムスメは用事ができて帰りが遅くなるという。

そういうことを、ほのかに喜んでみたり、未来を想像して、色々と思ってみたり……の毎日が過ぎてゆく。

2013年11月 4日 (月曜日)

箸の癖

▼冬支度あなたの味を思い出す

▼冬の鍋死んだオヤジの箸の癖

▼ねぶか持ち蕪村のごとく夜寒かな

▼松茸を山ごと残し父は逝き

▼銀色に光る秋刀魚や箸焦がす


こんなメモが残っていた。

どこかに投稿したのかもしれないが、掲載もされず消えてゆく運命にあったのだろう。

救済してもいいだろうと思って、五首だけ切り取ってきた。

(ほかにもいくつかあったので、くまさんに任せる)

2013年11月 3日 (日曜日)

向田邦子 夜中の薔薇  (予告篇)

向田邦子を読んでいます。飛び切り古いものを買ってきました。飛行機事故で亡くなられたのが1981年8月22日ですので、その2年余りあとに文庫化された「夜中の薔薇」という作品です。

向田さんは昭和4年生れでわたしの父や母と2歳違いです。それだけに、記述の内容の隅々までが、父や母の、特に母の呟きやボヤキ、ため息と共振していて、わたしに迫るものがあります。

エッセイは、20歳代から50歳に至るまであらゆる日常のことに触れていて、30年前にわたしを育ててくれた父母や身近な人たちに時代を飛び越して会いに行っている感覚をもらえます。

自分ではだんごっ鼻で可愛くなかったと繰り返し書いているのですが、70年代に彼女の作品に直面していたわたしは、向田さんの写真を見てお気に入りだったし、エッセイを今読んでも、その意地の強さや頑固さやお茶目さがなかなか素敵で、ヒトの味わいのようなものを愉しませてもらっています。

向田邦子 夜中の薔薇

2013年11月 2日 (土曜日)

わからぬまま

本当に好きだった人とは
実は本当に好きだったのかどうかさえわからないままで
別れなくてはならないのかもしれない。

確かめることも出来ずに
そしてわたしの気持ちとしては
好きだったのに引き裂かれてしまう悲しみに苛まれながら
そこで流す涙を
誰にも理解してもらえないままで
その場を去らねばならない。

事件か
事故でもない限り
そう簡単には物事は崩れないと
安易だったのかどうか
そう考えていた。

しかし、
そうでなくとも簡単に瓦解することもあるのだ。


と、
そんなメモが見つかった。

2013年11月 1日 (金曜日)

こぼれ話 4 雨宿り 花も嵐もⅡ その63

バイクツーリストに雨降りはつきものであるものの、やはり降られるのは嫌です。朝起きて荷造りのときに雨が降っていたりしても泣きそうになる。

今回は、朝からの雨ではなく、山中で遭遇する突然の夕立の話です。

四国の与作国道(R439)を西に向かって走っているときでした。今は与作も拡幅されたりトンネル化されていますけれども、わたしが走っていたころは、徒歩の歴史的な峠道の脇にできた荷車道程度のものです。しかし、このタイプの峠が、バイクで越えてきた経験では最も素晴らしく、いわゆる初期型の峠越え街道でした。

そんな感動的な道を越えてゆくのですが、一度、峠の途中で突然の夕立に遭遇しました。高知県のど真ん中あたりにある追手前高校吾北分校の生徒さんたちのバイク通学の列に挨拶されたことがありましたが、その付近でのことです。(吾北分校のみなさんとの出来事とどっちが先だったかは今となっては記憶が曖昧です)

夕立は突然来ました。ツーリングも年季が入ってくると、すばしこくなるのですが、のんびりのびのびと山の中を走っていたのでしょう。雨が突然来たので、道端の小さな庇がある小屋に飛び込みました。立っていても足元が少し濡れるほどの小さな屋根でした。雨も容赦もなく降りました。それだけにほんと助かりました。

この屋根の下に、わたしが飛び込んだときに間髪をいれずに飛び込んできた女性がありました。いいところに、ちょうどいい小屋があって助かったね、というような話をして小降りになるのを雨雲を見上げなから二人並んで待ちました。

どこまで行くの?と聞いたと思いますが、答えは覚えていません。どこから来たの?も聞いたけど、それも記憶に無い。旅から帰った直後はバイクの名前も記憶していただろうけど、それも忘れた。

名前や連絡先を聞いて、地図の隅っこにメモをしたりすることも頻繁にありました。このときのこの人との記録は残っていませんが、今でもふと四国の深い山の中に散らばった集落を見るとあのときの通りがかりの出来事を思い出します。

ただ、今思うに、このごろのバイクツーリストってわたしのあのときのように、気安く、そしてざっくばらんに話を始められないようで、今と昔のバイクの旅文化にも少し変化が出てきているのかなと思います。

寂しい峠を一人で越えてきた女性はまだ結婚前の若くて可愛らしい子でした。あのころは、というような話をしてはいけないのかもしれませんが、みんな純朴で、旅に、ツーリングに、清らかな心で向きあっていたと思います。今のようにファッショナブルでもなく、合理的でもなく、格好もスラっともしていない。

だから、その旅人とのわずかな出会いでさえもが、旅の強烈な思い出に残るような、そういう小さな出来事の集まりのツーリングをみんながやっていて、ときめきを胸に走っていました。

もうそんな時代は来ません。

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