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2013年10月20日 (日曜日)

秋仕舞

▼里芋の皮を剥いている丸い背中

13日(誕生日)は日曜日、京都に行く予定だったので、その前に家を訪ねたら母が裏で里芋の皮を剥いていた。

サトイモ

笊に山盛りの芋を菜刀で剥いていたのを見て、子どものころ、裏の小川に晒して自動で皮を剥く水車のような道具があったのを思い出す。

あれは一般的なものだったのだろうか。そんな話を母としている。

菜刀で剥くので角がゴツゴツしている。もう歳なので、面倒くさいし、手先も器用には動かない。

▼日の暮れに鎌洗いたる秋仕舞い

サトイモを洗う姿を見て、さらに、父が鎌や鍬を溝(を流れる水)で洗っていたのを思い出す。土のついた刃から泥を丁寧に洗い落としてゆく。

あのころは、家の軒先を流れる川にも豊かで綺麗な水がいつも流れていた。農地が区画整理されて、水路が農業土木技術の論理通りに作り替えられてしまうことで、庶民と小川との暮らしの姿も変わっていった。

何事においても、ヒトの知恵や工夫が染み込んだものが姿を消し、合理性を求めた近代化のモノが当たり前になってしまった。豊かになったような錯覚である。

▼柿すだれ父が呟く声がする

柿を簾のように縁側にかけている家も見かけなくなった。里芋の皮を剥く母のうしろ姿を見ながら、柿の皮むきもこのようにコツコツとこなしていたのだろう、と思う。

菜刀の切れ味が悪いときは父が砥いでくれたのだろう。何しろ名人級の腕前であったのだから。近所の包丁も頼まれてよく砥いであげていたのを思い出す。

コツコツ仕事をするときに息子を横に座らせて、小言でもなく、人生哲学でもない、愚痴でもないことを静かに話しながら、作業をした父を思い出す。

作業とは、つまり、包丁を磨ぐことや柿の皮を剥くこと、道具を片付けること、縄をなうこと、注連縄を作ることなど、様々な農家の営みや暮らしの中にあることである。


ネットを探してみたら懐かしい写真があったのでお借りしてきた。

サトイモの皮むき

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