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2013年9月30日 (月曜日)

高速道路とビックバイクの時代 花も嵐もⅡ その57

高校1年の誕生日が過ぎてすぐに免許をとったのか、2年になってからだったかは記憶にない。しかし、駅まで単車で行かなければ通学が辛いので、それなりに急いで免許を取ったと思う。高校時代は県内を走り回っていたが、大学時代は忘れていた。

京都に就職をして車を買うより単車のほうが手頃であったので、GW明けからデルタ教習所に通い、学生時代に捨ててしまった免許を1ヶ月間ほどで取得した。

高校時代からCBが好きだったのでホンダにしようと思っていた。エンジンとサスペンションの進化に驚いた。むかし夢だったDOHCのエンジンが普通になっていた。車種は深く考えずにCBXというものにした。

このころから単車と呼ばずに少しずつバイクと呼ぶようになったのだろうか。洒落ていてちょっと好かんけど、単車と言うと通じないことがあるから困る。

(前置きが長くなるので大幅に省略しよう。)

■高速道路網

ツーリングに高速道路を使うのは特別な場合だけで、ほとんどの場合は下道を走った。今のように高速道路網はしっかりしていなかった。東名高速と名神高速。阪神高速くらいのものだった。中国道も山陽道も後で出来た。(今だに馴染みがない。)中央高速は全線開通していた。

信州に行くときに、資金がある場合に限って利用した。北陸道は富山あたりまでできているときに一度走ったが、それきり特別な理由もないのでオートバイでは利用していない。東北の高速は旅に利用できるほど充実した道路網を持っていなかった。九州は熊本あたりのコンビニで、東京からぶっ通しで走ってきたばかりだという子に出会ったことがあったので、やはり九州までの道路の骨組みは通っていたのだろう。

そんな時代の人間なので、高速道路を利用する旅は構想しなかった。旅は下道を走って道の周囲の景色が過ぎるのみて、必要に応じて休憩しながら距離を走るものだという感覚を持っていたといえる。

青森県まで二泊三日ほど掛けて走り続けたときも、高速道路を極力使わないで行った。かなり頑固に頑張っていたのだと思う。

しかし、20年ほど間に、オートバイツーリングのスタイルがそういう風潮ではなくなっていく。

■ETCの充実

バイクにもETCが付き、みんなが高速道路を活用し始める。わたしはそれに乗り遅れた。ETCに投資するほどの資金に余裕もなかったし、高速道路を走ることにまだまだ抵抗があった。(走るのが嫌いではないことはわかってもらえると思う。)

■ビックバイクの時代

バイクの排気量も大きくなってきた。スピードを出して高速を長時間走るにはこれほど楽なものはないだろう。しかし、大きなバイクで旅をすることにも旅の本質的な面で抵抗を感じていた。目的地まで行くだけなら大きいので結構だが、そこから先の旅の真髄の部分に大きばバイクは不要だった。

私自身がバイクそのものを操って走り回ることを愉しむタイプではなかったからだろう。だから、ETC利用者が有利な価格で高速道路を走るスタイルや旅先で大きなバイクが目立ち始めたときから、そのうちバイクをやめて、徒歩か自転車か列車旅のスタイルに変わっていくだろう自分を夢に描くようになった。

そんなときに、キャンプ(野外活動)ブームのようなものが起こり、便利なグッズと充実したキャンプ施設が急増し、それを紹介するバイク雑誌や地図雑誌が常識化されて、嗜好の違うバイクツーリストたちが目立ち始めた。

私の性格からして、もうそこで終わりだった。いつバイクをやめるのか。思い切れない日々が少し続いた。

2013年9月29日 (日曜日)

今朝はまたあの人想う彼岸花

快速みえ

▼悲しいと書いて直した恋しい赤

23日に「恋しい赤」 と書いたのは、誰にも言わない理由があったのだろうが、それはそれでもうそのうち忘れてしまっても構わない。

わたしには不安と心配があった。それは、これらの喜びや悲しみ、憎しみなどの感情が、やがて消滅してしまうことだ。いっとき、この心配が募って頂点に達し、この上なく焦っていたのだった。

写真は通勤列車の車窓から。
もう赤い花も枯れ始めている。

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何も焦ることなどなかった。

28日につぶやきで

▼今朝はまたあの人想う彼岸花
▼彼岸花燃え尽きてゆくちりぢりに

を書いてから、ぼんやりと過ごしてみた。

今年、4月1日に【雷山無言】 に書いた

恩を返すを読み返してみたりして、自分のブログには纏まりが欠乏しているし、不要なことが多すぎて焦点がピンポケになっていることを反省している。

アンダーラインなどを引いてみたので、今一度、立ち寄っていただけるととても嬉しいです。


そんなことをしながら、ブログに隙間をあけている。

昔は半月に1回ほど、【裏窓から】だけを書くことを愉しんでいたのに、歳を重ねると苦言が多くなるのは致し方ないことか。

さて、「花も嵐も」の続篇を書こうかな。(これも纏まりがなくポイントもなく連続性にも欠けているが)

そんなことを考えている9月の暮れです。

2013年9月26日 (木曜日)

無謀なこと 花も嵐もⅡ その56

無謀なこと、というタイトルを書いてあの頃を回想して反省している。

生きているから反省できるのだ。ということで、思い出すことを幾つか書いてみよう。

■スピードを出してガンガン走ったこと

よくぞまあ転倒したりせずにやってこれたものだ。ツーリングには無謀な速度は絶対に禁止としなくてはならない。これは全般に渡って言えることだ。

スピード違反で検挙さたことはなかったものの、知らない町に出かけて、快適だからといって、スーパー農道をぶっ飛ばしてはいけない。

まして、有料道路や観光道路を飛ばすなど、ツーリストとして残念な行いと思う。

それほどぶっ飛ばしたわけではないけど、

■横着をしたり無理をしたこと

面倒なので停止休憩をしないで走り続けたことが何度もあった。大雨(大嵐)の夜の高速を一気に長野から家まで走って帰ってきたことがあった。帰り着きたい心や逸る気持ちはわかるが横着をして暴走をしてはいけない。

それが……(続く)

■雨の高速道路

家へと急ぐ。しかも雨降り。あーあ。宿を探すよりも一気に家まで走ってしまおう、と考えたのだ。

夜中。雨降り。高速道路。

まさに、宇宙アドベンチャー映画の戦闘機の操縦シーンのようだ。遠くに見える車のテールランプに向かって突っ込んでいくような感じで走り続ける。

■オンロードのバイクで未舗装道を走った

限度をわきまえなかったことがあった。結構病みつきになるので気をつけた方がいい。

牛首峠に迷い込んだのが初期の頃だ。利賀村にそばを食べに行って、帰り道のルートで牛首峠を越えたときだ。

線路の石ころのようなバラストのダートに迷い込んで、それが間違った道であったと気づくのは、帰ってからゆっくり地図を見た時だった。

2013年9月23日 (月曜日)

恋しい赤  ─ 秋分篇

赤いバンダナを鶴さんがわたしにくれたことで、
バイクで旅をするときには、
いつも赤いバンダナをわたしは首に巻いていた。

トレードマークという言葉を昔は使ったが、
それにふさわしい赤であった。

鶴さんから悲しい便りがあったあとか、
まあそんな似たようなときに、
泣けるのを我慢してバイクをぶっ飛ばしてしまったことがあって、
奇しくも鶴さんがくれたバンダナは、
知らない間にほどけて何処かに飛んでしまったのだった。

そんな悲しい物語。
そこで終わりにしたくないので、
新しいバンダナをツマにせがんで買ってもらって、
ずーっと旅には使い続けてきた。

今は旅をしなくなったので、
家のどこかの衣類整理したボックスで眠っているのだろうと思う。

それでいいのだ。

彼岸花

真っ赤に燃える太陽…とか
赤く激しく燃える私の心が…とか
弾ける真っ赤な血潮を…とか
真っ赤に流れる僕の血潮…とか

わたしたちは情熱的で激しく、
ときには過激とも言えるかもしれない昂ぶりを、
赤色で表現しようとしてきた。

ところが、ほんとうは、
その時イメージしているものや眼の前にあるものは、
赤色ばかりではなかった。

ドス黒く暗い赤色かもしれないし、
もっと弾けるような紫色かもしれない。
生臭い血痕そのものだったかもしれない。

または、情熱を弾き飛ばすならば少し橙色がかっているかもしれない。

しかし、それを「赤」と呼んだり歌ったりしなければならなかったのだ。

頭のなかには、世の中に存在しないかもしれない純粋な赤が焼き付いている。
それは、赤色の絵の具でさえも描き出せない赤であった。

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▼夕立の傘のスケッチ傘だけ赤い

鶴さんと鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮で撮った写真は赤い雨傘が写っている。
そのイメージだけで、傘を17音に綴るとそうなった。

バンダナを巻いて旅に出なくなったわたしは、
どこか、落ち着ける場所を探しているように
ふらふらと歴史街道を歩いていたりする。
ひとりで歩いている。

▼コスモスに尋ねて迷う古道かな

秋分って、
こんなに赤が恋しい季節だったのだろうか。

2013年9月22日 (日曜日)

日暮れ

夕焼けに
カラスの1、2羽悲しそう
鳴いて悠々、飛んでゆく

今宵、まあるい月が出て
母の丸めた月見の団子
おころと呼んでお供えに

熱燗恋し秋の日暮れ
内緒の話をひとつ聞かせましょうか

満月

おころ丸め今年も秋を迎えをり

2013年9月21日 (土曜日)

なすび

なすび

9月19日 (木)のおゆうはん。

暑かった夏も終わって、
やれやれとひと息ついています。

なすびがおいしかった夏や初秋から
肌にキリッと冷気の染み入る秋になり
食べ物の趣が少しずつ変化する。

寒さに備えてエネルギーを取らればならないと
古代人が考えたはずはないのだが
自然というものは不思議なもので
口を肥やすようなサンマであるとか
食後の満足感を最上に満たすような甘い果実などがおいしい。

先日、家に顔を出して母になすびをもらってきた。
新米はまだついてないから今度来たときにしぃ。
今年もなすびは終わりやな。しまいのなすびや。

そう言ってなすびを袋に20個ほど入れてくれた。

わたしだけの台所なら、
それは間違いなくほとんどを漬物にしてしまうのだろうが、
生き方の違いでそうも行かない。

煮浸しを食いながら花かつおを探している。

2013年9月20日 (金曜日)

栗ごはん母の苦労を今に知り

栗ドーナッツ

ミスドに栗ドーナッツというものがあるらしい。

早速、食べてみたい。

ムスメさん、連休にお仕事でお出かけしたので、帰りに買ってきてもらうようにお願いした。


交通安全フェア

2013年9月19日 (木曜日)

松本清張 黒い樹海

松本清張 黒い樹海

2020年、東京オリンピック開催のニュースは多くの国民を釘付けにした。ちょっとそのときに(暇なので)、我が家の本棚の奥をゴソゴソとしていて、偶然に手にとった小説が昭和37年発行の松本清張「黒い樹海」だった。

昭和35年ころの東京が舞台。出てくる列車はもちろん(推測だが)蒸気機関車で、自家用車も少なく、都心から東京都の外れまでを車で移動するようすを「桑畑の中を突っ切って」などと書いている。

遠藤周作の小説を読んでいても世田谷の住宅街にはまだまだ沢山の自然に囲まれた里山があったことがわかる。武田百合子の「富士日記」にもその頃の自動車事情が伺える箇所が幾つもあったのを思い出す。武田泰淳は東京オリンピックの年に富士山麓に別荘を建て住み始めた。そのころのようすのわかる人が読むと、文学とは別に、ひと味違った面白みが楽しめる。

松本清張のこの物語は、複数の犯人候補のアリバイを崩しながら進展する。何しろ昭和35年ころの社会を舞台に、新聞社に勤務する二人の男女が犯人を探すために知恵を絞る。スタイルとしては非常に古典的な(このころは斬新だった)ものだ。

まだ一般家庭にテレビさえ普及していないころである。サスペンスではなく推理小説は市民にとって日常のオシャレで格好良かった余暇の読書ネタであったのかもしれない。戦前文学や明治文学に割って入り、後に確固たるステータスを得るこのような推理小説というものに新し過ぎて反発していた人も多かろう。

しかし、間違いなく人々は松本清張の創り出す、後に社会派推理というように呼ばれる小説に魅了されたことは間違いない。

おもしろい。 時代を超えて読んでもこれほどおもしろいものはない。

その後、テレビドラマや映画が数々の手法でこのジャンルの作品に挑む。確かに現代ではサスペンス物として冷めた見方ができるかもしれないが、作家の持ち味や苦心、意欲、知恵、工夫などがすべて盛り込まれている惹きつける力と面白みを備えた最高傑作と思う。

主人公とともに事件の真相に迫る男性新聞記者。これがまたある意味でちょっとダサくて、もしや真犯人ではなどと思った私はいかにも現代的な視点だったのかもしれない。

絶対に終章を最初に読まないでください。

松本清張 黒い樹海

2013年9月18日 (水曜日)

嵐去り濡れた戸板をそっと拭く

▼嵐去り濡れた戸板をそっと拭く

9月16日にこんな句を残している。

┘┘

ふっとそんな言葉が蘇った。情景が頭のなかに散乱する。

昭和34年には伊勢湾台風。その2年後の9月16日には第二室戸台風がわたしの地方に大きな被害を与えた。

2回あれば、それは「たくさん」と呼ばれるように、この後9月16日は台風がよく来る日になってゆく。秋はやれやれとひと息をつく油断の時だ。稲の収穫も控えてもう一頑張りをするためにバックスイングをしているような一瞬を狙って嵐はやってくる。

今の時代は、コメの品種改良が進んで、背が低く風にも強い米が考案されている。コシヒカリは、風水害に弱く、秋の嵐で打撃を受けることが多かったのだが、現代ではこの9月16日までに刈りとってしまえる農家も多くなってきた。

┘┘

16日の朝に襲いかかった台風18号は、当地方に強風こそ吹かなかったものの、雨は夜通し降り続いた。台風の雨には風格がある、とさえ思うほど雨戸を打ち続けた。一部の地方では突風や竜巻を引き起こし、また別の地方には大雨をもたらして、全国的に浸水被害のニュースが相次いだ。実家のある車折付近から嵯峨・嵐山にかけても避難指示が出たという。嵐山の旅館街では今までにない水害となっている。

タイトルに書いた「戸板」だが、このごろはどこにも見かけることはなくなった。アルミサッシが当たり前で、嵐の前に家中の窓に戸板を打ち付けていた時代を知る人も殆どいなくなった。

敬老の日を迎えた9月中旬、65歳以上が4分の1であると報道するのを聞きながら、そんなに大勢の年寄りがいるのだと驚き、戸板を知っている人も僅か4分の1であると寂しくも感じた。

子どものころは家の台所の土間は広く、中を三輪車で走り回れるほどの広さがあった。外のトイレには出られぬため、その一隅に担桶を置いてトイレの代わりとし、居間にはろうそくを1本灯し、みんなで寄り添って台風が過ぎ行くのを待った夜があった。

自然に畏れをなしていたけれど、媚びているところもなく、負けているわけでもなかった。こういう夜を思い出す度に、人類は強くなったのだが、ある面ではそれは虚像だと思わざるをえない。被害のニュースが引っ切り無しに続く。

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2013年9月17日 (火曜日)

十三夜

月が東の空に浮かんでいて、白い光を柔らかく放っていたのをチラリと見ただけだというのに、その足で部屋に入ってペンを持っても、そこには駄文を書くことを許さないような張り詰めた強かさがあったのだった。

弱気になって、ほろりと本音を書いてみたい夜だってあるだろう。でも妖気はそれを許さないで、貴方はゲーテのように熱く語ってくれればいいじゃないかと、わたしに語りかけるようだった。

ある夜に激しい愛が、私を束縛したことがあったように、何かがわたしを、冷気を含んだピュアな眼差しで見つめている。

十三夜もしもあなたを盗めたら

2013年9月16日 (月曜日)

美しいレーダー画像(台風18号)

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静かな朝を迎えています。

2013年9月14日 (土曜日)

初サンマ

サンマ

夕べは、今年はじめてのサンマを食べました。

焼いて大根おろし、ではなく、少し工夫をしてみました。

大根おろしってのは、ほんま、何でも合う。

2013年9月13日 (金曜日)

キスのフライ

朝夕がとても過ごしやすくなり、夏から秋へと季節が移ろうようすを肌身に感じます。食楽・健康・読書・スポーツなど、身体がいくつあっても足りないほど誘惑に満ちているのですが、秋は短く感じられます。

キスのフライ

13日のおひるは、キスのフライでした。

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2020年に東京オリンピック開催のニュースは多くの国民を釘付けにしました。

ちょっとそのときに(暇なので)、我が家の本棚の奥をゴソゴソとしていて、偶然に手にとった小説が昭和37年発行の松本清張「黒い樹海」でした。昭和35年ころの東京が描かれています。出てくる列車はもちろん蒸気機関車で、自家用車も少なく、都心から東京都の外れまでを車で移動するようすを「桑畑の中を突っ切って」などと書いています。

遠藤周作の小説を読んでいても世田谷の住宅街にはまだまだ沢山の自然に囲まれた里山があったことがわかります。

武田百合子の「富士日記」にもその頃の自動車事情が伺える箇所が幾つもあったのを思い出します。武田泰淳は東京オリンピックの年に富士山麓に別荘を建て住み始めました。そのころのようすのわかる人が読むと、文学とは別に、ひと味違った面白みが楽しめます。

身近な生活環境でも昭和を思い出すものが幾つかあります。今の季節ならば「すすきぼうし」や「はさ掛け」などは懐かしくなりつつあります。なかなか見ることができなくなってきました。

オリンピックがある2020年のころ、このような自然や社会の姿はどんな形に変化しているのでしょうかと考えるとちょっと楽しみです。(当県での国体も2021年にあります。)

2013年9月12日 (木曜日)

栗きんとん

栗きんとん

かれこれ20年以上昔のことですが、せっせと信州にツーリングに行ったころがあります。GWと夏休みは、四国と東北に行っていましたから、それ以外のときに行きました。

秋の味覚と紅葉を訪ねて中山道をひたすら北に走って、疲れ果てていても、またその道を帰ってきました。ときには飛騨方面の道であったり三河の山道であったりしたけど。

中津川の人影も寂しい小さな土産物屋さんでバイトの人と話しているときにその人の口からこぼれた店の名前が「すや」「川上屋」の二つでした。

そのときに初めて行った「すや」さんは駅前の小さな和菓子屋さんの雰囲気で、ゆきずりの旅人なら間違いなく通りすぎるような店でした。

時代の波に共鳴できたのでしょうね。今はどちらの店も行列のできる立派な店になりました。

こういう素朴な味をそっと、ひとりの人に届けるためにある店ではなくなってしまったという印象がありますので、ほかの素朴で小さな店を見つけるために街道を歩きたいなとも思います。

今の時代を生きる私たちの国の人たちは、テレビやスマホから数々の情報を得て、それを纏いながらゆきます。

でも、旅には出会いが付きもので、出会うものが何であれ、予測のないものでなくてはならないのだと思います。

この栗きんとんの味を創り出した人やその心、暮らしに少しでも触れてみたいから、纏うものを脱いで旅に出たい。そう思っています。

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理屈めいたことは「花も嵐もシリーズ」にゆずりますね。

2013年9月11日 (水曜日)

優しく包む魔法

 この街に暮らす理由も故郷に帰る理由もなくミカン食む
これは「それはそれは」(おとも)さんのなかから引いた。

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私は文芸に口出しを出来るような才もなければ技もないし、素養もない。大学在学中に必須として単位取得が危ぶまれ卒業直前の試験の答案に「就職が決まりましたので何卒単位をください」と書いた科目があって、それが今一番仕事で活用されているような皮肉な人生を歩んでいる奴です。そんな私が書くのだから、すっからかんの中身だろうって思っておいてください。

しかし、この人の作品が私の触手を止めるのには訳があるのだろう。突き放した悲壮感や、自分を憐れみながら讃えている自信のようなものと諦め。しかし劣等感に似たものはない。だが、自分のもつ美を発散する強いパワーが有る。嘘っぽい冷静さのようなものもある。そんなことを書いたら狡くて悪魔のような人?となる。

そしたら、彼女自身が

「自分の中にずるくていやらしい甘えた部分があって、なにかうまくいかない時、それは震災や誰かや何かのせいではなく、自分のそういう部分が原因なんだって、ほんとうは気づいてる。」

と書いている。別に膝を打つほど共鳴したとまで言わないけど、私はこういう冷たい視線のヒト(女)にすーっと興味を持って、結構抜けられないファンで居たりする。

□■

人生においては、(あらゆるものを何かと)否定をしてはいけないというのが通説だ。このうたは「理由もなく」と歌う。否定で切り入る。「故郷に帰る理由を抱きミカン食む」ではないのだ。

私にはわからないけど、短歌を評論する人の間では常識的な物があるのかもしれないけど、否定は好きです。それが持つインパクトと不平や不満のようなものがそこにある。

自らが持つ、自信と劣等感、自己顕示欲、そして嬉しがり屋で寂しがり屋、さらに、泣き虫で頑固さ、それに素早さと慎重さなど。そういうものが、この世界には大切と思う。

++

ええ?
歌人にはその中の何が最も大事ですかって?

そういうアンバランスで捻くれているモノを、優しく包んで魔法にかける力でしょう。私はそう考えています。

おひるは、ころうどん(寿がきや)

寿がきや ころうどん

お昼は、寿がきやのころうどん。

スーパーでもまず間違いなく安売りしませんから、季節が終わるまでに食べておこうということになりました。

+ +

大腸ポリープは、去年と変化なし。
5ミリほどのものがあったために引っ掻き取って生検に。
2週間後のお楽しみ。

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■□

宅配ピザ(大)を広げたほど母の大腸と周囲を切り取ったのがオーム、サリン事件の後のこと。現在も生きているから、わたしにもそのDNAが流れているのだ。

あのときは、6人部屋の残りの5人が2,3ヶ月の間に次々に亡くなっていったから。

わたしにも長生きの血脈は少しはあるかな。

今夜はおいしいものを食べたいな。

大腸カメラ検診

下剤 下剤

1年ぶりの大腸カメラ検診を受けます。

2013年9月 7日 (土曜日)

ぶどう ─ 白露篇

お盆が過ぎて稲刈りが真っ盛りのころに生家を訪ねた。 母が近所のKさんにぶどうをたくさんもらったというので、おすそ分けでもらって帰った。

巨峰のような大きな粒だが,巨峰ではないらしい。みんなには名前のことなどどうでも良かったのだろう。普通のぶどうだと説明していた。種なしにする薬も使わず農薬もまかないぶどうだ。

種がある。
つぶも幾分不揃いだ。しかし、味は、おそらくこれまで買ったものも含めて未経験な旨さだったのではないだろうか。

不揃いのつぶの中には、旨くないものもある。全てが旨いと言うわけではない。

子供のころ、家の前の小屋に鶏をたくさん(100羽ほどいただろうか)飼っていた時期があって、そのころには小屋の前にはぶどうの木があった。

父が健康を崩してたために、農業に打ち込めないから鶏を飼ってみたりぶどうを作ってみたりしたと母はいう。

ぶどうが手間がかかることは作った人なら誰もが知っている。そのころは、袋掛けも新聞紙を工夫してしていたと思う。文明が技術を取り入れていない時代だ。つい先ごろのことだけど、実際、そんなにのんびりとしていた。

1年に1回だけ実をつけるものに父は一生懸命情熱を注いだ人だった。お米も野菜も。失敗したらまた来年だったのだ。

■□

あのころのぶどうも美味しかったのだろうなあ。踏み台で木に登ってもぎ取ってボリボリと食べたなあと思い出しながら、もらったぶどうを食べた。

ぶどうでも他の野菜でもそうだが、自分(家庭)で食べるだけの木を栽培すれば虫がつきにくいという。つまり、農薬も要らないので、品質も良くなるし育てるのが楽だ。

キウイもたくさん採れたころがあった。買い物カゴに5つにも6つにもなってしまって、ジャムだとか酒にするような洒落たことを母はしようとしないから、棄ててしまうのだが、わたしも2,3個もらって帰っただけでその後は任せておいた。

ぶどうは、美味しかったので、またKさんくれないかなあ。

うちの庭でも作ろうか。 毎度のようにそういう話が出る。

しかし、メロンを作ろうとしたけど、始まりから面倒でほったらかしになっているくらいだから、ぶどうだって無理だろう。

ぶどう、みかん、すいか、もも、かき、など、我が家でできる野菜や果物はどれをとっても美味しいものが出来る。美味しくなる条件は、美味しい地下水と適している土が必要で、これはお米を食べても歴然としているのでマル。やはり、作物と向い合う生活を取り戻すことが大事な条件になる。

農家の長男だったのは18歳までということに(恥ずかしかったので)していたが、定年後は家に帰って400坪の一角に家を立てて、300坪ほどの畑で野菜を作って遊んでいますってのもいいなあ。

猫も飼いたい。


「白露」と検索マドに入れたらいくつか出てきたので、メモとして貼っておきます。(自分のため)

2004年(平成16年)9月7日号 白露篇

2005年(平成17年)あらし去り白露がきゅんとすまし顔

2010年(平成22年)白露も過ぎて

2012年(平成24年)白露のころ

人類は甘いモノを発見してから優しくなった

写真を3枚あげたら、甘いものに目が行った人が多かったようだ。

人類は甘いモノを発見してから優しくなったのではないか。そんなことをふと思った。

動物に限りなく近い古代には、チンパンジーに甘いという言葉がないのと同じように、人類にも甘いとか旨いとかいう概念はなかっただろうな。

イカゲソ天

お昼ごはんは、多くないものをと考えていたのでゲソの天ぷら(かな?)にした。これだと200円なので、サラダも食べることにして、健康のことを気にするこのごろであるゆえ、ごぼうサラダとなった。(100円)

久しぶりに食べるイカは旨かったし、ごぼうサラダはわさびが効いていてとてもさわやかな味だった

ごぼうサラダ

家に帰れば、ムスメの帰宅を待ちつつ早い日は食卓でちびりちびりといただく。きょうはその脇に甘いモノがあったので面白半分にブログに載せてみたら、みなさんはそちらのほうが興味が有ったらしい。それとも、衝動的にプチッとボタンを押してしまうようなものなのか。

津れづれ

9月11日に腸の検診を受ける予約をしてきた。10日の火曜日から摂食しようと思う。ここ2回は完全に排泄されずにスッキリしないような検診となったので、こんどこそは上手に行きたい。

母が特大ピザを広げたくらい大きく大腸とその危なそうな周辺部位を切り取ってもらったのが、オーム・サリン事件が発生した年だった。

6人部屋の5人が次々と亡くなっていくなかで、自分は癌だと知らずケロリとしているのだが、本当の心の奥はどうだったのだろう。

いつ死んでもいい、近所の老人会の順番からすれば、次が誰々でその次が……でその次が自分だという。

糖尿も多かれ少なかれ症状が出ているし、高血圧にもなる。気の毒だが甘いモノを控えてもらわねばならぬ、と言い出しかねているわたしの前で、旨そうに昔から一向に変わらない料理を自分のために作って暮らす。

旨いことは、掛け替えなく大切なことだ。そう思う。

甘党は母親ゆずり、悔しいけど ねこ

2013年9月 4日 (水曜日)

夜もふけて障子を閉める音に秋

▼煙草燻らすキミに便り溜め

9月2日の朝の列車の中からそんなことをつぶやいていた。砂女さんのブログ(句)を読んで感想をまとめられていないので、ああ、忙しくもないのに何を後回しにしているのか、と考えたのだろう。

宮崎駿が監督を引退する記事がこの日の朝刊1面に小さく載った。わたしは、「引退なんてしなくてもいいと思う。芸術をする人が引退って、どんな概念なんだろう。感性を止めることなどできない。」とメモをした。

▼九月雨口笛ふいて上を向く

暑かった夏を忘れて、寒くもない今の季節である。

雨は、悲しい雨の歌を生んだ一方で、昔職場にいた明るいA子さんという女の子は「悲しくなんか無いですよ、雨に歌えば♪という歌があります」とケラケラ笑った。彼女はT君という人のお嫁さんになって、Tくんは京都のオ社のニュース記事にまで出てくる人になっていった。彼女の明るい人柄が生きているのだと信じている。

そんなことを思い浮かべながらわたしは上を向いたのだった。何故上なのかは物語に任せよう。

鈴虫がお題(季語)にあがっていた。砂女さんは

□  996  鈴虫の声する方が帰る方 砂女

と詠む。わたしはコメントに

わたしの父は事故が原因の病気で耳が殆ど聞こえませんで、人生の大方をそんな耳で暮らしてきた人でしたが、鈴虫を愛している人でした。生き物(動物・植物)を大事にしたという人と言う方が正しいかもしれません。

と書き始めて想いの続きで何を考えていたのか綴らずに返信してしまっている。ま、それはそれでいいか。

2日の晩は、雨が降っていたのか既に止んでいたのか記憶に無いものの、わたしは窓を開けていつものように寝床から路地を見下ろして涼んでいたのであろう。向かいのおじさんが縁側の戸を開け放ってテレビをつけているのが見下ろせる。そろそろお休みの時刻も近かろう。

▼夜もふけて障子を閉める音に秋

秋風は麻薬のようにわたしに纏いつき、優しく撫でていきます。

こういう時間(時期)はだいたいが短いもので、まあそれでよろしい、人生は。

そんな風にして、エアコンもなく寝苦しく過ごした夏を許して、冬を迎える支度をするのだ。

鳥羽水族館・ソフトクリーム

てるてる坊主

竜巻が猛威を振るったニュースをあくる日の新聞で読んだ。遠い東の地方での出来事であっても、わたしたちの列島の何処かで同じことが再び起こることは十分に有り得る。

わたしは新聞で見たのだが、テレビのニュースやインターネットで見た人のほうが多いだろう。電波の届くところには瞬時に広まることで、わたしたちは同じ過ちを繰り返さないように知恵を絞ることもできるし、被災した人たちに支援をすることも出来る。

電話やファックスがない時代は、伝令が走って知らせたのだろう。人が駆けたこともあるし、人馬を飛ばしたときもあろう。

情報を伝達する電気というものは、大昔に得体のしれないものとして知られていたものの、その正体が見え始めるのは昔でいうと戦国時代であった。もちろん電気の概念が見え始めただけで、それで情報通信をするということは夢にも見ない。

情報通信というものは人々の暮らしを大きく変化させるものとなり、最初のころには「情報」という漠然としたものは概念として把握しておらず、情報こそが通信されるのもだと社会が(無意識に)気づき始めて、二十世紀になって画像情報の電送(伝送)などで有効に利用(悪用)されてきた。

戦争をするにも天気を予測するにも不可欠なもので、わたしの母校もわたしの卒業した学科も「電気通信」を先駆けと考える若人が集った時代があった。

それでご飯を食べさせてもらってきたにもかかわらず、情報拡散の技術革新が社会をダメにしたと言い続けている。正確には技術の選択を誤ったため……というのが正しいのだが。

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遠いところで恐ろしい竜巻というものが起こったらしい。神様のお怒りだそうな。

そうか。東の国には恐ろしい神様が居るそうじゃのお。

バチの当たるようなことをしておったら、いつかは自分にもバチが当たろうな。

雨も降らんのう。これも神様の怒りかのう。

そうじゃろうなあ。

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竜巻が発生しそうでも(発生してしまっても)科学技術で状況を予測判断して災害から逃れることが出来るのは科学技術のお陰です。しかし一方で、頻繁に発生するような異常気象をもたらすようになったのも人類の都合によるものです。

人口が一部の地域に集中し、便利さの追求のために交通が整備され、商業施設が充実し、「豊かさと幸せ」感を満足させるようなモノが溢れ、ものづくりから形のないものづくりへと技術が移動していきました。

おいしい、愉しい、感動する、悲しい、嬉しい、快感などの刺激を満たすものが身の回りに溢れて、不便・不快、醜い、汚い、イラつく、喧しい、痛いなどが消えていきます。

1円や5円の硬貨をゴミ箱に捨てる人は今のところ殆ど見かけませんが、その貨幣相当で買った紙切れ、水、電気、エネルギーなどは意外と簡単に無駄に捨てています。情報という形のないものや価値という得体のしれないものにもお金を注ぐし、そんな考え方が確立できていっそう社会システムが複雑になっていく。

てるてる坊主を作ったことをブログに書いている子がいました。

占いとかお祈りとかお百度参りとか。そういうものって、もうどうしようもない行き詰まった状態になって、親友にも偉い先生にも打ち明けても助かる見込みが無いようなときに、そっとひとりでその扉をノックするものです。そこには神様がいてこちらを見てくださっている。

情報通信の技術って、やっぱし、神様を奪った悪人の側面を持っている。

ずっと前から「工学者よもっと哲学者であれ」と言い続けているけど、わたしも力尽きそうです。

捨てるべき思い出

昔、FBIKE で交流のあった後藤さんとツイッターで再開した。そこでバイクのコトを少し。

「自分でこぐ二輪に乗ろうと思っている」と書いたものへの返信で

@wahaku  乗らないのは明白で 捨てるべき思い出なのだが 捨てられない病い ばらすような整備をしないからクロムメッキにはサビがでてきてとりかえしのつかないことになりつつあります 自転車は 肺がダメですから下りしか乗れない 思いつきで車に積む折りたたみを買ったが アイデア倒れ

— 後藤 清 (@kiyoshi_gotoh) September 3, 2013

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そこでわたしは

@kiyoshi_gotoh 「乗らないのは明白で 捨てるべき思い出なのだ」ときっぱり言われて、さっぱりします。乗りたくなったら乗ればいいし、残りの人生で新しい遊びも見つけねばならない。何よりも健康を増進する遊びでなければならないと日々考えています

— わはくま (@wahaku) September 3, 2013

と書いた。

2013年9月 2日 (月曜日)

ムラサキがおはようさんと月曜日

アサガオ

朝露に濡れているアサガオを見ると
書きかけの恋文の続きを書かなきゃ
と思うのですけど、なかなか。

情熱に燃えて人を愛しているときや
偲んでいるときって、
自分でも驚くほど名作が書けたりする。

もちろん名作と言っても
自分で気に入って満足するだけなんだけど。

紫色は嫌いなくせに、
今の前の車は少し紫がかった色だったし
キキョウが一輪挿に生けてあると間違いなく立ち止まってしまう。

そうよ。
きょうは月曜日で
昨日は、ある人に誕生日おめでとうってメッセージを書いて

いい朝迎えて、
ムスメさんは防災訓練で職場に早朝集合が掛かって早く行ったし

ボクはひとりで駅まで散歩を兼ねて歩いてきた。

▼ムラサキがおはようさんと月曜日

去年、根本から切られたイチジクも大きくなっていた。
いい匂いがした。

雨が降っていようが全然ブルーにならない。

いちじく

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