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2013年9月30日 (月曜日)

高速道路とビックバイクの時代 花も嵐もⅡ その57

高校1年の誕生日が過ぎてすぐに免許をとったのか、2年になってからだったかは記憶にない。しかし、駅まで単車で行かなければ通学が辛いので、それなりに急いで免許を取ったと思う。高校時代は県内を走り回っていたが、大学時代は忘れていた。

京都に就職をして車を買うより単車のほうが手頃であったので、GW明けからデルタ教習所に通い、学生時代に捨ててしまった免許を1ヶ月間ほどで取得した。

高校時代からCBが好きだったのでホンダにしようと思っていた。エンジンとサスペンションの進化に驚いた。むかし夢だったDOHCのエンジンが普通になっていた。車種は深く考えずにCBXというものにした。

このころから単車と呼ばずに少しずつバイクと呼ぶようになったのだろうか。洒落ていてちょっと好かんけど、単車と言うと通じないことがあるから困る。

(前置きが長くなるので大幅に省略しよう。)

■高速道路網

ツーリングに高速道路を使うのは特別な場合だけで、ほとんどの場合は下道を走った。今のように高速道路網はしっかりしていなかった。東名高速と名神高速。阪神高速くらいのものだった。中国道も山陽道も後で出来た。(今だに馴染みがない。)中央高速は全線開通していた。

信州に行くときに、資金がある場合に限って利用した。北陸道は富山あたりまでできているときに一度走ったが、それきり特別な理由もないのでオートバイでは利用していない。東北の高速は旅に利用できるほど充実した道路網を持っていなかった。九州は熊本あたりのコンビニで、東京からぶっ通しで走ってきたばかりだという子に出会ったことがあったので、やはり九州までの道路の骨組みは通っていたのだろう。

そんな時代の人間なので、高速道路を利用する旅は構想しなかった。旅は下道を走って道の周囲の景色が過ぎるのみて、必要に応じて休憩しながら距離を走るものだという感覚を持っていたといえる。

青森県まで二泊三日ほど掛けて走り続けたときも、高速道路を極力使わないで行った。かなり頑固に頑張っていたのだと思う。

しかし、20年ほど間に、オートバイツーリングのスタイルがそういう風潮ではなくなっていく。

■ETCの充実

バイクにもETCが付き、みんなが高速道路を活用し始める。わたしはそれに乗り遅れた。ETCに投資するほどの資金に余裕もなかったし、高速道路を走ることにまだまだ抵抗があった。(走るのが嫌いではないことはわかってもらえると思う。)

■ビックバイクの時代

バイクの排気量も大きくなってきた。スピードを出して高速を長時間走るにはこれほど楽なものはないだろう。しかし、大きなバイクで旅をすることにも旅の本質的な面で抵抗を感じていた。目的地まで行くだけなら大きいので結構だが、そこから先の旅の真髄の部分に大きばバイクは不要だった。

私自身がバイクそのものを操って走り回ることを愉しむタイプではなかったからだろう。だから、ETC利用者が有利な価格で高速道路を走るスタイルや旅先で大きなバイクが目立ち始めたときから、そのうちバイクをやめて、徒歩か自転車か列車旅のスタイルに変わっていくだろう自分を夢に描くようになった。

そんなときに、キャンプ(野外活動)ブームのようなものが起こり、便利なグッズと充実したキャンプ施設が急増し、それを紹介するバイク雑誌や地図雑誌が常識化されて、嗜好の違うバイクツーリストたちが目立ち始めた。

私の性格からして、もうそこで終わりだった。いつバイクをやめるのか。思い切れない日々が少し続いた。

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