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2013年8月31日 (土曜日)

タブラー

タブラー

8月30日 (金)

タブラーが届いた。

しょうこさんが

私にくれたの。

しょうこさんは

お嫁に行くの。

淋しいけど

幸せになってほしい。

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ちょっと叩いてみたけれど

むずかしい。

どーしよー。

2013年8月30日 (金曜日)

空回り秋風吹けばなおのこと

三重県熊野市紀和町西山地区のFacebookページを見て、文明というものは(暮らしなどを)便利にする何かなのだ、と勘違いをして30年も40年も突き進んできたことを、私たちは反省しなくてはならないのだと痛切に思う。この地域の発信情報だけではなく、日本中で活動をするこのような多数決で切り捨てられる人たちの熱意を無にしたくない、と大勢の人々が今、思い始めている。社会を動かせるようにするには、幾つもの工夫が必要で、限りないチャンスをくまなく生かすことも重要となってくる。

▼山里を訪ねし人の深呼吸

Kumano
(8月28日:Facebookページから)

 

▼空回り秋風吹けばなおのこと

お盆が終わるころに列島を襲った熱波はひとまず引いていった。

夜半過ぎに窓を閉めねばならぬほどの涼しい夜が訪れるようになってホッと一息ついたのだが、また少し暑さが戻っている。(29日ころ)

あのときの暑さには憎しみさえ感じたが、涼しくなれば許してやってもよかろうと思っているから、人間はアホとしか言いようがない。

秋風が吹けば、嬉しい半面、我儘になってまた季節の小言をぶつぶつというのだろう。

心が空回りをしているなと感じることが屡々ある。

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▼ほんとうに伝えたいこと言えぬまま

残暑見舞いも出しそびれている。
初盆にお供えを送ったら礼状を頂いき、簡単な挨拶をもう一度送りたい人がある。

50歳をまさに1歩か2歩、歩き始めたところでガンに罹って3ヶ月でこの世を去った(ツマの)友人。ここで便りが途絶えてはお墓にお参りに行くことさえできなくなってしまう。

秋風が吹き始めるころ。
こんなにまで人を恋しいと思うものだったのかと、ふと身に迫る。

数々の人々にお世話になり、元気でいるときはそれほど掛け替えのないものだとも感じず、遠くに離れて暮らしていれば(かつて親友と固く肩を組んだ仲であっても)便りが途絶えるのも仕方なの無いことであるのかと諦めてみたりもしている。家族があれば尚更で、誰しも身の周りの手の届くところで掴んだ幸せが一番大事なんだろうと妙に納得をしたりしていた。

確かに幸せとはそんなものだ。
最初は兄弟、次に父母。そして夫婦、子ども。最後には孫。限りなく細くなってゆく生命のつながりを辿って愛情は未来へと延び続ける。

やがて切れる。

切れて消滅してしまえば、霊になるのか仏になるのか、幽霊になるのか神に裁かれるのか、全く想像もつかないのであるが、数々の自分の犯してきた無礼のカードが襲い掛かるようなことも想像してみる。

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▼シッポナがよそ見しているラブレター

思いついた理由はナイショにしておく秋だから。

2013年8月29日 (木曜日)

ビールの時代

富良野の秋

8月になってお酒を飲むことを見直している。

きのう飲んだから今日も飲もうとか、夕飯だから飲もうというのはやめることにした。

おいしいお酒だけを、おいしく感じるときに飲む。

この酒、なかなかうまい。

ビールの時代は終わっていると感じる。

2013年8月28日 (水曜日)

追い越す

高茶屋駅を通過

わたしの最寄りの駅を出た列車は、快適に加速をして単線の鉄路を北へと走ります。

六軒駅雲出川を通り越して、一足先に駅を出た各駅停車を高茶屋駅で追い越して、次の駅に15分ほどで着きます。(6月の雲出川橋梁お盆の高茶屋駅

その間、運転席の後ろの窓に顔を押し付けて、子どもになったように景色を見ています。

きっと、一両目でわたしの方に向かって座っているみなさんの何名かは、わたしを羨んでいると思います。今度乗るときは空席がなかったふりをして、あそこに立って窓にひっついて景色を見ようと思っているはず。

2013年8月27日 (火曜日)

無謀 花も嵐もⅡ その55

あの年、四国を回って西に行くルートは、室戸岬経由だった。

真っ昼間のフェリーに乗ったと思うので、徳島に着いたのはお昼すぎ。最終目的地は、Mさん夫妻と待ち合わせるのは奥さんの実家のある宿毛市だった。

その日の夜は、日和佐の駅だった。

テントを持って行ったものの、ホームセンターで3000円ほどで買った安物で、設営練習もしないで行ったので日和佐駅付近の海岸のキャンプ場で設営に手間取り、最終的には挫けてキャンセルして設営料金も返金してもらって、半べそで日和佐駅の立会室でオロオロしていたのだった。

あのときは、未熟だった。旅慣れしていないとあれほどまでに先が見通せず腹も座らず不安にも襲われるものなのだ、と振り返ることができる。言ってみれば、ほろ苦い思い出になっている。

朝から西に向かって再び走った。甲浦駅で道草を食ったあとは北川村付近まで一気に行く。詰まらない道だったというのがその時の記憶で、その後、何度も四国に渡るが室戸岬経由のルートはない。

北川村では、北川村温泉というところの宿に泊まった。一軒宿風で、小ぢんまりしていました。夕刻には少し早かったのですが、温泉に入って気に入ったこともあって宿の部屋もとって、午後はゆっくりくつろいだ記憶がある。しかし、そこのおばあちゃんが大変な情報を教えてくれた。台風が来ていて明日にでも四国全域で降り出すという。バイクも慌てて宿の建物の中に仕舞ってくれる。

一気に不安爆発となってゆく。と言いながらも、暢気に考えていたところもあるのだが……。

□■
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明くる日、雨は高知市街を通り過ぎたころから強く降り始めた。

台風のなかを宿毛のMさんの奥さんの実家まで辿り着けたのは、あとから考えても幸運だったとしか言えない。多分、あれほど酷い嵐の中をバイクで走った愚かな人はこの世に多くはないだろう。

バイクを停止させるにもそれが出来ない状態で、気圧の低下でアイドリングが下がるのにも苦労しながら、強風のなかを宿毛市内まで走り続けた

そのころ、台風は足摺岬に上陸していた。それを見学しようと車で出掛けた今回の集合メンバーたちは強風で空中に浮いたというほどの体験をしている。

大雨や台風・強風のなかを無理して、えいやーっというような勢いで突入してはいけないし、台風情報は入念の調べて、過剰過ぎる安全策を取らねばならないという教訓であった。

2013年8月26日 (月曜日)

トラブル 花も嵐もⅡ その54

旅には綿密な計画をするものの、計算違いやうっかりした間違いも実際にはある。
トラブルや無謀な行いを回想している。
 
初めての四国に行った年、和歌山のフェリー乗り場について大変なことに気がつく。
 
免許証と財布を忘れてきたのだ。幸いに郵便局のカードだけが手元にあった。細かいことまでは思い出せないが、クレジットカード、免許証、財布とは別の入れ物に仕舞っていたのだろう。
 
ツマに電話をして郵便局の通帳にお金を振り込んでもらい、免許証は宿毛市の訪問先に送ってもらうようにした。早朝4時ころに家を出て9時前に和歌山市に着いて、9時になったらすぐに振込手続きを頼んだので、10時過ぎに入金が届く。フェリーは予定より1本遅くなりながらも四国に渡ることが出来る。
 
しかし、このときはそれだけでは済まされなかった。

2013年8月25日 (日曜日)

人生は、後半戦がおもしろい

人生は、後半戦がおもしろい。

Imggg

そんなコピーのぶら下がり広告を見つけた。それほど新しいものではないようだったが、こういう普遍的なキャッチコピーを思い浮かべられる人とその映像を発想する人、プランを考え出した人に拍手を送りたい。

言葉は複雑なものでないことが望ましい。

もしも、屈折して不要なことを考え、生きてゆくために、雑草や藻のようなものを足や手に纏いながら浮遊していたとすれば、言葉のウラやオモテにに理屈を当てはめて考え込むだろう。

人生ってのは、おもしろくないことだってあるし、後半戦ばかりが取り上げられることもなかろうと思い、また、人生じゃなくても面白いものはたくさんあるし、そもそも面白く無い奴が読めば詰まらないコピーだ、というのかもしれない。

そんな気の毒な人がもしもいたら、おもしろくなろうと呼びかけるのだが、面白いという言葉の活用形に「命令形」はあるものの、意思を持っておもしろくコトを変化させることは出来ない。

つまりは、この言葉自体が直感的に面白いのであって、面白く生きてきた人やこれから面白く生きてゆく勢いのある人、そういう意思のある人を讃えているのではないか。

面白いか面白くないか。そんなことはどうだっていいのだ。「後半戦がおもしろい」と直感が奮えることが大事なのだ。

2013年8月24日 (土曜日)

全力恋愛

このタイトルは素敵な言葉でしょ。sitoa というブログの高村砂名さんがそんなタイトルの日記を書いています。すごくワクワクする魅力的な言葉だと思う。

彼女は失恋をして、まあその報告であり、個人的なところには踏み込むものでもないと思うが、一方で彼女は「ホジキンリンパ腫」という血液のがんを治療中のカラダでもあって、重病と闘っている人です。

ブログは人生の日記でもある。

恋愛だけでなく、愉しく充実して生きていくこと自体にも全力で打ち込んでいる。わたしの母が大腸がんに罹って、お医者さんにその話を聞いたときにわたしはカラダが震えた。正直、自分が紙屑のように思えてきたこともあった。そうまでさせてしまった「がん」という言葉をさり気なくブログに書いている、とっても魅力的な子なのだ。

この人は若くてエネルギッシュで、いろんなことを考える思考回路にゴミや泥がついていないなあ、と日記を読んでいて感心する。難しいことはわたしには何も言えないが、この人にはいわゆる雑念や欲がなくて、ときには未熟で何か足りなくて、危なっかしいこともあるけれど、割と堂々としている。

ブログを読んで遊びまわっていると、自分を見つめるのに絶好のテーマを与えて下さる人々と出会う。その人々に出会う一歩手前(その人にジャンプしてゆくためのブログ)では、また素晴らしい感性の持ち主に出会っている。

こうして感動を積み重ねると、わたしにも厚みがついてくるような気がする。勇気も分けてもらえる気がする。弱虫もあほんだらも治ってくれるとええなあ、と思いながら、何度でも拝読しに来る。

何にも書けなくて、気の利いたことのひとつでも残したいけど、ふむふむと学ばせてもらって帰ってゆく。

全力。あらゆるものに、理屈抜きで打ち込んでいるときが美しい。

2013年8月23日 (金曜日)

地震・雷・火事・オヤジ ─ 処暑篇

▼脱線・閑話から
一言で表現すると、現代人はこのような災難や怒りのことを、小馬鹿にしたように振るまい、意識の面においても殆ど畏れを持たず、自分でどうにか出来るとか、理屈で何とか出来ると思っているように見える。もちろん、わたしもその一人であることが自分自身で歯痒くあり、愚かだと思えるものの、自分ができるできないはさておき、誰かが非難しなくては現状は打破できない。

▼神様がいて
世の中を好き勝手に暮らしていけば、いつかはやがて自分にその代償が回ってくると考えたのは、遠い遠い昔、原始の時代の人々であった。太陽の光を見て距離や角度を測り、建造物を正確に配置する設計や、暮らしの及ぼす暦をうるう秒まで計算していたわけであるが、それらと同時に神様というものを捉え信じて讃えて、なおかつ怖れ(畏れ)ていた。

▼救急車が交差点を横切ろうとするのにもかかわらず、横着にもそこをどこうともせずに救急車を邪魔する車を近ごろ度々どころではないほど見かける。故意であるかないかの問題ではなく、このような極悪非道な奴に対しては、必ず自分の身内が致死状態で救急車に乗っているときにその前で何者かによる神がかり的な戒めを受けるような世の摂理が施され、なおかつ死刑を進呈して悪人を戒めていただけるような神の業がなされることを願う。

▼神様とは、正義の味方であるだけでなく、悪者に対して怖くて厳しく冷たいモノであっても構わない、というか、神がそのように厳しすぎる神でなければ誰もここぞというときに縋ったりお願いにいけなくなる。世の中の悪事を神様が一手に引き受け裁くことでヒトの心は神を恐れ(畏れ)、非道を恥ずかしむようになるのではないか。見えざる神が消えかかっている社会が当たり前になりつつある。

▼これもすべて科学というものが災いだったというと飛躍し過ぎだとお叱りを受けるのだろうか。あらゆるものを科学が解明してゆきやがてそこに宿っていた神様がいなくなる。そんな時代はすでに来ているのだが、人があらゆることを神秘として捉える心は、五臓六腑が何モノか分かり始めている程度で留めておくべきであったし、情報通信は、狼煙に始まり伝令、手紙と進化していくけれども、電話程度で進化しないほうが良かったのではないか。

▼心に鬼を。むかし、そんなことを書いたが、鬼という架空で得体のしれない恐ろしい物を心に抱くことと、正義に対する後ろめたさは二つの揃ったヒトの自省作用であり現代はこれをなくしている。

▼理屈で考え進むことが出来るようになったせいで、何事も見えているような錯覚に陥る。(見えているのは事実かもしれないが、見ないことも大事だ)いわば、怖いものなしで暮らしているから、神様も怖くないし、地震や雷も怖くない。オヤジも地位を失っている。

▼罰(バチ)が当たるべき人に、罰(バチ)が当たらなくなってしまったら、そこには不平等感が残る。神に抱く畏敬の心をなくして、デジタル的に法律を解釈して世の中を構築してゆけば、オヤジの怖さが意味をなさなくなってくる。精神科学が抱かえる数々のオモロイ病気は、怖い神さまが苦言を呈さなくなったからではないかと思っている。

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▼お金もないし地位も名誉もないのに年収の5倍も6倍もする家を買うようにというか、買うという行為が成立するのも現代経済理論の賜であろうけど、これはモノや心を白黒で切り分けてしまうことによって可能になってくる。りんごが好きでそれよりもいちごが好きでそれよりも桃が好きでそれよりもりんごが好きな人には想像も出来ないことを、社会システムの中に取り入れてきたのが21世紀なのだろう。

▼得体のしれない物がなくなっていくので、得体のしれないものを怖がる心がなくなる。雷雲が山峰付近で発生していて、ゴロゴロが地響きのように届いてきても、科学の力が自分たちにはあると思うからゆえ神様の怒りを畏れない。もしも、神様の怒りや祟を怖れていたならば、間違いなく都会は水浸しになっても怪我人や死人を出さないし、遠い山奥の大規模な地すべりでも最低限の被害に留められたかもしれない。長い科学の進化を思い切って2000年くらい昔でストップさせれば面白い。

▼利益というもの味覚というものなども全てがこのような数式の上で組み上げられてゆく。価値や味や心はすべてお金に置き換えられる(またはそのことが可能な)世の中になっている。ここで、価値をお金に替えてしまわないことを提案しようものなら、変人奇人の時代遅れ人間扱いなのだろう。

▼しかし、処理できる数式があることで(それをいいことにそれを使って)何事にでもその中心に迫れるというのは、良い点もあるがマイナスも多く存在する。スポーツについても芸術についても文化にも言えるのではないか。詰まらなくなっていると思う人が後を絶たないのは、神(的なもの)を失くしたからだ。

▼その結果、「情熱が冷たくなっている」とわたしは思う。燃えたぎるものを感じなくなる人と、燃えているのを共有する人との隔たりが大きくなっている。身近にはプロ野球がそうであったし、次々とスターを生み続けたい様々な業界も、隔たりの向こうにいる無関心の(わたしのような)人にとれば、宇宙の外のような話になる。最近では、TV番組も映画もドラマもアイドルも、多くがそうなってきた。こういうことを多数決で乗り切ろうとするところが、またまた愚かだ。(フーリエ変換、しっかり勉強しなさいと言いたい。)

2013年8月22日 (木曜日)

温泉との出会い 花も嵐もⅡ その53

温泉に惹きつけられた一番の理由は、その珍しい状況設定とそこにしかない泉質でしょう。

つまり、露天風呂であったり山中の鄙びた湧き湯であったりする温泉を、自分が独り占めして、しかも誰よりも早くその場所を占拠できるようなお遊び的優越感だったのでしょう。

そしてソコは、ほとんどもれなく、広い湯舟で足を伸ばして自分をさらけ出して浸かれて、しかも、場所によっては男女の境目もなく家族的以上に同じ旅の思いを分かちあうことの出来るところだった。

お湯を求めて旅を続けるうちに、共同浴場を訪ねてあるき、地元との人と湯に浸かり、寂れた風情を愉しむようになる。

そんなことを続けていれば、目的を見失うことはある意味で予測通りで、温泉の数を数えるようになり、入湯した記録を価値とするようになる。

温泉巡りの旅を、ある程度のところで終わらせてしまえば、未達成でありながらも、思い出の深い貴重な温泉旅の記憶が残せたのだろうと思う。

雑誌などが記事に上げるようになったら、新しい自分の旅を探すことを始めるのがいいと思う。

いつかふたたび温泉巡りの旅ができるときが来ればいいなあと思う。社会の仕組みが変わって、人々の意識に新しい変化が生まれて、わたしがそこを愉しもうと思うような温泉と出会えれば、訪ねてゆきたいと思う。

2013年8月21日 (水曜日)

前略草々 はじめます

稲刈りのあと

稲刈りが始まったのを見つけたのが、8月19日の仕事の帰り。

汽車から降りて駅を抜けだしたところの田んぼがすっかり刈り取られていてちょっとびっくりした。たくさんのカラスが落ち穂を拾い回している。

高温注意報が発令される日が続く。しかし、毎朝、日の出前の空気は少し落ち着いてきて、真夏に信州で朝を迎えたときのように冷やっとしたものを感じる。単純なもので、それだけで嬉しい。暑い夏とはそろそろ「さようなら」だ。

長い間書いてきた「塵埃秘帖」をこの夏で終わりにして、「前略草々」というふうに付け直して、これからもまた書こうかと思う。

深い意味は全くない。変化球を投げ続けたので直球で勝負をするのか、またその逆か。

むかし、週に1回駅前で路上でライブをやっている若者のことを書いたことがあったかもしれない。歌やギターは上手で人気もあるようだから大いに結構なんだが、毎週歌うのだから進歩というより進化をしなくてはならない。これは生き物に与えられた大きな使命であり、生き続ける条件なのだ。

で、その若者は、進化しているのか。そういうことを考える。もしも進化していないなら、決断をして別の道を考察しなければならない。進化していれば、新しい道を探って飛び立つ準備をしなくてはならないだろう。いつまでもそこで歌っていてはいけないのだ。

わたしがバイクをひとまず置いて(乗るのをやめて)、他のことを始めようと考えたのもこの辺りの考えが原点だ。

わたしの「おとう」はたった67回(※)しか迎えられなかった秋に、どうやってすればおいしいお米を収穫するすることができるかを考え続けた人だった。

ふだん、ビールなど滅多に飲まない人が、お米を収穫した晩には飯台にあぐらをかいて美味そうに飲んでいた。わたしは、あんな苦くてまずいものを……と思っていつも見ていた。モノクロの思い出だ。

※正確には66回

2013年8月20日 (火曜日)

朝吹真理子 きことわ

知り合いの読書人が文庫になったのを読んだというので、早速私も図書館で借りてみた。
 
とても芥川賞らしい清々しくさっぱりしたタッチで、物語も理屈ったらしくなくて、とても好きなほうです。
 
詩の小説を読んでいるようでもあり、随想のようでもあるのだが、きちんと物語は進展するし、展開に興味をなくすこともない。ただ、読みながら作文を直したくなることがあるけど、これがこの人のこだわりであり、最高の味なのだろう。言い回し表現や視点、立ち位置に譲れないモノを感じることが多い。
 
この一種の頑固さに似た文章の移ろいが、大袈裟ではないが読者を惹く。ドラスティックなドラマ構成でなければ価値のないような今のご時世にどうでもいいような詩的な夢心地は、読者を朝吹文学に酔わせてくれる。★は4つとしようかな。感想下書き。
 

朝吹真理子 きことわ


芥川賞との出会いは、小説とか文学などに全く興味のなかった大学入学したてのころに遡る。

中沢けいという人が群像新人賞をもらった雑誌(群像)をふとしたことで読んで、詩ではなく文章で読み手を引き込んでくるものがあることに出会ったのですが、あのときに芥川賞という物があることにも出会い、こういう文学の世界に興味が出てくるのです。

数限りない賞が反乱するなかで、読み手を惹きつけて得体のしれないような魔術にかけて、何がなんだか分からないままでありながらも、詩ではなく小説を私は味わっているのだという気持ちにさせるような作品が多く集まってくるのが芥川賞で、そこには新鮮なエネルギーが漲っているの。

朝吹真理子の作品にはそんなピチピチ感はなく、プロフィールを読んでもあまり知りたくない内容や年齢であっても、おそらく実際より老けた感じの小説だったというのが肌で感じた感触でした。

新人の雰囲気を感じさせないのだけど、しかしながら、未熟で擦れていない時代の小説家の筆致は心地よく、好きな部類の小説でした。

面白いとかドラマ性を求める人が読むと詰まらないし、大げさに言えば、こんな素晴らしい作品が芥川賞をドンピシャでもらっているのに、芥川賞がつまらなくなったとわかったようなことを言うアホどもと同類になってしまってはたいへんなので、この作品をいいなあと思わない人は芥川賞のことはわからんと言い続けることをおすすめしよう。

芥川賞。大丈夫じゃないか。

2013年8月15日 (木曜日)

脳梗塞 その6 ─ 向きあう人たち

▼現場の所感

医療や介護の立場で、職業としてこのような人と接している人々は、どのように感じているのだろうか。冷静な視点で見つめながらも、実態をどのようの捉えているのか。また、実態をどのように変えていくべきか、という所感があるに違いない。そこを聞きたい。

▼身内の人

身内は大変でしょう、というようなお涙頂戴だけの言葉じゃ済まされない迫った現場にいるのだと思う。ニュースの一面では、病気の妻/夫を殺してから自分も人生を断ったというような例も珍しくない。その現実の重みは、このような特殊な状況であるだけに封印状態なのだろう。生きていくためにはお金がいる時代になっている。さて、実態とその心理が気に掛かる。金のない貧乏人は、自殺するしかないの?死ぬ動作さえ出来ない人は?

▼他人の視点

現代社会。椅子取りゲーム的な生き方をして、生き残れば勝ち組であると考えたり、潜在的に自分が助かればラッキーと考える時代です。健康福祉に対する行政の姿勢の転換も手伝って十年余前から、一部の人達の暮らしは地獄になっているのではないだろうか。しかし、「私には関係ないよ」という人たちの視線は冷たく、そのまま政治改革に反映されていく。不公平やアンバランスが放置されすぎていませんか、と問いたい。

▼本人の心

倒れた本人はおそらく誰にも理解してもらえない苦しさと悔しさに満ちた毎日を送っているだろう。その人達にとれば、毎日という感覚よりも刻々と過ぎる時間をどう送るのかさえ苦痛なのだろう。誰も本心を聞き出せない。それは、認知症の人の心の奥に潜んでいる叫びを穿り出すのとも似ている。

▼医学や医療の現場

脳科学者が体裁よく注目を浴びて、ええカッコして、いかにも科学は凄いというアピールを見るたびに、もっと泥々した部分にもメスを入れろと思う。素人の想像の話だが、心と脳細胞は直結しているのだろうから、探り出せなくなった人の心の変化を読み出すなど、もっと現実的なことを考えれば、身体の動きや言語を失った人から、視線や視点、身体の微妙な動きや反応をセンシングして、それを表現力に変換するなどをすれば、幾つかの感覚や動作を失った人であっても、目線でパソコンが操作できたり文章が書けるようになるなど、感情表現が可能になるだろう。きっと、そんな研究は進んでいるだろうけど、届いてこないのは何故なのだろうか。

2013年8月13日 (火曜日)

稲穂

稲穂

8月13日 (火)

13日。お盆が終わったしばらくしたら稲刈りが始まります。

やや色づいた稲穂が夕暮れにほこほこと光ります。

車窓から。

穴子ちらし

穴子ちらし

8月13日 (火)

お昼にいただく。

(13日)

 

お盆ですから人も少なめです。

この穴子ちらし、気に入っています。ちょっとボリュームが少ない目なのですが、お昼に食べるには、このくらいにした方がいいのでしょう。

2013年8月12日 (月曜日)

駅

8月12日 (月)

お盆の休みだからでしょうか。

朝の一番乗り降りの多い時刻の列車の中から改札を撮りました。

2013年8月11日 (日曜日)

脳梗塞 その5 ─ (現実)

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┘┛自分の不安
┘┘

当然、自分が不安になります。ツマと私。どっちかが先に逝きます。必ずどちらかが残る。順番からすれば子どもが残ります。

昔、父と母が二人でドライブに行った時の話をしてくれたことがあります。県境の山深い谷を控えた道を走っていたのでしょうか。「このまま二人でダムの水の底に沈めば楽やな」と言い合ったと話してくれました。その言葉の意味や理由は多くの人が理解できると思いますが、そのように考えるに至った過程や心情を細かく分析すると解らないことも次々と出てきます。

父は6年間の闘病生活を経て4ヶ月の苦しい時期を乗り越えて数時間の地獄の時間を送ったあとに逝きました。診断書から推測するしかないのですが、事実を語るものは何も残っていない。私が後を追って確かめるしか手立てはない。

┘┘
┘┛脳梗塞の現場
┘┘

生きておれないと宣言されて生きていた。寝たきりと言われていたが、週4日のデイサービスに通えるまでになっている。自力で自室なら辛うじて歩けてトイレも行ける。

しかし、照明の自動設定が私たち来客者によって変わってしまったら、次にトイレに行ったときに困ってしまう。叫んでもツマにすぐには届かない。

そこには治療の現実の他に介護の現実があり、病気がもたらす生活の実態がありました。

先にも書きましたが、お金もかかるし(マンションなどの)社会的な付き合いも迫られる、生まれ故郷を訪ねて行きたいという願望も湧き上がることがありましょう。

┘┘
┘┛やがて、私も
┘┘

みなさん、どのように向き合っているのでしょうか。やがて私が向き合う現実と重ねます。それって誰もが直面することですね。

続く

2013年8月10日 (土曜日)

脳梗塞 その4 ─ (暮らし)

┘┘
┘┛叔母さんは申年
┘┘

叔母さん私より13歳年上で申年です。私からすれば歳の離れたお姉さんのような感じです。夫婦は仲良しだったし、お互いがよく理解し合えていたようですから、羨ましい仲良し夫婦でした。だから、一生懸命に世話ができるし、世話をしているときも通じ合うものが多いのではないかと思います。この年令で車にも乗れるのが幸いです。

近所の釣り堀に出かける話を聞いたときはホッとしました。しかし、13歳下の私でさえ車に乗りあれこれと忙しくするのはもう嫌やな……と思うことがありますから、叔母さんも弱音を吐きたいときもあろうかと思います。でも、それも質問はできません。

┘┘
┘┛娘二人と息子
┘┘

子どもは三人です。長女次女長男の順で、女の子は東京に行ってしまい、男の子は近所にいます。親子というものを考えさせられます。

子どもはどこまで親を思うものなのか。どこまで世話をするものなのか。孫がいますが、孫が来てくれると嬉しいようです。

しかし、一時は自由にならない身体の周りで走り回る孫たちに癇癪を起こしたこともあるようでした。それで普通だと思いますし、何とかしてあげたいとも思う。

子どもは想像するほど親のことを思っていないように見えます。生きているからそんなふうになるのでしょう。死んでしまって10年以上も過ぎ呼び戻せなくなったとき、子どもは決して(思いは同じでも)おこないは違ってきましょう。

┘┘
┘┛暮らし
┘┘

あまり書いてあるもので読むことがないのですが、お金のことを(現実的なことを)明かさないように思います。介護をするには金が掛かるでしょうに、そのことで愚痴や嘆きや不満を吐き出す人が多くは目立たない。言っても仕方ないという諦めなのか、現実と受け止めて望みをしてて時期を待っているのか。

金が掛かるはずですが、現代社会のみなさんはどうしているのでしょうか。

私が現実に直面したら、即座に金庫は空です。餓死はないと思いますが、行き届かない日常を送ることになりましょう。首を吊って命を絶った人の話を聞きます。しかしこれも表面化しない大きな問題で、実は大きな流れではないか。

(続く)

2013年8月 9日 (金曜日)

脳梗塞 その3 ─ (その人)

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┘┛血圧が高かった。
┘┘
本態性高血圧であった私の父も高血圧症で脳梗塞でした。しかし、投薬はしていましたが、食事を心得るようなこともせず、生活に気を配ることもしていなかったと思います。一方で叔父のほうは、食事中にもうどんのスープを飲もうとするところを叔母さんが厳しく注意したり、塩分の高いものをパクパクと食べようとすると普段から咎めていました。素直に応じていたとも言えませんが、何らかのブレーキにはなっていたと思います。
┘┘
┘┛亭主関白で自由奔放な人
┘┘
叔母さんの言うことなどは、外食などでは気にかけていなかったのでしょう。社会的にも地位・名誉も揃った立派な人ですし、お小遣いがあってもなくても親分肌で、面倒見が良かったし、憎まれることも言わない人だから、人付き合いも広かった。定年後もその勢いだったのでしょう。
┘┘
┘┛長嶋茂雄さんが脳梗塞ですね
┘┘
長嶋さんがテレビに出ていたのを国民栄誉賞のニュースで見た覚えがありますが、杖を突いて立っているだけなら叔父さんもそれほど変わりません。背筋をまっすぐにして顔もキリッと引き締まっています。長島さんの症状がどのようなもので、日ごろどのような治療をして、どんな暮らしなのかはわかりませんけれども、自由に動けなくなったのでさぞや悔しい思いをされているのでしょう。叔父さんも高校野球をしていましたし、社会人になってからはスキーや登山、釣りなど活動的でした。
 

2013年8月 8日 (木曜日)

手放したのですねと言われて 花も嵐もⅡ その52

バイクは、棄てたとかやめたのではなく横にどけただけの感覚です。
 
「花も嵐も」のI、IIで、連載していますが、上手くまとめられずに四苦八苦しています。
 
横にどけただけですから、また乗るのですけど、もう乗らないかもしれない。
 
乗らなくてはならないという束縛のようなものもなく、乗らなくなる寂しさもないのですが、乗りたくなる時が必ず一瞬でもあるときに自分でどう思うのかを探ったりしています。
 
「もう十分に乗ったやろ」と言われれば、免許を取って40年近くたちますから「そうですね」と答えます。でも、かなりのものを投入したかといえば、それほど入れ込んだわけでもなかった。
 
通学と遊びで走り回った高校時代に過ごしたバイクとの時間が一番青春だったと思います。何かを得ようとか果たそうとかは一切考えずに、走り回るだけでした。まさに、風に吹かれて、暴走していました。
 
ストレスと呼ぶような大層なものは持っていなくて、受験のプレッシャーや恋心程度を背負って、海に行ったり山に行ったり、女の子の家に遊びに行ったりしてました。
 
受験生だったころは、バイクに乗っていたおかげで楽しい受験生(生活も)を出来ました。しかし、浪人時代から大学時代を経て就職するまでバイクを離れていました。
 
でも、簡単に戻って来ました。
 
25歳から40歳くらいまでは、家族も子どもも置き去りにして旅にばかり出ていました。あれはあれでよかったと思っています。わたしのスタイルの旅で、(興味のない沖縄を除いて)すべての都道府県を走り回りました。30から40歳の10年間で大好きな東北7,8回、四国にもそれくらい行っています。つまり、GWと夏休みはどちらかに出掛けていたことになります。温泉も入りまくりました。TVで紹介している温泉は次々と知っていたという時代もありましたから。(それが目的ではないこと……が大事なんです)
 
緩やかで、平和で、未完成な時代だったのが、私の旅スタイルと一致した。貧しさもよく合った。
 
60歳を過ぎてからでも戻ってくればいいのですが、60歳になる前にバイクを一旦置いて別のことをしようと思ったのです。
 
バイクを置いた理由はもう1つあります。これまでにも何度も書いて来ましたが、バイクと過ごすあらゆるものや時間や出会いなどを、自分で切り拓くことが減ってきたからです。
 
情報を商売にした雑誌やネットが普及したので、わたしが思い立って出発することが少なくなった。道具もルートもお店もキャンプ場も、話題もお土産も景色も、あらゆるものが用意されています。だから、ここはわたしの来るところじゃないのだと悟ったわけです。
 
あのころは「バイクで行かねば」ならなかった旅でしたが、今はそうでもなくなりました。徒歩と列車を組み合わせた速度が心地よいです。時間も少なくなってきているのですが、贅沢なことを思いながら、旅を夢見ています。
 
永年置き去りにしてきたツマと二人でゆっくりと旅をしたいと思います。

2013年8月 7日 (水曜日)

風の涼しさ ─ 立秋篇

┘┘
┘┛はじめに
 
猛暑が続いていますが、風が吹けばまんざらでもないなと感じることがあります。
 
住宅密集地ではなかなかそうも行きませんが、今の季節、稲が穂を垂らす水田などがある集落などなら、風のおかげで真夏でも冷房のお世話にはならずに暮らしていけます。
 
 ふうりんにかぜがことばをおしえてる  出口優樹・御薗村(当時)
これは「第9回・風の一句」の中学生の部・最優秀作品です。
 
風は、温度を下げて涼しくするだけでなく、そこで暮らす人たちに工夫をするヒントを与え、心にゆとりもくれました。このとき中学生だった子も今は 20代の半ばになっていましょう。この子が見た風鈴も今は実用的な緑のカーテンに変化しつつあるかもしれません。近年の猛暑にあって、音の風情を楽しむことは実用的ではないと考える人が増えたのでしょうか。
 
立秋も過ぎましたが、まだまだ暑い日がありましょう。そこは何とかひと工夫をして乗り切りたいものです。
 
 
┘┘
┘┛あとがき
 
このメルマガがみなさまのお手元に届くのはお盆の頃かな、と思います。
 
 風の来て明日刈る稲のうねりかな  水野年子
これも風の一句からお借りしました。
 
お盆が来ると、夏の盛りが過ぎてゆくのだな、としみじみ感じます。
 
稲刈りが始まって、野焼きの煙が漂って、カナカナが鳴き出せば、夏休みがもうすぐ終わるのだなと思い、終わってしまう夏休みを悲しんだ昔の記憶が蘇ります。
 
でもその先には美味しい季節が待っています。旬のある暮らしに感謝したいです。

2013年8月 6日 (火曜日)

脳梗塞 その2 ─ (面会)

┘┘
┘┛無表情
┘┘
叔父さんのお見舞いに行くのは2度目です。発病して直後くらいに病院へ見舞いに行きました。そのときは簡単な会話ができました。しかし、今回は僅か4年ほどしか経っていないのですが、言葉が不自由そうだったのでショックを受けたのです。もしも、寝たままになったとしても、感情を表せる手段が残ることは、依り所が残ります。無表情にいる叔父さんを見ていて、様々な思いが駆け巡ったのでした。
┘┘
┘┛感情のやり場
┘┘
手足が動かない、言葉が喋れない。これは、苦しいことです。歓びや悲しみを伝達できない。それはすなわち、愉しみを自分の中に持てないことになってくる。愉しみがないのに生きる勢いが生まれるのだるか、とマイナス思考に陥ってしまいます。私は苦しい、辛い、と同時に怖いとも思いました。今を自由に生きてきているだけに地獄にいるような感覚です。しかし、叔父さんはそんなことを思わず生きているし頑張って夫婦で(介護を受けて)暮らしている。釣り堀にも行くし、デイサービスも週に4日行くと言ってました。ささやかな対話が夫婦の間に存在するからなのだろうか。それも質問はできませんでした。
 

2013年8月 5日 (月曜日)

脳梗塞 その1 ─ お見舞い

┘┘
┘┛叔父は辰年。
┘┘
私の父の一番下の弟です。1940年生まれです。4年ほど前に脳梗塞で倒れ重度の症状が出て右半身不随。言葉もかなり不自由です。それ以上詳しいことは、叔母さんによう聞かんのでわかりません。脳みその60%が詰まってしまっていると叔母さんは説明してくれました。
┘┘
┘┛無知でした。
┘┘
こういう病気や症状を持っている人について私は無知でした。脳梗塞で倒れた人が身体が不自由になることを言葉で知っていましたが、現実を見たのは初めてでした。知らないことはいけないことだったと思います。知らずして社会を論じることは出来ない。そういうこと(病気の側面の他に、介護、家庭内問題、夫婦、お金など)をしっかりと考えなくてはならないのは、私たち元気な人の使命であると思いました。もちろん、自分がやがて直面するのですが、それ以前に、もっと向きあうべきでした。
┘┘
┘┛現実の裏
┘┘
それぞれのみなさんはどのような気持ちでこのような人と向き合っているのか。叔母さんが話してくれなかった現実や言えないこと、きっとたくさんあるはずだ。そういうことにもっと触れて、理解し無くてはならない。そう思っています。介護や医療の立場の人の視点からの所感なども大いに聞きたい。
┘┘
┘┛お恥ずかしながら
┘┘
私も今ごろになって夏の健康診断で、腎臓の機能の指標であるクレアチニンがやや高いと指摘されました。実はもう少し前から指摘されていたのですが、太りすぎで高血圧だから、まずそれを治してからと考えて安易に対応していました。しかし、今年の健康診断は、容赦なくしきい値を超えて警告マークをチェックしていました。数字だけを見ればそれほどの変化ではなくても、いよいよ私も取り組まねばならない。そういう時期を迎えている。8月から切りの良いところでお酒を断って(減らして)数字上の改善結果を得る努力に挑戦しようとちょうど考えていたときに叔父さんのお見舞いに出かけたわけです。
 

2013年8月 2日 (金曜日)

暑さの夏 花も嵐もⅡ その51

┘┘
┘┛ 暑い夏を振り返る
┘┘
人にはそれぞれ激しく生きたその時代を振り返る自分だけの作法のようなものがありましょうか、暑い夏も負けずに走ったなあとこの暑さの日々にあのころを回想しています。私の場合は、バイクに飽きたわけでもなし、嫌いになったわけでもないし、やめさせられたわけでもないので、一生懸命に走り回ろうとしてもがいていた自分の必死の生き方を偉いなあと思います。ある意味で、そうやって一時期に生きてこられたことが幸せであったし、私らしくもありましょうか。今でもバイクの人たちのコミュニティーを覗かせてもらうことがありますが、1つのことにトコトン夢中になれない人間は、やめて正解だったと思います。見境いなく資金も投入しないし、どっぷり浸っているときも別の世界を夢見ていたし。
┘┘
┘┛ お世話になったという思い
┘┘
勝手気ままに旅に出られたことは、みなさんのおかげでした。みなさんといってもそれは即ち家族なのですが、何故にそこまで夢中になれるのかとか、どういう理由で何を目的にそんなにまでして旅に出ようとするのかなどと、私に問いかけることなく、勝手にさせてくれました家族に感謝します。もちろん、視点の違う人から見れば、費用も時間も愚かそのものであったのでしょうから、家を出る私を送り出してくれていたときも、完璧に私を理解してのことではなかったのでしょう。では、どういうつもりで送り出してくれていたのかと質問をしたことがあって、「(無理を言っても)やんちゃを言うし、諭しても聞くような人間ではなかったから」と教えてくれたことがありました。
┘┘
┘┛家族と過ごす
┘┘
子どもは放りっぱなしで、ツマもひとりにして(子どもと二人にして)自分だけ旅に出て、温泉に浸かって、B級グルメ食べて、綺麗な景色を見て、ストレスを発散しているのですから、ひどいオットであり父です。現在の職場のみなさんにはそんな勝手な行動をとって夏休みや普段の休日を過ごしているような人の話は全く聞かないです。やはり私のような人間は、我儘勝手な奴だと言えましょう。ちょうど夏休みを取得している人が目に付きます。家族で週末を挟んで海外とか国内で少し長めのゆっくりとした旅行などを楽しんでいる人が多いようです。他には地味に家族サービスとして遊園地などに出かけたり。私はイケナイ奴でした。こういうのを反面教師というのでしょうか。子どもは普通に大きくなってほしいですね。(……ってもう婚活期をむかえていますが)
┘┘
┘┛見送る思い
┘┘
もしも、ムスメがバイク旅をするようなことがあったら、とても心配をしただろうと思います。今、夏フェスの時期で、ちょうど茨木県に出けけてゆくのを見送って、バイクで出かけるなら(ツアーバスで2,3泊で行く以上に)心配をするのだろうと思ったのです。私が一人旅に出かけてゆくときのツマの気持ちは、今の私の気持ち以上に複雑だったはずで、もはや、ツマが語らない限りは、言葉にはならないものになってゆきます。
┘┘
┘┛二輪を愉しむ
┘┘
結局のところ、私は自分の未知に挑んだのでした。それが未知でなくなったり、情報が豊富になって私の未知は未知でなくなってゆくことで、私は行く先と旅の数々の手段を失っていった。バイクは、二輪であって健康のための自転車で愉しもうと考えて、自動二輪を一旦は手放すことにしました。今は、年金がもらえる2,3年前になったら二人でゆっくり旅がしたいと語り合っています。そうです。ゆっくりと走ろうというのが私の旅の原点だったのです。

百田尚樹 永遠の0

偶然に百田尚樹という人がTVに写っていて、TVを見ない私が食後のテーブルでたまたまそれを見ていたことで、この人の作品づくりに興味が湧いて読むことにした。何でも良かったが、記録調査の内容からこの作品を選んだ。さて、どこまで文学を味わえるのかと期待をして読み始めた。
 
映画になるのだそうで、決定しているのか完成しているのかまでは知らないが、そのことが読書熱を大幅に冷ましてしまって、読むのを中断するかどうかも悩んだが、話題なのだからと思って映画のことは想像しないことにして読むことにした。しかし、一旦耳にしてしまったので、イメージが頭のなかに私なりに映像として出てきてしまい、それと並行して物語を読み進めてゆくことになる。これは仕方ないことだし、悪いことでもない。ただ、活字を強烈に受け止めているときは、頭のなかに浮かぶ映像は映画のような鮮明なものではなくもっと単純化されたものであることが多く、何者かに刺激を受けて作られたイメージ(像)があると想像を妨げることにもなる。そんなことを思いながら冷めていってしまったわけであるが、残念だけど仕方がない。
 
ただ、百田さんは素晴らしい作家で、これは百田さんにしか書けないし、百田さんにしか掘り起こせないものであったと高く評価をしたい。構成もいいし、展開も素晴らしい。惹きつけるものも備えている。だから、誰もが合格点をつけるんだろうと思う。
 
戦場という限定された場所で同じ時間を過ごした一刻を語るヤクザの爺さんが残された祖母と大いに繋がりがあったり、その祖母を新しく愛する人が死を分け合った戦友であったりする点は、物語の大事なところなのであり、例えば2時間枠の映像芸術であれば星5つを迷わずにつける構成であるところなのだろうが、文芸である以上、何か目の見えざるものに勝てないギャップのようなモノがあるのも事実だ。
 
だから(正直に白状すると)読みながら、映画にするんだったら小説なんかにしないで初めからシナリオの本にしても良かったのではないか、と考えた。くどくどしく戦後文学のように書いても、ドキュメントでもないのだし、純粋な自伝や伝記でもないのだし、その時代の人間が綴るわけでもないのだから、何というか、私にしたら味気ない中途半端な文学作品に捉えてしまう。
 
映画にして、素晴らしい監督やキャストに出会えれば、戦争の記録を控えめにして文学性を加味して、多くの人にインパクトを与えることのできるいい作品になると思う。
 
そういうわけで褒めもしないで貶しもしないのだが、同時ころに再読をし始めた林芙美子の放浪記に星を五個つけても、この作品には三個しか付けられないのは何故だろうか。 続けて百田作品を読み漁ろうという気持ちにはなれず、読んでいる途中から次はしばらく読まないだろうと思わせた点は何だったのか。
 
百田尚樹 永遠の0
 
戦中文学として多くの作家が、あの戦争の様々を題材にして書き上げてきた勢いや情熱の凄さは、その泥臭さと、泥の中を生きている人の顔の皺の中までも染み込んだ生きることへの叫びや悲しみを、映像を飛び越えて活字で綴り続けたことの執念ではなかったのか、と思う。
 
現代が記録として十分な資料を揃えて揺るぎない再現を試みても、もはや、60年以上の隔たりは埋めることができなくなくなってきている。 つまり、ナマの戦中文学はもう誰も書くことが出来ないのだということをこの作品が実証したのかもしれない。

(別のレビューで書いたことを足すと)

★★★
まあ、真夏に読む1冊だろうか。SNSではすごい勢いでレビューが投稿されている。それを見ながら、仲間に入るのは嫌やなあと思いつつも、書き留めておくというけじめは必要だろうと思い書き留めた。 映画も見ないと思う。 もう一回読むこともないし、同じ作家を連続して読むこともない。
 
同じように映画になった作品で2作ほど思い浮かべると
・赤い月
・赤目四十八瀧心中未遂
がある。 こちらも私は映画を見ていない。 映画を見る必要もないし、見たくもならないほどに作品に芸術性があふれていた。
 
脳みそが 永遠の0を読んで枯れたので 芸術性を求めるために 放浪記に戻ることにした。

2013年8月 1日 (木曜日)

なすびとピーマンの入ったカレーです

なすび

先日から、焼きナスを食べたいとか、なすびあえ(味噌であえる)がいいな、とか言っていたのだが、願いがかなわず。麻婆茄子になってしまって(30日)

野菜カレー

今夜は(8月1日)カレーに入れてくれたのですが(ピーマンも入っています)、なすびあえは延期になっています。

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