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2013年7月22日 (月曜日)

温度差 その2

温度差のことを考えながら堂々巡りをしている。

つまりは、誰だって自分のことが大事であり、夢中になる。この世知がない時代に悠長にも他人などを心配するよりも、自分が幸せに生きてゆくことを考えるだろう。そこで、選挙で投票する政治家にも、個人の欲望が大いに絡む。こんな時に社会を良くしようとか、社会の流れを変えねばならないと考えるのは、現実主義的世相に合わないから、現代では流行らない。だから、多くの人はひとつの考えとしてまず自分が幸せになれば自然に社会も良くなると考える。とにかく自分の幸せが大事なのだ。

幸せってなんだ。

そう、遠回しに考える。最初は自分のこと、自分の未来のことを満足させる。次に恋人ができて夫婦になって家族のことを充実させる。子どもが出来れば子育てに力を注ぐ。子どもが勉強し、就職し、結婚を孫ができる。すると親は再び人生を構想していた時代のように暮らしというものを新しい視点で見つめて、生きることに情熱を燃やし始める。幸せとはそういうささやかなものだと言えよう。

豊かさとは、を考える。

私たちは高度経済成長のなかを生きて豊かな暮らしを手に入れた。そこで、満足度の高い生活というものを知った。現代社会の人々は、生まれてから今までの段階で、多かれ少なかれ満たされた暮らしを経験をしてきた人が多いし、若者に至っては生まれた時から満たされたなかで生きている。貧しいとか何かに飢えているとか、失いそうなものを大切にし無くてはならない危機感などの経験はない。

温度差を再び考える。

現代社会が展開してゆく未来に疑問あるいは危機感を持っているのは、生活のレベルでゼロ領域に限りなく近い低空を飛んだか、または接近したというような人、さらには、高度を(特にマイナス方向に)急変させた経験を持つ人に多いのではないだろうか。しかしながら、長い年月が過ぎてゆけば、変化というトリガーを多くの人は見逃して(失って)しまうようになる。現代社会が陥っているのはこのトリガーを失くしてしまって、行く先を迷っているようにみえるからだ。むしろ迷っていることに気づかないまま彷徨っているとも言える。温度差のひとつは、この危機感の捉え方だろう。

多様化する社会の中にいる。

世の中が多様化し、目標が定まらくなると、情熱を失う人もあるだろうし、特定のところに重点を絞る人も出てくる。温度差はますます広がってくる。本来ならば、様々な考え方や温度差を持ったモノ同士がお互いに刺激をしあって良い方向へと向かうことが理想だ。しかし、長い歴史において必ず物事がそのように決定されてきたとは言えず、今のこの瞬間もよく似たことが言えて、この温度差が社会を冷却化しているようにも思える。

温度差が顕著になって白けている。

社会システムが、自らの構造を変革する速度と、人々の思想が変化する速度と、さらには生活のリズムや形態が変化する速度がすべて同調しているわけではないので、政治が四苦八苦している。30年後の社会を構築するための道を作ろうとする選挙に、30年後には生きていない私がとやかく言及する。そんな点でも茶番劇のかもしれない。

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