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2013年6月 4日 (火曜日)

小さい神様

「八百万もいるはずなのに、それがだんだん人型の神像として定着していく過程」を知るために出かけた大神社展で、砂女さんが人型の神像をみて
「でもあたしはそんな形を持つ前の、山にいたり、野にいたり、海にいる素朴な神さまが好き。形ある神から追われて、ひっそりとあるいはふわふわとあるいはむぐらむぐらとした小さな神々が好き」
と書いている。
 
おおむかし、ヒトは地球に対して弱い存在であったけど強く生きていた。
 
弱いのに強い……ってどういうことかと考えるとき人それぞれの意見があろうが、単に強がっていたのではなく本当に強かったのだと言えるのではないか。
それも、現代のように科学や知恵で強くなったのではなく、風に揺られる葦のごとく強かったのだと思う。
 
小さな神から大きな神へと御利益と幸せを追い求めて信仰が遷移してゆくに従い、小さな神の放つ畏敬や尊厳を軽率に扱うようになってきたヒトに対して、自然はただならぬ怒りを発していると同時に、情けなくてモノも言えん状態になってもいるのではないか。
 
神の姿に大きいも小さいもなかろう。
 
自分が強くなったような錯覚の分、(ヒトは)弱いものにも優しくなくなったし、小さいものにも屈んで並んで話を聞く姿勢を失ってきている。
 
 
「どれにしようかな、天の神様の言うとおり」
と子どもたちは、露地や空き地で歌ったものだ。
 
2つのまんじゅうを3人で分けねばならないような事件(出来事)が少なくなった現代、学校の難問題を解くことのほかに、子どもたち自体もこのような日常的課題に触れることが少なくなっている。
 
暮らしを本当に良くするために、この小さい神様の出番を、密かに待っている。

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