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2013年6月29日 (土曜日)

心配 花も嵐もⅡ その50

心配をすること。
 
この歳になって……と言っても説明にならない。1989年のツーレポに出てきたハイハイのムスメがいっぱしのおとなになって、というのがわかりやすいか。そういう時間を経て、やっと、一人旅に出る子どもを思う気持ちがわかるような人間に、私もなってきた。
 
ムスメはバイクではなく、夏フェスで山梨に行ったり広島に行ったり筑波に行ったりしている。バイクでないので事故の心配は少ない。しかしながら、広島でのフェスに行く時には、京都から出るバスに乗り遅れて一人で新幹線を飛ばしたりしている。それを、苦笑いでエールを送っている。山梨では大雨に降られてポンチョを使い込み潰している。いい経験だと思い、エールを送る。
 
私がバイクで出かけるときは、1週間から10日ほどは留守にした。ツマは何くわぬ顔で送ってくれていた。そのことをどのように思っていたのかを先日問うてみたら、「考えないようにしていた」のだと言う。心のなかには随分と辛いのを堪えていたらしいことがわかる。つまりは心配していたのだ。いまごろやっと理解しているのだからあほだと思う。
 
みなさまのおかげで旅に出られる。みなさまのお陰で毎日の仕事も続けられる。何にでも言えるのだが、そういうことに気づくのは、随分と歳を食ってからの事が多い(手遅れに近い頃だ)。でも、それはそれでいいじゃないか。これから出なおして幸せをつかもう。そんなことを考えながら、夏のバイクを楽しんでいる人たちの話をSNSで読んでいる。

逃げる

「逃」がテーマだったそうです。でも、私には洒落たことなど思い浮かばないけど、テーマだけ頂戴します。
 
 
人生の節目を少しずつ失いつつある年齢になってくると、ときどきこのような槍を投げつけられた鋭さのテーマが刺激になってよろしい。槍をかわしながら、自分の足跡と行く手とを考える時間を持つことで、戦の力が衰えるのを防げる。
 
追いかけられて死にもの狂いで逃げているわたしが夢に出てきた。夢を見ながらああいつもの夢だと冷静に思考し、逃げ道を瞬時に左右から選択し、魔法のように跳躍する力を得て広い川や高い木を飛び越えてゆく。不思議なことに鈍足であるはずのわたしは駆けるのも速くなっている。
 
逃げる夢とセットでたびたび見る夢は、迷子になる夢である。卒業のかかっている試験に臨むために久々に登校するのだが、そこには試験場は用意されていないし、連絡掲示板もなくなっている。必死で探しまわるうちに大学の中で迷子になってしまい、泣いているのだ。焦りと大失敗の夢だ。
 
泣いたり魘されている私をツマは何度も見ている。
 
どんな苦難に遭おうともヘコタレずに、しかし無理して乗り越えることもせず、恐怖に追われたら逃げ、ときには迷いながら、水に溺れることもなく火に焼かれることもなく、私は生きてきた。
 
職をなくしても生きてきたから、これからも生きていけるような気がする。
 
生きていけなくなったらどうするかなどとは考えたことがないのだが、何処かへ冒険に出てゆき、蛇とかトカゲとかに追いかけ回されて逃げ惑いながらも生き延びるのではないか。無限の跳躍力があったはずなのだが、それが衰えて広い川を飛び越えられなくなったときが夢の終わりだと思っている。
 
ぱっと、向こうの見えない淵からジャンプしたことがあった。そこは高い崖だったかもしれない。急降下をするのだが、私には羽根があって自由に旋回をしたという夢も見たことがある。今度跳んだときはきっと羽根はないだろうと思う。
 
そうだ、近々、時間の都合つけてシルバー人材センターに登録しに行こう。

2013年6月26日 (水曜日)

ぎゅっと

コメントのかわりにぎゅっと抱きしめて 髪撫でたくなる君のツイート  砂女

+

砂女さんが途轍もなく若がえって
柄でもないような(といったらめちゃめちゃ失礼なのですが)
そのような作品を書き残しておられるのを拝見して
渋々と一日中降り続くという雨の予報を歓迎してもいいほどに気分は爽やかである。

もしも、こんな歌をわたしに向けて詠んでくれるような人がこの世の中にいてくれて、その人に出会うことが叶っていればわたしの人生はまた違ったものになってくれたかもしれない。

 +

人生というのは、しかしながら、そのように筋書き変えることはできない。

意志で多少なりとも喜びの方へと導くことはできたとしても、あるいは思わぬ巡り合いがあったとしても、それはやはり運命の筋書きであったのだと思われてしまうのだろう。

わたしたちは、昔から筆で想いを綴り、一晩寝かせて考え、更に投函するまで懐で温めて、散々な迷いを経てから、異空の地へと彷徨わせるべく送り出したのである。

いとも簡単にポチッと電子化されて届いてしまうものとはその重みが随分と違っていた。

そんな重みを届けることが下手くそになってしまった現代人は、人の心を動かす重さのエネルギーを利用できなくなったために、詰まらない(こともある)「婚活」に走ってしまうのかもしれない。

 +

「ぎゅっと」抱きしめる無言を、その静けさを、その人は感じることができたのだろうか。


ぼんやりと日のある朝の蝸牛 星野早苗

(稔典さんが26日の今日の一句で)

 このところ、まさにこの句のような「ぼんやりと日のある」日が続いている。ただし、蝸牛をあまり見かけない。どこへ消えたのだろう。

 と書き出しておられるのを、わたしも「ぼんやりと」読んでいる。

 

きょうのわたくしの部屋の窓からは横なぐりに雨が降り続き庭の片隅であじさいが嬉しそうに揺れているのが見えている。

◎ 雨降りを鉛筆画にすれば線ばかり

2013年6月24日 (月曜日)

雨のち晴れ

JR車窓から

 このあと、列車を降りて駅の階段を出た所で、民主党の岡田氏と高橋氏に真正面からご対面したのです。

 

奇しくも都議選ニュースが1面を飾る日です。 雨は止んで、お天気は良くなって来ました。

お昼はカツ卵とじ

 お昼は、とんかつが食べたくて、迷わずに決まりました。  

2013年6月22日 (土曜日)

カツオ

カツオ食う今夜は貴方を忘れている

カツオ

ツーリングマップル 花も嵐もⅡ その49

そもそも、歴史的にみても少し前の時代の旅人は、それほど贅沢にお金を使うわけではなかったのではないだろうか。食や宿に迷いもなくお金を注ぎ込むような贅沢な旅をする人もあっただろうが、それはやはり一部の人の間のことでゆとりのある暮らしができた資産に恵まれた人のすることであったろう。記念的な旅とか一生に一度の掛け替えのない旅など以外は、大勢の人々の旅はみな質素だったのではないかと思う。
 
だから、近代においても若者やひとり者の旅は、チップなども出せるゆとりなどはなく、まして、その土地土地の産業を潤わせるような贅沢はしない。旅好きの人は、ささやかな放浪である点において、今も昔も進化がないような気がする。
 
大沢温泉にて
 
湯治の温泉場に迷い込んだときはありがたかった。安く泊めていただけるのだから嬉しかったが、元来、病を治すために着ている人々からみれば、暢気な放浪のような旅人が宿に迷いこむのをどのように感じていたのだろうか。二三泊もすれば必ず救急車が来て誰かを運び出してゆく光景に出会うような湯治温泉である。ひとつの聖域のようなところだった。
 
私の貧しい旅は、あれもこれもと旅の手法を変えながら、私なり工夫をこらして続いた。ユースホステル、民宿、ビジネスホテル、野宿、そして湯治温泉などを繰り返しながら走り続けた。だが、ツーリングマップルという地図が完成度をグググとアップさせた時から、旅をしている自分の周囲の様子に変化が出てきたのを感じる。
 
その地図には情報が詰まっているのだ。ホテル、キャンプ場、見どころ、ご当地グルメ、温泉などを、今までは現地に行ってヒヤヒヤ・ドキドキ・ワクワクの状態で探したものが、この地図を手にするとセットメニューでご用意されているのだ。
 
確かにキャンプ場が簡単に見つかるのはありがたい。もしも見つからなければ駅で寝る、という覚悟も必要もなくなった。駅や公園で寝る行為を咎める社会的制約も一気に増えて、ますますツーリングマップルは有効な地図になって、誰もが持ち歩き、みんながそのスタイルで旅をし始めた。
 
そのことに気持ちの面で乗り遅れた、と言えようか。私の旅心が便利さに反発を感じたのだった。

2013年6月21日 (金曜日)

やっと正式に ─ 夏至篇

「やっと正式に」、と砂女さんが書いていて、そのことに私は……
……
というところを何度も何度も読んでいる。 正式と正式でないものが世の中にあるのだ。 それは気持ちかもしれないし、時には法律に関わることかもしれない。
 
とコメントを書いた。そしてさらに、
 
私もあの時「正式に」悪さをしていたら、今頃は地獄のどん底だったのかもしれない。 そんなことに思い当たる節があって、今の場合の正式を、苦いフリカケを掛けたようにして噛み締めている。さて、と私が心配してもしかたがないのだが、それ以上に「さて、」と何を新しく始めるのか、実は興味津々であるのです。
 
と付けたしたのだ。
 
 
「正式に」を使って作文をしなさいと言われたら「私は正式に彼女に結婚を申し込んだ」とか「正式に別れた」というように書くだろう。
 
「正式に」よその女の人に惚れたり、走ったり、逃げたりしたら、そこで私の歴史が途絶えてしまう。
 
歴史も途絶えず、ツマと仲良く今も暮らしているから、いわゆる上手に「水に流れて」再び晴れ間が戻ったのだ。危ない川は世の中の至る所にあり、大勢の人々がそこで足を掬われたり溺れたりする。
 
砂女さんの「正式に」という言葉をこんなにいい加減な人生話に捻ってしまってはいけない、のであるが、その言葉に戒めをいただきながら、長い人生で私も人並み以上に豊かで幸せな時間を過ごしてくることが出来たことに感謝している。
 
生きてきたことが、愉快であった。そして、熱くなれて、激しく踊れて、私なりに全力疾走出来た時期もあったのだから、56回めの夏至を迎えて、1番ファイティングだった時のように再び夏に暴れることができればいいなあと、少し欲を蘇らせている

2013年6月20日 (木曜日)

ディズニーを愉しむために  (その3)

なぜディズニーはなぜ夢中になれるのか。
 
⭕社会から離脱して自分だけの世界に入る
⭕愉しもうという気持ちに素直に移行してしまう
⭕くよくよしない、勝負けを意識しない、見栄を張らない
⭕ここで燃えて尽きてしまうのだと思い込む
⭕アトラクションに裏切りがない、手抜きがない
⭕ストーリーに現実味がなく、夢だけを追える
⭕夢に諦め感がない
⭕見えないところに工夫やアイデアを凝らしている
愉しんで来るために予習して実践すること(些細なこと)
 
⭕アトラクションの名前は予め全部覚える……ほど、よく調べる
⭕ファーストパス戦略をきちんと立てる
⭕食事の計画を立てておく
⭕モノレールにはお得チケットがある
⭕開園時刻に入って、目的まで走る情熱
⭕雨の日はポンチョが便利、怪しい日は現地で買う(前日に天気の心配などをしない)
⭕アトラクションの入口では、写真を撮る、待ち時間も記録しておく
⭕ミッキーなどとのツーショットチャンスがあれば、願いを持っているならば、列ができても惜しまず並んで撮る
⭕キャストには手を振ること、手を振り返すこと
⭕スキップで歩くような気持ちで常にいること

2013年6月19日 (水曜日)

雨のディズニーリゾート (その2)

6月12日、13日 雨降り

ホテル周辺の駐車場

 

 雨は容赦な降り続いて、京葉線が地上に出てしばらく走ると、臨海都市風の殺伐とした風景と変化しながら、雨粒も一段と大きくなってきたでした。

 

 夜行バスが山梨から国分寺あたりを走っているときに夜が明け始め、道路が少し乾いていたのでホッとしたのだが、都心に近づくとそれも裏切られた。

 

 早々に雨の覚悟はしていたのだし、台風の風が吹くわけではないので、荒れないことだけが慰めであったのだ。しかし、実はこの雨こそが私たちにラッキーを呼んだのだった。

 

写真の通り駐車場に車はない。おそらくハイシーズンには溢れるほどに車が止まるのだろう。吐き出される人々は一箇所に集中する。どんな状況になるのかは明らかなのであるが、雨のディズニーランド&シーには混雑はなかった。

 

ほとんどのアトラクションに20分程度の待ち時間で入れたのだし、レストランも休日の郊外のショッピングセンター程度の混み具合だった。

 

再び行くチャンスが有るならば、小雨の降ったり止んだりするような日がいい。パレードの時には雲が切れて、歓びが2倍になった。

 

☆同じようなことを(その1)でも書いてます。よほど、人が少なかったことが嬉しかったみたい。

2013年6月18日 (火曜日)

穴子を食う

18日 (火)
カレーを食べるつもりで食堂に行ったのだが、これを見て予定を変更してしまった。量は少ないけど旨いので満足している。
 
穴子の甘みが好きなんだろうと思う。ちらし寿司にして食べるのが好きです。
 
少し量が少ないけど満足している。(お昼ごはん)

穴子のちらし

お昼を少ない目にしたのは、わけがあって。
やはり太り気味が気にかかる。
 
夕べもいい気になってお酒を飲んでしまった。17日 (月)
ウイスキー
 
薄めの水割りが好みになってきた。
歳を取るに連れて旨味をしっとりと味わいたちと願うようになった。
 
そうは言いながらも、山崎のような旨いものはストレートでいただくのが1番だろう

2013年6月17日 (月曜日)

イワシの蒲焼

イワシの蒲焼

イワシ食う貴方はカツオが好きやった ねこ

2013年6月15日 (土曜日)

ディズニー(久しぶり)その1

6月11日の夜行バスに乗って、12日と13日に東京ディズニーランド&シーに行ってきた。

 

2,3日前になって突然太平洋上に出現した台風3号は、紀伊半島に向かってのろのろと北上し始めて、随分と私たち家族をやきもきさせた。一時はバスもホテルもキャンセルするという案も出たほどであった。

 

通常価格ならお一人様2万円以上というホテルを7千円余りで予約できたし、そのセットには3300円のバイキングの朝食も付いているということで、是が非でも行きたかったから、キャンセルの案は消えたのだが、もしもキャンセルをしていたらもっと悲しく残念な結果なっていただろうから、その時点で私たちに幸運の女神がついていたことになる。

 

台風は、あとから考えれば筋書きだったかのように、本州には上陸することもなく紀伊半島の南のほうでウロウロしていたらしい。私たちは心配をしながらも11日の夜に家を出てからの天気状況を気にかけるのはやめてしまったので、その後の台風がどうなったのかは知らない。

 

やきもきしたけど、最高に楽しかった。それが結論である。

 

台風なんかが来てくれたおかげで強烈に記憶に残る思い出となったし、何よりも雨男としての私の強い吸引力も証明されたわけだ。

 

雨は2日間とも降り続いた。そのおかげでアトラクションやレストランでの混雑がほとんどなかった。普通の遊園地の日曜日くらいの混雑だったと思えばいいくらいだったのです。

 

ベンチで囁き合うカップルの男の子が「雨で嫌だなーと思ったけど、少し濡れたくらいで、それで雨は嫌だと思っただけで、それ以外は全部良かったね、待ち時間は短かったし、涼しかったし、でも、パレードは雨が止んで見れたし」と話していた。

 

肩寄せあって囁き合っていた二人のあの言葉のとおりでした。また行くときは降ったり止んだりの小降りの日がいいかもしれないなんて、今になって思ってしまうほど。

ミニー・オー!ミニー

2013年6月10日 (月曜日)

ねこ

学校帰りの高校生が駅へ向かって歩いてくる。クラブが終わるか補習が終わる時刻に学校を出て、歩いて来る子もあれば自転車の子もある。その子たちの大方と、駅から歩いてくる私とがすれ違うときに、彼女たちは(彼らは)「こんにちは」と声をかけてくれる。
 
元気のいい子もいれば蚊の泣くようなか弱い声の子もいる。弱々しく掛ける子もいて、何か強制に似た感覚があるのかもしれない。気が進まないならいくらでもやめたり逃げ出したできるのに、それでも毎日声をかけてくれる。名前も学年もわからない。
 
そういえばこの道で毎日姿を見るうちに、おはようというようになって、そのうち学年も聞いて、クラブも聞いて知っていた子がいた。可愛らしい子だった。その頃中2だったから、今は高校生をしているだろうな。会いたくなってきたよ。
 
1人でいる子に声をかけてやると、バツが悪そうにしているけど、親しみのある眼差しでこっちを見る。挨拶くらいはすぐできるようになる。
 
砂女さんが出会ったのは、それは猫だったのではないだろうか。きっと猫の化身だったのだ。そんな気がして、ゾクゾクしてきた。

2013年6月 9日 (日曜日)

物語は進まないほうが愉しいかも。その15

三重フィルハーモニー交響楽団

新学期になって以来お目にかかれずやきもきしていましたが、コンサートに誘ってもらいました。

前回:

2013年6月 7日 (金曜日)

よもやま話 (おぼえがき)

食卓のある部屋には私の横に腰掛けているツマと私の母がいて、黄金色に広がる麦畑を窓から眺めている。
 
梅雨になったのに一向に雨が降らない話をしている。そして、雨が降ってばかりでも困るという話になる。
麦の生産地としてこの辺りは優れていて良質の麦がたくさん収穫できるところだという。
しかも、その時代は養蚕も盛んに行われていたので、蚕さんの桑を摘んでやったり、麦刈りをしたり、刈ったらすぐに田植えが始まりと、6月は忙しい時期だった。
 
梅雨の季節は農業を生業とする人々が、1年で1番辛い季節だったのかもしれない、と思うと心も痛む。
 
梅雨の頃だからジメジメしているのだが、田んぼが待っているので早めに麦を刈り取り、庭に筵を広げて干したものだという。
だから、雨が続くと干す場所がなくなる。
家の中には、八畳が四間続くようなところがあっても、蚕さんが占めている。
麦を干す部屋などなかった。
そこで、雨が続いてしまうと湿った麦は腐り始めるのだ。
その昔に、2度ほど腐れせてしまった年があったそうだ。
 
作物が取れないということは生きてゆく手がかりを半ば失うことになる。
さぞや苦しい暮らしだったのだろう。
 
(わたしが)赤ん坊の頃の話を母がする。
つまり母が嫁に来て数年以内の頃の話を回想している。
 
こうして窓から麦を眺めていると綺麗だが、刈り取りのときは、はしかい。
はしかいとは、麦のようなチクチクするものが背中などに入り込んだ時の痒さをいう。
はしかい、に代わる言葉はない。
(母に)はしかい思い出が満ちてくる。
 
子ども(わたし)にお乳をあげねばならないのだが、汗をかいてその上に麦のイガイガをかぶっているから、首から胸にかけてなどとても痒かったという。
風呂に入りたくて仕方がなかった。
自分のためにも子どものためにも。
だが、Mっちゃん、Tちゃん(わたしの叔父)が2人もまだ同居している時代だった。
昭和33年とか34年の頃だ。
嫁に来た自分が先に入ることなどは絶対にない話であった。
 
Mっちゃん(上の叔父)は高校生で夜遅くまで勉強をしていたので、夜も更けて11時ころにならねば風呂に入らない日が多かったという。
作物が獲れない季節が続けば食うものにも事を欠くこともあって、学校に持っていくお弁当のおかずに困ったことがあったという。
そんなとき、お昼の弁当のおかずが気に入らなかったといって風呂の湯を抜いてしまうという意地悪を2度ほど受けたという。
そんな話をしているときに、その母の回想を聞きながら、ツマはそっと涙を拭いていた。
10人ほどが暮らしてる大家族で、子どもにお乳をやって、風呂に入って、嫁としての勤めを果たしてきた。
母は、そういう時代だったのだから、仕方がなかったのだとつぶやく。
もはやあの時代を許すとか許さないとかいう問題ではないほどまでに過去になってしまった。
 
仕方がなかったという理由で済まさざるをえないということが、歴史的な事実ではあるものの、よその家より不幸であったことは間違いない。
どこかに記録しておいても罰(ばち)が当たるわけでもなかろう。
そう思いながら私も話を記憶に留めてゆく。
 
数年経って後に(わたしの父の)2人の弟は進学や就職で家を出てゆく。
同時に姑、大姑が亡くなり、義妹が嫁いでゆく。
私には5つ上に姉があったが、1年足らずで亡くなった。
そして下に1人子どもがあったが生まれる前に亡くしたという。
さらに5歳離れた弟が生まれたころにお爺さん(わたしの祖父)も亡くなった。
2年ほどして東京オリンピックが開催される。(昭和39年)
 
お爺さん(わたしの祖父)は時代の先を読める人だったとは母はいう。
ある種の尊敬の念がこもっているような気がする。
生前に、これからはテレビの時代やと言って、貧しいながらも田舎には非常に珍しいテレビというものを買っていた。
私はオリンピックをテレビで見たらしい。
(都会ではそのテレビがカラーになってくる時代を迎えていた)

2013年6月 6日 (木曜日)

誕生祝い(5日)

誕生日(ツマ)

2013年6月 5日 (水)

 
6月5日は誕生日でしたから
ささやかなケーキを買って
小さなお肉も買って
静かに乾杯しました。
 
ろうそくは5本だった。

留守番を任す

934 留守番を任すほとけの夏蜜柑 砂女
 
仏壇の前でおとやんと再会するときには、いつも手ぶらでチンチンとリンを叩くだけである。時には願い事を聞いてもらうこともあるが、たいていは愚かな日常の報告である。
 
そんなことを連想しながらブログの感想を書き始めたが、迷走してゆくばかりであったので、自分のところに(今回も)書くことにした。
 
砂女さん。幸運にも?10代まで遡って(体調を崩しておられた)そうですが、このごろそんなことがちょっとやそっと起こったくらいでは不安などを抱かなくなったのではないかと、こっそりと想像するのでした。
 
「長い人生、この実績にかかってきなさい。私はもう逃げも隠れもしませんから。」そう思うと時計が止まって長生きできてしまうかもしれないし、本当に止まって動き出さないかもしれないし。
 
日常の生活に復帰なさったとお書きのその後に、しかし、お仕事をお辞めになるとか。
 
どのようなお仕事であったのかは察することさえもできないのですが、働けるということはありがたいことで、私のような年齢になると(って言っても不詳ですけど)だんだんニンゲンが厚かましくなってきます。きっとそちらも厚かましく生きておられると思います。そのほうがよろしゅうございましょうし、そうでなくてはならない面も(厚かましい面も)人間には必要であって、何でも画一化、平等公平化となってしまっては、粒が揃い過ぎて社会の成長を妨げます。
 
考え様では(それを厚かましいというのですが)その分社会のみなさんに何か貢献しようとか考えたりするわけです。
 
先日から手にしていた孔子に続き(ってまあ持ち歩いているわけですが)、そのあと利休のことを書いた本を読んでおったりするのです。気が移ろうので、芭蕉になったり西行になったり山頭火になったりしますものの、何れにしても歴史上の偉人たちには晩年の美学というのがあって、これほどまでに美しく果てて行くことができるものか、と感心する次第です。
 
昨今はネットを通じて自由に自分の意見や毒舌を披露できるので、そういうモノのの価値がぐんぐんと低下して参りまして、昔でしたら毒舌評論などには美的なものが幾つもあったのに、近頃は良悪がお互いに入り混じり、総括的に品質低下を招いています。
 
良い物を選ぶのが難しい時代を迎えた中で、私なんぞは美的に生き残りたい、と考えたわけでして、愚人の考えることでございます。からりと乾いた感覚をお持ちの方からすれば、しっとりとして且つ塵のような遺文は瞬時に消えてそれで終わり、となるのが然りのようです。では、石に刻むのが良いのか。いや、木に刻んで少し永らえてから朽ちるのが良いのか。悩むところも果て無きものでございます。
 
「いしぶみ」と打ったら「碑」と変換するのですね。石文のようなものを想像していました。うちの市内では日本最古の墨文字が発掘されています。2世紀のものです。現代人と2世紀人ともっと古代人を横一列に並べると、おそらく2世紀人は古代人寄りで、もしかしたらさほど区別がつかないかもしれない。顔つきや体型だけでなく、話してみればほとんど動物に近いかもしれません。そんな時代のヒトが文字を残したわけで、残す直前には文字を残せる手立てが存在しなかったこと、つまりゼロから何かが生まれたことの凄さってのは神秘であり感動です。もちろんある日突然文字を書き出すわけではないと思いますけど。
 
そんなことを考えると21世紀のヒトが残すものなど全く価値の無いもので、遺すことの重要性は限りなくゼロに近づいて、今、何をしているかばかりが高価値な世紀なのだなということに辿り着きます。
 
留守番を任すほとけの夏蜜柑 砂女
 
いつの歳になっても出かけるときはいそいそと。あなた、ちょっと行ってきます、と声をかけるのか心のなかだけで済ませるのか。神や仏はそんな心の奥まで間違いなくお見通しであろうから、嘘も付けないし照れも恥じらいも言い訳もないのでしょう。
 
仏様は偉大です。こんな蜜柑ひとつで何日も私を待っていてくれるのだから、と思うと申し訳ないのだが、どこに居ても私を天から見ているのだろうと思えば、この蜜柑は朝の挨拶のようなものなのかもしれない。

2013年6月 5日 (水曜日)

井上靖 本覚坊遺文

井上靖は途轍もなくお固いイメージであるが、実はお茶目でちょっとヤンチャでもあったのだろうと、子どもの頃の自伝を読むとそう思う人も多かろう。
 
そして、彼はそんなカラーでありながら素晴らしい詩人であったのだ。その詩人が詩を書くことを一休みしたまま、純文学の境地を歩んで、70歳を過ぎてから(このパワーが凄いとしか言いようが無いのだが)「本覚坊遺文」を書き始め、80歳で「孔子」を発表している。
 
この「孔子」という作品は、座右に孔子様の像を置き、一時も孔子様から離れることなく、「師よ私はこの時何を思えばいいのでしょうか……」と繰り返し自問をするような重みを持っている。読み手は次第に居住まいを正し、静かに音読をしてしまうほどに心に染み通る落ち着いた文章で、作品は迫ってくる。詩人・井上靖の姿が瞼に浮かんだ。
 
この「本覚坊遺文」においても同様のことがいえよう。
 
井上靖は、実は70歳を過ぎて人生をしっかりと見つめて、振り返るべきところを抜かりなく振り返り、展望すべきテーマを諦めずに70歳をお迎えになり、この作品を書くことで、利休という人の持っている哲学をもう一度見なおして確証を掴もうとされたのであろうか。私は作者の研究者ではないし文学を究める者でもないので、作品とその作風が読者に与えた印象だけからそんなふうに感じたのだった。
 
ただ、(多くの作家が)利休を振り返ることは、伝記を綴ろうとする作者自身までもが死を見つめねばならないほどの凄みがあるのかもしれないとも感じる。利休とはそういう人物であったことが伺える。だから、そのような只ならぬものを感じながら、本覚坊の自省を伴う沈思のなかで生まれ出る利休の姿に、読者は直に触れることができる。
 
侘数寄の思想や茶湯の世界という全く無縁であり学んだことも触れたこともない美学に触れてゆく作品を選ぶことは、読み始める前にあっては、全くの非常識で無謀であった。しかし、利休の心のなかを流れていた熱い思いを、この作品が染み入るような井上靖の美しい言葉で私の心に届けてくれた。
 
人生を見通して、人間の美と美でないところを見極めることのできる年令になってから、みなさまも読まれることお薦めしたい。
 
「本覚坊遺文」や「孔子」は、井上靖自身のこの上ない伝言ではないでしょうか。そう感じます。
 
井上靖 本覚坊遺文

麦畑とドクダミの花 ─ 芒種篇

6月になった。

この麦畑の隣には青々とした稲がすくすくと育っている。

初夏の風がこのまだら模様の平野を海の方へと吹いてゆく。

 

定点観測のようにこの場所から車窓の風景を撮っているが、新学期になって高校生の顔ぶれが変わって、窓際の特等席がなかなか空かない。

(3日の朝、いつもの場所の車窓から)

麦畑

 

雑草であるのかもしれないが、この4弁の花びらは愛嬌があって好きだ。

 

どくだみは薬草だ。イメージも苦みを発する。
しかし、一番お手軽なのは干して刻んでお茶にするのがいい。

群生しているこのどくだみ。

レジ袋を持って行って摘んで帰りたいと思いながら、通勤途上の線路道に群れているのを見ている。

どくだみ

色褪せる母ドクダミ茶作りをり

2013年6月 4日 (火曜日)

小さい神様

「八百万もいるはずなのに、それがだんだん人型の神像として定着していく過程」を知るために出かけた大神社展で、砂女さんが人型の神像をみて
「でもあたしはそんな形を持つ前の、山にいたり、野にいたり、海にいる素朴な神さまが好き。形ある神から追われて、ひっそりとあるいはふわふわとあるいはむぐらむぐらとした小さな神々が好き」
と書いている。
 
おおむかし、ヒトは地球に対して弱い存在であったけど強く生きていた。
 
弱いのに強い……ってどういうことかと考えるとき人それぞれの意見があろうが、単に強がっていたのではなく本当に強かったのだと言えるのではないか。
それも、現代のように科学や知恵で強くなったのではなく、風に揺られる葦のごとく強かったのだと思う。
 
小さな神から大きな神へと御利益と幸せを追い求めて信仰が遷移してゆくに従い、小さな神の放つ畏敬や尊厳を軽率に扱うようになってきたヒトに対して、自然はただならぬ怒りを発していると同時に、情けなくてモノも言えん状態になってもいるのではないか。
 
神の姿に大きいも小さいもなかろう。
 
自分が強くなったような錯覚の分、(ヒトは)弱いものにも優しくなくなったし、小さいものにも屈んで並んで話を聞く姿勢を失ってきている。
 
 
「どれにしようかな、天の神様の言うとおり」
と子どもたちは、露地や空き地で歌ったものだ。
 
2つのまんじゅうを3人で分けねばならないような事件(出来事)が少なくなった現代、学校の難問題を解くことのほかに、子どもたち自体もこのような日常的課題に触れることが少なくなっている。
 
暮らしを本当に良くするために、この小さい神様の出番を、密かに待っている。

2013年6月 3日 (月曜日)

餃子とアジの刺身

餃子

日曜日なのに、そんなの関係なしで餃子が食べたいということになって、28個も作ったのでした。3人で食べても足りない。

アジ

夏が近づくとアジも丸々と美味しくなってきます。

2013年6月 2日 (日曜日)

わたしの代わりに泣くさくら

 
「わたしの代わりに泣くさくら」というこの題名につられて何度もここを訪れても、そのたびごとに感じるものが違いながら何も書き残せずに帰ってゆく。
 
作者は
 
▼落花してわたしの代わりに泣くさくら
 
と書いているのだが、私はこの言葉ほど勇気をくれる言葉はないのではないかと思いながら、一方で悲しい時は悲しめば良いではないかと思い、何も書かずに立ち去ってゆく。
 
▼実をつけてわたしの代わりに泣くさくら
であってもいいだろう。 
 
▼嫁いでもわたしの代わりに泣くさくら
 
▼別れてもわたしの代わりに泣くさくら
 
様々なドラマが浮かぶ中で、このなんとも悲しい歌を想い歌った人が果たしてどんな人なのか、知ってみたいと思うのも普通の感傷ではないのか。
 
長いようで短いようで、歌の記事を読むようになって、詰まらないとか面白く無いからとか、美しすぎるから、意味がわからないからなどという理由で切り捨ててしまえばいいにも関わらず、大切にリンクを消さずに来た人の一人だ。
 
この人のこれぽっちもわたしは理解できないのだろうけど、そしてこの人の孤独や悲しみを何も知ることもできないのだろうけど、詩人の味があるのを感じているのだ。

本気でもないのに

じゃんけんで負けて螢に生まれたの
蛇苺いつも葉っぱを見忘れる
 
池田澄子
 
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「負ける」「見忘れる」というふだんの私の弱みを握ったような言葉が俳句には欠かせないのではないかと、時々そう思う。
 
弱音を吐いたり、言い訳をしたり、静かに考えて自分にいいように納得してみたりして、わたし自身に何かを言い聞かせてここまで生きてきている。 
 
930 本気でもないのに恋を占って途中で飽きる牡丹のはなびら 砂女
 
「本気でもないのに」というところが私好みで、俳句(で遊ぶ)人を泣かせてくれる。
泣かせるものはもちろん他にも数多いのだが、5弁の花びらを可憐に咲かせる初夏の花はも数多いものの、六つの花びらをさも安定させているかのように見せてくれる花は珍しく、他にも名前が浮かんでこなかった。
 
占いというのは、もう誰にも何にも縋れないときに初めて全身全霊で便りかかるものである。そんなことがあるとすれば生きている間にあと1回だけあるかないか。
 
「本気でもない恋」は何度落ちるのだろうか。そんなことを考えていた。

夕焼け

あなたがメールで教えてくれた夕焼け。

とても綺麗なあの夕暮れでした。
ツイッターとかネットでは、あの夕焼け空の写真があの時刻に飛び交いました。

 

 昔、雲の講座を子どもたち向けにしたことがあります。大気汚染の話であるのですが、雲について学んでみるというものです。

 

「みなさん、空を見るのは好きですか」
と冒頭で質問をしたら、大勢が一斉に手を挙げて、驚いた。

みんな空を見るのが好きなのですね。

 

私たち夫婦も少し歩いて夕焼けを見に行ってみました。そんなの初めてかもしれません。

 

さて、
今月は東京ディズニーランドに行ってきます。

結婚した直後にできたリゾートで、今年30周年のお祭り中。
私たちも30周年ということですね。

 

あしたから新しい週が始まります。
高3は今どんなことを習っているのか、興味あります。
機会があったらそんな話も聞かせてくださいね。

 

おかえり

ねこさん、ときどき、くまさん TO 砂女
 
 
大学時代に早稲田西門で久しぶりにばったりあって、それが実は大学時代では1回きりだったという飯坂温泉の電器屋の倅ががいる。 彼は文学部で柄にもなく演劇などをやっていて、洒落にもならないのに4年も浪人して大学に来て、7年たっても卒業しないで、僕が先に東京を諦めた。「ちょっと旅に出て3ヶ月ほどたつかな」、と飲み屋で友だちを語るのに話していた言葉を思い出す。 3ヶ月ほど消えていても探さないでおこうと思っていた。で、もしそのままわからなければ、探せないから悲しんで、消えてしまったのだと思おうと考えていた。 近頃、自分が消えたあとの遺文ばかりを書いている。書き終わったら第二の人生を誰かの真似をして始める事ができると夢見ている。 兎にも角にも、おかえりなさい。

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