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2013年5月28日 (火曜日)

おゆうはん (豆ごはん)

27日。

私の部屋からホトトギスの鳴き声が聞こえた夕暮れ時。
今年の初鳴きかもしれない。
 
おゆうはんは
今年二度目の豆ごはん。
 
ツマは豆ご飯が好きで
18歳の卒業式の前日に逝った母を想いながら
毎年このご飯を炊く。
 
三十数年以上も昔のことを手繰り寄せるために
豆の実をむいて米を研ぐ。
そしてご飯を食べるながら母を思い出す。
 
豆は、家でもらってきたものです。
この豆を毎年楽しみにして、この季節には豆ごはんを炊きます。
 
やがて私の母が死んでしまい
私のツマも老いぼれてしまった頃に
ムスメはこのご飯をどんなイメージで思い出してくれるのだろうか。
 
豆ごはん

2013年5月27日 (月曜日)

尽きることなく 花も嵐もⅡ その48

好奇心は尽きることがなかった。峠の向こうの景色が未知であれば必ず越えたくなってくる。入ったことのないお湯ならせめて足だけでも突っ込んでみたい。食べたことのないB級の地元名産は食べてみたい。
 
食べることや湯に浸かること、それらの制覇リストを増やすことに目的や気持ちが摩り替わっていってはならないので、常に目的は何であるのかを見つめなおした。
 
そう言っても、詰まらなそうでも行ってなければ行ってみようという気持ちで向かったこともあって、ハズレが何回も続くと、完璧を目指すことにも疲れてきた。
 
そこに来て、ネットの浸透で情報がチャプチャプ状態になりはじめていた。その少し前から、ツーリングマップルが充実して、地図上にキャンプ場やおすすめグルメなどが記載されるようになっていたので、便利である反面、それを参考にノコノコとやって来るツーリストに酔い覚めのようなものを感じ始めていた。
 
情報というものが売り上げになると業界が注目して本格的に食い付き始めたからだ。ツーリングやバイク雑誌も読まないので、そういう雑誌がちやほやするのを見るもの嫌だったし。
 
四国で「大正市場」を訪ねたときに大きなショックを受けた。アウトライダーのコピーを持って歩いている人を見かけたからである。情報を集めてそれを楽しみに来る人を非難したり詰まらないということは私にはできない。忙しくて旅に来れない人もあるだろうし、初心者の人だってある。みんなが仲良く楽しむことを奪ってはいけない。
 
しかし、私にとっては旅の途中で地元の方と話し込んでいる時に得た情報で突撃してきた「大正市場」だっただけに、横取りされた感覚と同時に私のような旅のスタイルでの熟成のさせ方は消えてゆくのだろうと悟った。
 
その後、温泉ブームが来てグルメブームが来る。
アウトドアブームも来る。
 
みんながみんな足並みを揃えて同じ情報を持ってぞろぞろと旅に来る姿に出会うようになって、私の旅のスタイルを主張してもいけないのだと感じ始め、人の群がるところに行くのも億劫になってくる。
 
キャンプ場のマナーも悪いように感じ始めて、昨今はライダーの運転マナーまで悪くなってきているように(一種の錯覚でしょうが)感じるので、これはステージががらりと変わりつつあるのだと思った。

2013年5月26日 (日曜日)

日常と旅の仕切り 花も嵐もⅡ その47

旅は道草の連続であり、優柔不断の賜物でした。
 
雨が降りそうになるとそちらの峠道を越えるのはやめて別の谷へと向かう。晴れが巡ってくるとまたそちらに行く。
 
雨に泣くのはだれでも嫌です。どうしても弱々しい旅の姿になります。ただ、いろんな経験から考えて、旅のスケジュールは最初に立てて、天候に依る優柔不断さは考えずに最後まで走り通したほうがいい。
 
それでも激しい雨に見舞われたことも何度もあります。天候が悪いと景色も良くないですし、危ないですから、判断は様々になります。それぞれに楽しい思い出や苦い思い出があります。
 
旅を続けていると、もうこのまま社会に戻るのはやめにしてしまいたいと考えてしまうこともありました。しかし、仕事をするからこそチャージができるのだということを薄々感じていたようです。自省的な時間を過ごすことは、長い時間の中で重要と思います。日常と旅との仕切りをハッキリと持って切り分けることが、旅に出撃したり旅を継続したりするパワーの源になっていくのでしょう。
 
そして旅の先々で起こることは、筋書きのようであり筋書きには全くないこともあります。例えば、人との出会いであるとかトラブルであるとか悦びに出くわして、思い出は少しずつ掛け替えのないものへと積み重なっていくのでした。
 
山頭火句集をこよなく愛する人がいる。
どうしようもない自分が行く。
時間が来たら仕切りをくぐって元の世界に戻る。
夢を積み重ねておいて、再び旅に出る
こういうことを繰り返していました。
 
24歳過ぎからの20年間余りは、充実している時間だったようにも思います。
もちろん、他には何も夢中にならなかったから、何とも別の状況は想像でしかないのですが。(楽団には参加してましたけど)

2013年5月25日 (土曜日)

ドラステイック 花も嵐もⅡ その46

旅は温泉が気合を入れてくれることも多いのだが、温泉のことをいつまでも書き続けるわけにも行かないので、ひとまず休憩しよう。

 

始まりの頃に触れたように、旅は未知なるものへの好奇心が誘うものだと思います。その未知へ誘い出す強い衝動が、人によっては「現実逃避」であり「日常からの離脱」であるのでしょう。 

 

私もトップクラスの家電会社の開発技術者でしたから、ストレスや使命に追い込まれて毎日を送っていたと思います。正直、今あまりそのことは振り返りたくないのですが、夜中にむっくり起き上がって仕事の寝言を言うのは日常であったとツマは言いますから、良いか悪いかは別として、そのような環境のもとで世の中の技術者は生きています。逃げたくもなるでしょう。

  

会社は大企業ですから表向きはきちんと休みもくれましたし、黄金週間や夏休み休暇期間、秋の連休の頃などには、有給休暇を取得して1週間から10日間の長旅に出ました。

 

旅に出ることは私の生きるスタイルでありましたし、余暇の過ごし方の形でした。仕事を忘れたかったのでしょうね。でも、仕事から逃れることはできなかったし、その仕事をするしか才能もない、好きで選んだ道だしということで、仕事からの逃避というよりは、日常に仕切りを設けていたのでしょうか。 

 

旅は毎年エスカレートして、長旅をしようとするようになりました。もっと遠くへ行こう。未知の場所に行こう。 

 

そしてスリリングで、ドラスティックな旅を求めるようになってゆきました。 

2013年5月23日 (木曜日)

シロノワール

ムスメさん、友だちとシロノワールを食べに行ったので、

私ら夫婦は丸源ラーメンでした。

2013年5月22日 (水曜日)

ホタルの予感 ─ 小満篇

きのうは小満でした。立夏の次にやってきた節気で、その次が芒種で、そのあとに夏至になる。
 
この「裏窓から」を書き始めて随分と年月が過ぎ、何回かはメールマガジンの巻頭・あとがきにも流用してきた。
 
二十四節という数字を考えてみるとき、1年が12ヶ月でその半分を節として二十四節にしたと考えてもよいのだろうが、四季の1つの季節を3つに分けてそれをさらに半分に捉えたものとして眺めてもいいでしょう。
 
考えてみれば、365日の暦を28日や29日や30日や31日の月に分けることを不自然だとも思えて、古代エジプトのように30日の月を12回と残りを5日(時には6日)としたほうがスッキリする。
 
自然の中で私たちは暮らしている。少し人類が賢くなったからといって刃向かうことなどはできないし、知恵を使って冷房装置を発明したところで、地球温暖化というしっぺ返しを食らっている。ここで人類は賢いのか鈍感なのかわからない行動として、電気という歴史上で創造されたエネルギーにどうしても頼り続けるための施策を考え続ける。
 
その間にも自然の自然たるリズムは私たちの住む土地に手を加え続け、地震となりときには嵐となったりして、地球を改造しようとするのだが、それを人類は被害と呼ぶ。
 
自分たちで森に道を付けておきながら、雨で崩れたら雨を憎み、それでも崩れない道や宅地を作ろうとする。
 
どうして、広く大きな大地に住み、地震でも津波でも嵐でも揺るぎないようなところでどれだけ揺れてもガタガタしないシンプルで弱々しい「葦の家」のようなところに住もうと決心しないのか、不思議で仕方ないのだが、科学技術という麻薬のような知恵を絞って「開発」は続く。(便利で快適とは恐ろしい麻薬だ)
 
自然の力にやられたのだから、自然の持っているような周期でモノを考えていくことが大事だ。成金的に急に進化した科学技術と産業の発展を再び社会に蘇らせえようとするのではなく、100年前から構築した日本列島を今度は手順を変えて作りなおすチャンスであり、近代政治学や経済学の後押しで作り上げた虚構も見つめ直してみるのも大事だし絶好のチャンスではないのか。
 
物々交換社会や自給自足社会をもう一度と言っているのではないし、情報武装した社会や豊かさの上の幸せ感覚に麻痺した人々をイケナイといっているわけではない。
 
二十四節気の日にはいつだって、空気がきのうと違って思えるのは、ニンゲンらしい感覚を持っているからかなと自己満足しながら、晴れ予報なのにドンヨリとした朝の曇ったような空を見上げ、夏の空がやってきたと思ったのは私だけではなかろう。
 
ホタルが飛び始める予感がする。

2013年5月19日 (日曜日)

県立図書館のトークライブ

県立図書館のトークライブがあったので
出かけてお話を聞いてきました。
(ニュースはこっち

福元ひろこ 歩く旅の本

福元さんにサインもしてもらえた。

福元ひろこ 歩く旅の本

植野めぐみさんのブログもあります)

2013年5月16日 (木曜日)

ウド

5月15日 (水)

酢味噌であえていただきます。

昨日、母を訪ねて行ったら、ちょうどウドが手に入ったので茹ででやるわという。

酢味噌とセットでパックに詰めて貰って帰って、家であえました。

旬を食べられることに感謝します。

ウド

2013年5月14日 (火曜日)

豆ごはん

汗ばむ日でした。(13日)
豆ごはん。

冷奴もおいしかったです。

うちにキヌサヤエンドウと豆をもらいに行かねば。

豆ごはん

2013年5月13日 (月曜日)

続4・なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その45

 温泉を回想すると東北の温泉が思い出される。
すべて混浴露天のワイルド系ばかり…を選んだわけではないのに。

 
この頃は貴重品もバイクのタンクバックの中に入れっぱなしで
カメラも財布も無防備でした。
  • 湯の倉温泉
  • 銀山温泉
  • 藤七温泉
  • 乳頭温泉郷
  • 奥薬研温泉
  • 酸ヶ湯温泉
  • 大沢温泉
  • 夏油温泉
  • 蔵王温泉
  • 滑川温泉
  • 姥湯温泉
  • 木賊温泉

順を追って思い出してみる。 1,2行程度にまとめるのが難しい…


  • 湯の倉温泉
中川さんと鬼首温泉のあの広いキャンプ場でばったり出会って、そのあくる日に攻めた温泉。
 バイクを置いて登山道路を20分から30分ほど歩いて温泉宿に着く。皮のツナギだったので汗びっしょりだった。 
 
 平成20年6月14日の地震の土砂災害で水没したと記録にあります。
なんとも悲しい思い出です。
 
  • 銀山温泉
有名だとはそれほど知らずに立ち寄りました。
木造三階建ての旅館が有名。共同浴場にひっそりと一人で入りました。
  • 藤七温泉
八幡平の上にある温泉で1軒宿に立ち寄り湯。
脱衣場は別なんですが、湯舟はひとつ。
湯舟につかっていると、女性の方が脱衣場の扉から飛び出してきて
「あら」
その後は、その方がご夫婦で来てたので、和気あいあい。
記念撮影などして楽しかった。(裸で夫婦で温泉に入っている写真って嬉しいみたい)
周辺は、火山の荒野を見るような景色です。
  • 乳頭温泉郷
鶴の湯と黒湯に入りました。
湯舟につかれば、数センチも見えないので、割と安心して入れます。
底が砂利で、湯舟のヘリは人も行き交うワイルドさ。
黒湯は静かでした。
一人で霧が流れる山の景色を湯舟から眺めていたら
物静かなお若い女性がそっと入って来られたのを覚えています。
  • 奥薬研温泉
キャンプ場の横にあるただ単に掘っておいたらお湯が溜まっているという感じの温泉ですが、温泉好きの男女がワイルドな姿で入ってくる。脱衣は湯舟の縁で。着衣は籠に入れるというパターン。風呂のヘリで脱衣をしている女性があれば皆そっぽを向いていたものです。
  • 酸ヶ湯温泉
千人風呂で有名です。大きな湯舟で、若い子も婆ちゃんもゴチャゴチャだったな。
  • 大沢温泉
自炊部に泊まって、入りました。
湯舟の中で隣の影に「いいお湯ですね」というような他愛無い話をしても無言だったのは若き女性だったから。脱衣場でも同じようなことがありました。
別に狙って入ったわけではなく、ざっくばらんな時代だった。
  • 夏油温泉
山の中を走って走って到着するとそこには湯治場があった。
少し熱めの湯が湧き出て、上流から下流へと適温になって行きます。
こっちへどうぞ、と招き寄せる人がいるのですが、そこは上流の熱めのお湯です。隠すタオルもおろそかになってしまって、ごめんなさい、(真正面から)見えてしまって。
というような、和気藹々の湯舟ものがたり。
  • 蔵王温泉
有名な温泉ですから、絶対に寄りたかった。
みちのく三高湯の1つに当たると思います。
野生の中に湧き出る温泉です。
  • 滑川温泉
  • 姥湯温泉
峠の茶屋で力餅を食べて、温泉を目指すという温泉ライダーみたいなこともやって楽しかった。
写真を撮ったら、(現像したら)私の背後に女性が湯舟につかっているという驚きもありました。
  • 木賊温泉
東北をこれから北上するぞというときに、檜枝岐付近を経由して何気なしに立ち寄った温泉でした。
河原に湧いている温泉で手作りの古臭い東屋の中に湧いています。
  湯舟は薄暗く、こちらでも動く人影に声をかけたら可愛いお嬢さんだったというハプニングも。
 
 お湯は静かに入るもの。
 そういう時代だったのだ。
(ほとんどが裸の女性とともに入っているという恐ろしい時代でもあった)

2013年5月10日 (金曜日)

続3・なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その44

燕温泉と蓮華温泉の日記を読み返す。
 
 鬼無里を走りながら東北を諦め切れず、無料、混浴、温泉、乙見山…と私を誘惑する煩悩に苛まれながら温泉を目指した。積乱雲が来そうだった。今なら夕立までには時間がある。そう見切ってバイクを置いて歩き出した。(河原の湯)

 お湯が白濁で、一緒に浸かっている女性の皆さんも、身体にはタオルなどを纏わずに入っているようです。おっぱい(の先)も見えませんから、透明度は殆どないほど濁っている。かなり、硫黄臭がきつい。嘗めても独特の味がします。白濁のお湯の特徴でしょうか、肌にややピリピリとするような感じがして、長旅のなかでへばり着いた汚い雑菌が殺されてゆくような喜び。

  そのように書いている。東北ツーリング('96.7.25.~8.6)

  女性の皆さんがお湯からあがろうとすると、今まで話していた男性が一斉にそっぽを向く。これもマナーですか。湯舟が深かったので女性のみなさんは要所を隠しながら湯舟から這いあがるのに苦労していたようです。そうこうしていても簡単は見えないものだし、もし見えてもそれほどニュースでもないんだよね。風呂って元々、裸で入るわけだし…。しかし、何人もの裸の群れを(たとえ後ろ姿であっても)見るのは、後に刺激がやや残ります。

 蓮華温泉へ行った時の記録もあった。信州・上越・上州〔台風で足踏み〕

  去年雨宿りをさせてもらったGSの手前から蓮華温泉への舗装林道に入る。ごく普通の山道だなーと思いながら高度を稼いで行くとわっと深い谷が目の前に開けた。ちょうど白池という小さな沼地を過ぎたあたりだったと思う。朝日岳[2418m]の山肌は勇壮で、残雪の模様が下界から特別な世界にきた確信を持たせてくれる。頂上には重い雲は無く、青空と共存した白く自由なイメージの雲が刻々と姿を変えて居るのが見える。
 【温泉への道】
  温泉は内湯と露天に入るなら800円で露天だけなら500円だ。500円を払って登山道路に踏み込んだ。ちょうど二人組みの女性が下りてきたので道順を尋ねたら、案内板の前で詳しくお湯の様子を教えてくださった。上から順に薬師の湯(酸性石膏泉)、仙気の湯(単純酸性泉)、黄金の湯(重炭酸土類)とあり、上の二つは同じ泉質だと話してくれた。
 
 【仙気の湯】
 仙気の湯からの眺めは素晴らしく朝日岳が真正面にどかんとある。聳えるなどとは言わない。何故なら視線が決して見上げる方向ではないのだから。定年を回ったかなという感じの男性数名が先に浸かっておいでで、仲間に入れてもらった。
 【黄金の湯】
 少し下って黄金の湯に寄る。こちらは木陰があってお湯も先ほどよりも幾分ぬるめで、無色でやや匂いがある。ここで長湯をした。登山者のメインルートから外れるので人通りも少なく、湯から上がる間際にやってきた女性は、私がイイお湯だからぜひ入って・・・と薦めたら道の脇でそそくさと脱衣を済ませて入ってしまわれた。私よりもひとまわり以上はお歳をお召しだと思いますがおっぱいが凄く若若しかった。思わず見とれてしまった…。

 
 温泉は独り占めして楽しむものだった。そういう人同士が寄り集まって湯に浸かるのだから、裸の付き合いができたのだろうと思う。
 一緒に湯に入った女性も今どき出会えないほどの思い切った行動だったと思うが、あの時代だから出来たのだと思う。あの女性も今ならそんな無謀はしないだろう。私もそのような無謀を期待しない。

5千人

シャープの人員削減5千人の記事が目に飛び込んだ。

 経営再建中のシャープが希望退職の募集と給与、賞与の削減を組合側と合意したと発表し5千人の削減策を実施する見込みらしい。給与は、一般社員でカット幅を7%にし賞与も半減させる。

 私がかつていた「パー」な会社のことが新年の記事に登場し「追い出し部屋」という言葉がちょっと話題を呼んだが、連載記事の流れは、所詮、マスコミも経済活動をする1つの企業であり、まあ読まれてなんぼの記事であっただけで、私にすれば面白くはなかった。

 このような記事は、時間経過とともに価値も落ち、さらに面白みもなくなる。きょうだから「5千人削減」が面白いだけだ。確かに7%を簡単に現実に当てはめて、半減する額も割り出せば相当深刻なのだが、オバカな会社にいつまでも付き合っているのも愚かだから、さぞや判断を悩まれることだろう。その実態も知ってみたいが、まあ、想像のとおりだろうけど。

 私がパーな会社を辞めたときは10万人社員のうち2万人とも3万人とも言われた。20年以上工場のパートで働き続けたオバちゃんたち。「ムスメは短大を卒業して花嫁修行中なんよ、え?退職金?3千数百万ほどやで」と他愛ない会話をして私と一緒に会社を辞めた。2,3ヶ月後に街のショッピングセンターであったら海外旅行もたくさん行って楽しい毎日だと話してくれた。

 5倍の退職金を一律の退職者に出したのだろう。私にもくれたのだから、みんなも貰ったに違いない。多くの人が3千万、4千万またはそれ以上(多分上限なし)という退職金を熱い恩義(?)のある会社から戴き「ハイ・さいなら」をしたのでした。

 今で言う「ブラック企業」で日常の社員の扱いもひどかったし、精神教育にも法律ぎりぎりの線のようなものがあった。無論、自主退職をさせるための手法にも言葉で言えないほどの人権を躙るような行いや言葉があったわけで、まあひどい会社だったなあと今更ながら回想するのですが、あの時に、ゆっくりじっくり考えるたびに思うことがあれこれとあった。(そういうものが、ふつふつと、今朝の記事を読むと蘇ってくるのでした)

 本当はもっと辞めてほしいのだろう。5万人ほどは辞めさせたい。しかし、自主退職を5倍の退職金で釣りながら自主退職を募れば、一方で辞めてほしくない人が20%から30%は混じったと推測できることから、そんなに無茶も出来なかったのだろう。何よりも社会や世間の眼が気になる会社だったし。

 私にしたら「ざまあみやがれ」だったが、大企業揺るがずのその後の姿に幾らかの悔しさも感じた。まあでも、今となったら縁を切ってよかったし、その後の哀れな姿も少し拝見できた。何よりも私がひと回りもふた回りも大きな視点でものを見ることができるようになったのでもう昔のことは考えないことにした。

 ものさしとか手順を、既成のモノから変えなければ、このような企業に未来はない。賢くて立派な人がたくさんいただけに、とても残念だ。

 どんな点が「パー」だったのか、というか、誰も書かない「パー」な会社の実態はまたの機会にしましょう。(みんなあんまし興味ないだろうけど、酒を飲んで馬鹿にするときはそれなりに楽しい)

2013年5月 8日 (水曜日)

井上靖 本覚坊遺文

井上靖 本覚坊遺文

薄っぺらい本なんですがすごく高かった。
1365円。

面白いんですけど、寝床で読むと眠ってします。

老眼鏡欲しい。

読んだ人の感想も聞きたいです。(TB、コメよろしく)

井上靖 本覚坊遺文

きょうからは柱の傷を乗り越える ─ 立夏篇

 五月の風はひと月前の風ではなく
もう夏の風になっている。
  • 五月晴れ母の背中の丸い影
  • きょうからは柱の傷を乗り越える
  • 背くらべいつか抜かれたこどもの日
  • 枇杷の木がモゾモゾしとる立夏かな
  • 道草を食ってツツジの蜜を吸う
  • 初ガツオふるえる箸の辛子かな
どちらの農家も田植えが忙しいのだが、わたしは1町ほどの田んぼを弟に譲り、気楽な暮らしをさせてもらっているので、この季節は時間を贅沢に弄んでいます。
 
 昔のように旅に出ることもなく、インドアな一日を過ごす。
 
 田植えが終わるころは、ちょうどイバラの葉っぱを山に採りにいって(私の地方で言う)かしわ饅頭を母が作ってくれたものだ。父が逝って母も老いぼれてしまい、誰も山に行かなくなったから、そういう自然の恵みには縁遠くなってしまった。自分で山に入るワザを父に教えてもらわなかった私に与えられた罰だと思っている。
 
 今、世の中はすべての人がそんな罰を受けているのだが、そんな意識は希薄だ。幸せだと思っている。
 
 柱の傷を見て自分を省みることもなくなってしまった今
 ツツジが花を咲かせて、私を誘惑することも
 カツオが店に並んで、どうぞと微笑むのも
 
 ある意味では幸せなのであろうけども、
ヒトはそこでとどまってしまっているように思う。
 
 私の力で何かを……と息巻いたこともあったが、
このごろは、私の力などその程度で、そのへんの石ころの一つ一つに区別がつかないのと同じで、
まあそんなもんよ、と思うことが増えた。
 
  カツオ
 
きのう、ジョギングシューズを洗ったことや
 トイレの水洗弁が錆び付いてきて流しっぱなしになってしまうことが多くなったのを見て、自分も錆びたなと思ったことや、
 一昨日に肉を少し多めに食べたら夜にたくさん夢をみたことなど、
そういう事のほうが日記のネタに面白いかなとも思う。

「初ガツオ」とパックに貼ってあったので買って来ました。
9切れほどで398円。
 
 私の父は、鰹の刺身を食べるときが一番嬉しそうでした。
ブリのときもそうですが、
お魚の味と舌触りが、おそらく、
子どもがプリンを食べる感触と似ているのかもしれません。
 
 私は父に似て
 ムスメは私に似て
カツオを食べる。

2013年5月 5日 (日曜日)

親子丼

親子丼

親子丼をつくろうと考えた。
久しぶりですな。
そうでもないか。

鶏肉余っとるし
ムスメは京都に出かけたし
二人だけの食事やから
質素にいこうか。

**

かまぼこが入ってますねと指摘を受けた。
そうです。

ほんまは、三つ葉と卵だけでするのがええのですが
夕飯ですし、賑やかなほうがええやろうと思いまして
凝らないときは、こんなふうになります。

鶏肉は焦げ目がつくまで炒めてから使います。

まあ、卵の半まぜ具合と半熟具合が気に入っています。

2013年5月 4日 (土曜日)

つつじ

職場の庭で連休前に一斉に咲きはじめた花が
満開になっていい匂いを放っている。

ツツジ

2013年5月 3日 (金曜日)

なまぶし

味噌カツ

お魚にしようと思っていたのに、お味噌に釣られてお肉となった(5月2日の昼食)

なまぶし

▼なまぶしを食べて今夜は猫になる

ほんまに旨い。

子どものころは、なまぶしをカツオであるとは考えてもいなかったのではないか。
では、カツオであることを知らなかったのかというと、そのようなことはなかったと思う。

鰹節は毎朝食べる卵のご飯(卵かけ御飯)にようけ掛けてもらうし、時々自分でカツオの塊をゴシゴシと鉋で削っていたのだから、その塊である魚を柔らかく煮たのが「なまぶし」であると気づいていたはずだ。

併し食べる段階になってそんなことは吹っ飛んでいて、卵にかける鰹節はふりかけの一種であり、煮物になったなまぶし(生節)は醤油としょうがの染み込んだ辛いような甘いようなほっぺたがとろけるおかずだったのだ。

高額で高級なものを食べることが食の贅沢ではなく、こういう料理を極めて日常とすることに歓びを感じる。

季節は夏に向かう。
太平洋に面した県に住んでいて嬉しい。

2013年5月 1日 (水曜日)

続2・なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その43

素朴な露天風呂がまだそれほど注目されていない時代だった。それが幸いして、一部の登山家などが知っている山深くにある温泉のお湯を、そのちょっとナイショの情報を頼りに訪ねた。

後に温泉ブームとか秘湯ブームになり、同時にネット社会が来てそういう情報はもはや秘密ではなくなってゆく。安くて心を癒せる温泉を誰もが求め、それに応じて温泉センターの開発や掘削が進む。ちょっとしたブームが生まれ、本当に秘密にしておきたいような温泉が世の中から減少してゆく

商業施設としての温泉経営をするためには、風情のある山あいのかけ流しの湯や混浴と呼ばれるような男女の区別なく自然の湯舟を楽しむ形は利益に結びつかない。そこで、銭湯のような施設というイメージに変化するところもたくさん現れた。

混浴には旅の情緒があふれていた。湯に浸かる人の温かみなども味わうことができたのだが、やはり時代の変化として混浴や、湧きっぱなしの野性的な雰囲気は、今の時代には許されないものであったのかもしれない。

あの頃は、信州の温泉には風情のある湯の印象が深いところが数々ある。

白骨温泉や乗鞍温泉は関西方面からも近いほうに位置しているし、強烈な硫黄の臭がするので温泉風情があり、共同浴場の値段が手頃だ。だから何度も訪れている。

山ひとつ隔てた奥飛騨方面の温泉郷も好きなところだ。

平湯温泉にはキャンプ場があるので、ツーリングの拠点にしやすい。平湯キャンプ場は今はとても有名で、車のキャンパーも多くなった。その割には、静かでここちの良いところだ。

別所温泉にもよく行った。その周辺の蓼科温泉郷や浅間温泉なども含めて信州の中心部にあたるので、2,3泊の旅をするのに有難い温泉地だ。さらに、有名な草津温泉方面、四万温泉や万座温泉など、有名な温泉地も散らばっていて出かけることができる。

焼尻温泉、野沢温泉も旅の途中の立ち寄りには魅力的だった。

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