« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月29日 (月曜日)

「オススメ」を何冊か

 作者には作風があるように
 読者には読風があってもいいだろう。
 これだけに絞るには苦労した。
 
 検索窓にタイトル入れて探してみてください。
 何も書いてないものもあるかもしれませんが。
 
◎ 山本兼一 利休にたずねよ
◎ 車谷長吉 赤目四十八瀧心中未遂
◎ 向田邦子 思い出トランプ
◎ 福永武彦 忘却の河
◎ 林芙美子 放浪記
◎ 宮本輝 宮本輝全短篇 上下
◎ なかにし礼 赤い月
◎ 村上護 山頭火句集
◎ 武田百合子  富士日記 (上巻)
◎ 高村薫 マークスの山(上・下)
 
ここまでを前半に並べ替えました。(5月7日)
いかにも、私が好きな作品が並んでます。
 
◎ 宮本輝 道頓堀川
◎ 宮本輝 泥の河
◎ 宮本輝 流転の海シリーズ
◎ 瀬戸内寂聴 手毬
◎ 井上靖 孔子
◎ なかにし礼 長崎ぶらぶら節
◎ 遠藤周作 わたしが・棄てた・女
◎ 遠藤周作 母なるもの
◎ 遠藤周作 女の一生〈1部〉キクの場合
◎ 遠藤周作 女の一生〈2部〉サチ子の場合
 
◎ 川端康成 伊豆の踊子
◎ 向田邦子 父の詫び状
◎ 高村薫 レディ・ジョーカー〈上、中、下)
◎ 吉川英治 宮本武蔵
◎ 内田百間 ノラや
◎ 司馬遼太郎 梟の城
◎ 阿川弘之 山本五十六
 
 うちの本棚にきてこれらの本の周辺にある本も読んでほしい。
5倍ほどになるかもしれない。 
 
 詰まらないベストセラーや人気作品、人気作家モノもたくさん出回っていますから
ほんとうにずっしりといい作品に出会って欲しい。
 
いいものを捧げたい。
 
 
 

2013年4月28日 (日曜日)

ペペロンチーノ

ペペロンチーノ

私は、アスパラとベーコンを入れます。
時には、ウインナーとブロッコリーを入れることもあります。

小樽ワイン買いました

いつもより高めのワイン。 めちゃめちゃおいしい。

トラックパッド(電池交換)

トラックパッド

GWは休日を一日おきに出勤することにしたので、リズムを掴むのが少しむずかしいかもしれないが、家でゴロゴロして過ごすには、カラダは楽ちんだな。

【つぶやく】 十七音-17のおと 終了のお知らせ

長い間、書いておりました 【つぶやく】 十七音-17のおと を終了します。

どうもありがとうございました。


wahaku

これからは、FC2 ブログ にて今後も継続して綴ってゆきたいと思います。


夢の中であなたのピアスそっと噛む  4月下旬号 から開始しています。

2013年4月27日 (土曜日)

シュークリーム

仕事に行っていたのですが

シュークリーム

素敵な人にごちそうになった。
美味しかったです。は~と

2013年4月24日 (水曜日)

タケノコ

ゆうべ、電話があって
タケノコをもらったので取りにおいな、
という。
 
そこで、早速行ってもらってきた。
湯がいてもらってあって
出足が遅れていた今年のタケノコだが
大変美味しくいただいた。

タケノコ

きかせてよ柱の傷の物語 穀雨篇

柱のキズ

なかなか春の爽やかな風が吹かないこともあって春物のスーツと冬に履いていたズボンを混ぜこぜに着て何日かを過ごしている。

穀雨が過ぎてやっと本格的な雨が夜半から降り始めた。先日雑草を引き千切って庭を這いまわったが、土はカサカサに乾いていた。こんな年もあるだろう。田んぼにはきちんと例年通り水が張られ着々と田植えは進んでいる。

水田

22日の夕方、列車を降りる直前に写真を写してみた。少し赤みがある。夕焼けが楽しみな季節は近いのだなと思いながら跨線橋を渡った。

近ごろは鯉のぼりを見かけることがないので、歌にもあるような「屋根より高いこいのぼり」の意味が子どもたちにはピンと来ないだろう。柱に傷をつけて子どもたちが大きくなったことを家族中で心から祝うこともない。

キズをつけられるような柱がないし、屋根の下に家族の面々が揃わない。

▼乾く筆、耳に染み入る雨の音

20日の夜には「花も嵐も」のなかで書き残そうと思っている温泉を思い出していた。数々の旅で訪れた全国の温泉の風景とその時に交わした会話や出来事を回想しながら、この形のない記憶もやがて消えていってしまう日が来るのだ、しかし、新しい時代には新しいドラマが始まればそれでいいのだと沁々と思った。

春の雨は少し肌寒い。それでいいのだ。

2013年4月23日 (火曜日)

続・なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その42

温泉の火付けは、奥飛騨温泉郷の新穂高露天風呂であったかもしれない。強行の日帰りも可能だが、奥飛騨付近で泊まれば快適に温泉めぐりができる。
 
その中で奥飛騨温泉郷の新穂高温泉は、道路脇に池のようにお湯が溜めてある夢の様な温泉で、ここもその頃は秘境温泉だった。ここに出会うまで、平湯温泉や奥穂高温泉、福地温泉、白骨温泉、乗鞍温泉と湯めぐりをしていたが、露天風呂で無料だということが大きく影響した。
 
露天風呂って楽しい。
無料って嬉しい。
そういう感じだ。
 
エピソードがある。
 
あるとき、私は友人と朝湯を楽しんでいた。
ちょうどそこに、湯舟の向こうから女子5人組が賑やかにどかどかとやってきて、最初は「すみませ~ん、いいですか」などと穏やかであったが、次第に開放感が満ちてきてザブーンと騒いではきゃあきゃあと楽しみ始めた。
少し酔っ払っていたのだろうか。
 
湯舟に浸かって、カラダに巻いたバスタオルを剥がし「開放的でいいなあ」と叫びながらバンザイをするようにバスタオルを風呂のヘリに遠く投げてしまったのだ。
プールほども広くない湯舟の反対側に素っ裸の5人女性。私らは、男二人。
「気持ちいいですねーーー」って陽気に話しかけられても、友人は答えることもできずうつむいてしまっている。
 
まあ、目のやり場には困ってしまったのだろう。
私は前を見ないことには風呂には入ってられないのわけだから、きょろきょろと見えてしまうものは見ていたけど長湯になってしまった。
 
女の子もあそこまでリラックスして風呂に入ればストレスも解放できよう。
ただし、タオルは湯舟の中からカラダを少しだけでも隠しながら手が届くところにおいて欲しかった。
 
おしりやおっぱい丸出しで歩かれては、マナー違反だ。
 
そんなスリルもあったなあと新穂高の湯を見るたびに思い出す。

2013年4月22日 (月曜日)

なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その41

1981年の10月31日、11月1日に諏訪湖YHと上田まほろばYHに泊まって、蓼科温泉郷や別所温泉につかり紅葉を楽しむという旅をした。
 
あの時の温泉が♨渋御殿湯温泉であったと、後になって私は回想している。
 
一緒に旅をした井上君がトイレに行っている間に女将さんが湯舟の説明をしてくれた。それを聞いてから私はトイレに行ったのだが、井上は私と行き違いに湯舟へと先に向かった。
 
湯舟には源泉27℃の湯舟と適温に温めた湯舟があるという說明を知らずに井上は源泉の浴槽につかていた。おいー冷たいぞ、というのでわたしが説明を伝えたのだが、彼は悲壮的な顔で湯舟から泣きそうな声を出していたのを思い出す。
 
温泉はぬるい湯を沸かしているところがいい。水で温度調節をしない本物の湯だからだ。
 
あの年に行った別所温泉も湧きっぱなしの温泉だった。初期の頃に出会った温泉が名泉だったことで運良く温泉の味わいや湯の愉しみ方を知ったのだった。
 
社会人になって新車を買って、乗鞍に飛び込みツーリングをしたときもそこに温泉があった。温泉は旅人である私の緊張した心を優しく緩めてくれた。
 
すぐには温泉にハマることはなかったが、旅には温泉がつきものとなり、その頃よく出かけた信州には数知れず名泉が湧き出ているので、公共の温泉を訪ねるのが楽しくなってくる。
 
安く入れて個性のある泉質を楽しめる。露天風呂などの景色も味わいながら、開放感のなかで様々な旅人たちと出会えた。
 
乗鞍高原や別所温泉、奥飛騨温泉郷、浅間温泉、奥飛騨温泉、野沢温泉、草津温泉などを拠点にして、連休の旅は信州へと向かう事が多かった。
 
あのころは信州の温泉を隈なく訪ねて歩きたいと夢見ながら、お気に入りの温泉をリピーターしながら走り回った。
 
信州の温泉は私の温泉ツーリングの原点であるともいえようか。

2013年4月21日 (日曜日)

乾く筆、耳に染み入る雨の音 穀雨篇

麦とホップ 赤

少し歩くと汗ばむ季節になってきた。
スーパーで「麦とホップ 赤」というのを発見したので
早速買いました。

限定醸造。
4月生産。

とにかく、行列は嫌いだから並ばないが、
限定なら並ばなくてもいいので即購入。

麦ホファンとしては新しい楽しみとなる。
キリンの秋味を意識してますね。

旨い。

4月16日

▼汗ばんで枝豆買うてまいました

今夜もプシュ

4月18日

▼苗床の隙間うかがう上弦の月
▼雨恋し筍山の息づかい

今年はまだタケノコを買いに行っていません。

タケノコを食うとおとやんを思い出すなあ。
旬の時期になると夜明け前から山に行きタケノコを掘ってきてきてくれたものです。

山の場所も掘り方も教わらないまま、でした。

4月19日

▼約束は守るよセンチになったこと
▼聞かないで砂に落書きした秘密
▼ツツジ咲かないで欲しいのほんとうは

華が咲くのは嬉しいけれど
毎朝登る職場への坂道に
ツツジが満開になると
まあ、色々と思い出すこともある。

まだ咲かない。

4月20日

▼乾く筆、耳に染み入る雨の音
▼憎しみを込めてもぬるい春の雨

寒さがブルっと戻ってきた穀雨の夜だった。

2013年4月20日 (土曜日)

温泉のこと(リスト) 花も嵐もⅡ その40

温泉を思いつくところをあげておこう。

あとでこの温泉リストをに見ながら、あの温泉にはどんな思い出があるとかを書けるといいなあ。

どこも、みんなシーンが蘇ってくるから不思議だ。

思い出すところを順番になぞってみる。

川湯♨
阿寒湖♨
十勝川♨
十勝岳♨
層雲峡♨
登別♨
野中♨
砂湯♨
ウトロ♨
酸ヶ湯♨
奥薬研♨
下風呂♨
カワヨグリーンYHの♨
藤七♨
鶯宿♨
花巻温泉郷
大沢♨
ほっとゆだ駅♨
夏油♨
玉川♨
乳頭温泉郷
鶴の湯♨
黒湯♨
妙の湯♨
銀山♨
蔵王♨
上山♨
小野川♨
白布♨
滑川♨
姥湯♨
栗駒温泉郷
湯ノ倉♨
鳴子♨
飯坂♨
岳♨
湯野上♨
木賊♨
大湯♨
黒石♨
那須♨
塩原♨
伊香保♨
四万♨
尻焼♨
草津♨
万座♨
湯河原♨
沢田公園露天風呂♨
熱海♨
稲取♨
伊豆長岡♨
寸又峡♨
石和♨
奈良田♨
上諏訪♨
蓼科温泉郷
浅間♨
乗鞍高原♨
中の湯♨
白骨♨
別所♨
田沢♨
湯田中♨
野沢♨
六日町♨
松之山♨
越後湯沢♨
妙高♨
燕♨
下呂♨
越後荒川温泉郷♨
奥飛騨♨
木曾♨
御岳明神♨
濁河♨
平湯♨
福地♨
奥穂高♨
山中♨
山城♨
舘山寺♨
高峰♨
大町♨
昼神♨
鹿沢♨
蓮華♨
小谷♨
阿南♨
大白河♨
鶴来♨
越前漁火♨
湯の峰♨
わたらせ♨
入之波♨
野迫川♨
十津川♨
勝浦♨
白浜♨
崎の湯♨
城崎♨
浜坂♨
湯村♨
三朝♨
玉造♨
温泉津♨
有福♨
関金♨
湯原♨
道後♨
奥道後♨
松江♨
宍喰♨
祖谷♨
べふ♨
黒川♨
別府♨
湯布院♨
内牧♨
雲仙♨
筋湯♨
えびの高原♨
霧島温泉郷♨
指宿♨
湯山♨

2013年4月19日 (金曜日)

野宿のこと 花も嵐もⅡ その39

野宿ツーリングを始めたきっかけは、1992年の四国への旅で、4900円のテントを買って出かけたことがきっかけだった。

その頃は、キャンプブーム以前で、ノーブランドの安いテントはそれほど豊富ではなく、ホームセンターでも選べるほど種類もなかった。宿に泊まるほどの値段でテントが買えればそれで十分と考えた。

ひとりでテントに潜り込んで眠ることには大きば不安があった。設営場所を選ぶのに苦労したし、タイミングや食事や時間の過ごし方のノウハウも何もなかった。

しかし、頭で考えて、実際にやってみて、ノウハウが身について、アイデアが浮かんで、再挑戦する…というサイクルが定着すると、空き地を見るとテントが張れると思うようになってくる。

少しスリリングに、そして横着になって、度胸もついてくる。ケチで始めたキャンプツーリングが、だんだん目的に変化していく。

ツーリングマップには、キャンプ場が記載され、テントを積んで走る人が急激に増えてくると、銀マットのライダーと出会えば必ずピースを交わしたものだ。

貧乏でケチだったので高額なテントは買えなかった。雨降りに耐えられるような良い物も買えなかったので、YHや民宿と併用しながらキャンプツーリングを続けた。

ユースのこと 花も嵐もⅡ その38

旅を深めてゆくひとつに、ユースホステルとの再会があった。

学生時代(1年時に)に北海道で幾つものYHの旅をして、卒業間際に諏訪湖、まほろばに行って以来、旅の宿としてユースをさほど意識していなかった。

だが、この回想記の最初で触れたように紀伊半島をめぐるツーリングに出て潮岬YHを利用したことや1984年に九州を旅して何箇所か利用をしていることから、その後も細々と利用し続けることになる。

四国YH共和国などの会員にもなって利用を重ねた。

すぐに名前が思い浮かぶところを書いてみよう。

久住高原YH
湯布院YH
桜島YH
湯山温泉YH

津和野YH
香宝寺YH
松江YH
浜坂YH
玉造YH

松山YH
宿毛YH
大堂海岸YH
定福寺YH
琴平YH
宇和島YH

有田オレンジYH
潮岬YH

木曾旅情庵YH
飛騨古川YH
郡上八幡YH
五箇山YH
諏訪湖YH
小諸YH

まほろばYH
石和温泉YH
浅間温泉YH
駒ヶ根温泉YH
戸隠YH
乗鞍高原YH
蓼科クライネYH
妙高池廼家YH

草津高原YH
六日町YH

大湯温泉黒森YH
山形YH
只見YH
裏磐梯YH
花巻YH
カワヨグリーンYH
遠野YH
道中庵YH
メープル仙台YH
田沢湖YH

桃岩荘YH
旭川YH
留辺蘂YH
川湯温泉YH
ウトロYH
阿寒湖YH
野中温泉YH

このくらいがスラスラと思い出せるところだ。
おおかた、建物の印象が記憶にあるものの、おそらく今は改築されているのだろう。

泊まるということの他に、そこの生活に馴染んで、旅人と語り合い、情報を交換し、新しいことを着想する拠点だった。

手に入れる情報は苦心したものばかりだった。

自分で考えて、そして決めて走る。
誰もが自分で決めて走った時代だ

簡単に手に入る他人がもたらした情報で、筋書きのある旅をしたことは一度もなかった。

私の旅ができなくなったから、旅をするのをやめてしまったのかもしれないとも考えることがある。

1998年津和野YH

2013年4月18日 (木曜日)

シャケ

シャケ(照り焼き)

ナイショでもなくゆうべお魚食べたこと ねこ

池澤夏樹 双頭の船

池澤夏樹 双頭の船

半分くらい進んでますけど、一日で読んだりしない。(もったいないよ)。そんなことを書き残しながら読み始めた。

ところがこの作品、読み進めれば池澤夏樹風味が少ないような気もするけど、この人ときどき化けて筆を使うから、まあ「三浦しをん」みたいなタッチでも目くじらは立てない。

図書館で借りた本で、期日までに読めました。(いつも延長ばかりやからな)そして感想は、全部読んでから整理してそのうち書こう……と考えたのだが、激しい感想が涌き上がってこなかった。

池澤夏樹の作品の中ではファンタジーっぽい部類になって収束していったので、重苦しくテーマを投影するような主張もなく、少ししょんぼり。

読み進めながら、ファンタジックでドラマチックなイメージを描ける人には面白く読めるのだろう、と感じ、私は池澤夏樹の違った色合いを期待していたのだなと思う。

毒舌という言葉は好きじゃないが、一部のファンは私と同じように、池澤夏樹のもっと売れないような作品を期待ているのだろうな。

2013年4月17日 (水曜日)

まほろばYHや諏訪湖YHの写真など

昔の写真が出てきて
それがユースホステルの写真で
ひとり懐かしんでいる。

どれも1980年ころから数年のものである。
今は、すっかり変化しただろうから、一度行ってみたいなあ。

諏訪湖ユース

まほろばユース

まほろばユース

まほろばユース

東北へ行く途中のユース

2013年4月16日 (火曜日)

れんげ畑むかし話は寝ころんで

これを書いたのが、いつであっても、
どんなときであっても構わないのだろうが、
春という季節は、すこしずつ温くなってきて、
冬物を仕舞って春物を出しながら、
ささやかなワクワク感を愉しめば最高の季節になる。

だが、
思い浮かぶストーリーの果ては悲しい恋の終わりばかりだった。

12日。
冬の背広、クリーニングに出しました。

▼いまの夢君に逢いたく二度寝する

▼おはようの君の挨拶♥ハートマーク

▼きみのピアスあれは夢の中のこと

▼夢のなか貴方の影を踏んでみる

▼(並んで) 皿洗うおチビな君が好きらしい

まあ、私にスランプというものがあったとしても
それは取るに足らない低空飛行でしかないだろうから

くよくよしないで生きていく。

14日には

▼れんげ畑むかし話は寝ころんで

なんて書いている。

そういえば、れんげ畑を全然見なくなってしまったのが寂しい。

畑に寝ころんで、
ヒバリが啼くのを見上げながら
あのころは、恋に恋することさえせずに
青春を愉しんでいた。

2013年4月15日 (月曜日)

一子相伝

先日、母の様子を見に家に帰って、少し昔話をしてもらった。わたしも驚くほどとても正確に時系列的な話が次々と続く。

わたしにはとても真似のできない記憶力で、出来事の流れを非常に的確に整理して頭のなかに仕舞ってあるのがわかる。

わたしの祖父は和一さんといった。妻が「るい」さん。和一さんの父は「よっさん」で母が「みね」さん。

祖父・和一さんは村会議員で、曽祖父・よっさんは村長だった。おるいさんは、鍛冶屋の家に生まれて商売はそれなりに繁盛した時期もあったようですが、子どもの頃に母に死なれてしまって裁縫もできない人だったらしい。一方でおるいさんの姑だったおみねさんは、武家の血脈を持つ山田家から嫁に来た人で、裁縫も達者で学もあり字もスラスラと書けたという。

わたしの母がお嫁に来た昭和二十年代後半には、おるいさんもおみねさんも生きていたし、和一さんは家長として威厳を誇っていた。おみねさんは、わたしが生まれたときもまだ生きていて、面影は全く記憶にないが、おばあさんがいたことは何となく覚えている。和一さんはわたしが小学校に上がる頃まで生きていたけど、これも写真が誘発するイメージだけなのかもしれない。

そして、父には兄弟姉妹があって、弟二人(叔父さん)、姉(伯母)と妹(叔母)があった。わたしが生まれたときは、姉さん以外はみんな家にいた。わたしを入れて9人家族だったことになる。母は、一般的にいうよそからきた普通の「嫁」で、鬱陶しい義理の兄弟やら親に囲まれて暮らし始めたわけだ。

子どものころに住んでいた家は、昭和の初期に建てたもので、昭和30年ころに萱を瓦に葺き替えて、昭和60年近くまであった。家の真ん中に8畳間が4部屋、土間の台所との間に6畳ほどの板間の居間があった。さらに土間の隅っこには2つ連なった大きな竈と子どもの胴体よりも太い煙突があった。土間を挟んで背戸(東側の通用口)があり家の正面に構える玄関との間に牛小屋があって、その横に風呂がある。風呂に浸かっていると湯舟の肩から牛が顔を出してきた。牛小屋の横には6畳ほどの下部屋(しもべや)と呼ぶ小さな生活の部屋もあった。便所は外。その先に味噌部屋と物置として使う小屋があった。後に2階建てで上が4畳半と8畳、1階に4畳半と車のガレージを持つ小屋に変わる。その小屋はわたしの父が日曜大工でコツコツと3ヶ月ほどで建てたものだった。木材もうちの山から切り出して、製版も自分でした。

家屋そのものは大きいのだが、住んでいる人数も多かったので、現代の新妻だったら一瞬も我慢ができないというか、嫁入りする前に病気になってしまいそうな状況だ。

母は、あまりその頃のことを悪い言葉で回想しないが、涙も枯れるほど辛かった日々であったのは間違いなく、思い出しながら話す言葉が淀むのがわかる。60年の歳月でもはや許してもいいと思っているのかもしれない。今更、という気持ちもあろうか。

和一さんは時代の先を読める人だったと繰り返していう。頭が良くてよく切れる人だったと今でも褒める。世間でいう意地の悪い姑や姑の悩みは抱いたこともなかったようで、時代に相応の扱いだったという。しかし、現代に当てはめたらきっと非常に悲しく厳しい物語になるだろう。そのことはあまり口には出さない。

とにかく、賢くて立派であったと誰もが口をそろえていう。その息子だったわたしの父は、あまり大袈裟に褒める人もないが、この人も嫌われる人格ではなく、悪口を言おうとしても何ひとつない人だった。仲人も数えられないほどしたし、ある意味で慕われていたのだろう。役場の寂しい職員だった。

祖父から父へ何が受け継がれたのだろう。そんなことをときどき思い、さらに、父から息子であるわたしに何が受け継がれたのであろうか。

じっと頭を冷やしながら考える。
わたしは何を受け渡せるのだろうか。
そういうことを考える年齢になっている。

白い紙に「一子相伝」と書いてみる。
落ち着いたいい言葉だ。

子どものころの家

2013年4月14日 (日曜日)

たんぽぽ

先週くらいから田んぼに水が入って
予想通りこの土日は田植えが始まった。
そんなあぜ道を散策して見つけたタンポポ。

和製かな。

たんぽぽ

2013年4月13日 (土曜日)

鴨だし@どん兵衛

鴨だし。

結構、旨いので、また買うてお昼。

どん兵衛

監視体制は、17日からです。

2013年4月12日 (金曜日)

知らんぷりした夜日記が長くなる (新年度らくがき集)

新年度が始まって
あっという間の十日余りがすぎた。
きのうの帰りに田植えのすんだ田んぼを見た。

4月12日

▼お疲れさん週末近し桜餅

桜餅

4月11日

▼うなづいてキミを見つめると涙が出た
▼この冬におなかポッコリ太ったな

4月10日

▼おはようさん、立派な爺さんになりつつあります
▼けさみた夢が思い出せない
▼葱坊主おまえとオレは無関係

4月9日

▼夢に出て来た人に手紙を書こう
▼葉桜や僕は愛など知らないし

4月8日

▼港へとつづく坂道で君に電話した。
その坂道は九十九折の木漏れ日の道に変化して、やがて何かの映画でみたような素敵な切通しを抜けて、君のいる小さな入江の集落へと僕を導いてくれた。

▼忘れるという言葉もまた命令形は存在できない

4月7日

▼知らんぷりした夜日記が長くなる
▼そういえば、けさ虹を見たよ二人で
▼みずたまり、ぴょんと貴方にひとっ跳び ★ 元気にしてるか?
▼静かな朝や。鳥も啼かん。

4月6日

▼うそとほんとは紙一重。嫌いと言われて好きと思え……
▼大好きなあの人をあの映画のような大雨で洗ってみたい。そのあと、そっと抱きしめたい。そしてそのあと……
▼よう、降りました。お空キレイになったかな
▼新年度あけおめうれし春あらし
▼長靴を履きたいの春あらし待つ
▼メルアドを知ってるだけのカン違い

4月5日

▼地団駄を踏んで泣いたらひとしきり

4月4日

▼カーデガン羽織って想うキミの夜
▼猫のいる暮らしがしたいの、ニャアとなく
▼春嵐、幾つサヨナラをしただろう

4月3日

▼花びらの飛んであなたの髪飾り。散って古池花筏
▼風睨み飛ぶ花びらと飛ばぬ花びら

4月2日

▼散る花を追うてあなたの後ろ姿
▼花びらの散る美学なんて嘘っぱち
▼飲みたくてキミ誘ったら酔えなくて

4月1日

▼ほんとうはとっても哀しい散る花の
▼桜よりも貴方に好きと言わせたい
▼大好きだったあの人を花びらの如く
▼新年度明けましておめでとうございます。

3月31日

▼花筏足音止んで肩を抱く
▼花筏見下ろす人の心様々
▼ちりぬるをいいわけ添えて酒を注ぐ
▼吉野山散りはて果てに西行庵
▼別解があると言ったの嘘っぱち

3月30日

▼おしまいと書いて閉じられぬままの日記かな
▼黄色はそれほど好きな色ではないのですが、菜の花だけは許してしまう。それとあなたのカーデガンがその色だったとしたら、また違ってくる。
▼春浅きトイレに入って一時間

3月29日

▼願い事叶うと決めて待つ時間

2013年4月11日 (木曜日)

宮城谷昌光 楚漢名臣列伝

宮城谷昌光 楚漢名臣列伝

秦から三国時代への史記というのは、壮絶で血が騒ぐのだが、人間の味というものにも迫れるような気がする。 東洋の哲学を考えるときに避けられない。

この本も図書館で借りたものだが、ぜひ文庫でも欲しいと思う。
(文庫には地図がついています)

電車の中で読むのに最適。
返却期限が迫る。

2013年4月10日 (水曜日)

イサキ

熊野灘、と書いてあった。
県内産。
魚屋さんの話では、朝どりらしかった。
(10日の魚)

イサキ

2013年4月 9日 (火曜日)

のんびり生きることを考える  [裏窓から・号外]

桜の花はどのあたりまで北上してしているのだろうか。

わたしたちの桜は春の嵐で既に散ってしまったけれども、今ごろは鶴ヶ城(米沢市)あたりまで届いるのだろうか。

川崎展宏さんの作品に素敵な一句があったのを見つけたので書き留めておく。

◆ オメデタウレイコヘサクラホクジヤウス  川崎展宏

この作品は「葛の葉」(1973)に所収されており、前書きに「卒業生 札幌で挙式」と書いてあるそうだ。レイコさんは教え子なんだろう。

1973年といえば、山口百恵や桜田淳子がデビューの年で、電話料金も高額であったし、公衆電話(赤電話)さえ十分になかった。やはり、お祝いには手紙よりも電報を使った。大学の合格発表を「サクラサク」の電報で受け取ったという人も多いだろう。

*

1970年の1世帯あたりの1ヶ月の電力消費量が約120[kWh](キロワット・アワー)で、2000年ころには、およそ2.5倍の300[kWh]にまで増える。(電気事業連合会資料)

120kWh(1ヶ月)ということは30日で割ると1日4kWhという計算になるので、家庭のブレーカーは40A程度だろうから、4kWhの電力は、40Aのブレーカーが遮断されるギリギリで使えば、たった1時間で使い切ってしまう計算になる。1970年ころは、この電力量でほぼ1日を暮らせたことになる。

暮らしぶりの変化を振り返ると考えさえられるところも多い。

このごろ、秋田県の「のんびり」というホームページを見つけて愛読している。

「右肩上がりの経済成長というゴールなきゴールに向かい懸命に走ってきたニッポンにとってまるでビリを走るランナーのよう」であったのですが「相対的な価値にまどわされることなく自分のまちを誇りに思い、他所のまちも認め合う。そんなニッポンのあたらしい『ふつう』を秋田から提案」したいとホームページは言っている。

環境だけでなくあらゆる面で「秋田県」からあたらしい提案とPRをしている優れたページで、けっこう、ニッポンじゅうが参考にできるような内容だ。

2013年4月 8日 (月曜日)

動機 花も嵐もⅡ その37

忙しい仕事を眈々とこなして、休みは纏めてもらう習慣がいつの間にか着いた。
旅に出るときはこの連休を利用し、必然的に何日もかけて遠くへと出てゆくようになった。

何故そこまでして走るのだろうか。
その気持ちをいつも心に抱いていた。

毎日の苦しみから逃げているのだろうか。
果たして、毎日働くことにどれほどの苦しみが許されて、どの程度の苦しみであれば限界なのか。
それを誰がどうやって定義をすることができるのだろう。

人が生きていくのに、苦しみは当然で、人類は原始時代からその先にある幸福感に似たようなものへと、生きるという本能を持ってして進んできたのではないか。

嫌なら逃げる。楽しければ跳び付く。

しかしその果ては、弛んでしまった現代社会が象徴するような質の低下した人間の姿ではないのか。

では、私は日常の辛さや苦しみから逃げるために旅に出ているのではないのか。
日常社会に復帰すれば、再び仕事が始めれば、喜怒哀楽の嵐だ。
旅に行くために仕事をしているではないのだから、逃げるために旅に出るのではない、というようなことも漠然と考えた。

私の旅は、逃避ではなく、異次元へのスリップであった。

旅先で出会った人たちは今の社会の人と人との軋轢から「逃げて」来ているのだという。
一言「逃避でしょう」と言った人もあった。

その言葉を聞いたときは大きく頷いた。
しかし、そんなことをしても旅を終えて帰れば元に戻るだけだ。
新しい自分を見つけて、さらに新しい自分を作るためのヒントとエネルギーが欲しいのではないのだろうか、とも考えた。

様々な疑問を胸に抱きながら、まだ見ぬ土地に思いを馳せてゆく。
確かに一時的であれ仕事のことは忘れて走った。

美しい風景、旨い食べもの、安らぐ湯、未知なるカルチャー、そして走ったことのない街道や峠。交わしたことのない言葉、出逢い。

そういったものだけではない何か
それはいったい何だったのか。
それが今ごろになって見え始める。

2013年4月 7日 (日曜日)

時計

部屋の大きな時計が1時間遅れている。
まるで誰かが悪戯をしたようにきっちり1時間遅れて素知らぬふりをして動いている。

そこで、時間とは一体なんだろうと考えることになる。

**

私が子どものころは、今でいう居間にあたる部屋の柱にはいつも振り子が揺れている大きな時計があった。

その時計はネジ巻き式の時計で、父が毎日夕飯を食べ終わったころか朝ごはんを食べ終わったころにネジを巻いていた。

おそらく1日1回程度、ネジを巻いたのだろうと思う。踏み台にのぼって巻くので、子どもの私には手の届かないものだった。

そう。あのころには、手の届かないものがたくさんあって、子どもはそれをいつか大人になったら…と思い見つめていたのだ。時計もそのひとつだったのだろう。

時計は、小学生のころに乾電池式になった。けれども、時計には振り子があった。

**

そういえば、母は腕時計というものをしないので、オモテの庭や畑に出かけていったときでも、正確な時刻を知りながら仕事をしているわけではないのだということを、時間というもの考えたときにふと気付いた。

時刻を知るということは、一体どこまで必要なことなのだろうか。

人間は、太陽が昇って明るくなったら動き出し、暗くなったら家のなかに戻ってくる。電気がなければ、ささやかな蝋燭などの明かりで必要なことをこなし、あとは眠る。

技術の進化でというか、文明の進化で暮らしが便利になるのは良いことであるものの、そのシーズにより時計のネジを電池に変化させていったわけだが、ネジはいつまでも巻き続けていたほうが人類のためになったのではないか、と思うことがある。

今はほとんどすべてのものが時計の刻む時間の上で動いている。

そのおかげでテレビが録画できる。やがて、遠方から電話をかけてビデオに喋りかけてやれば、ビデオ機器がその言葉を理解して自動で録画をする時代が来るのだろう。

柱時計

昔、学生時代に思い描いた人工知能というものは、イメージ通りではないものの、今の世の中に広がりつつある。

だが、そういうものに支配されるのがどうしても嫌で、人間が考えだしたマネー社会が好きになれず、海へ山へと移動する人が少なからずいることに、安心感を持つ一方で、そういう人たちにとっては生き抜きにくい社会なのだとも思う。

普段からテレビは見いないし、ひと月の半分は時間などどうでもいい暮らしをしているので、私も母のように時計は持ち歩いていないし、部屋の時計が1時間狂っていても困ることはない。

狂った時刻の時計は、誰も直そうとせず動き続けている。
それでいいのだ。
バカボンのパパもそう言ってくれるような気がする。

2013年4月 6日 (土曜日)

おいしい季節  [裏窓から・号外]

ほんの一握りの人たちだけが知っていたことかもしれませんが、紀勢本線を1日1往復し「紀勢貨物」として多くファンを魅了していたディーゼル機関の貨物列車が3月末に廃止になりました。重たく長い貨物を引いて曲がりくねる鉄路を走り抜ける機関車の姿には哀愁を伴う感動がありました。(尾鷲市のHPにも「今週のスナップ」として掲載してます)

伊勢平野を通り抜ける時刻は早朝と黄昏時でした。時刻表に載っていないこの列車を通勤の行き帰りなどで見かけた人もあると思います。列車そのものが放つ鉄道の勇壮さだけでなく、長く連結されて黙々と旅する貨物の美しさに惹かれた人も多かったに違いありません。

鉄道輸送のひとつのステージに幕が下りたともいえましょうか。この1ヶ月ほどあとには、荷阪峠をトンネルで抜ける自動車道路が開通しています。

このごろはクリーンエネルギーコミューターとしての電気自動車が注目されたり、自転車をそのまま持ち込める電車が話題になっているのを見かけます。地域文化を紹介する記事もメディアで紹介され、昔ながらのスタイルを守りながら、ささやかにその土地で暮らしている人たちに触れることができます。

技術開発のニュースを見ると遅れてはなるまいと思うものの、それとは正反対に、ネット情報が伝えてくる近代から、一歩離れて暮らすのも粋なもんだと思うことも多くあります。急成長をしていた時代と違って、一息ついてスローに過ごす暮らしを見直そうしている人々がじりじりと増えていると分析する人もあります。私たちの地域にあう暮らしを大切にしたいと思います。これってきっと県民性ではないかと信じてます。

かます

春になっておいしい県内産の魚がお店に並ぶようになってきました。列車沿線の田園風景が日々変化します。いつの季節にも感じてますが、うちの県ってほんとにイイですね。

カツオ

2013年4月 5日 (金曜日)

桜

うちのムスメさん
お昼休みに裏の公園へ。

写真を送ってくれました。
綺麗に咲いています。

2013年4月5日 (金)

人生は、sin、cos、tan。  清明篇

春には間違いなく桜が咲き、
そのころに嵐が吹いて花が散る。

別れを惜しむ人があれば、
出会いを歓ぶ人がある。

この時期は、羊羹を切った包丁の右と左のようなもの、
切り口のオモテとウラのようなものかもしれない。

sin、cos、tan。
サイン、コサイン、タンジェント。

人生は永遠の周期で、再帰的関数のふりをして
実は全てが新しい。

誰にも予測できないものであり
いとも簡単に方程式を解けるような錯覚もある。

薬指 薬指

指をスライサーで切りまして
血が止まらずに医者に行きました。

単に指を切っただけですが
この指の役割がよくわかった。

トラックパットの3本指操作に困るのはもとより、
両手を広げて、親指がお父さん指、人差し指がお母さん指……
と例えてうたを書いた人の素晴らしさにも感動する。

私の思いがちょっとした人にも伝わらなくて
地団駄を踏んだこともあったが
このごろは、再帰的関数の解のことを考えて
思い悩むことはやめにした。

▼地団駄を踏んで泣いたらひとしきり

2013年4月 3日 (水曜日)

佇む 花も嵐もⅡ その36

旅はいつもひとりでした。

意見が合わないから誰かと行くのは嫌だという人があります。
他人とか友だちと一緒であると我儘ができないという人もあります。
でも私の場合はそのような理由ではありませんでした。

私の場合は、ひとりで考え、悩み、迷い、失敗し、後悔し、新たな決意をし、チャレンジをするというようなサイクルを、誰とも対話をせずに自分で考えて味わいたかったのでしょう。

嬉しいときも寂しいときも不安なときも、すべてひとりで過ごすなかで、生きている自分だけの時間を体感したかったのでしょう。

峠にバイクを止めて、景色を見て佇む。
古い民家や歴史のある町並みを前に佇む。

花を見て、空を見て、海を見て、山を見て。

旅はひとりでなくてはならなかった。
自分と向き合うためにも

Scan0078

2013年4月 2日 (火曜日)

二人

日本列島を春の嵐が襲っているようで、夕方からうちの方も大粒の雨に見舞われている。

京都のおじいさんが温泉旅行で、ツマはそのお供で出かけたので、この土砂降りの中のお迎えはなく、ムスメを駅で待ち伏せして二人で夕飯に出かける。

あすは焼き鳥をするつもりでいるので、今日はびっくりドンキーとした。

びっくりドンキー

2013年4月 1日 (月曜日)

恩を返す

恩を返す

若いころに本当にたくさんのみなさんにお世話になり、私の不足な力を繕うように拾い上げて仕事で使ってくださった方々があった。

そのころに後輩として入ってきた子からの手紙が届いて、ちょうど昔を思い出すきっかけとなり、取り留めのない話を傍にいたツマにしてしまった。

30歳ころというのは、さして力も才能を持ち合わせているでもなく、さらに人に負けぬほど勉強をしたわけでもないのに、あたかも上昇する気流に乗ったかのような顔をして、職場でも余暇でも図々しく振舞っていた。そのことの良い点といけなかった点を見極めて、今、深く反省すると共に恥ずかしく思う。

あのときに世話になったみなさんを探せば、社会での活躍ぶりがわかる。部長やプロジェクトリーダーは然るべきポストであり、なかには執行役員になっている人がある。もしも今なら、少し近づきがたい人物かもしれないのだろうが、私の頭のなかではMさん、Oさんと気安く呼んでいる。

心残りがある。

それは、あれだけ手厚く大事にしてもらいながら、私が転職をして住所も移ってしまって、それきりになった先輩方があることだ。もちろん、先輩は私に恩返しを期待もしてないだろうし、考えもしていないと思うが、私としてはそれで済ませてはならないのだと、この年令になってようやく感じ始めた。

若いうち─特に30歳代から40歳過ぎころまで─は、恩も礼も思い浮かべたことさえなかった人間が、ようやく気付いたのである。遅いなあと自分を嘆くばかりだ。神妙に人生を反省するときには、怨霊のように後悔が襲ってくる。

**

あの頃は自信に溢れ、自分がいつも1番であった。家族のことも考えたが、あらゆることのペースは自分の中の時計のリズムと、自分の持っているアンテナと、自分の蓄積した知識と、自分で磨いたアイデアが拓いてゆくと思っていた。実際にそういうふうに生きてこれた。やりたいことはやれたし、お金ももらえた。遊ぶ時間もあったし、(私にしたら)申し分なかったかもしれない。

生きていくことの舵は、自分で自在に操れるのだと考えていた。ある意味では、それは間違いではなかったのだが、社会を捉えるのにゆとりを持っていなかったと思う。

つまり、一人で生きてきたわけではないことや、世間には物凄い実行力や推進力、天才的な発想、そして、信じられないような賢さを持つ人がいることをもっと認識するべきで、そこで自分という者が使ってもらえたことで存在できたことに心から感謝をしなくてはならなかった。

私には、お世話をかけながら共に歩んでくれた人たちに「恩を返す」という概念が全く欠落していたわけで、今更ながら、そのことを何とか取り戻せないかと考える。

**

現代社会では、そのころの私のような人が増えている。自分勝手とか個人主義とかいうものではなく、恩返しの本質を捉えることのできない、この概念(思想)を疎かにした人たちが増産されていると感じられる。

恩を返すとは、お礼をするということではない。おみやげを貰ったお返しにお肉を買って返すとしたら、それは恩を返したとは言わない。それはお礼をしただけだ。

お礼をすることは、義理を果たすことでもないと思う。お礼はお礼。義理は義理。恩を返すのは、もっともっと奥深いものがあるのではないか。

お世話になったMさんやOさんは、仕事ではもちろん大事にして、人物を掘り起こし救いの手を差し伸べて引き上げて、使いものになる所で使ってくださったわけですが、その過程で、私が生きてゆく手本となる姿や明確な目標を手の届くように見せてくれたし、あるときは、私の心のなかに棲む鬼であったわけで、心のなかにいる神のような存在だったのではないかと思います。

恩返しとは、このような導きをしてくれた人に、礼でもなく義理でもなく、感謝の心と自分の成長の報告をすることなのかもしれない。成長した自分が、次々と人を育て連鎖反応的に良い方向に展開することこそが恩返しではないか思う。

だから、恩を返すということは、ご本人に返すのではなく、私が何かの成果を出して社会に返して、MさんやOさんのお陰でこれを達成できましたとお礼を言ってもいいのだろう。

**

そんな話を傍で聞いてくれるツマに話しながら、現代社会では恩というものの本質を見失っているなあ、という話になってゆきました。

成果主義のようなものが浸透し、個人主義的なモノの見方や社会との位置関係が出来上がり、長期安定雇用というものや金を産まない事業が愚かであるとさえ考えるようになって、人が生きているし生き続けて行くなかで、ああ、あの人にはお世話になった、恩返しをしたい、という純粋な心やその心を置くところさえ、あらゆるところから枯れ果てたような気がするのです。

M's Zoom

  • 七月中旬ディズニーランドにて
    M's Days フォト

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

Walk Don't Run

  • ユース宿泊スタンプ帳
    忘却をおそれず
    記憶を記録として
    遺そうと思う

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)

BIKEs

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ