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2013年4月 8日 (月曜日)

動機 花も嵐もⅡ その37

忙しい仕事を眈々とこなして、休みは纏めてもらう習慣がいつの間にか着いた。
旅に出るときはこの連休を利用し、必然的に何日もかけて遠くへと出てゆくようになった。

何故そこまでして走るのだろうか。
その気持ちをいつも心に抱いていた。

毎日の苦しみから逃げているのだろうか。
果たして、毎日働くことにどれほどの苦しみが許されて、どの程度の苦しみであれば限界なのか。
それを誰がどうやって定義をすることができるのだろう。

人が生きていくのに、苦しみは当然で、人類は原始時代からその先にある幸福感に似たようなものへと、生きるという本能を持ってして進んできたのではないか。

嫌なら逃げる。楽しければ跳び付く。

しかしその果ては、弛んでしまった現代社会が象徴するような質の低下した人間の姿ではないのか。

では、私は日常の辛さや苦しみから逃げるために旅に出ているのではないのか。
日常社会に復帰すれば、再び仕事が始めれば、喜怒哀楽の嵐だ。
旅に行くために仕事をしているではないのだから、逃げるために旅に出るのではない、というようなことも漠然と考えた。

私の旅は、逃避ではなく、異次元へのスリップであった。

旅先で出会った人たちは今の社会の人と人との軋轢から「逃げて」来ているのだという。
一言「逃避でしょう」と言った人もあった。

その言葉を聞いたときは大きく頷いた。
しかし、そんなことをしても旅を終えて帰れば元に戻るだけだ。
新しい自分を見つけて、さらに新しい自分を作るためのヒントとエネルギーが欲しいのではないのだろうか、とも考えた。

様々な疑問を胸に抱きながら、まだ見ぬ土地に思いを馳せてゆく。
確かに一時的であれ仕事のことは忘れて走った。

美しい風景、旨い食べもの、安らぐ湯、未知なるカルチャー、そして走ったことのない街道や峠。交わしたことのない言葉、出逢い。

そういったものだけではない何か
それはいったい何だったのか。
それが今ごろになって見え始める。

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