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2013年3月31日 (日曜日)

いさぎよく

「夜になっての雨できっと散り始める。」 そんな風に30日のブログを終わっている砂女さんの凛とした姿を、お目にかかったことがないのだが想像してみたりする。

このなかの一句に「書ききれず出せない手紙残る雪」というのがあり、いかにも私もこういうのが好きなのだなと思いつつ、感想など言葉にできずに夜が更けた。

日が明けて、昨日見た満開の桜を思い出し、今度あの花たちに会いにいくときは少しではあろうが散り初めているだろうと思うと、「夜になっての雨できっと散り始める」と、砂女さんがこう書いたところに「桜よ散らないでおくれ」という心が、「どうぞ散っておしまい」へと潔く変化する微動が隠されている……のではないかと気付いた。

先輩に軽々しく言うことではないが、「書ききれず」にも現れるささやかな無念を残しながらも、潔く散りたい。

2013年3月29日 (金曜日)

あなたの夢久しぶり見てタイムスリップ

3月28日(木)

▼その花を独り占めする夢を見る
▼春休みクラスが叶う夢をみる

お団子二つ

その晩に

▼あなたの夢久しぶり見てタイムスリップ

*

▼願い事叶うと決めて待つ時間

(これは、砂女さんの
 日車を蒔いて雨待つ日曜日
にRTしたもの)

滅多に夢などを見ない私だが
やけに寝ていてもドラマのような非現実的なストーリーが
春霞のようなスクリーンに映っているように、夢を見る。

*

▼桜もっと遅く咲いてよ入学式

とも書き残している。

花が咲くことは嬉しいのだが、
早く咲くことは嬉しくない。

2013年3月28日 (木曜日)

雨あがりの鉄路

▼雑草よ鉄路を飾れ雨あがり
▼雨あがり雑草たちもひそひそと

雨あがりの線路

にわかに浮かんだ十七音なので作品としての面白みはないのですが
何もないことは平和なことで、夜半に降った雨が上がって、
傘を持たずに仕事にゆける。

その一方で、3月15日に植えた庭木に水をやる作業をサボることもできず、
思うほどに地面を潤すような雨は降らないものだということに気づく。

2013年3月26日 (火曜日)

サヨナラと言い出しかねて桜かな ─ 3月下旬へ

異動で少しざわついてます。

3月25日(月)

▼お別れね泣いてもいいわ花見てる
▼桜吹雪少し早めの涙目で
▼サヨナラと言い出しかねて桜かな

桜の花に悲しい思い出がある訳でもなく
かといって、嬉しい思い出もない。

子どものころ、校庭の桜は入学式のころに咲き乱れ
図工や美術の時間の写生で桜を描いたことが多かったが、
私は絵が下手で、
この訳の分からない形をした花の塊の木は嫌いだった。

国の一句(第15回)で

 散る花と国の峠でわかれたり

と詠んだ私は、
なかなか上等なストーリーテラーだな…と苦笑してしまう。

3月26日(火)

▼貴方にはあげたくないのボクの月

満月だったらしいのだが、
そんなことに気づきませんでした。

ニッカ モルトクラブ

くつろぐ

*
*

くすぶる

手紙もよこさない
何の連絡もないけど
元気にいることは推測できる。

若いときは生きて成長するために
フルパワーで立ち向かうのだが

このごろは
味わうことを掛け替えがない
と思うようになった。

むかしの友も、
世界のどこかで生きていれば
お互いが幸せでそれでいい
と考えた時代から

残り少ないパワーで
次の世代に伝えておくべきよいことを
語り合う必要もあるから、

古き友よ、オマエはそんなところで
くすぶっているのではなく。

語り合うこともなかったが
何かを語り合いながら
終楽章へと向かいたい。

2013年3月25日 (月曜日)

物語は進まないほうが愉しいかも。その14

もうお忘れの方も多いと思います。
忘れてください。

物語は進まないほうが愉しいかも。その13 ─ 第九

を12月12日に書いて、あれから100日ほどが過ぎたのですね。

来ました。
いよいよお別れの日です。

新しい年度が始まると、その人は高等学校に帰っていってしまいます。

あっけらかんと,嬉しそうに、
「異動決まりました」と便りが来ると
「わーい、おめでとう」と返事を返して

ひとり落ち込むのでした。

お昼の憩いの時間に美人が二人、
いつの間にかテーブルで話をするようになったのは遥かむかしのことでした。
お二人とも学校に戻っていってしまう。

学校に帰りたいとかねてから口癖のように話していたし
コンサートに行っても教え子の子どもたちに会っては嬉しそうにしていたから
やっぱり、自分の巣に帰るようですね。

もう会えない訳ではないだろうけど

異動の話のあと先日、玄関でバッタリ出会ってマスクの顔にビックリ。
どうしたの花粉ですか…ってメールをしたら
荷物の整理で倉庫に出かけていた帰りでした、
とすぐに返事が来た。

(マスクをしてたら)
「オードリーヘップバーンが台無しですね」
とまた送り返しておいて、
そっか、あのシルエットとも会えなくなってしまうのだな…
と、またまた寂しくなったのでした。

2013年3月24日 (日曜日)

花もやがて散ることを知る立ち話  ─ お彼岸篇

昨日、親子丼を作った。
久しぶり。

卵を5個も使った豪華なものだ。
唐揚げ用にカットした肉を9欠片入れて
丹念に焼いてから使うというのが私のやり方。

でも、丼に盛りながら、
あら砂糖を入れ忘れた……と気づいたのだった。

鯛

春は鯛。

夕飯は鯛。
県内産。

久しぶりで、うれしい。


3月22日(金)

ええ天気になって、午後から墓参り。

▼ぼたもちをやりそこなって三日食べ

母がぼた餅を失敗した話をしていた。
近所に配れずに三日食べ続けたという。

80年以上生きてきて
あんこを作り損ねるとは。

弘法も筆の誤りか。

忘れずに咲くふるさとの庭の沈丁花

沈丁花


3月23日(土)

仕事にゆく車窓から。

麦畑

▼遠き日や心の奥に残る雪
▼花もやがて散ることを知る立ち話

***

帰りの電車の中でミカンを食べてるおばさんたちがいる。
ミカンと言っても大きくて綺麗な種類のもので
甘い香りが車内にただよう。

今日は休日なのだ。

坂の下のサクラ

この写真は朝に撮ったもので
たぶん、帰り道のサクラはもう少しひらいていたような気がした。

**

さて、そんなこんなで3月24日になりました。

お散歩がてらに日曜日の朝市に行く。
ムスメさんはお気楽にお仕事に出かけて行った。
年度末ですな。

2013年3月21日 (木曜日)

ひとしきり啼いて立ち去るホケキョかな ─ 春分篇

3月20日(水)、春分。

朝から鶯がやかましい。

▼ひとしきり啼いて立ち去るホケキョかな

寝床で鶯を聞きながら、
朝寝をしてみる。

用もなく布団に入っているのは
ある意味で贅沢なのだが
時間を棄てているようで、
せっかちな者には些かイライラする。

もうすぐ、
父と一緒に暮らせた時間が、
逝ってしまってからの歳月に追い抜かれる。

▼彼岸なり。生きていれば誕生日
▼春分の庭の花だけ賑やかに

ほんとうは誕生日であった日に
墓参りに行きたいところだが
金曜日にすることにして
家族がそろった日なのでイオンに出かけた。

生きているときには
誕生日に祝いもしたこともなければ
おめでとうも言ったことがなかった。

おやじというのは寂しい立場なのだとつくづく思う。

**

夕方から土砂降りになる。
春の雨は濡らされても憎めない。

▼春暁の三行目をひた噛み締める


桜はもう少し

19日
1時間半ほどの自転車散歩をしてきた。
中部台公園のテニスコートの前の桜もほころび始めていた。

2013年3月20日 (水曜日)

線で結ぶ 花も嵐もⅡ その35

峠の向こうとこちらを結ぶことは、旅のテーマの核となっていきました。

そこには歩いて越えて人々が交流を果たしていた時代の暮らしが生きていました。それが食の文化を生み、暮らしの文化を作っていましたので、言葉や人柄にも繊細に感じられるその土地での温もりとのふれあいが愉しみでした。

峠を越えて旅をすれば、峠の風景にも自然にも惹かれていきます。オートバイの旅は、決して楽チンに走り回れない二輪車という不完全な乗り物であったからこそ熟成されていったのです。道具や衣類も十分に積めないし、天候に左右され、気候に歯向かう形で旅を続けました。

廃村になる村を通り抜ける「冠峠」、トンネルができて廃道になった「鬼首峠」「オロフレ峠」。峠にはそれぞれの思い出があります。GWには雪で閉ざされていた村も、トンネルができて一年の大部分が開通するようになったところも多い。

ひとつひとつを書けるときが来れば書きたいと思います。

車では得られない旅、ツアーでは感じ取れない旅、それは線で結ぶ旅だったのです。その線は決してまっすぐではなく、私にしたらタグだらけのマップなんです。

しかし、そのマップももう使うことはありません。新しい地図を新しい発想で作りたいと考えています。

瓶が森林道

旅の軌跡 】から

2013年3月19日 (火曜日)

春なのに、そう、春なのに、春なのに  ─ 三月中旬がす

結婚記念日とお母さんの命日とが一緒にやってくる月なのだ。
20日は死んだ父の誕生日でもあった。

生きているときには一度もおめでとうなどと言ったこともなかったなあ。


3月16日(土)

▼記念日にツマはお医者に風邪ひいて

ツマは風邪を引いて、相当に苦しいらしいが、
持ち前の責任感とまじめさで頑張っている。

▼モクレンが咲きそろって立ち話
▼春なのに、そう、春なのに、春なのに

うららかな良い天気に恵まれた1日だったようで、
夕方に食事に出かけた。


3月19日(火)

▼鴉啼く何事もなかったみたいに

先日から鶯が啼いている。
どこかの家の木に居座ったみたいだ。

▼雨あがり春のにおいを放ちつつ
▼異動の日なんとなくソワソワとして

ムスメさん、朝から異動の日やなあ,といいながら出かけて行った。
自分は1年目だから変わらないと言い切っていたが。どうなんやろ。

▼うたびとの繋がり縺れ鶯啼く
▼レンギョウの咲く石畳でキミを追う   

雨あがり・坂道・母校・卒業式。
文字の流れを見ていると、合格発表とか卒業式とか異動とか、賑やかだ。

おじゃこ (小女子)

ムスメが職場でいただいた。14日ころのこと思う。

うちとこでは、子どものころからおじゃこと呼んでいるが
世の中では、春に小女子と呼ぶらしく、
お店ではボール入れるほどの単位で売ってます。

ジャコをピーマンで

15日の夜に、ピーマンとじゃこを炒めてみた。
実はこれに、キムチを少し混ぜて試食もしてみた。

くぎ煮

18日、

先日、ピーマンと炒めたじゃこ(小女子)は
両手に溢れるほどもあったため
大根おろしで食べたりしていたが
食べきれず

ついに、くぎ煮にした。

(飲み過ぎるので困る)

2013年3月18日 (月曜日)

官女ひとり帰らぬままに雛しまふ 砂女

官女ひとり帰らぬままに雛しまふ 砂女 

雨降茫々日々記 909から)

を読みながら

**

私は俳句やブンガクのことをきちんと理解してやっている訳ではありませんので、
宦女と聞いてもさほどピンと来るものがなかったのですが、

母が私の上に子をもうけて、それが姉であったことを幾度も話してくれることを思い浮かべました。

女の子は1年ほど生きていましたが、病で亡くなりました。
私が生まれて5年後に弟が生まれますが,その間にも子どもを一人流したという話を何かのときにぼそっとしたことがありました。

男の子か女の子であったかは話しませんでしたが、今になっても自分に女の子がなかったことを寂しそうにするのを見ると、流れた子はもしや…と思うこともあります。

おひな様を飾ることのできなかった母は、80歳をもうとうに越えるのですが、おひなさんの季節になると、やはり寂しそうです。

女三姉妹が長生きしているから、まあ幸せかな。
おひな様ということで勝手を書いてしまいました。
失礼しました。

2013年3月17日 (日曜日)

爽やかな日曜日

馬酔木

仕事へと向かう道を大きく道草して
公園のほうへと回り道してみた。

爽やかな朝の陽射しを浴びて
公園の馬酔木が甘い香りを放っていた。

ミルクブリオッシュ

職場に着いてカバンをごそごそしていたら
進々堂のパンが出てきた。

あらそれって、日曜日にツマが買ってきたパンで,
月曜日の朝にカバンに放り込んだのだった。

ミルクブリオッシュとかいてある。
11日までが期限や。

きょうは日曜日なんですが。

さすがの私でもそれは食べられませんでしょ…
といいながら、食べても大丈夫かな、という視線で
机の上に置いてあるパンを見ている。

結局、
腹が減ったので、昼前にパンだけ齧って
勢いで次第に全部食べてしまったのでした。

2013年3月16日 (土曜日)

記念日

ハンバーグ+海老フライ

ツマはエビが食べたかったんだろうな。
その気持ちがよくわかる。

ハンバーグ

ムスメはシンプルでビーフなハンバーグがよかったのだろう。

カットステーキ

ボクは結局、たぶん
肉が食べたかったのだな。

ステーキガストって初めて行ったけど
また行ってもいいな。

2013年3月15日 (金曜日)

オリーブとシマトネリコ

春になった。
待ちに待って,庭に木を植えた。

3月はお母さんの命日や、死んだ父の誕生日、私たちの結婚記念日など
嬉しかったりしんみりしたりと激しい時節であるのですが、
彼岸を迎える前に非常に温かい(ぬくたい)日になりました。

私たちが結婚して29年が完了した日で、明日から30年が始まるという日です。

オリーブ

オリーブ

シマトネリコ

シマトネリコ


ちょっと去年の今頃を探しにブログをごそごそしたら
2枚の写真が見つかった。

JR

悠々と1両でゆく

麦畑、いよいよ青く

けっこう青々してる

2013年3月14日 (木曜日)

春を告げる 3月中旬篇

春を告げる行事が新聞を賑わせている。
二月堂のお水取りのころに二人で散策に行ったことがあった。
まだコートを着ている写真がある。

世の中には底なしで美味しいものや綺麗なもの、
楽しいことが溢れている訳ではなく、
そこそこ愉しんだら欲どおしく
いつまでも齧りついているのはよくない。

人生もそれなりに愉しんだので恩返しをしなくてはな、
と思うこのごろだが、余力がなかったのだった。

情けない落ちはさておき、
3月も中旬を迎えることなった。


3月13日(水)

▼恋流す疎水きらりと柳の芽
▼春の夢、あなたの濡れた髪の先

雨がふり、風が吹き,花粉も飛び、香りも拡散されて舞う。

春は何とも憎みようのない季節なのだが、雨になってそれが嵐になると、ま、悲しい思い出のひとつや二つ、出てくるもので、落第した時代のことや必死で卒業に漕ぎ着けた悪夢のような時代を思い出し、まあ波瀾万丈だったと振り返っているときが一番幸せなのかもしれない。


3月14日(木)

▼春嵐それでも雨戸をあける音
▼春嵐あの子の髪のハネ想う

春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜来風雨聲
花落知多少 

ある人のおかげで私もこのうたをそらんじて言えるようになった訳だが、
あの事件も春の悲しい別れであったのかもしれない。

何ともこの「夜来風雨聲」というのが、私には悲しく、
いつもドラマになって頭から離れない。

実はこれを書いているのは15日になってからである。
今朝から庭で鶯が盛んに啼く。

庭にオリーブの木を植えた。
そのことは,別の日記で書くことにする。

イヌコリヤナギ

イヌコリヤナギ

2013年3月13日 (水曜日)

口笛を吹いても波で立ち往生 三月或る日

▼口笛を吹いても波で立ち往生

と書いて置いて、しばらく時間が過ぎている。

春の海は柔らかい陽射しを浴びて、繊細なさざなみを揺らせながら、きらきらと輝いているのだろう。コンクリートの堤防を駆け降りて、大粒の砂利浜を当てもなく歩き、波のゆくえに浮かぶ鯛の養殖筏のほうをみて、静かな海やね、と語りかけたのかもしれない。

沖の静かな海原を探せば必ず小さな漁船が通り過ぎてゆく。季節はいつだったのかまでもしっかりと記憶しているのだが、私はあの海のあの風景から季節感を取り払ってしまい、永遠のメモリーの中に放り込みたいと願ったのか。

それは無意識のことで、蜜柑の花の香りが谷を覆い尽くしていた時期だったと今ここで白状しても構わないが、もしもあれが春のヒバリの高く啼く今の季節だったとしても、おそらくさざなみは無表情に揺れ続け、私はあの人の後ろ姿に何も声をかけることができず、口笛も音になって響くことはなく、全てが終わって行ったのだろうと思う。

あれから幾年もの歳月が過ぎても、あの海の姿に変わりはないのだろう。人の心だけが廃れてゆくのか。

2013年3月12日 (火曜日)

風邪ひきましてん……

3月12日(火)

暖かいので、布団の毛布を蹴飛ばして、1枚だけの掛け布団で眠り始めたのが夕べのことだった

▼春背広、背筋のばして改札へ

なんて調子のいいことを書いていたら,お昼頃に気管支のあたりに違和感を覚えた。

それがどうやら粘っとした鼻水の出る風邪らしいと気づくのがお昼過ぎで、夜には珍しく売薬を飲んで早々に床に付いた。しかし、その粘りが鼻の奥にへばりついて寝付けぬ夜となる。眠れないという感覚を持ったのは、記憶にないほどむかしのことで、むかしのそのときにも、私が死ぬときにはこの苦しみが身体中を覆い尽くして死んでしまうのだろうというような悪夢の妄想の襲いかかる。

2013年3月11日 (月曜日)

村上龍 55歳からのハローライフ

村上龍 55歳からのハローライフ

むかしむかし,定年は55歳で、高度経済成長の時代がおとずれる以前は多くの人が55歳で仕事を退いて一旦は会社と縁を切った。

それは、大きな儀式であったわけで、子どもを二十歳から35歳の間でもうけた人にとって、長男長女が子どもをもうけて軌道に乗り始める時期であり、末っ子が成人をするときでもあった。

家庭はひとつの屋根の下に芋の子を洗うように構成され、55歳で社会を抜け出した人は、孫と出会い新しい生活を始めることが多かった。収入はなかったし、年金という考えも希薄であり,何よりも人間が金に欲どおしくなかったし、それ以上に人間味を大事にする暮らしをしていた。お互いが助け合うという常識があった。

そんな時代に村上龍は生まれて、歴史の変化と社会の成長や衰退、破壊・分裂を見てきたからこそ、このような作品が書ける。しかし、そんな経験だけでは不完全だ。彼には私たちの知らない作家としての使命感と希望と欲望とセンスがあるのだろう。

限りなく透明に近いブルーという強烈なタイトルの作品を持ち、さらにその作品がなかなかのハードなものだったことで、そのあとのイメージが固定化されてしまっているのが、彼自身にとってもさぞや悔しかろう。だから、気の毒であるし、時には得をしたかもしれないけど、彼の本当の姿を多くの人は知らないままでこの作品を手にしたのではないだろうか。いや、この作品が彼の本流であるならば、この作品を読まない人は間違いなくホンモノの村上龍に出会えない。そんな気がするし、多くの人の読後感想を読んでもそれを伺うことができる。

ヒトの心の曖昧な一面を、誰もが形や言葉で表せずに苦心し、具体化できずに考え込んでしまうのだが、これほどまでに纏めて特徴を生かして物語にできるものなのかと驚くと同時に、その上手さに改めて感心をさせられた。

モチーフもテーマも一級であるからここまで絶賛される作品になったのだが、よく考えて作り上げた人物がまたまた素晴らしかったことも大きな理由と思う。

もともと、村上龍という人の作風は芸術的で、文学的なところもあり、美文の作家ではないものの、惹きつけるものを持っている。そこに来て、一旦人を遠ざけるようなタイトルでフィルタリングしてから、このテーマである。こだわりやら自己主張やら蘊蓄を纏わない状態でお読みくださいと迎え入れてくれた形になった。今の時代にこの作品を読んで何も感じられないとしたら、それはその人が時代から外れていると言っても過言ではない。

昔、テレビでトーク番組をやっていたことがあるのを覚えている人がいるだろうか。バド・パウエルの Cleopatra's Dream が流れていたのを覚えている方も多いと思う。「Ryu's Bar 気ままにいい夜」という洒落た名前で、岡部まりもとっても素敵でした。

そんな地味で大人しく、面白くもないオヤジが村上龍なのだが、彼はあのような対談で人間味を培い洞察力を養ったのだろう。村上龍は、あのころからずっと進化し続けていたのだ。この作品のような書き方、どこで誰に教わったのか、不思議なのだが、どこぞの村上氏よりはるかに魅力的な作家と言えよう。

話は、多くの人たちが感想で書いているので、私は書かないでもいいでしょ。定年を迎えてありふれたように離婚をして、そのあとお見合いを繰り返しながら本質に気づく女性、深い事情でホームレスになってしまった昔の友人を真剣に助けてゆく一人の男性の話、有能が故に仕事を早期で退職して、夢を実現しようとしながら再び就職活動をやって、大事なことに気づく男、ペットの犬を亡くして、生きがいとは何か夫婦とは何かということを知る主婦、読書に目覚めた元トラック運転手が恋をして、ドラマチックに自分を振り返るという話。

物語を作るのがうまい作家と違い、人々の細やかな心の叫びをこれほどまでに的確につかんで小説にしたものは、これからもそう多くは出ないだろう。優しい視点が生きている村上龍の本領で書いた作品ではないだろうか。

2013年3月 9日 (土曜日)

真夜中のつぶやき流れ星のよう 三月上旬篇

3月4日

▼内緒だけど、あの人今夜泣いたかな
▼夕暮れに飛び跳ねてみる意地を張る
▼桃園の誓い真似して酒を飲む

ぶり

またまた、久しぶりとなりました。

最近節約な暮らしが続いたので
今夜のブリは嬉しい。

▼明日の朝あなたに会える夢をみよ

3月6日

▼なごり雪夢のまた夢フェードアウト

3月7日

▼おはようさんコートのボタンは開けたまま

温たい日。
コートのボタンを開けたままでも寒くないような日だったのであろうか。

この日に手袋をコートのポケットではなくカバンにしまった。

3月8日

▼真夜中のつぶやき流れ星のよう
▼春の朝優しい雨をそっと待つ

たぶん、7日あたりから温たい日となっていたから
雨降りになっても、木々たちの恵みの雨になるんだろうと思ったのだ。

早足で歩くと汗ばむくらいになって、コートもやめてもいいな、と思うような朝であった。

▼ぬくぬく春の日暮れはワルツが似合う
▼学期末マスクの奥で輝く眼

春になって高校生の顔ぶれが新しくなる。
3年生がいなくなって、今まで遠くで立っていた子たちが車両の真ん中のほうまで来て腰かけるようになったからだろう。

1年間、またこの顔触れを見るのかと思うと楽しい。

期末テストが終わったようで、みんなニコニコと明るい。

3月9日

▼桃の花、実のなるころを想て散る

PM2.5と黄砂が飛来して、ニュースがにぎやかだ。
おかげさまで土曜日は仕事に出ることになって
ツマとムスメだけで京都に、お母さんのお墓参りに出かけた。

夜は、ムスメだけが帰ってきて夕飯を二人で食べた。

おつまみに「じゃがりこ」を齧った。これがなかなか美味しかった。

じゃがりこ ゆず胡椒

じゃがりこ ゆず胡椒

2013年3月 3日 (日曜日)

雨音や二人静かに酒を飲む 二月尽

2月28日

▼しっぽりと春雨のとばり二月尽

なかなか二月が終わってくれなかった。
いい加減で春になって欲しかった。

そんなことばかりを考えていたのです。
冬は嫌いじゃないし,苦痛でもないけど
少し暖かいほうが、過ごしやすいもんな。


3月1日

▼散る花と咲く花がありいざ分かれん
▼麦青み整列してる春騒ぐ
▼天高しヒバリが呼ぶや畦の道

いつもの高校生の一人がひっそりと斜め向かいの席に座っている。
何度も視線が合う。

3年間見続けたから名前も覚えてしまった。
卒業式なんだろうな。
地味な服を着てる。

▼雨音や二人静かに酒を飲む

3月になったので何となく嬉しいのだ。
誰にの打ち明けられないけど。

麦

3月2日

▼おかあさん元気にしてる春便り
▼凩と讃えたくない強さなり

風はまだまだ冷たかったのだろうけど
朝夕が明るいので、昼間も少しぬくぬくとしている。

▼二月堂裏の坂道恋の道

お水取りの記事があると、二月堂から大仏殿を歩いたことを思い出す。


3月3日

▼お雛さん母は娘に恵まれず

おひなさんを出しているビデオを少し見たのです。

ムスメがジャングルジムの乗って,上から偉そうに母にあれこれと指示をしているのがとても面白い。

▼ちらし寿司真白の大きな皿に盛る

2013年3月 2日 (土曜日)

うそ

決して決してばれない嘘をひとつつく あたしのためにあなたのために  砂女

(決してばれない嘘とは真実のことではなかろうか)
と砂女さんは最後に書いている。

ウソはバレてこそウソの甲斐がある。
バレて欲しいなと思いながら嘘をつく。
バレも許される嘘をつく。

嘘をついている瞳をじっと見つめてくれているその人の顔を睨み返して、この人私のことどこまで好きなのかしらと、空想する。

うそ

2013年3月 1日 (金曜日)

あの夜は垂氷の道を手をひかれ 砂女

あの夜は垂氷の道を手をひかれ 砂女

言葉は自由に旅をすることができる。

垂氷などもう30年以上もじっと見つめたことなどないのだが、子どもの頃、近所のどこぞで悪さをして遊んでいるときに、氷であるとか霜柱であるとかを見つけたときの感動を思い出す。

そんな出来事があの夜に起こっていたのだろう。あの夜とは計り知れぬほどに悲しいものなのか、逃げようもなく恐ろしいものであったのか。母の手を引かれ、どこかに逃げる夜道であったのかもしれない。

そんなドラマさえ今どきの人には想像もできず面白みもない物語にしかならないのに、冷たく吹きすさぶ風が滴る鼻水をも凍らせるほどの夜に、大きな瞳だけがギラギラと輝き暗い夜道を見つめている。

目が光っているのだ。その眼差しが浮かんでくる。

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