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« 目をつぶる雪がとうとうと降っている 1月中旬2号 | トップページ | 東北のこと 花も嵐もⅡ その33 »

2013年1月21日 (月曜日)

あのころは逃げ道が用意されていた

体罰のことで社会が騒がしい。桜宮高校のバスケットボール部の生徒が体罰を受けて、その後自殺をしていた事件だ。事件の真相は何らかの形で解明され歴史に刻まれて行くだろうから、私はここで所感も書かなければ言及もしない。

だが、こういう事件を報道で知れば、様々なことを考えさせられる。

ヒトは他のほとんどの動物たちと違って言葉を喋り手を使うことができる。使える以上はそれが武器になってしまうこともあり得る。つまり、言葉による脅迫、そして、手による暴力は十分に相手を制圧するための武器になることができる。

ヒトは自分たちの持った優れた能力が手に負えなくなってきているのではないか、人間という動物として淘汰が始まっているのかもしれないとも思えてくる。

言葉を操り、2本足で歩き、文明を築き上げるという他の動物からかけ離れた能力を持った以上、これをヒトから奪い取ることは、相当に崇高な神の教えやお告げでもない限り、不可能だろう見て間違いない。つまり、その言葉よる暴力も手による体罰も、その概念は消すことができないのだと思う。

**

私は小学校4年生のときに父にひどく叱られたことを思い出している。

今は健康ですが、小学4年のときに腎臓の病気(たぶん腎炎だったと思います)を患いまして、2学期に丸ごと入院していました。顔がむくみ、オシッコにタンパクと血が混じるので真っ赤でした。安静にしていることと塩分の摂取を控えることが治療となります。

併し私は気ままなふつうの悪ガキでしたので、病院の中で大人しくしていることはなく、歩き回ります。従って一向に良くならない訳です。何度も注意を受けてそれでも治らない私を父は厳しく叱ったのでしょう。人生の記憶の中で父に何かで怒りを表して叱られたことは1,2度しかないのではないかという記憶の中の1回です。

当然、母が何度も大人しくしていないと治らないことを話しているはずですが、無視したわけでもなく、じっとしているなんて我慢ならないのが普通でしょうから歩き回りました。いっこうに良くならないので父が怒った訳です。

病院の中庭の木に括り付けられて、棒でバシバシと叩かれました。キリストみたいに姿だったのでしょうか。そのときの棒が何だったのかは私には不明ですが、後になって尋ねなかったので今後も不明です。母が言うには父は泣きながら叩いていたそうで、それくらいしかわかりません。今想像するには、中庭に落ちていた木の枝かなにかであったのではないかと思います。木の物指しなんていうような甘っちょろいものではなかった。よく足の骨が折れなかったものだと感心しますが。まあ、そんな風にしたおかげで私の足は腫れ上がり、歩けなくなっていましたので、安静にしているしかなくなりました。

このころは、親の言うことを聞かないと裏口から放り出されて鍵を閉められました。農家の家には入り口がたくさんあり、鍵の掛けられないような戸もたくさんありますので、鍵に意味はなかったのですが、そのピシャリと閉めるところに大きな恐さがあった。

親のほうも、その辺から入ってくることは承知の上で閉め出すのですから、ちょっと喜劇的でもあるのですが、まるで猫をオモテに放り出すように投げ出されます。子どもはそのような目にふだんから何度も遭っていますので、親に叱られることには慣れています。

ところがあの晩の父の叱り方には怖さがあった。小学校4年生ですから、病気を罹って安静にしていなければならない理屈などはわかる訳がない。訳もわからず叱られたような面も少しはあったのではないでしょうか。

父も身体が弱く、腎臓も人ほど強くはなく,若いときに私と同じように少し入院をしたことがあったのだと後で聞きました。自分の弱さを子どもに引き継ぎたくない気持ちがあったのでしょうか、36歳だった父は、このまま足がしばらく動かなくすれば否応なく身体は良くなると思ったのかもしれない。論理的にではなく、親の感情としてそう思ったかも、と想像します。

私はそれから少し親の言うことを聞く子どもになって,病気も慢性化することもなく全快して健康でおります。中学高校時代には水泳も禁じられ、マラソンも程度に応じて許してもらえただけした。大人になっても、風邪を引いて寝込んでもオシッコに血が混じらないか(親は)心配をし続けていましたが、大きな病気になることもなくここまで来れております。

体罰だとか苛めだとか自殺だとか。そういう行為には目標があってのこと。目標をつかまえて、そのための手段に、それらが正しかったのかどうかと考えて、さらに、必ず同時にもうひとつの道、それは逃げ道でも大いに結構ですので考えておくことが不可欠と思います。

私を叩き続けたあのときの父は、何が逃げ道だったのでしょうかね。
父の命日の前の晩にそんなことを考えておりました。

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