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2013年1月 5日 (土曜日)

年の初めに考える ─ 小寒篇

初霜に白きねぶかや薄化粧、と昔に書いたのを見て「初霜や白きねぶかの薄化粧」のほうがいいかもしれないと、今ふと思った。あれは小雪の朝のことだった。2年とひと月余り前の私が、たった十七音で綴られた言葉から、面白いように蘇ってくるのが分かる。

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ニンゲンは言葉というものを話すことから、それを書きとどめておくという能力を身につけたことで、あらゆる情報を歴史に刻むことへの一歩を踏み出した。文字の発明。石器時代よりもさらに遡った時代のことだった。遥かなるご先祖様たちは、一年という周期で季節が巡り、太陽が私たちから一番遠ざかるときに冬という季節が訪れ、しかし必ずまた暖かい季節がくるということを、どのように捉えていたのだろうか。

言葉というものが文字よりも先行して存在したのだが、その言葉とは果たしてどの程度完成されたものだったのだろうか。季節という概念はどのような印象であったのか。痛い、こそばい、痒いという感覚はあったにしても、もしかして、嬉しいとか悲しいという感情はあったのだろうか、とさえ思うことがある。

言葉を書きとめておくのは、昔を蘇らせるためだけではない。現在進行形で次々と目の前で起こっていることに対する感情を捨て去らないためにも、残しておく手段のひとつとして、できる限り短く、そして激しく、美しい形で、脳裏に閃く情念を残そうと考えた表現、それが十七音である。

去年の暮れにふとしたことで「俳句って現在形なのだ」といった砂女さんの言葉に出会い、そが頭の片隅にある。生きていることや行動を起こすことの考察過程では、過去を疎かにせずじっくりと見つめることや未来を大きく描くことを大切にするのだが、行きつくところは現在だと常日頃から考えている。つまり、過去に栄光があったとしても、未来に夢を大きく描けたとしても、しっかりとステップを踏むときには今を見ている必要があるのではないかと考えているので、俳句が現在形であるという表現が妙に嬉しい。

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最近は、お遊び十七音は低迷状態で、気に入った作品が続くときもあるが、叶わないときのほうが多い。善し悪しはさほど重視していないので、それなりの作品が続いたところで大きな落胆ではないものの、そんな作品しか残らない日常を送ることを旨とはしない自分がいるのも確かで、もっと現在形に元気を取り戻したい。

平成25年の元旦は快晴で、初日の出も拝める朝となった。寒さも例外なく厳しく、県境の山並みは薄化粧の山肌となったという。

寒の入りを迎えた5日には、初詣に出かけた。滝原宮の参道を歩く人影は疎らで、正月の賑わいと比べると夢の跡のようであったのだろう。神様をちょっと独占できたような気持ちになった。

今年は年賀に書き添えられた一筆に苦笑することが多く、、健康を労わるものや身体に傷みや軋みがあるのを嘆くような言葉が目立った。そういう歳になってきたことは紛れもない事実であるだけに、現在形を大事にしてアクションを起こしたい。

かみそのを足音ひとつ二つゆく

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