好きだったもの
何が好物だったのだろうか 今更ながら分からない。
命日が一日一日と近づくと毎年同じことを考えている。
亡くなる日におれなかったことを今更ながら後悔している。
アホみたいに誰のために仕事をしてたんや、と社会や会社に対して腹も立つ。
好きだからといって腹一杯に食うような人ではなかった。
そういうことを決めて意思で行っていた訳ではなく、何か動物的に「腹八分」のできる人だった。
腹八分は何事においてもそうだったようだ。
遊ぶ、賭ける、食べる、など。
働くということにだけ甘かったか、よく働く人であった。
どんなに寒い朝でも、ぐずぐずと布団に入っている姿は一度も見たことがなかった。
布団から出たら必ずすぐに何か仕事をしていた。
人より遅く起きることもなかった。
農機具の保守、準備、片付け、に始まり、一日の仕事の始まりは起きて数分後から始まっている人であった。
さて、
好物は分からない。
ぶりが手に入れば、プロ並みに包丁を研いで、刺身をしてくれた。
生の魚を旨そうに食べる人だった。
ズガニがとれる季節になると夜明け前から川に出かけた。
捕れたてのカニを湯がいて旨そうに食べている姿は野性味があった。
旨いものを旨い時期に食いたくなって食う。
そういう人だった。
生き方もそうだったのだろう。
22日の命日に、庭には鈴なりのハッサクが成ると思う。
あの木を植えたのは父だ。
ハッサクが好きだったのではないかと、近年はそういうふうに思っている。
2008年の11月に
とよんだのだ。
私は、そんな簡単なことをやっとそのころから気づき始めたのだった。
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