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2012年12月31日 (月曜日)

続・1989年の夏 花も嵐もⅡ その31

記憶がないけれども、自分の心理を遡りながら推測はできる。もちろん、いまさらそんなルートを追いかけてみたところで面白味もないけれど、要所要所を地図を見ながら思い出してみる。

小平小学校の廃校跡を見た後、私は稚内方面に向かった。写真を残そうという強い意志はなく、宗谷岬で記念写真を撮るわけでもなしにぐるりと道東のほうへと回って行った。

昔、国鉄が走っていた線路跡や駅の前で栄えた商店街のあった形跡を確かめながら網走方面へと行く。駅前の家の並びは、空襲で焼け爛れた白黒写真を見るように、建物をきれいに剥ぎ取ってまっすぐの道路だけが残っているところが多かった。ところどころに身を潜める様に家が寄り添うのを見ながら、道草をすることもなく淡々と知床方面へと走った。

どのあたりで泊まったのだろうか。あのころはテントも寝袋もまだ持ち歩いていなかったので、宿を探すかYHに泊まったと思う。たぶん、知床半島を横断する峠を感慨深く回ったに違いない。結婚した直後の夏に来た折に、ツマはさいはての列島の影を遠望し何かしらの想いに浸っていた。私はひとり旅の中で、ツマのあのときの後ろ姿を思い出していたのではないか。もう来ることはないだろうとは考えもせず、またいつかみんなで来ようと誓っていたのかもしれない。

懐かしさの点在した道東を、どんなふうに走ったのか、どこに泊まったのかさえも思い出せないが、十勝岳を真正面に見る展望台に寄ったような記憶がある。あそこも二人で行った思い出深いところだった。

砂漠を走るレースのように砂塵を巻き上げて、未舗装道路をタンデムで駆け上がったところに展望台はあったのだが、89年に訪れたときは道路も舗装され、展望台の周辺は綺麗な駐車場に変化していた……。と書きながら、この記憶は大きな勘違いで、未舗装のダートと未整地の展望台を見たのは86年ではなくそれ以前の渡道のときであり、綺麗に姿を変えた十勝岳の展望台を見たのは、86年にツマと一緒のときであったのかもしれない。

1984年にツマと来たとき、何の予備知識もなく北の国からのドラマのことも意識せずに、麓郷というところに立ち寄った。その偶然がとても素晴らしい思い出になっているのだが、十勝岳の見える展望台に寄ったのもこのときだったのかもしれない。

でも今や、その話はそれほど大事ではなくなっている。あの年の私は、少しずつ様変わりする北海道に失望し始めていて、そのときに未踏であった道南の地に寄って、フェリーで東北に渡ろうか、などと考えながら函館界隈でだらだらと道草を食ったり天気の様子をうかがったりしていた。

ところが、気象台のデータベースを今になって検索してみると、あの年の8月7日に北海道にまで台風が接近しており、私は函館市内のホテルをキャンセル待ちして探して必死で泊まって、次の日にモトトレインで帰ってきてしまった。(この列車の切符は、旭川の駅で旅の始まりのころに購入しておいたような記憶もある)

それは、哀しい旅の終わりだったのだが、この列車の中で同じボックス席になった人の1人が八嶋さんで、今でも交流が続く掛け替えのない友だちとなる。

【1989年台風13号は8月7日に関東東北を横断して日本海に抜けていた】

1989年に来た台風13号

モトトレインは、青函トンネルが開通したのを期に、札幌から新大阪までを一気に夜中のうちに走ってしまうブルートレインに連結するバイク専用の貨物列車で、何名くらいが利用したのかは分からないが、寝台特急に乗って贅沢な帰還が可能なのが特徴だった。寝台列車の料金に1万円ほどバイクの輸送料金が掛かったように記憶している。

同じボックスにいた女性(佐藤さんという奈良県で看護婦さんをしている方だった)は、早朝の新大阪に着いてその足で職場に直行だと話してくれたから、ハードな旅をしている人にも重宝されたのだろう。あのころは寝台列車ではなく、飛行機で一気に移動するプラン(商品)もあった。しかし、そのようなプランも数年で姿を消し、北海道を目指す旅人は、日本海か太平洋をフェリーで渡るか、青森からフェリーに乗るという手段で渡道するしかなくなる。

先にも書いたが、1、2年のうちに小さな旗をバイクに付けて走るのがブームになり、ライダーズハウスというバイクツーリストが利用しやすいような安価な(または無料の)宿泊施設が広まり、北海道にバイクがどんどんと押し掛けるようになる。ミツバチ族というような言葉も生まれたのではないだろうか。

私の大好きだったオロフレ峠は廃道になり、86年にタンデムで走った、大雪山の東をぐるりと回った長い長いダート国道も、時代の流れのうちに舗装されてしまう。

私は1989年を最後に北海道へ渡る旅をやめてしまった。

1989夏、新大阪駅のホーム

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