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2012年11月23日 (金曜日)

城下町霜も間近の石畳み 十一月中旬篇

22日に祇王寺に行ってきました。この日は二十四節気の小雪にあたります。でも、日のあたるところを歩けば汗ばむほどでした。

▼木枯らしもここは届かぬ庵なり
▼木枯らしも光も届かぬ木立かな

そんなことを思いながら、祇王寺の中をゆっくりと散策して参りました。

さて、
中旬を振り返ってみます。

11月10日

▼秋の日のゆるい日差しがふみを照らす
▼あの人との恋に秋という季節はなかった……
▼縄跳びの縄が本当の縄だった時代

日差しだけはほんとうに優しいのですが
そろそろ冬の厳しさが漂う。

11月13日

▼黄昏れていたいのに雨降り出して
▼凪を待つ君が近いと汽笛泣く

福島県にいる私の大事な友だちの鶴さんは、結婚すると私が言ったそのあとから便りが切れてしまっている。

私が便りの来ないことを寂しがっているとツマがきっぱりとしてるところが偉いなあというようなことを言っていた。そうだったのかと、はっとする。

その彼女の誕生日が11月13日。間違いなく郡山にいる思う。いろいろと心配だが何もできない。

11月14日

▼この季節心も枯れて句も枯れて
▼寒そうな風がごぉーと吹いている

浮き沈みのようなものがあるのだろうか。
何も思い浮かばない、時間の泊まったような一日が過ぎてゆく。

11月15日

ブリ大根を食べた日。
そう、ツマがあまり私が子どもの寝言のようにブリ大根といい続けるものだから、作ってくれたのでした。

▼大根の湯気にゆらゆらと酔う片思い ★ ★

▼しぐれ道漆も憎き傘もなき
▼北風や泣かぬ涙でわかれたり
▼しぐれ好き、荒れて今宵も自虐的

▼猫舌の私を見つめるキミが好き
▼猫舌の私を攻めるひとも猫

11月16日

▼暮れ色に吸い込まれてゆく尾翼灯

多分小さな月も出ていたのではなかっただろうか。

11月17日

▼朝寝して雨ザーザーの冬となり
▼水たまる庭の片隅に蕾あり

コタツの裾
▼ご主人が出でまして猫さがりゆく

猫のようにムスメが温かいストーブの前から
自分の椅子にすっと行く。
朝の風景。

▼雪ふればさぞや寒かろ忌し人
▼晩秋に駆け落ち行く手別れ道

▼のどならす貴方ののどに耳あてる

11月18日

▼通園の茶団子食べたい京都、行こう

そんなことをふと思う。
こんどの休みの京都は宇治に行くかなと思い調べてみる。
そしたら、平等院は大改修工事中。おお!

というわけで通園はまたこんど。

▼書き損じ丸めた数だけ伝えたい
▼木枯らしや吹いて鼻水甘くする
▼寝たきりの窓フィナーレの茜空

ガラス越しに柔らかい日差しをみていると
こんな季節はなかなかいいじゃないですか。

11月19日

▼北風よ私もアイツを飛ばしたい
▼書き損じ手紙をそっと火にそえる

11月20日

朝からトイレで一時間も新聞読んでていいものかどうか。

▼寒いのでストーブ欲しいトイレかな

▼城下町霜も間近の石畳み
▼宿場町凛と湧きたるしょうずかな

寒くて震えることは無いのですが
そろそろ霜が降りてもいい季節なのかもしれない。

▼カラス鳴いて星が沈んで振り返る
▼北風が吹くなか各停でトロトロ

さぶいなあ。
そういって家に駆け込んだのだが
何となく、ビールが飲みたくなった。

夕食後、

夜はそろそろさぶいなあ。冬のパジャマに代えなあかんなあ。

▼月はなく星がひとつで朝明ける

11月21日

▼寒いのでストーブ欲しいトイレかな

そんなことを思う朝を迎えながら
トイレには結構長い時間入っている。

きょうの季語が焼き芋だったので
子どものころに芋を焼いて食ったあれこれを思い出す。

▼風呂番のついでに焼き芋した昔
▼味しゅんだ大根よりも隣の竹輪

もっとも美味しかった焼き芋の思い出は、燃やしている籾糠に芋を突っ込んでおくもので、焼き芋は、これが一番美味しいと思う。

テレビや新聞と都会の人々が石焼きの芋を旨そうに食っているのを見かけるが、私たちはあのような食べ方は一度もしたことが無い。

籾糠は燃えるときに決して炎も出さずにしくしくと煙を弛ませて燃え続ける。
あの火種の下でじっくりと焼かれた芋は、芋の旨味を最大現に引き出す温度でこんがりと焼け、さくさくとした焼き芋になってくれる。

籾糠が年中ある訳ではないので、芋を焼きたくなり火のあるところを探せば当然のことお風呂の焚き口に芋を置いて風呂を沸かす火種で芋を焼いたこともあった。

田舎の人間は、旨く焼ける論理など持たず、生まれながらにしてあの味を知っている。石で焼けば蒸した芋よりはこんがりと焼けるが、籾殻で焼く製法には及ばず残念な焼け具合になってしまうに違いない、と今でもそう思っている。

焼き芋は、売り物を買う気になれないのは、そういうところに大きな要因がある。

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