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2012年11月21日 (水曜日)

おとやんと呼ぶこと

夢のことを考え続けている。

あの人の夢は何であったのか、「なあ、おとやん……」と書いて、うっっと考え込む。

私は、父に向かって直接呼びかけるときには「おとうちゃん」とか「おとやん」と言ったことを思い出した。

数々の伝記や書物でお父さんのことを回想して「おやじが」などと書いているのを見かける。新聞の連載の記事などでも「おやじの背中」などというように書いている。しかし、私にはそんな風に父を呼んだり、活字にするときでもこのような表現をする文化はなかった。これからもそう書いたらよそよそしいし嘘の気持ちではないかと気づいた。

といいながらも、このブログの過去の日記では、「おやじ」と呼ぶ表現をしたことがあったかもしれない。しかし、あれはよそ行きの表現であったな、と反省する。そんな偽りの語り掛けはやめようと少しこの文章を書きながら反省している。

というわけで、私はお父ちゃんのことを「おとやん」と呼んだし、そう声を掛け続けたいと考えている。

おとやん、と書いて思い出したが、ツマのことを「カミさん」とか「相方」という表現も私の地方では使わない。上方などの漫才師さんたちが話していたのを聞いていたくらいだ。世の中にそういう表現をする人がいることを否定するつもりはないが、私はどうしてもその表現が私たちには無いもので、ああ、こういう文化の地域で大きくなってきたんだなと思う。

ついでだが、「おふくろ」という呼び方もしない。そんな言葉は電波や書物が私の住んでいる地方まで流入するようになってから、この地域の人々の言語文化が侵略されてしまったことに拠るもので、私は母のことを「おかあちゃん」「おかやん」と呼ぶ。目上の人に話すときは言葉使いの教科書どおり「父が」「母が」という言葉を使う。

さあ、おとやんの夢のことを考えよか、なあ、おとやん。

(前置きで終わってしまった。次回に続く)

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