令和元年

  • 25日の夜は鰹のタタキ
    令和の足跡

M's Zoom

  • 大井川鉄道(5月6日)
    M's Days フォト

歩きの日記

  • 三野瀬駅
    あるく

BIKEs

  • かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ

Walk Don't Run

  • 忘却をおそれず
    記憶を記録として
    遺そうと思う

ノート

  • ふと開く一冊の絵手紙集

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

« 父の帽子のこと、母のこと | トップページ | 似るということ »

2012年11月 3日 (土曜日)

拝むということ

人が拝むというおこないをするとき、そこには祈りがあるのだろう。しかし、それだけではなく、父は反省をするという意味合いのことをときどき話した。

地球という環境の中の大自然にポタリと落とされたニンゲンという生き物が、苦難を乗り越えて生き抜くためには、神や仏を拝むという信仰が必要だった。これは、動物にはないことだろうが、決して高等な知能を持った動物だけに与えられた能力でもなさそうだ。

父がいう反省とは、世話になった人や物に対する感謝や身の回りで私たちを一丁前にしてくれる人々への尊敬であり畏敬のことを言いたかったのだろう。

世の中は自分だけで生きているわけではなく、これからも生きてゆけるわけがない。勝手なことや我儘なことを慎み、人に嫌われることのないようにし、友だちを多く持ち、礼節をわきまえ、義理を欠くことのないような人であるべきだと・・・・口に出していったのを聞いたことはなかったが、言いたかったのではなかろうか。

一方で母は、子どものころから子どもたちに口やかましく叱ったり注意をした。その折にあれこれいけないこと口酸っぱく話したし、友だちがたくさんいることは大事だ、義理を果たして礼節のしっかりした人でなくてはならない……というようなことをよく言った。

あれは父の代わりに自然に小言となって出たものであったのだろうか。父は黙って神仏に手を合わせているその後ろ姿だけを私たちに見せ続けただけだった。

« 父の帽子のこと、母のこと | トップページ | 似るということ »

【- Walk Don't Run -】」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 拝むということ:

« 父の帽子のこと、母のこと | トップページ | 似るということ »

フォト
2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31