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2012年11月29日 (木曜日)

年の瀬が近づくと…

父が生きていた時は暮れになると年によって日本海の方にゆく旅行に出かけた。旅行先でブリを予約しておき、正月頃にはその土産のブリが家に送られてきた。二の腕より大きなブリだった。

父は魚が大好きで、刺身をするのが得意だった。まず包丁を研ぐことからはじめる。近所の人にも頼まれて包丁研ぎをしていたほどだったので、その技は秀逸だった。

キレのいい包丁で魚を捌くと別格の味を引き出すことができる。几帳面な人だったので、お皿に並べてもことさら旨そうに盛った。やること成すことが所々私も似ている。包丁を研がねば始められないところなど涙が出るほど私も同じ性分なのだなと染み染み思う。

冬は、温い思い出が幾つかあって、すぐには出てこないところに埋れている。静かに酒でも啜りながら思い出すのがいいだろう。

*

そうだ。毎年書いているような気がするが、しめ縄を作るのが得意だったし、草鞋を編んでいるのも何度も見た。

縄や藁を綯うてモノを作る作業は、秋から冬にかけてすることが多い。それは農業が季節に依るもので、農閑期にあたる秋から冬にが作業に向いていることや年が暮れてゆく時期が何かと物入りだったこともあるだろう。小屋に籠って地道な仕事をすることが必然的に多くなる。冷え込む小屋で、そう!、我が家では「長屋」と呼ぶ小屋で、夜なべをしてコツコツとしめ縄を編み上げる。

父のしめ縄は丁寧に作られていて、しかも美しかった。近頃はスーパーなどにもしめ縄が並ぶようになったが、父は店に出すようなことは一切せず、あれこれと世話になった人に差し上げていたのではなかろうか。

しめ縄をスーパーで買うようになったらモノの価値が金銭に変換されてしまう。しめ縄なんていうものは、一年を振り返って感謝しながらぎゅぎゅっと編み上げてゆくものだから、掛かった時間や材料などの金銭価値を生むものとはかけ離れたところで人々が感じ取る価値があって、戴いた人が薄っぺらな人であればそれだけのものになるし、厚みのある人なら立派な価値となってくれる。心を込めてお礼として渡していたのだと思う。ホンモノの良さがわかる人が少なくなった時代、最後の職人的な趣の一面を見せてくれた人だった。

子どものころはすでに蓑は姿を消しつつあったので、縄を綯って編み上げるモノといえばしめ縄か草鞋くらいのものであったのだが、馬鹿息子はその寒い土間には近寄ろうともしなかったのだから、罰当たりだったなあと思う。

草鞋の編み方を教わっていれば、私という人物も少しは違っていたかもしれない。いや、そんな人間になれもしない愚かな者だったからあの土間に一緒に腰を掛けて話を聞こうとしなかったのかもしれない。

「人間なんてのはヒトにあれこれと指図されているうちは未完成だ」と独り言のようによく言っていた父の横顔を思い出すと後悔のやり場が無い。

2012年11月28日 (水曜日)

広井良典 定常型社会 新しい「豊かさ」の構想

11年前にこんな素晴らしいことを考えていた人がいたことに感動します。

広井良典 「コミュニティを問いなおす」
を借りに行ったのですが、貸出し中で置いてなかった。

広井先生の本が意外と少なくてちょっとがっかり。
教養と読書を本質的な面から見直し、文化力を上昇できるように、図書館も頑張ってくださいね。

定常型社会

2012年11月26日 (月曜日)

冬の暮切ない過去を置き去れず  小雪篇

11月23日

▼木枯らしの音だけ届くガラス越し
▼木枯らしもここは届かぬ庵なり
▼しみじみと木枯らし味わい冬ごもり

木枯らし三区。
そう、ここは木枯らしが吹きすさぶ木枯らし三区なのだ。
なかなかいい語韻だ。

まてよ、語韻なんて言葉あるのだろうか。

連休ですけど、それはカレンダーの上でのこと。
私は家にいて普段の休日と同じように時間を過ごす。

ちょっと実行力の無い自分にしょんぼりしている。
でも、冬枯れの景色を見て部屋にいるのは好きです。

11月24日

▼月はなく星がひとつで朝明ける

妙にこの句が気に入って、
ふらりとツイッターに投げ入れる。

▼新品の洗濯バサミ曇り空

洗濯を干しにオモテに出るけど
真冬のように冷たい風ではなくて
手が悴んだりはしない。

▼冬の暮切ない過去を置き去れず

何とも言葉にできないような寂しさが襲いかかってくるのは
灰色の空のせいかもしれない。

茜色になったらなったで
また同じように思うのだろうけど。

11月26日

▼恨めしキミ冷たい雨に濡れよし
▼小糠雨濡れて貴方の腕のなか
▼冬支度までに貴方に会いにゆく

雨の月曜日になった。
久しぶりに傘をさしてゆく。
スボンにも降り掛かる冷たい雨。

でも、
吐息が白くならないな。

▼濡れ落ち葉かき集めて人影なく

2012年11月25日 (日曜日)

ユーミン

ユーミン

きのう、ポチッと押したので
しばらくしたら聴けるのですが
きょうはお金がないので
振込みに行けません。

あーあ。

2012年11月24日 (土曜日)

月はなく星がひとつで朝明ける 小雪篇

 月はなく星がひとつで朝明ける

そんなことばがふっと浮かんで、まだ明けきらぬ空をしばらく見上げていた。(20日)

鮮やかな朝焼けであるとかすがすがしい空気に感動する朝とは違って何も感動するわけでもないのだが、日々遅くなっゆく日の出時刻を戒めるように明るい星が南西の空にいた。たったひとつ残されていた。

何もない空をみながら新聞受けまで歩きガウンの襟を直しながらまた玄関まで小走りに駆ける。
部屋に戻って暦を繰って22日が小雪と確認すると、この日に京都に行く予定にしていることが、ちょっと嬉しくなる。京都と小雪に何の関連もないのだが、このごろはそれほど頻繁に帰らなくなったから単に久々なのでワクワクするのだろうか。

トロッコ列車が人を呼ぶようになり、年々、嵯峨の駅前も人がやってくるようになって、おまけに駅舎も名前も新しくなって、私たちが暮らした庶民の街並みは消えつつあるのが寂しい。ツマもそのことを口には出さぬが寂しく思っているようで、子どものころに通った嵐山小学校の前を通るたびに懐かしがるような歳になってしまった。

週末に向かってお天気が下り坂ということで、バックに折りたたみ傘を潜ませて、8時過ぎの京都行きに乗った。平日であるのに混雑しているもようで、3人がまとめて座れるシートがなく、テーブル席にグループ扱いで乗って行けることになった。6人ほど座れるので高級なラウンジに腰かけているような気分だ。窓から見える視線ラインがちょうどホームの高さということもあって、冬の装いのおしゃれな足元を眺めながら缶コーヒーを飲み新聞を広げる。

京都駅から嵯峨駅(現在は嵯峨嵐山駅)に行く各駅停車も11時ころだというのに通路にまで立つ人があふれている。隣国からの観光のグループが楽しそうに声高らかに話している。美人ぞろいなのでちらりちらりと振り向いてしまう。

天竜寺

嵐山から天竜寺を抜けて宝厳院の門前にある嵯峨野という湯豆腐屋さんにお昼を食べに行く。2,3度来ているが、1時間以上の待ち時間だったので、正午になるまでに入れるように少し急いだ。

祇王寺のことは前の日記に書いたし、その中で昔の嵐電の写真にも跳べるようにしておいたのでので、詳しいことは省略する。

22日は小雪。薄日が差すと汗ばむほどにもなる日であったが、日が暮れるとさすがに京都らしくしっとりと冷え込んだ。

ムスメが生まれる予定もないころに、愉しみながら子どもの名前を幾つも考えていた日があって、その中に「小雪」という名前もあったことを毎年この日に思い出す。

天竜寺塔頭宝厳院向かいの嵯峨野

嵯峨野 にて

嵯峨野 ひろうず

嵯峨野 湯豆腐のまえに

2012年11月23日 (金曜日)

城下町霜も間近の石畳み 十一月中旬篇

22日に祇王寺に行ってきました。この日は二十四節気の小雪にあたります。でも、日のあたるところを歩けば汗ばむほどでした。

▼木枯らしもここは届かぬ庵なり
▼木枯らしも光も届かぬ木立かな

そんなことを思いながら、祇王寺の中をゆっくりと散策して参りました。

さて、
中旬を振り返ってみます。

11月10日

▼秋の日のゆるい日差しがふみを照らす
▼あの人との恋に秋という季節はなかった……
▼縄跳びの縄が本当の縄だった時代

日差しだけはほんとうに優しいのですが
そろそろ冬の厳しさが漂う。

11月13日

▼黄昏れていたいのに雨降り出して
▼凪を待つ君が近いと汽笛泣く

福島県にいる私の大事な友だちの鶴さんは、結婚すると私が言ったそのあとから便りが切れてしまっている。

私が便りの来ないことを寂しがっているとツマがきっぱりとしてるところが偉いなあというようなことを言っていた。そうだったのかと、はっとする。

その彼女の誕生日が11月13日。間違いなく郡山にいる思う。いろいろと心配だが何もできない。

11月14日

▼この季節心も枯れて句も枯れて
▼寒そうな風がごぉーと吹いている

浮き沈みのようなものがあるのだろうか。
何も思い浮かばない、時間の泊まったような一日が過ぎてゆく。

11月15日

ブリ大根を食べた日。
そう、ツマがあまり私が子どもの寝言のようにブリ大根といい続けるものだから、作ってくれたのでした。

▼大根の湯気にゆらゆらと酔う片思い ★ ★

▼しぐれ道漆も憎き傘もなき
▼北風や泣かぬ涙でわかれたり
▼しぐれ好き、荒れて今宵も自虐的

▼猫舌の私を見つめるキミが好き
▼猫舌の私を攻めるひとも猫

11月16日

▼暮れ色に吸い込まれてゆく尾翼灯

多分小さな月も出ていたのではなかっただろうか。

11月17日

▼朝寝して雨ザーザーの冬となり
▼水たまる庭の片隅に蕾あり

コタツの裾
▼ご主人が出でまして猫さがりゆく

猫のようにムスメが温かいストーブの前から
自分の椅子にすっと行く。
朝の風景。

▼雪ふればさぞや寒かろ忌し人
▼晩秋に駆け落ち行く手別れ道

▼のどならす貴方ののどに耳あてる

11月18日

▼通園の茶団子食べたい京都、行こう

そんなことをふと思う。
こんどの休みの京都は宇治に行くかなと思い調べてみる。
そしたら、平等院は大改修工事中。おお!

というわけで通園はまたこんど。

▼書き損じ丸めた数だけ伝えたい
▼木枯らしや吹いて鼻水甘くする
▼寝たきりの窓フィナーレの茜空

ガラス越しに柔らかい日差しをみていると
こんな季節はなかなかいいじゃないですか。

11月19日

▼北風よ私もアイツを飛ばしたい
▼書き損じ手紙をそっと火にそえる

11月20日

朝からトイレで一時間も新聞読んでていいものかどうか。

▼寒いのでストーブ欲しいトイレかな

▼城下町霜も間近の石畳み
▼宿場町凛と湧きたるしょうずかな

寒くて震えることは無いのですが
そろそろ霜が降りてもいい季節なのかもしれない。

▼カラス鳴いて星が沈んで振り返る
▼北風が吹くなか各停でトロトロ

さぶいなあ。
そういって家に駆け込んだのだが
何となく、ビールが飲みたくなった。

夕食後、

夜はそろそろさぶいなあ。冬のパジャマに代えなあかんなあ。

▼月はなく星がひとつで朝明ける

11月21日

▼寒いのでストーブ欲しいトイレかな

そんなことを思う朝を迎えながら
トイレには結構長い時間入っている。

きょうの季語が焼き芋だったので
子どものころに芋を焼いて食ったあれこれを思い出す。

▼風呂番のついでに焼き芋した昔
▼味しゅんだ大根よりも隣の竹輪

もっとも美味しかった焼き芋の思い出は、燃やしている籾糠に芋を突っ込んでおくもので、焼き芋は、これが一番美味しいと思う。

テレビや新聞と都会の人々が石焼きの芋を旨そうに食っているのを見かけるが、私たちはあのような食べ方は一度もしたことが無い。

籾糠は燃えるときに決して炎も出さずにしくしくと煙を弛ませて燃え続ける。
あの火種の下でじっくりと焼かれた芋は、芋の旨味を最大現に引き出す温度でこんがりと焼け、さくさくとした焼き芋になってくれる。

籾糠が年中ある訳ではないので、芋を焼きたくなり火のあるところを探せば当然のことお風呂の焚き口に芋を置いて風呂を沸かす火種で芋を焼いたこともあった。

田舎の人間は、旨く焼ける論理など持たず、生まれながらにしてあの味を知っている。石で焼けば蒸した芋よりはこんがりと焼けるが、籾殻で焼く製法には及ばず残念な焼け具合になってしまうに違いない、と今でもそう思っている。

焼き芋は、売り物を買う気になれないのは、そういうところに大きな要因がある。

祇王寺

小雪だったきのう、京都に出かけておりました。家族3人で車折のお父さんに会いに行き、天竜寺のねきの湯豆腐やさんで昼食をとったあと嵐山から嵯峨のあたりまで散策しながら歩いて、祇王寺に寄って、帰り道に清涼時で一服してあぶり餅を食べて嵐電で家へ。用事を済ませて、ブランデーを1瓶もらって、終電に近い列車で帰ってきました。
 
 *
 
一夜明けて、今朝からは雨です。

祇王寺

 
祇王寺は、嵯峨嵐山あたりで私の一番お気に入りの古刹です。しかしながら、訪れるのは久しぶりのことで、とても感慨深く感動的でした。
 
JRの京都の宣伝が二尊院を写していましたので、もしやそちらにはたくさんの人が……と想像していたら、やはりお寺の前には山のような人が群がっておりました。2、30年の間にこのあたりの沿道の様子や人の数がガラリと変わってしまいました。古いお寺は昔のままですから、気持ちの転換をしながら風景を見なくては失望の連続になります。9年間も住んでいた昔を思い出しながら、住み続けなかったからこうして静かに見てられるんかなとも思います。
 
でも、猫の通るような路地を昔のように抜け道で通りながら、この抜け道もいつか駅から吐き出される人たちが通るようになる日が来るのかなと思ってみたり。
 
お父さんは二尊院のほうが良かったなあと、あとになって言ってましたが、私はひっそりと祇王寺に行ったのを喜んでおります。祇王寺も庭を散策するときには一列になるような混雑が長く続きましたが、立ち止まってぼんやりと案内を読んだり聞いたり庭を眺めたりしていれば、ほんとうにこのお寺を味わいながら愉しんでいる人が見えてきます。その人たちを見てると、平家物語などを座右にして優游涵泳と時間を過ごすことに、夢にも似た憧れを抱きます。祇王寺は光が盛りに遮られてしまう秋の今頃がいいですね。
 
 *
 
一夜明けてきょうあたりは、冷たい雨が降って静かなお寺に姿を戻しているだろうか。それとも、祝日の人で賑わっているのだろうか。
 
長靴を履いて完全に防備して、雨降りのこの寺に佇みたいと思う私のような人も多いかもしれない。

祇王寺

2012年11月21日 (水曜日)

八宝菜

20日 (火)のこと

八宝菜

冬は白菜やなあ。
 
一度、白菜で
すき焼きにチャレンジしたが
期待通りにはいかなかった。
やっぱし、白菜はお鍋か八宝菜がいいね。
 
野菜を食べる味は、
どんどん薄めに変化してゆく。
 
年齢とともに健康が気にかかるからだろうな。
 
寒さが増してきた。
白菜が美味しい季節になってきた。
 
今夜は、焼きそばらしい。

おとやんと呼ぶこと

夢のことを考え続けている。

あの人の夢は何であったのか、「なあ、おとやん……」と書いて、うっっと考え込む。

私は、父に向かって直接呼びかけるときには「おとうちゃん」とか「おとやん」と言ったことを思い出した。

数々の伝記や書物でお父さんのことを回想して「おやじが」などと書いているのを見かける。新聞の連載の記事などでも「おやじの背中」などというように書いている。しかし、私にはそんな風に父を呼んだり、活字にするときでもこのような表現をする文化はなかった。これからもそう書いたらよそよそしいし嘘の気持ちではないかと気づいた。

といいながらも、このブログの過去の日記では、「おやじ」と呼ぶ表現をしたことがあったかもしれない。しかし、あれはよそ行きの表現であったな、と反省する。そんな偽りの語り掛けはやめようと少しこの文章を書きながら反省している。

というわけで、私はお父ちゃんのことを「おとやん」と呼んだし、そう声を掛け続けたいと考えている。

おとやん、と書いて思い出したが、ツマのことを「カミさん」とか「相方」という表現も私の地方では使わない。上方などの漫才師さんたちが話していたのを聞いていたくらいだ。世の中にそういう表現をする人がいることを否定するつもりはないが、私はどうしてもその表現が私たちには無いもので、ああ、こういう文化の地域で大きくなってきたんだなと思う。

ついでだが、「おふくろ」という呼び方もしない。そんな言葉は電波や書物が私の住んでいる地方まで流入するようになってから、この地域の人々の言語文化が侵略されてしまったことに拠るもので、私は母のことを「おかあちゃん」「おかやん」と呼ぶ。目上の人に話すときは言葉使いの教科書どおり「父が」「母が」という言葉を使う。

さあ、おとやんの夢のことを考えよか、なあ、おとやん。

(前置きで終わってしまった。次回に続く)

2012年11月20日 (火曜日)

カツオ

カツオののっけ盛り

そういえば
カツオをしばらく食べてないなあ
と思っていたら
ツマが買っていた。

たたきののっけ盛り。

2012年11月19日 (月曜日)

イヤホン、あらら事件

今朝のこと。夕べ、ムスメが MAC にジュディマリを入れていたので、私もついでに iPhone に入れてルンルン。

朝の通勤列車はいつものようにちょうど満員くらいで、立っている人が一人二人程度でした。見渡すと荷物を脇において居眠る女子がいて、めちゃめちゃその席が空いていることに違和感を感じた私は、気の毒ですが耳元で「荷物どけてください」と言ってその子を起こして席を空けてもらい座りました。

憎たらしいオトナです、あたし。

(ひとまず落ち着く)

この子また寝とるからええかな、怒っとるかもなあ。でも、こんな列車なんやから荷物はどけてから寝なさい、というように頭の中で考えながら、iPhone を取り出しイヤホンを入れて音楽を聴きだしたのですが。

そうです。昨晩コピーしたジュディマリを聴き始めたましたが、一向に音が聴こえないな、喧しいから聞こえないのかな、とずーっと思いながら降車駅に着いたので降りました。

しかし、駅を離れて職場が近づいて、iPhoneが音楽を鳴らしているのに気づきまして。

ああ、そうなんや。イヤホンがしっかり差し込まれないまま、列車の中で音楽流していたのかい。

慣れんことをしたらあかんという話ですが、起こされた女の子は、きっと迷惑な奴だと私を睨んでいたのでしょうな。

2012年11月18日 (日曜日)

そうだ、京都に

先日の祝日と休日の重複日のお休みを22日に割り当てられたので、我が家はこの日に京都へ帰ることにしました。

泊まりは別邸です。さて何をして過ごそうか。

紅葉の話を尋ねたら「高雄は終わってるわ」とお父さんが話してくれました。
 

では、歩いて嵐山でも散策に行きますか。湯豆腐食べに行こか。

ちかごろは、味気ない店が目立つようになったので、金がかからなくていいのでしょうが、京都らしさが味わえなくなってきつつあります。

京都風という、いかにもそれらしい店は多くなっていますけど、そんな店なら地方の(都会の)どこかでも味わえます。

ホンモノを見失った人でも美味しくて楽しくて、心地よく生きてゆける時代というのは、ある意味で平和な社会です。豊かさボケ、の延長なんだろうなと私は思っています。

2012年11月16日 (金曜日)

ブリ大根

11月15日 (木)

やってきました。
ブリ大根の季節です。

子どものころはこういう料理は嫌いで、大人ってのはおかしなものを好んで食べるなと思っておりました。

イワシの酢漬け、お寿司なんかもそういうたぐいの味で、大人になって初めて大人の苦労がわかるころに、その味もわかるのだ。

そんな覚書を写真日記に書き残して、のらりくらりと日が過ぎる。

*

ムスメさんも最近はそれほど遅くなく、1時間ほどは職場に残っているようだが、家族と一緒にご飯を食べている。

家族団らんで飯を食えることは大事なことなのだ。でも、そろそろ彼氏のもできて、家族とは食事をしない日があってもいいんですけど。

2012年11月14日 (水曜日)

ツマと旅する(その2)  花も嵐もⅡ その28

二十歳代ってのは、あらゆることで未熟だったのだと思う。それは未完成であるということと未経験であるということ、つまりはそれらを基盤として多次元の迷路の中から最善の策を見い出す力や多次元の迷路を脱出したあとの空間を読み切る力にもに不足があること、そしてそんな自分をまだ知らずに自信過剰傾向であるという特徴を持っている。
 
そのことに10年ほどの節目を経ながら少しずつ気づいてゆく。だから、御節介をして若者たちに経験談や説教じみた話をするのは良くない。彼らは時代に応じた失敗をすればいいのだ、つまり、かわいい子には旅をさせておけばいいのだということを自分に納得させることができたのが、ようやく孔子のいう「五十而知天命」のときであった。
 
二人が旅をした時期から20年以上が過ぎている。あのころの数々の旅は未熟であった。しかしそれを責めることはできないし、責められるような点もない。
 
1メートルか2メートル先しか見えない濃霧に巻かれた草津白根山の有料道路へ、明くる年にはツマと二人で向かった。私の歓びはツマの歓びでもあって欲しい。その簡単な決まりで私たちは東北にも九州にも出かけた。
 
長崎オランダ村というのが出来立てのホヤホヤですよ、と駅前の観光案内所で教わったその日、予定を簡単にそちらに変更したこともあった。何の計画も立てずに長崎まで遊びにきて、はてさてと考えながらのオランダ村だった。もっと事前に調べて行けば良かったのにと指摘を受けるかもしれないが、二人は電車に乗って近所の遊園地に出かける感覚で二三泊の旅に飛び出した。今ならば安宿であるとか評判のいいホテルを検索するのだろうけれども、そんなことをする時代ではなかった
 
長崎に着いて考えて、まず有名な雲仙の観光をして温泉に泊まった。天皇陛下も泊まったとかいう高級なホテルに飛び込みで泊まった。もっとオトナになってから回想すると凄く高かったのだが、そのころはそんなことでは凹んだりしなかった。次に泊まった長崎のワシントンホテルが前日の半額以下だったことの方が嬉しくてそのことを日記に書いた覚えがある。
 
地獄巡りといえば別府でも観光した。雲仙と別府がどちらが先であったかまでは記憶にないのだが、別府は結婚した年にバイクで九州を回った帰りだったはずだから、雲仙はそのあとになるのだろう。(1983年にオランダ村が開園となっているので、私たちがこの2つの地獄巡りをしたのは1984年のことなのだろう)
 
二人の旅は、それほど貧相でもないが、大人びたものでもなかった。ひょいと電車に乗り、駅前の観光案内所で宿を探し、手頃な価格の民宿などを探して泊まった。夕飯は宿で取ることもあったし、街に出て居酒屋で済ませることも多かった。
 
子どものなかった4年間はそんなこんなで旅をした。ああすれば良かったとか、あそこに行けば良かったなどというようなことは探せば幾らでもあろう。しかし、若者というものは未熟であるのだし、この未熟という靄の中を自分で道筋を求めて考え悩み続けていていいのだ。幾ら悩んでもその悩みは歓びでかき消されていて、後になってあぶり出しのように深い意味合いがわかってきて、「不惑」の年齢のころにやっと自分自身の糧になってゆくものだと思う。
 
そんな旅も、子どもが生まれてパタリと行かなくなり、連休になると私は二人を置いてツーリングをするようになってゆく。

松浦武四郎涅槃図の世界

松浦武四郎涅槃図の世界

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11月11日の日曜日に松浦武四郎記念館へ行ってきました。

※JAFの会員証で200円で入れるそうです。
私は月一回開催される無料講座に出たのでそのあとの館内案内で無料でした。(これからも講座に出ると無料なのかな)

というわけで、

とても素晴らしい記念館です。松浦武四郎の業績や人物像を展示紹介するだけでなく、人の生き方にもヒントを与えてくれます。このような人物が地元にいたことをもっときちんと学ぶべきだと痛感。

現在、河鍋暁斎の描いた涅槃図が展示されています。
1年に60日しか明るいところに出られない文化財です。
今行かねば、1年以上先まで見られません。18日まで。

※17日18日は関西文化デーで無料です

2012年11月13日 (火曜日)

消えてゆくもの

すっかり秋になりまして、先日から少し早いかなと思いながらコタツを出しました。 この季節から冬の間は、すっぽり入って食後にうたた寝をするのが日課です。テレビを見ませんので、バックグラウンドで家族の見るテレビが鳴っています。
 
ちかごろは、お酒も控えてと自分に厳しくしようと思うものの、家族がそろうと3人でも賑やかな我が家ですので、ついつい飲み過ぎてしまいます。ツマに内緒でウイスキーを足して毎日小言を言われております。
 
呟きと不平が混じったような「14%という数字」という日記を書いたにも関わらず、みなさんから多くの便りをいただき感謝をしています。
 
砂上の楼閣の如く築かれているネットワークの上の人間関係。地に足が着かないとか根っ子のない人間関係と言いながらも、そんなに簡単にも斬り捨てることはできないとも思います。
 
mixi も「17音コミュ」とメッセージ機能、そして、気まぐれに書く日記については、暫く続けようかと思っています。でも契約をしているとどうしても毎日見てしまうので、麻薬みたいでそれが嫌だと感じていますから、いつ断ち切ると言い出すか自分でも予測がつかない。
 
もちろん、ネットといえども心をさらけ出し、また、さらけ出した心をケアきてくれたり、刺激を与えて元気を取り戻させてくれた方々も多く、ヒントをくれたりした人にはほんと感謝しております。
 
取るに足らない愚かな人間であるものの、数々の支えを捧げてもらいながら、それなりの哲学を刺激してもらい持ち続け、決して恥ずかしくない人生を送ってくることができたのも、身の回りの人々のおかげであると思います。
 
自分ひとりで暴走したり、思想的にというと危ない書き方ですが、家族運営方針みたいなもので、ぽたりぽたりと脱線したり、のらりくらりとしているところがありますものの、もういつあの世に逝ってもよろしい準備は整った次第です。
 
そんな訳ですので、ブログでは「遺す言葉」も書き始めています。これは遺言ではありません。自伝でもありません。私の周りの人々の恐ろしいほどの素晴らしさを書き留めよう、人の生きる哲学とはどうあるべきかを考えようと思い、書き残すことを試みています。結論などあってないようなもの。脱線という言葉さえも成り立たないほど漠然とした回想録です。
 
天空のラピュタという映画が暗示した地に着かない夢のようなものを追うこと、あれにも少し通ずるような熱狂はもうこの辺でやめようかと思っています。
 
社会の数々の便利さに翻弄されるのではなく、スローに生きた人々の言いたかったことを、自分たちで工夫を重ねて編み出してきたその設計図のようなものの余白に隠れて計算をした筆算を辿るように、私の人生を辿って浮き彫りにすることはできないものか。このごろはそんなことばかりを考えています。

2012年11月10日 (土曜日)

最後の文化祭

三重中京大学学園祭

三重中京大学学園祭。

2012年(平成24年)11月10日。

ぼちぼち紅葉してます。
ええキャンパスやな。

残念ながら最後の文化祭です。

政治学が学べる学術研究機関がひとつ消えてゆくのですね。

この地域には根付かない学問なのかな。
意外とそうでもないと思うのだが。

未来の社会を読んで新しく構想する。
それを政治や行政のサイドから見る目が必要なんですが。

それでいいのか、地域行政。

2012年11月 9日 (金曜日)

さようなら10回言えば秋がくる ─ 11月上旬篇

11月は哀しくもなく愉しくもなく始まった。
恋する人は遠くへ行ってしまったし
新しい旅の計画もなければ
グルメな遊びの予定も私にはない。

ちかごろ、私のようなボケ茄子な奴が増えているらしい。

人のふり見てわがふり直せ。

父が口癖のように私にいった言葉だ。
ボケ茄子にはなりたくないと思って
私も頑張らねばならない。

父に追いつくためにも。

11月1日

▼さようなら10回言えば秋がくる   
▼君の持つ赤い手袋嫉妬心
▼北風を逃げて花屋の店先へ    
▼君と僕兄弟みたいと言われたね   

風が少し冷たいなと思う日が来ると
手袋のぬくもりを思い出す。

私は手袋などいらない人なのだが
ぬくもりは好きだ。

高校のときには、母が編んでくれた毛糸の手袋が好きで
カバンに入れていたが、恥ずかしくて差さなかったな。

11月2日

▼秋深き恋文綴る筆を買う   

いいえ、筆など買っていませんけどね
そう書きたくなっただけ。

万年筆のインクの乾く前に
手が当たって掠れた文字を
じっと見ていて
こんな字が気に入らなくて
何度も書き直した日々を思い出す。

11月3日

▼秋思うあなたが消える少しまえ   

あの人との恋に秋という季節はなかった…… 

11月4日

▼古里に温し心の人が居て

ツイッターのある俳句人さんが、寒い寒いと書いていたので
あなたの古里は遠い雪国ですね、温かい人でいっぱいですね
と伝えたくて。

でも、言葉が足りず。

▼冬鳥のあいさつ回りか冷える朝    
▼続け字の手紙が届き惚れ直す    

秋の日のゆるい日差しがふみを照らす。

11月5日

▼月曜日冷たい雨の夜を待つ    
▼坂道のアワダチソウが憎くなる     (*)
▼石畳みコートの裾をジッと追う    
▼シャッフルの音楽切なく降り出した雨に気づく    

スティーブジョブズを読み終わって
少し活字から目をそらし
iPhone のイヤホンをして街を歩いている。

音楽は、ほんとうは静かに家で聴きたい。

11月6日

▼夏ミカンあなたのマフラーそんな色    
▼雨上がるあなたにメールで知らせたい  (*)   
▼着信を震える指で確かめる      
▼冬嫌い?あなたは夏の女やし    

日々寒くなってくる。

この寒いという言葉に
細やかに反発をしたくなる。

11月7日

▼柿食うて種ある頃を思い出す    
▼縁側で手編みのチョッキ日に透かす    
▼縁側で立冬支度の豆を選る    

柔らかい日差しが恋しい。
きっとそう思ったのだろう。

母がアズキ豆を庭で叩いていたのを想いながら。

庭で、あずき

11月8日

▼独酌の冬のビールのほろ苦き    
▼顔ぶれが揃いてビール冬の味    

立冬が過ぎてビールが旨苦し

届いていても

届いていても

▼坂道のアワダチソウが憎くなる

そんな季節ですね、という手紙を書きたくなる。
返事なんかいらないよ。
届いているならば。

▼雨上がるあなたにメールで知らせたい

恋をしていないと
いい作品は書けないのだ。

このごろはだめや。

理由は、誰にも言えない…
キミなら御見通しかな。

▼着信を震える指で確かめる

いつか、何度か書いた手紙
届いているのはわかっていても
切なかったなあ。
ケータイが胸でバイブして
それがあなたからのメールだっときは
ドキドキが止まらなかったな。

2012年11月 8日 (木曜日)

そんな季節を迎えようとしている 立冬篇

今月号では鳥羽市立菅島小学校エコ・ボランティアクラブを紹介した。書きながら、子どもたちの活動を思うと感動の波が押し寄せてきた。じっと熱くなるものがある。

*

あとがきから。

いよいよ秋たけなわです。京都・奈良の古刹からは紅葉のたよりが届いてきます。

 柿食へば鐘がなるなり法隆寺 

古都を歩くのがいい季節になってきました。深まる秋を味わいながら小春日の里山を散策をしたいものです。子規の柿好きは有名で、柿を詠んだ句は いくつもあります。

 風呂敷をほどけば柿のころげゝり

伊勢地方は柿が特産ですので、美味しそうな柿が店先に並びます。子どものころから柿はどこの家の庭にも成っていて、よじ登ってもぎ取って食べると いうのが当たり前のスタイルでしたから、なかなか田舎育ちの者には買ってまで食べることがなく、今や高級な秋の味覚となりつつあります。

このような記事を書いている間に立冬が過ぎてしまいました。伊勢平野には「鈴鹿おろし」「布引おろし」という北風が吹きます。

 干柿の暖簾が黒く甘くなる  山口誓子

そんな季節を伊勢平野は迎えようとしています。

2012年11月 7日 (水曜日)

スティーブ・ジョブス

スティーブジョブズ、という本を読む。

これは彼の伝記だ。

だから一般的に彼という人物のことが何のフィルターもなく書かれているのだろう。

今、アップルをひとつの信仰のような感覚でこの会社を見て、この会社を築き上げてきた人を知りたいというのであれば、この伝記は最高のものだろう。

私はアップルのパソコンや携帯電話を使っているし、素晴らしい製品を提供している勇気のある会社だと思っているものの、逆にこの伝記を読んで少し冷めた感覚も持ってしまった。

そういいながらも、現在、ウィンドウズというマヤカシのようなOSが社会を左右している現実を見ると、MAC OS X は、細かいところまで心を配った完成された面も多く、この人の成し遂げたことは大きく評価できると思う。

つまり、ジョブスが勇気と信念を持って製品を作り上げてきた過程を読むことは、企業経営とか一社会人の意気のあり方を考えるにはとても適している。ベンチャーな精神を持っている人も背中を押されるのだろう。

●○

見えないところまでも気を使って美しく仕上げるということに触れている。

こういうことを堂々といえない社会が出来上がりつつある。例えば成果主義とか合理主義という神懸かり的論理がそうだ。

無駄なところまで余計な費用を使って、例えば買ったあとに直ぐ捨てられてしまうようなパッケージのようなものや、使う人の眼に触れないようなところの品質に拘る必要などないとする現代の品質基準の中で、ジョブスが眼に見えないところまで完成されたものを提供することに拘ったことが素晴らしい。

私の父が木の彫刻を作っていたときのことを思い出した。父は、床の間に飾るその木の置物を削ったり磨いたりして骨董の味を出させるのだが、あのときの父の気持ちは見えないところも美しく仕上げようという自然の思いがあったと、今更ながら気づく。

パナという会社に何年もいて商品の開発に携わってきた私だが、あの会社にはそのような発想は全くなかった。もしもそういう着想が芽生えそうになったとしても育み芽を出せるような文化さえもなかった。枯れていたのだ。

そのことを振り返るだけで、美しいものを、おそらくひとつの作品を見守るような気持ちで世に送り出そうという企業文化や雰囲気を、その会社に植え付けた人物は素晴らしいと思う。

(だが、パナの崩壊を見ても歴然とするように、アップルであっても未来に保証はないのだが)

スティーブ・ジョブス

物語は進まないほうが愉しいかも。その12 ─ ビッグバンドジャズ、久しぶりに

そう、あれはまだ夏が真っ盛りになる前のことだったのだ。

物語は進まないほうが愉しいかも。その11 を書いて以来です。

コンサートに人を誘って(誘われて)隣の席で音楽を聴くなどという洒落たことなどは、これまでの人生で一度もなかったかもしれない。ツマでさえ音楽の趣味が違うため並んで聴いたことない(と思う)。

そんなこんなで、ふたたび、音楽を聴きに行くことが決まっております。

マリンスノージャズオーケストラコンサート

実はコンサートのあとでこの人と駄弁っているときに、歳の差ことを少し感じたのです。後輩たちに同じくらいの子たちがいるので、彼ら彼女らのことを思い浮かべると、この人を誘って音楽を聴きに出かけるのがとても不似合いでアンバランスな感じに思えてきて、ちょこっと遠い人に思えてきてしまったのです。

まあ、私の気にし過ぎな訳で、ときどきいつものところでちらりと会ってもさわやかな笑顔で小さく手を振ってくれるのですから、まあ,ときどきをそれなりに愉しんで過ごしております。

台風がやってきたいつかのあの日も,ひょっこりとメールをしてみたら、いまアイルランドに来ています、台風がくる前日に日本を発って、連休が終わったあとの月曜日に帰ります、気温は15℃くらいなので涼しいです、というメールときれいな夕日の写真が送られてきた。

ああ歳が離れててよかったな。この人の魔術にかかったら、みんなヤバいなあ、とか考えながら、こんど、11月11日に仲間の人の所属するビッグバンドがコンサートをしますので,行きませんか?と声をかけたのでした。

うちのムスメさんにも声をかけたので、3枚です。

デートにはなりませんでしたが、ジャズを聴く人たちと秋の夜を過ごそうという訳です。

2012年11月 5日 (月曜日)

似るということ

親子は、何処まで似るものだろうか。

私が自分の生きて来た証や考えや後悔をこうして書こうと思った発端は、そこにメディアがあり自由に書けたことの他に、涌き上がってくる思いをどこかにぶつけたくてもぶつけるだけのパワーが私になかったこと、チャンスがなかったこと、そういう立場もなく、利用するものもなかったこと、そして私にそれなりの才能や資質がなく、私が目指したものを満足するには私自身が無力であったことが大きな要因であった。

この遺す言葉を書きながらも、これ自体の所在が誰にも伝わらなければすべてが無力で無駄なのだが、しかしながら、それならばそれでよかろうとも考えている。整理することと拾いだすことに意味があって、自分自身を見つめ続ける日が過ぎている。

かつて、私は何かに縋った。それは電子のメデイアのツールやネットであり、自分の足跡を勝手に残せるのだからそれはとても有効に思えた。(実際には儚いものでもあるのだが)

では、非常に良く似た性格を持っていた父は、このような心境に陥ったときにどのように考えたのだろうと想像してしまう。最初に書いたように、私たちは同じ考え、思考回路、性格を持っていた。だから、今、私が考えたことと同じことを父も60歳を迎えるころに必ず考えたに違いない。その推測は絶対に間違いではない。

では、あの人は何をどういう形で実現することで、ひとつの夢の形を遺そうとしたのだろうか。

そのことについて少し考えてみたい。

2012年11月 3日 (土曜日)

拝むということ

人が拝むというおこないをするとき、そこには祈りがあるのだろう。しかし、それだけではなく、父は反省をするという意味合いのことをときどき話した。

地球という環境の中の大自然にポタリと落とされたニンゲンという生き物が、苦難を乗り越えて生き抜くためには、神や仏を拝むという信仰が必要だった。これは、動物にはないことだろうが、決して高等な知能を持った動物だけに与えられた能力でもなさそうだ。

父がいう反省とは、世話になった人や物に対する感謝や身の回りで私たちを一丁前にしてくれる人々への尊敬であり畏敬のことを言いたかったのだろう。

世の中は自分だけで生きているわけではなく、これからも生きてゆけるわけがない。勝手なことや我儘なことを慎み、人に嫌われることのないようにし、友だちを多く持ち、礼節をわきまえ、義理を欠くことのないような人であるべきだと・・・・口に出していったのを聞いたことはなかったが、言いたかったのではなかろうか。

一方で母は、子どものころから子どもたちに口やかましく叱ったり注意をした。その折にあれこれいけないこと口酸っぱく話したし、友だちがたくさんいることは大事だ、義理を果たして礼節のしっかりした人でなくてはならない……というようなことをよく言った。

あれは父の代わりに自然に小言となって出たものであったのだろうか。父は黙って神仏に手を合わせているその後ろ姿だけを私たちに見せ続けただけだった。

2012年11月 2日 (金曜日)

父の帽子のこと、母のこと

父の若きころを思い出そうとすれば帽子を被っていた姿が印象的である。家族で外出をしたときに鳥打帽を被って私を抱き上げている写真が残っていた。うしろに大きな鳥居が写っていたので参宮にでも出かけたときのものだろう。

鳥打ち帽などという呼び名を今では使わなくなったな、と懐かしく思う。その帽子を被ったまま私を肩車してくれている。そうだ、あのころの子どもは、誰でもがお父さんに肩車をしてもらったものだ。肩の上はとても高くて見晴らしが良かったなあ、と今になって思う。

そういう写真の記録を、私はあまり大切にしなかったことをとても反省している。今さらジタバタと探しても仕方のないことだが、写真は当然のことながら白黒で、昭和三十年代始まりのころの人々の姿や装いも記録されたわけで、とても貴重だったのに粗末にしてしまった。

厚くて重そうな外套ふうの上着を父は纏い、母は和装で、着物に何かを羽織っていた。鳥居の近くで人の行き来の様子が写っていたので、正月だったに違いない。今であれば東京に出掛けて行くくらいの感覚なのだろうか。

そういう意味で、伊勢は遠かったのではないだろうか。子どもの頃、伊勢でなくとも、もう少し近くの街に家族で汽車に乗って出かけた記憶がある。蒸気機関車はわりと遅くまで走っていて、大人になるまでにも何度か行った伊勢市の駅などで見かけた。伊勢市駅には大きな機関区があって、遠くまで走ってゆく長い長い客車を引いた2連の蒸気が濛々と煙を吐いていたのも覚えている。我が家の裏の線路を走る蒸気よりもっと勇壮だった。

そうそう、蒸気機関車といえば、トンネルに入ると必ず煙に巻かれて、煤が眼に入ったものだった。痛がる私の目玉を母は、いつも、ペロリと舌で舐めて取ってくれたことを思い出す。

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