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2012年10月 8日 (月曜日)

新米や誕生祝う寒露かな ─ 寒露篇

青いミカンが店先に並び始めてもちかごろは驚かなくなったとつくづく思う。ヒトははっと驚くことが大切なのだ。しかしながら、サンマが秋に出回っても、青いミカンをほくほくと食べられる夜長を迎える季節になっても、それがずっと前からの筋書き通りであったかのように過ごす。

と いいながらも、それが幸せなのだ。幸福というものはそういう当たり前のようなことを何の遮りもなく戴いて過ごせることをいうのだ。これは豊かさという概念でも同じだ。このことは、何度もこの「銀マド」で触れて、それを自分に差し向けて時には反省をし、さらには元気の源にしてきた。

さて、

新米や誕生祝う寒露かな

新米で誕生日を祝うなんていうことばの遊びすら何にも面白くない。新米など、今の時代に何が有難かろうか。コメなど収穫できて当たり前になったのだから。しかし、子どものころ……と書きながら早や50年も昔のことになるのかと思うと、その社会史を年表ではなく自分の目で見てきたことにもささやかな感動をおぼえるのだが、そのころの秋の運動会では両親がそろって見物に来て、地区ごとに区分して敷いてある藁の蓆の上で、子どもが駆けるのを応援したのだ。

青いミカンをその季節に初めて食べるのは、この運動会のお昼ご飯の時であった。あのときの大きな握り飯は新米だったのだろうか。母の握り飯は、きれいな三角で、この頃の人は三角に結ぶことむ下手糞になってしまったことを思うと、私たちは豊かさと引き換えにああそんなものまで失くしたかと、いささか寂しい思い である。

寒露。

小春日の陽射しをふんだんに受けながら縁側でゴマを叩いた子どものころを思い出す。静かな秋だった。

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