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2012年10月13日 (土曜日)

秋の夜長に考える その4

秋の夜長に、これを書きながら大黒柱が家にあったのを思い出している。

東大寺の大仏殿で見たような大きくて太かったものであったかのように記憶が蘇るが、昔の記憶というのはそれほどあてにならず、いくらかは変化しているだろう。過去の景色などが美化されて蘇るのと同じメカニズムだ。

柱の太さを定量的に計測した記録がないので不明である。だが、現在のうちの柱を測ってみて、普通の太さのものでおよそ120ミリほどであることから考えて、私の生まれた家の大黒柱は300ミリほどであったのではないかと推測する。靴のサイズや肘の長さより幅は広かったし、その柱の脇にあった黒電話の台がその蔭にすっぽり収まっていたのを記憶する。小学生のときは柱の蔭にひっそりと隠れることもできた。

あの家の太い柱はその1本だけで、ほかの柱はその半分ほどだった。障子や唐紙を4枚纏めて片側に寄せて閉めて(4枚重なる厚みに)やや余る程度だった。このごろの柱はさらに狭くなってきて、新築の家を見かけて父があまりにも細い柱なので驚いていたのを思い出す。もうあの時代のような重厚な家を建てるような必要はないのだろう。

大黒柱のある傍らには、「つし」(厨子)と呼んでいる屋根裏の倉庫への梯子があった。上には風呂に焚きつける柴であるとか雑穀などを保管していて、台所からはその梯子を登ってゆけるようになっていた。

何事においても、このように暮らしの中から考え出されたものに対し工夫に工夫を重ねたものを人々は生活の中に取り込んで、まこと慎ましやかに暮らしていた。生産高も増えない、つまるところ経済的な発展もない長い長い歳月を、幾つかの世代を通して伝承してきていたのだ。

家を壊して近代的な暮らしや生活スタイルが浸透するとともに、農業というものが培った文化も廃れ、家族はマネー(お金)を稼ぐために外に出て働き、国は経済的発展を遂げて、どんな田舎の人であってもお金を稼いで豊かさを感じるように社会が変化してくる。

押しなべて、このような文化が齎したものが家族の中の関係の変化であってマイナスの効果ともいえるのだろう。父親というものが「父」という立場だけを表す言葉になり、その人の生まれたときからのものの見方や考え方や、さらには先祖代々からの人々の暮らしぶりや喜びや苦労などを、言葉や言葉以外の「なり」や「ふり」で伝承することを絶たれてしまった。

このような人間味であるとか無形の心というものが家屋の中で醸されてきた時代の最後の世代が私たちなのだと思う。これは、言葉や数式、さらには精神科学や心理学、民俗学の資料では受け継ぐことのできないもので、残念ながら私でさえわが子に伝えることができない。まさかそんな世紀が来るとは、私の前の三代、四代の祖先は考えもしなかっただろう。

【- Walk Don't Run -】遺す言葉

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