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2012年10月 6日 (土曜日)

蕎麦ツー  花も嵐もⅡ その24

利賀村というところがある。蕎麦がたいそう旨いという。
しかしあのころは、蕎麦にはそれほど関心はなく、新しい味覚を求めてバイクを飛ばすということの方に私は熱いものを涌き上がらせていた。


必然的に話題性と新規性で未知なるエリアを目指すたびが多くなり、あの年の秋は利賀村を目指すことになった。一緒に走るのは中日ネットのバイク仲間たちだった。年齢層も様々で、歳上の方々も目立ったことが私の性分に合致した。


バイクツーリストとしてはまだまだ未熟な時代だ。私は三十四、五歳で、娘は四、五歳だった。このころから家庭をそのままにしてバイクで駆けずり回る人生(中盤戦)が始まった。


利賀村蕎麦ツーは記録に残るツーリングだった。バイクとともに歩んできた私の人生のひとつの節目となり、転機でもあったと言える。また、ひとつの見方としては勢いづいた上昇気流に乗って、何をしても後悔もない時期がこのころから始まったとも言える。悪く言えば、周囲も何も見えない一途な自分がいて、間違いを正す人もなければ咎める人もない時代、自信に満ちた輝かしい時代だった。


そのときの善し悪しを今になってとやかく悔やんだり讃えたりするつもりなどさらさらなく、また、その必要もないと考えています。人にはこのようなひとときが5年とか10年あるいは長ければ20年という周期であってもいいと思います。しかし、そのことを後で自分の人生の糧にするということが前提ですが。


性格にも拠るかもしれないが、このような時期は決して長く続かないし、むしろ長く続けることは好ましくないと今は思っています。ひとつの判断を持って旋回をしてみること、これが幅広い視野と多角的な視野の下に築かれる冷静で的確な判断力と未来を見つめる眼を育てると思うのです。


私の場合、20年間ほどはバイクで走り回っている人生を過ごしました。娘が生まれてから二十歳頃までという勘定になります。果たして、それがどうだったのかは今となっては誰が何とも論じることも評じることもできない。


さて


利賀村への蕎麦ツーが具体的にどんなものだったのかは、実はしっかりとは記憶に残っていません。ツーレポも残っていない。パソコンが不調になるたびに記録が消滅して行ったので、その途中で日記も消えて行ってしまったのでしょう。ま、仕方ないか。でも、利賀への蕎麦ツーというツーリングはあったのだ。


そのあと、利賀へは何度も何度も行きます。それは利賀村の蕎麦を食べるツーリングで、それまでの私にない新しタイプの旅のカタチで、「食べる」ツーリングの愉しみでした。


牛首峠、楢峠(奥飛騨)という記録が1992年の日記にあります。この年代ころは、明けても暮れても、夢の中でも、蕎麦を食べに行く山岳峠道が浮かんできては頭にこびり付いていたのではないでしょうか。ほんとうに寝ても覚めても。


奥飛騨というエリアは、でっかかった。そして遠かった。紅葉は腰が抜けるほどきれいだった。人生を生き抜くうえで使う「きれい」という言葉の意味が、私の辞書の中でガラリと変わってしまった。


蕎麦という食べ物の概念もすっかり新しくなります。


利賀村までは、土砂降りの「山の神峠」を越えて行きました。あるときは野営をしてまで行った。あのころの「山の神峠」は、山岳悪路を走る専用の車でない方々はきっと苦心したのではないでしょうか。凸凹で険しく狭い峠で、絶壁に迫りながら越えてゆきました。


朝、テントを出ると周りの山が真っ白の雪景色に変化していました。私のサバイバルでハングリーで、ロマンとセンチに満ちあふれたバイクツーリスト人生は、ここで基礎固めされていったのかもしれない。そんな風に思いながらこのころの日記を読み返しました。

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