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2012年9月30日 (日曜日)

台風のなかで考える

台風が去って静かになりました。


『いよいよローカルの時代』とういう本。面白そうですね。
私も読みたいなと思いました。でも図書館にないので困ったの。
そこで、書評を書いた広井良典さんの本が「ちくま」の失書から出ているので、それ読もうかなと思ってます。


FACEBOOKなんて
「無いのも、それはそれで気楽でまぁいいっかという感じに」
なって来ましたか。いい傾向ですね。


そうです。現代人は、便利さや情報に侵されています。
何でも文明に頼るとするし、災害にあったとしても、どこまでも文明を使おうとする。


地震で破壊的な状態になっているだろう時でも、ケータイでの伝言ダイヤルを使おうとして広めているんですからね。


それよりも、泥水を飲んでもお腹が痛くならないような図太い神経と丈夫な胃袋を普段から鍛錬しておくのがいいと思いませんか。


江戸時代の旅人は、近所の小さな川でさえ簡単には超えられなかった。


もしも地震が来たら、テレパシーに準じるような深い心の繋がりと、山に上げる狼煙のようなものを使うのがいいと思う。まじめにそう考えていますが、誰も本気に信じてくれません。


子供の頃は、台風が来ると、必ず停電でした。ウンコを担ぐ桶を家の土間に置き、家の戸はすべて戸板で蓋をしてしまいました。今は、そういう文化は消えてなくなりました。


ヒトは、便利に溺れて豊かさ感覚に頭を侵されているのに、形のないものが生み出した情報のようなものやお金が生み出したあぶくのようなものに縋りつこうとしてる。


人の手が生み出したものや自然と共存するようなもので、合理性とかとは程遠いようなものを、もっと大切にしなくてはならないと思います。


そんなことを考えながら台風が過ぎてゆくのを見送っておりました。


---

(富山のTさんへのメールから)

彼岸

■ □ ■

彼岸花


お彼岸になりました。

母と娘で車折に出かけていきました。

私はすっかりオジンになって、家でパソコンで遊んだり、読書をしたり、昼寝をしたりして過ごす予定です。

お元気ですか?

何か月か前からFACEBOOKに顔を見せなくなった同窓会の先輩が気にかかり、70歳とちょっとなのですが、失礼かと思いながらも、元気ですか、とメールを入れました。

すぐに返事が来て安心しましたが、私も含めてオジン・オバンになってきているので、健康のことばかりが心配です。

彼岸花。
昨日車窓から確認しました。
今年もきちんとお彼岸に咲いています。



■ □ ■

お彼岸ですね


こんにちは。

あまり手紙を書いたことがなかったかもしれませんね。

日記に、私も読みたくなりました、と書いてあったのがずっと余韻で残っています。

山頭火のことかな、とか考えていますが。

秋は深まるごとにひんやりとしてきますから、しっとり感が加速度的に襲ってきて、気が付くとひんやりとした季節になって、あらら、もう冬だな、と驚く。

それが好きだから、秋が好きだという人も多いのでしょうが。

人生を半世紀過ごしたようなことをお書きだったので、年齢も尋ねなかったけど、きっと50歳ころなんだなと思っています。私よりも若いのか。妹分やな。看護師さんなんやろか、とか想像を巡らせながら。

もう FACEBOOK にはお戻りにならないのかな、と思っています。

人それぞれ、温度差もスピードも違うので、なかなか折り合える人が見つけるのは難しいかもしれない。

お彼岸で、母娘で京都に帰ってしまったので、おうちで自由人をしています。
明日は地区の掃除に行って、他に用事は何もないなあ。
そんなお彼岸です。
自分のうちのお墓には、まだ行ってません。
悪い長男。



■ □ ■

そんな手紙を、
9月22日に知人に出して、
ブログに書き留めておいたのだ。

それを、台風がきたきょうにふたたび読んでいる。
月日は移ろう。

2012年9月29日 (土曜日)

人生は秋刀魚一匹のごとくなり ─ 9月下旬篇

9月23日(日)

▼目が覚めた。雨降ってるの?音もなく
▼キスしたいなんて言い出せなくて
▼方程式解けない嘘のプロポーズ
▼ため息を吐けば雨音一段と
▼鳥肌が立つほど開けて布団着る

ふたたびおやすみ

▼ため息をつけば雨音一段と
▼ため息はつくもの、そっと脇に置く

おはようみなさん。元気な雨降り

▼水たまり秋という字が沁みこんで
▼この雨の冷たいところがええですの

このごろはアスファルトばかりで水たまりなどない。
長靴で踏み込んで、濡れなくても済んだはずの靴下を濡らす。

いたずらをたくさんする方が、
きっと恋もたくさん実るような気がする。

▼失恋の詩はくずかごへ秋の空
▼青空に誘惑されるな受験生

高校生があさの列車のなかで英語の副読本を必死で読んでいる。
この時間が役に立つことを今のうちから知っているようでは可愛げがない。

無心で勉強しなさい。
役に立たないこともたくさんあるけど
そんなものだということ知ることは有意義だ。


9月24日(月)

ごく普通の夕暮れなのに、
おでん屋の前だけ
秋風が吹いていたみたいに思えた

▼何もかも許せてしまうそんな秋
▼冷え込んで猫が布団に乗る季節

もしも君と歩いていたとしても
僕はきっと君を店には誘えないと思う。

本当に好きな人には
さようならを行って分かれる。


9月25日(火)

▼虫が鳴くお前も泣けと闇に誘う

サンマ立田揚げ風 ふたたび

サンマ立田揚げ風 ふたたび

立田揚げ風のサンマと写真にはないけどカボチャを炊いたものをいただく。

珍しく沢庵漬けがあったのですが、ありふれているのでカット。



9月26日(水)

▼サトイモや里帰りしたし食われたし
▼こむら返り起こって目覚める秋の朝
▼アオリイカ出始めましたと便り届く

9月27日(木)

▼秋が好き君が好きさと箸焦がす
▼切なさも林檎齧れば酸っぱさに

この日もサンマを食べたのだった。

9月29日(土)

▼人生は秋刀魚一匹のごとくなり

そんなもんだ、人生は。

人生は秋刀魚一匹のごとくなり

人生は秋刀魚一匹のごとくなり  ねこ

意味不明か。

9月27日はサンマを食べる。

サンマ 塩焼き
秋刀魚

実は、25日もサンマを食べていた。

サンマ立田揚げ風 ふたたび

立田揚げ風のサンマと写真にはないけどカボチャを炊いたものをいただく。

珍しく沢庵漬けがあったのですが、ありふれているのでカット。

2012年9月26日 (水曜日)

秋の夜長に考える

秋の夜長、田舎の家を思い出すことがある。しかし、その家屋は、10年以上昔に壊してしまい、弟夫婦が建て替えたので、あのころのことを思い出す手がかりは今となってはない。

田舎のごっつ臭く古ぼけた家の姿は、私の記憶の中にあるだけで、私のツマやムスメなどは想像すらできない。

私が生まれる前に祖父が掘ったのだという井戸が今でも残っている。

どこの家にも水道などなく、時代劇のように桶で水を担いで家の中に持ち運んでいた時代に、これからは水道の時代だと言って祖父が新しい井戸を掘ることを決めたのだという。

それまでの井戸は水をふんだんに供給できるようなものではなかったのだろう。新しい井戸とともに手動のぎーこぎこーと漕ぐポンプも取り付けた。残念ながらそのポンプは今は残っておらず電動ポンプがそこで稼働している。

枯れることない井戸からは、連続的にいくらでも水が供給できた。祖父が設計したという水路を水は流れて風呂や台所まで辿り着いた。井戸水を少し高い位置にある桶─というか大きな瓶のようなものだろう─に汲み上げ、緩やかな傾斜で水が家の中に流れていくように水路が設計されていたという。

母のほかに、私の父、叔母、伯母、叔父2人、さらに、祖父、祖母、曾祖母がひとつの家に住んでいた時代である。(9人家族)

おじいさん(祖父)は、賢い人で、時代の先をしっかりと読める人だった。
「これからは水の時代や。井戸を作ろう。(若い嫁に苦労はさせられない)」
と言って、どこの家よりも早く、新しい井戸を掘ったという。

そのころは、桶に汲んだ水を担いで風呂に運ぶのは若い嫁の仕事だった。それだけに母はそのときのことが強烈な印象なのだろう。私の生まれる数年前のことだ。

私が生まれたときには、父の兄弟4人は既に外に出ていって同居ではなく、私が生まれて数年のうちに曾祖母、祖母と相次いで亡くなったという。そして、私の記憶が微かなころに祖父が亡くなった。

曽祖父は村長、祖父は村会議員を務めた人だった。父を含めてこの三代には伝説も数多いが、なかなか掘り起こして残すことは難しい。


【- Walk Don't Run -】遺す言葉

2012年9月25日 (火曜日)

小芋

24日のこと


お彼岸に家に帰ったら小芋があって
母が持って帰りというのでもらってきた。


さっそくうちのんが炊いてくれた。


秋を食べているという感じがする。
食べさしでごめんなさい。


小芋

2012年9月23日 (日曜日)

ツマと最後のタンデム ─ 花も嵐もⅡ その22

1986年の旅では、ほろ苦い思い出がひとつある。

小樽で降りた関西からの旅人は、ほぼ右回りに北海道を旅する。
そこで、旅の途中で何度か同じ顔の人々と遭遇する。

ツマは、九州から来たという私たちよりもひとまわり以上も年上の兄弟数人の人たちと会話をするようになっていた。道東のどこかの売店か展望台で鉢合わせて旅人同士のあいさつを交わしたのだろう。

道南まで来て、白老のアイヌ集落でも再び会って別れを惜しんでいた。
その人たちは、兄弟が乗り合わせてワンボックスカーで九州からやってきて、兄弟の初旅を楽しんだらしい。今夜のフェリーで九州に帰るということらしく、何度か会って話をしただけであったものの、お別れが寂しかったのだろう。

じゃがバターを手のひらに載せて、買ってもらったと言って喜んでいる姿がいじらしかった。
想像以上にセンチになっていたかもしれない。

今夜のフェリーなんて小樽かな出ないだろうし、何かの間違いだろうとも思っていたが、後で調べたら臨時の出帆があったのだった。旅を終えてからもしばらくの間、文通をしていたらしいが、いつの間にか途絶えた。

そういう旅の思い出もあるのだ。

しかし、二人で行く旅は、この夏頃が最後だ。その後、お腹が大きくなって1年後の夏には娘が生まれ、今に至って1度も私のバイクの後ろに乗ったことがない。

私は1人で旅するソロツーリストになってしまうのだった。

チキンラーメン

ほんまの号外やね。

目玉焼きを2個載せてみた。

ラーメンが見えない。

雑な料理になってしまった。
大学時代の寮の廊下の炊事場で
ラーメンを食べたのを彷彿させる。

この時代は同寮にいた岡田君も
貧乏な私らもみんなが同じようなものを食っていたのだ。


チキンラーメン

チキンラーメン;

冷たい雨 秋分篇

雨の秋分となった。23日ではなく22日が何年振りかということで、しゃべりたがりの知識人が騒いでいる。今年は秋が長い。

お墓参りをするので、車折に二人は出かけてしまったので、私は1人でお留守番をなっている。

昔のようにお店に行って買い出しをして、ふだんから食べられないような変わった肴を作ったりしなくなったので、今夜はお粥を炊いて梅干しを添えて食べている。この梅干は熊野の梅干でスーパーの陳列棚の中でも極上であったことは加筆しておこう。

健康的である。
お酒を飲まない夜を過ごしたのだ。

毎日が居酒屋のような我が家のゴールデンタイムは、テレビに夢中になろうとする二人と、テレビに背を向けてしゃべり続けようとする私との闘いである。
居酒屋メニューを出してくれる食卓に着き、勝手に聞こえてくるテレビの声に時々振り返りながら、(テレビを見る二人を邪魔しながら)何の役にも立たない話をし続けて夜が更ける。

秋分の夜は相手がいないので、、ゴールデンタイムに差し掛かるまでに寝床で横になって読書をしたり、ネットを見たりしながら過ごす。


金森敦子 関所抜け 江戸の女たちの冒険

金森敦子 関所抜け 江戸の女たちの冒険

まあ、よく眠れるもので、9時前には就寝していただろうか。
夜中に目が覚めて2,3時間ほど読書をしたり、iPhoneにメモを書いたりしてひとしきり過ごした後は冷たい雨音に守られながらふたたび眠った。


(23日)
朝は、ふたたびお粥。入院したときに看護婦さんが、お通じはいかがですか、と聞いてくれるのを思い出した。そんな風に聞いてほしいほど快適な朝です。

お酒を飲まなかったからか。違うと思うけど。
もしもひとりになったら、お酒もいらない暮らしになってしまうのかと不安がよぎる。

2012年9月22日 (土曜日)

雨あがり秋の気配が一段と  (17ノート・号外)

鉄路

線路

それは21日の朝。

夜半に雨がザザザと降った。
その音を聞いて窓を閉めたのだが
部屋まで入り込んでくるような雨ではなかった。

先日からの雨で地面は冷めているので
秋の鬱陶しさにやや追い打ちをかける形になったが
家を出た時刻にはあがっていた。

鉄路が濡れて雑草の水玉が揺れている。

雨あがり秋の気配が一段と

秋風に追われてあなたに逢いにゆく ─ 9月中旬篇

秋が好きな私と、
秋が嫌いな人が、
テーブルに向かい合って
お酒を飲んでいる。

何も悲しくないのにと
突っ張ってみる。

そんなことを、9月12日に書いている。
秋は嬉しいと素直に言わない自分がいるのだ。

++


9月12日


▼秋風に追われてあなたに逢いにゆく

そうだ。

私はあの人にもう一度逢いたいのだ。
キミにはわかるまい。


9月14日


▼夕焼けがボクたちだけの教室へ
▼ひと声を届けたいのだ秋に鳴く
▼鳴きやんだ静寂の谷間に涙ふく
▼虫の声息合わすかのような無音
▼鈴虫のないて貴方ももらい泣き

秋の虫の声は何故あんなにも寂しそうに聞こえてくるのか。
日一日と夏の暑さが凪いでゆくのを待っているかのように静まり返った暗闇で鳴く。

しかしながら、
そこには喜びの弾みのようなのは何もない。

静かに静かに秋を待つ。


9月15日


▼夕立はドラマのように始まった
▼嵐の空を古代人になったつもりで見上げてみる

墨汁を薄めて撒いたような雲が
デジタルスローモーションのように動くのを見ながら
温い湿った風が吹いてくる方向を確かめている。


9月17日


▼夢のなかで酸っぱい葡萄噛みつぶす
▼三連休区切りのために1杯飲む
▼満月をまっている呼吸の谷間

冷静でいたいと思いながら
何も事件の予告などないのに
ソワソワとしている。

事件を待っているようにも見えるが
もう事件は不要だ。


9月18日

▼秋雨を恨んでみるや鬼の顔
▼雨で待つ、映画のように横殴る

秋は晴れのイメージよりも雨のイメージのほうが強かったのだな
と自分を納得させるように雨が降り続く。

自分が過去に待ち続けた雨ではない。

約束が違うと叫んでみても
自分の愚かさを暴露するだけだ。

だまって雨雲を見上げる。

2012年9月19日 (水曜日)

竜田揚げ(サンマ)

お刺身とか
お寿司とかを
食べたいなという僕を知っていながら
竜田揚げをつくるのだという人は、
決して悪人ではなく
私のことをよく知り尽くしていて
この上ない食のパートナーだ。

サンマを買ってきた。

揚げあがった竜田揚げの
熱くないほうをさりげなく教えてくれる。

熱いものは大嫌い。
猫舌の僕と30年。




サンマの竜田揚げ

サンマの竜田揚げ

サンマが店に出回るようになって
1匹150円ほど値段である。

刺身にして食いたいところだが
北海道産ということで少し脂が少ない。

熊野灘まで来たサンマが採れたら刺身にしよう。
竜田揚げが好きだというツマのご希望となった。

珍しく、缶ビールを持ってきて喜んでいる。

2012年9月17日 (月曜日)

満月を待つ

あの雲がおとした雨にぬれてゐる   山頭火

はたして、いつの時代にも弱い人がいて、
どうしようもなく情けない人がいるのだろうか。

私もきっとその1人なのだろうと思うと、
予期せぬ雨に降らて濡れて歩いているのも悪くはない。

しかし、だ。

人は、もともと、
もっと闘争的で向上心にあふれて、
革新的で熱血であったのではないか。

雨に濡れる自分を認めたくない私がいる。

それは、
嵐が誘った不安定な雨雲であっても
予期せぬ風が吹いて気流を乱したとしても

私は自然の中で生きていて
そんなことではへこたれたりしない
鈍感な人間でありたいと願ってきた。

今は
満月をまっている呼吸の谷間

2012年9月15日 (土曜日)

武田百合子 ことばの食卓 (ちくま文庫)

武田百合子 ことばの食卓

武田百合子 ことばの食卓

ことばの食卓を読んでいる。
ずっと大事に読んでいる。
何度も繰り返して読んでいる。

富士日記を読んで以来、この人が好きです。

富士日記の感想は、

がすぐ出てくるのですが、図書館で借りたことをとても後悔しています。

武田百合子は、大正14年の生まれで私の父母とは6,7歳ほどしか違わない。

それだけに子どものころに母が話してくれたむかしの様子と武田百合子の随筆に出てくる風景や情景が違和感なく私に感じられて、読んでいて懐かしさのような気持ちも抱く。文化が浸透してゆく速さなどを考えると、山深い村で育っている私の父母が送った幼少時代と似ているのかもしれない、という想像を膨らませながら読む。そして、実家に帰ったら母にこの本の話をしてやろうか、などと考えたりしている。

戦争が海の向こうで始まっている。国民は質素な「食」を取りながらも、非常に幸せ感あふれる暮らしをしていたように書かれている。しかしそれは、そう見えるだけで実際にはとても悲惨だったに違いなく、武田百合子が裕福な家庭だったことを差し引いても、差別もない視点で社会を子どもの純粋な目で見ているのがとても面白い。

富士日記でもひしひしと感じるのだが、生きていることにおいて損得や優劣よりも、満足や幸せの感覚が伝わってくる。必死で暮らしている。それは悲しいほどに貧乏な社会なのにもかかわらず、幸せかもしれないと思わせてくれる。

21世紀の現代社会と武田の時代を同じ尺度で計れば幸せでないに決まっているのだが、読んでいても嬉しくなる。

エッセイの最初に「枇杷」の話がある。最高の作品を意識して最初に置いたとも思えないが、武田泰淳の顔が浮かぶようだ。二人の会話とその愛情が伝わってくる。美味さも染み出ている。

人は、梅干しが1個入った弁当の、赤い色がご飯に染みついたところを食べる感動を、どれだけ豊かになっても忘れてはいけない。忘れてしまったらもはや心は豊かではないのだ。

今の時代を武田百合子の視点で渡ってゆくことは難しいだろうけれど、女性が持つ愛する人を支えあげて踏ん張りながら生きている強さは、いつの時代でも普遍性を持って語れるのではないか。

これも、語れなくなりつつあるのかもしれない。味気ない時代を迎えている、と思う。

2012年9月14日 (金曜日)

金森敦子 関所抜け 江戸の女たちの冒険

金森敦子
関所抜け 江戸の女たちの冒険

なんて魅惑に満ちたタイトルを作者はつけたのだ。

江戸の旅人は、今の時代の人々より純粋に旅を楽しみ、人間を味わい、生きるということを肌身に感じて歩んでいたのではないだろうか。

そんなことを常に考えさせられながら、江戸の庶民の文化や暮らしの苦味に触れたいと思いつつ、この難しそうな書物を手に取ったのだった。

作者の著作には、「芭蕉はどんな旅をしたのか―「奥の細道」の経済・関所・景観」という作品や「きよのさんと歩く大江戸道中記」(ちくま文庫)というのがあって、文献を読み解きながら暮らしのひとつひとつを確かめて読んでゆける。ちくまに1冊あるというのも惹かれてしまう要因かもしれない。

地理に詳しい人なら、地図はいらない。
奥の細道を地図なしで頭に描けるならば、金森さんの本はすらすらと読み進むことができる。

江戸時代に飛び込んで、今の時代劇などのレベルではなく、もっと庶民の心の内緒のところまで触れながら、いかにこの時代の人が生きていたのかを知ることができる。経済成長がほとんどなかったのだろうという江戸時代に生まれた人たちは、不幸だったのかというと決してそうではなく、生きるということ、生き抜いてゆくことに対して非常に強かだったのだ。

旅物語として読んでは、もちろんイケナイに決まっている。学ぶべきことがいっぱい詰まった1冊だ。

贅沢を望めば、私はもっと主人公よりも貧しい暮らしの人の日常が知りたかったかな。

金森敦子 関所抜け 江戸の女たちの冒険

金森敦子 関所抜け 江戸の女たちの冒険

金森敦子 きよのさんと歩く大江戸道中記

金森敦子 きよのさんと歩く大江戸道中記

2012年9月12日 (水曜日)

リンクずたずたでしたが、直しました

φ もくじ  旅の軌跡

のリンクが、ボロボロでしたが直しました。
ボロボロでズタズタだったのに気付いていなかった私です。

けっこう、気合入れてますので、機会があったら読んでやってください。

秋風に追われてあなたに逢いにゆく ─ 9月上旬号

▼八月のこの海風はキミの風

八月の最後の日にこんなことを書きなぐって、その月は終わっていった。


9月2日

▼ザザザザが止んで静かな秋の朝
▼何故だろう九月の雨の悲しいの
▼通り雨ザザザと地面濡れて別れ
▼床までも月明かり来て明かり消して
▼月をみて泣いてばかりもいられない
▼お月様揺れるのお酒のせいかしら


とにかく、風が心地よいのです。
雨が降っても、何も恨めしくなく、涼しくて。
じめっとするものの、暑さの夏に暑さに憎しみを感じたようなこともなく。

ドラマのように、
雨が地面に叩き付けられ
風が耳を擽る。

ドラマなのだ。
そう思うことにしよう。


9月4日

▼白い月。君が好きだと言う勇気
▼キリギリス白い光のかげで鳴く

夜は長い。

日時計というものがあるのだが
月あかり時計というのも面白い。

あなたに逢えない日は、時間が止まってしまうのだ。

▼ウンコ出て臭い届けよ秋の風
▼月見より美味しいサンマの独り言


9月6日

▼チューしたい唇尖らせて夢終わり
▼久々にプシュッといこうとしているツマ
▼オクラを大根おろしであえて美味

涼しいと言いながらも
夕飯の支度をする家の奥のほうは、暑い。

ひっそりとエアコンを入れて
プシュっと飲む。

付き合う。


9月7日

▼海風が気持ちいいな、白い雲

昼寝をしていたのかもしれない。
小さな窓から白い雲が見えたのだろう。

いまさら、追いかける雲も人もない。


9月9日

▼サンマ食う聞いたろオマエのひとりごと
▼漬物を白いご飯にそっと置く

サンマを連ちゃんで食べている。
飽きるまで食べると思う。

庭にある古木を積み上げて火を起こしサンマを焼きたいと立案したら見事に却下された。

今年の秋中にはやってみたい。


9月10日

▼週末に無精で置いた髭を剃る
▼月もなく静かな夜に文を読む
▼コンビニやおでんの幟に立ち止まり

夏にアイスやかき氷を食べるよりも
冬におでんやお鍋をつつくほうが好きだ。

猫舌の私がそう思っている。

武田百合子の「ことばの食卓」を読んでいる。
もったいなくて、ゆっくりい繰り返して読む。


武田百合子 ことばの食卓

哀しいと悲しい ─ 白露のころ

白露のころ。何がどうまとまったのか、ムスメの仕事の帰りを待って居酒屋に行く話になった。家からパスで二百円のところにある全国展開の居酒屋だった。


1986年にツマと二人乗りでツーリングに出かけたときに、旅の終盤となった苫小牧で、やっとのことで見つけたホテルの近くに夕飯のために飛び込んだのが、同じ名前の居酒屋だった。


ついこの間、あのときの日記をたまたま読み返す機会があり、今回偶然にもその店に行くことになると、これまた誰にも理解してもらえないような嬉しさのようなものがこみ上げてくる。


26年前である。ただそれだけなのだか、何か手がかりのようなものかあるとイイなと思ったりする。全国チェーンの居酒屋だから、手がかりなど何もないし、喜びなども何もないだろう。しかし、あの荒野のような寂しかった苫小牧で、お客さんなど来るのだろうかとも思わせるようなちっぽけな居酒屋の赤い暖簾の明りを思い出すと、あれは全く別の店であったのだが、一筋の何か繋がるような振動を感じる。


実際には、久しぶりに家族で入った居酒屋で、普段から家庭では面倒くさくて食べられないようなものを探りつつ、しゃべって飲むだけだ。


白露を過ぎていよいよ仲秋となってくる。秋はかなしいとツマがぽつんと言った。かなしいは、悲しいなのか哀しいのか、それは私にはわからないが、30年でそんなことを言ったりするのを1度も聞いたことがなかったと思う。


秋が好きな私と、秋が嫌いな人が、テーブルに向かい合ってお酒を飲んでいる。何も悲しくないのにと突っ張ってみる。


きゅうりの漬物

2012年9月10日 (月曜日)

満月やこんど逢えるのいつと聞く (17ノート号外)

9日と10日は、しっとりと。ベジタリアンみたいにいってみる。

*

かぼちゃ

サンマだけじゃ物足りないと思ったのか
冷奴とかぼちゃをつけてくれた。

さらに、オクラを大根おろしであえてくれて。
飲むしかないなあ。


大根

別にこれと言って自慢できるものではない。

ゴボウ天などを大根と一緒に炊くだけだ。

家の食卓が飲み屋のようになってくる。

2012年9月 9日 (日曜日)

BRIO CAFE

津城跡

津城跡

ムスメの仕事についてきて
職場の前で車を下してもらって
公園を散策してみた。

お仕事はすぐに終わって
そのあと、家族で朝のコーヒーを飲みに
BRIO CAFE へと向かった。

BRIO CAFE モーニング

BRIO CAFE モーニング

食べさしでごめんなさい。

BRIO CAFE モーニング

こちらのほうが100円安いのよ。

2012年9月 7日 (金曜日)

失恋はたっぷり食べて辛いめで  (17ノート番外篇)

カレー
カレー

失恋はたっぷり食べて辛いめで


いえいえ、失恋などしてませんが 辛いカレーを想像するのが好きです。

--

カレーって、

野菜を大きく切る VS 小さくみじん切りにする
肉をでっかくピンポン玉くらいで放り込む VS 細切れを使う

肉は牛です VS ブタもカシワもOK
夏野菜カレー好き好き(かぼちゃ、ナスビ、ピーマンを入れるの) VS オーソドックスに玉ねぎ&人参など

カシワは、骨付きビックサイズ+オリエンタルカレー VS 皮が嫌いだから考えもしない(ササミとかなら許せる)

甘いめが好きです VS 辛くなくてはだめ

などと対立が絶えないのですが、どっちも好きです。

ハウス、SB、グリコ、オリエンタルカレー。
目隠しで銘柄当ても得意。

--

覚えたてのころは、下宿のおばさんの教えてもらった通り辛いカレーを作るのに苦心し秘法の開拓をしたものです。
今は、がらりと変わって、美味いカレーは辛くないほうが適している、という非常に冷静な見解に達しています。

内緒の話ですが、伊勢うどんにカレーをかけると絶品のカレーうどんになります。

2012年9月 5日 (水曜日)

サンマ

今秋に初だと思う。サンマくう。


食前

初サンマ

食後

サンマ、ごちそう様


月見より美味しいサンマの独り言 ねこ


そういえば、スーパーのお酒のコーナーで「秋味」をちらりと見た。わくわく。

お土産のこっこをウチに

こっこ
こっこ

8月31日の夜行バスに乗り、山中湖畔の夏フェスに出かけたうちのムスメさんがお土産を買ってきてくれた。


夏フェスは、9月1日、2日と行なわれて、また夜行バスで帰ってきて、9月3日は夏休み取得で体調の調整。


こっこ。


お土産を買うようなところまで気が回るようになってきたのである。


今日は、ウチに帰ってこの「こっこ」を置いて、母の炊いた味ごはんとお米となすびを持って帰ってきた。


その帰りに立ち寄ったスーパーでサンマを見かけたので買ってきた。

未熟から始まった ─ 花も嵐もⅡ その21

かつて、バイク旅に情熱をかけていた時代があった。それでいいのだ。


1983年に東北を訪ねて行ったときの記憶は前回までに紹介した程度のもので、今となっては未熟であり無知であり未完成の標本のようなものであった。


しかし、ひとつの私の旅物語が完成されて(または未完成のままで)終わってゆくときに、その過程にある不完全さにとても意味あるのだし、それがなければ物語には価値が一切ないと言っても過言ではなかろう。


記録に残っているのは、3年後にうちのんとタンデムで行った北海道の旅「北海道1986」である。29歳。娘が生まれる1年前のことだ。

このごろ 9月上旬篇

少しは練習を

少しは練習を

きょうは、夕方から練習があります。
ダンスパーティーももうすぐ。

2012年9月 1日 (土曜日)

1983年のあの朝 ─ 花も嵐もⅡ その20

1983年の東北地方へのツーリング日記を、のちになって掘り起こして、このブログのアンソロジーのなかであげている。


思い出というものは風化するのだと昔から知っていながら、防ぐ手立てなどはなく自分が死ねば消滅するのだと覚悟をしている。


私が残した数々の旅日記は、写真を残していないことが多い。意地を張っていた面もあろうが、一方で画像に目を奪われレポートを読んでもらえない懸念を嫌ったのだ。あのころは、日記は活字だけで綴ってゆくもので十分だ、と考えていたので写真のない日記が多い。


二十代の頃の旅は走り回ることに楽しみがあり、目標もそういうところにあった。バイクの旅は距離を走ることであり、場所に到達することであった。場所と場所を繋ぐ線にも次第に意味付けをしながらも一筆書きで未知な場所を走り尽くそうとした。


1983年の東北は、鶴さんに会いに行った旅だ。その人のことは「鶴さん」というカテゴリーから想像していただくしかない。私がブログを書き始めたいと強く思ったのはそのあたりに全てが記されている。


今これを書いて気付くのだが、あの旅が彼女と逢った最後だったのだ。なんだかあの後にももう一度逢ったような錯覚もあるし、京都で逢った時と時間が曖昧に なってきて、時間順が狂ってきている。だが、私にとって時間軸が大事ではないのだということなのだろう。逢って分かれて……その後逢えていない。そして、 もう逢えない。そこが大事であり、思い返したくない現実でもあるのだ。


そういうわけで、この回想記を書くために、1983年の日記を読み返すのが滅法辛かったのだが、読み返してみると私はこの旅で東北を封印してしまおうと潜在的に考えたのかもしれない、ということに気付く。再び帰ってくることがあるならば、ひととおり泣きじゃくった後の子供のようにケロリとして行けるように なるまで、と考えたのかもしれない。


物語の筋書きなどはそんなに思い通りに行くわけがないのだけれど、天涯夢を追いかけることくらいにしか熱くなれないタイプなのだから、地図の上で夢を追い続けるスパイラルに飛び込んでいったのだった。


三十歳のころは、なるほどツーリングに純粋だった。欲もなく知識に対しての向上心も教養を纏おうとする見栄もまったくなく、赤裸々に自分と向かい合って走っていた。


1983年、あの旅の出発を見送ってくれた冒頭に出てくるひとりの女性は、紛れもなくウチの人となって私を自由に走り回らせてくれた。


あの朝の私の気持ちを知っていたから、ここまで自由にさせてくれたのだと感謝している。

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