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2012年9月 1日 (土曜日)

1983年のあの朝 ─ 花も嵐もⅡ その20

1983年の東北地方へのツーリング日記を、のちになって掘り起こして、このブログのアンソロジーのなかであげている。


思い出というものは風化するのだと昔から知っていながら、防ぐ手立てなどはなく自分が死ねば消滅するのだと覚悟をしている。


私が残した数々の旅日記は、写真を残していないことが多い。意地を張っていた面もあろうが、一方で画像に目を奪われレポートを読んでもらえない懸念を嫌ったのだ。あのころは、日記は活字だけで綴ってゆくもので十分だ、と考えていたので写真のない日記が多い。


二十代の頃の旅は走り回ることに楽しみがあり、目標もそういうところにあった。バイクの旅は距離を走ることであり、場所に到達することであった。場所と場所を繋ぐ線にも次第に意味付けをしながらも一筆書きで未知な場所を走り尽くそうとした。


1983年の東北は、鶴さんに会いに行った旅だ。その人のことは「鶴さん」というカテゴリーから想像していただくしかない。私がブログを書き始めたいと強く思ったのはそのあたりに全てが記されている。


今これを書いて気付くのだが、あの旅が彼女と逢った最後だったのだ。なんだかあの後にももう一度逢ったような錯覚もあるし、京都で逢った時と時間が曖昧に なってきて、時間順が狂ってきている。だが、私にとって時間軸が大事ではないのだということなのだろう。逢って分かれて……その後逢えていない。そして、 もう逢えない。そこが大事であり、思い返したくない現実でもあるのだ。


そういうわけで、この回想記を書くために、1983年の日記を読み返すのが滅法辛かったのだが、読み返してみると私はこの旅で東北を封印してしまおうと潜在的に考えたのかもしれない、ということに気付く。再び帰ってくることがあるならば、ひととおり泣きじゃくった後の子供のようにケロリとして行けるように なるまで、と考えたのかもしれない。


物語の筋書きなどはそんなに思い通りに行くわけがないのだけれど、天涯夢を追いかけることくらいにしか熱くなれないタイプなのだから、地図の上で夢を追い続けるスパイラルに飛び込んでいったのだった。


三十歳のころは、なるほどツーリングに純粋だった。欲もなく知識に対しての向上心も教養を纏おうとする見栄もまったくなく、赤裸々に自分と向かい合って走っていた。


1983年、あの旅の出発を見送ってくれた冒頭に出てくるひとりの女性は、紛れもなくウチの人となって私を自由に走り回らせてくれた。


あの朝の私の気持ちを知っていたから、ここまで自由にさせてくれたのだと感謝している。

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