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2012年8月31日 (金曜日)

指切りは九月になってやり直す-八月下旬篇その2

8月28日(火)


わたしがあのとき捉まえようとしたそよ風は
わたしの手の指の隙間を抜けてするりとむこうに消えていった。


いつか夢に出てきたあの人がさようならと手を振って
そのあとの一瞬のうちに消滅してしまった魔法の木陰のようなところへ、
そよ風は吹き抜けていった。
あの人も風のような人だった。


ほんとうに気持ちを伝えたい人にはなかなかそのことが伝わらないものだし
伝わったとしても不完全で不満足なことが多くて
一生懸命に説明をするればするほどかけ離れて行ってしまう。


福島に行って、帰ってきてからは、平穏な日々が続いていて
十七音のつぶやきもサボって
来月16日にあるダンスパーティーの演奏も頑張ろうというつもりで
扇風機を全開にして楽器を吹いています。


▼そうしよう今夜は1人で乾杯


何よりも夏が終わって秋になるというこの八月下旬の
稲刈りの痕の田んぼの匂いが好きだ。


黄色は残光が目を刺激するようで好きになれないのだけれど
まあ、白い雲と青空に上手に収まった黄金色の田んぼは好きです。


▼秋風がさらっていった僕の恋


近ごろは
心を揺るがすような事件もなければ出会いもないし
こういうときは
懐かしい音楽を吹いているのがよろしい。


▼冷コ一杯飲みほしたるえくぼかな
▼山ひとつ越せば貴方の胸の中


寒くなったらそれなりにぶーぶー言うのだろうけど
人はぶーぶー言わなければ、生きている証なんてないのだ。


8月30日(木)


いつもの車窓から


いつもの朝の車窓から

▼指切りは九月になってやり直す


何か新しいビックリに出会いたいな。
そんなことを考えている。 



2012年8月29日 (水曜日)

夏の終わりの旅に出る前に・・・・処暑篇

原因は不明である。そう、21日から22日かけて私のおヘソの下10センチの箇所、直径5センチほどで、深さは数センチ程度の一帯に激しい痛みを感じた。

そもそも腹痛に見舞われることなど記憶にないほど、胃腸の機能はしっかりしており、1年以上過ぎた賞味期限のインスタント食品(明らかに腐敗したり細菌に犯されるものは除く)であるなら食べても平気という頑丈なお腹であるのだが。


原因は不明であると言いながらも、心当たりを探ってみる。
万願寺唐辛子を甘辛味で煮たものを、20日の夕ご飯のときにつまんだ。美味いと言ってパクパクと食べたことと偶然にもその2日前からウンコが滞っていたことが合致し腸が突然ペースを乱したのではないか、と後日になって分析している。

主治医の浜田先生は診察時に、ふつうならば下痢になるところですが……とおっしゃる。

万願寺唐辛子

万願寺唐辛子

私には、23日から25日まで喜多方にラーメンを食べに行くというテーマがある。やがて死んでしまうまでに完了させておかねばならない十大テーマをあげるならば必須で挙がるほどの一大事であるのだから、腹痛くらいで中止にしてしまうことなど許されない。
浜田先生に、重大な用事で3日間出掛けますので痛み止めの薬を出してください、とお願いした。先生は、では5日分出しておきましょう、と快く察してくださった。


周辺の方々からは胆石ではないかという心配が飛び交った。人は冷静な視点でモノを見つめることを失うと、自分の身体でありながら不安が募ってくる。痛み出した当初は、わが家系に胆石の者1人も無、食生活にもそのような傾向は無い、と便秘か腸炎かガスの仕業と考えていたのだが、傷みが激しく継続すると、揺らぐものだ。確かにあまり事例のないほどの痛みではあったのだが。


休暇計画は、22日から25日であったが、突発で21日に休んで、2日目(22日)に医者に行くほどの痛みになり職場には胆石かもと連絡を入れた。しかし、医者に行ったおかげで急激に痛みが引いて、職場に26日の出勤を危ぶまれるようなニュアンスの連絡をしたことなどすっかり忘れてしまいたことで、23日からはふだん通りに遊びに出かけていたのにも関わらず職場は大騒ぎになりかけていたのだった。


処暑であった23日の朝は爽やかな日の出を見て、6時直後に家を出た。初日に600キロ余りという久々の暴走ツーリングが始まった。


--


考えてみれば、夏休みがあったころは、8月の今ごろになると過ぎゆく夏を惜しんだものだった。勉強もしない、バイトもしないで、実家の4部屋続きの8畳をぱーっとあけっぱなしにして寝ころんで、それこそ100冊近い文庫本を積み上げて順番に読んでいく。夏の終わりは読書三昧の休みの終わりだったのだ。


夏の終わりに旅に出る。
そう書いてみて、不思議にもロマンが駆け寄ってくるような気がした。

夏の終わりの旅 8月23日から25日 福島 その4

新潟 朱鷺メッセ ばかうけ展望台
新潟市 朱鷺メッセ ばかうけ展望台から佐渡方面を望む

ラーメンを食べたら家に帰るだけだ。
KK省のF君と夕食をして、久しぶりの夜を過ごした。
3日目は、帰るだけだ。


ムスメが朱鷺メッセに無料の展望台があることを発見したので寄ってから帰ることにした。


展望台から一生懸命に佐渡を見る。
昔、知床峠から北方領土を見つめていたツマの姿を思い出す。
二人は、親子なのだ。同じDNA。


新潟は期待以上に素晴らしかった。




妙高PA
妙高PA

ひたすら、家に向かって走る。


さほど眠くもないけど、PAに止まってみる。




妙高SA お昼寝
妙高SA お昼寝

ベンチに寝転がったら青空が見えた。


木陰で居眠りをすることにした。


気温はそれほど快適な数値を示していないのだろうが、これほどまでに贅沢で緩やかな昼寝は、現代社会ではとても貴重だ。


これを基調にしてしまった社会構造に少し怒りを覚える。


しかし、それももはや私の言及することではない。


夏の終わりの旅 8月23日から25日 福島 その3

塩原温泉朝食
塩原温泉の朝食

卒業したあくる年に東北に出かけた。
福島に行き、あの人に会って帰ってきた。

その帰りに、塩原温泉を通ってきたのを記憶している。



大内宿
大内宿に寄る

大内宿の近くに湯野上温泉というところがある。


河原に露天風呂があって、ツーリングにたびに何度も立ち寄っている。
そこで、今回の旅では、渓谷の橋の上から河原を見下ろしてみた。
しかし、昔浸かった河原の湯舟には土砂が流れ込み雑草が生えていた。

そういうのはもはや流行らないのだな。
ゼニカネだけの社会が、人の心も社会のなりわいも枯れ果てさせてしまう。

それでいいのかもしれない。
私の出る幕じゃないのだ。



喜多方ラーメン
喜多方ラーメン

チャーシューののったラーメン。
これを二人分と、普通のラーメンと1人前頼む。


あの時(1996年)は、ふつうのラーメンが500円だった。100円アップは少ないほうかも。




喜多方ラーメン
喜多方ラーメン

ふつうのラーメン




喜多方ラーメン ばんない
喜多方ラーメン ばんない

お店の概観。


路地の広さも、店の前の公園もそれほど変わっていないように思う。


変化することは何も悪いことではないのだが、変わってほしくないのは私たちの夢なのかもしれない。


ラーメンだって、変わるべきなのだろう。

古い人の願いを叶えてやる優しさは、太っ腹だと思う。


つづく

2012年8月28日 (火曜日)

夏の終わりの旅 8月23日から25日 福島 その2

上河内SAにて とちおとめソフトクリーム
上河内SAにて とちおとめソフトクリーム

塩原温泉は遠かったなあ。

中央道経由、長野道も走って、東北道に行きます。
小さい車なのですが、なかなかよく走ってくれます。


塩原温泉
塩原温泉

夕方、4時過ぎの温泉街に入りました。
温泉の裏の川べりを散策したりしてから、お風呂に入って、そのあと食事です。



塩原温泉・公共湯
塩原温泉・公共湯

公共の露天風呂がありました。
料金箱があって200円だそうです。
近くまでは行きませんでした。

ものぐさになりました。



塩原温泉にて
塩原温泉にて
秋の気配が漂う。

塩原温泉夕食
塩原温泉夕食

夕飯の最初のお膳。



塩原温泉夕食
塩原温泉夕食

食べるのに夢中になる前は写真に撮る余裕があったのですが。
あとは、写真もなく。

おそばが美味しかったのを記録しておかねば。

つづく

忘れがたき小さき人風花に消ゆ 8月下旬篇

子どものころ夏はひまわりと決まっていた。
そんな夏が終わってゆくのか。
8月も下旬に差し掛かった。

8月16日(木)

▼忘れがたき小さき人風花に消ゆ

そんなメモがカバンから出てきた。
静かな朝の通勤列車のひととき。

8月17日(金)

砂女さんとこの猫が逝った。ブログを読んで悲しくなる。
ご主人に先立たれて4度目の夏を迎えているという日記を読んだ後だったこともあるだろうか。
内田百閒が「ノラ」を呼び続けたときのように悲しさが伝わる。
ちょうど、井上靖の「孔子」を手にして(読んで)いた朝だった。

子在川上曰
逝者如斯夫
不舎晝夜

偶然、座右の孔子を読むときにこの言葉に出会う。
弟子の顔回の死を目の当たりにしたころのことだ。

歳月人を待つことも無く、哀れも容赦も無く、ゆく。

▼汗拭いて涙も拭いて別れゆく

砂女さんにコメントを書きたくても、なかなか纏まらずに書けない。

--

逝っちゃった後のブログを読んで、
誰がかわいそうとかそういうのは言うまでもなく、
何やら寂しく。

昼休みに泣けてきて、
クーラーきいているデスクで
顔中の汗をタオルで拭いて目もこする。

18日の昼休みには、こんなことを書いている。

▼腕時計机に置いたキミの背中

8月18日(土)

蒸し暑い朝が続く。
朝の5時ころでも部屋の温度が30℃を切らない・・・・ 

今朝は薄曇りで明けの明星は見えない。
いつの間にかセミも鳴かないなあ。 

8月19日(日)

▼なすび食う親の小言が蘇る
▼ほとばしる貴方の汗を指でふく
▼大潮を拝んでみても夏はゆく

8月21日(火)

お臍の下10センチのところを軽く押さえると痛い。

8月22日(水)

石の影ナシ 単なる腸炎のようなもの。
下痢にならないのは珍しいらしい。

8月23日(木)

この日から25日まで、夏の終わりの旅に出る。
薬のおかげで、元通りの様態へ。



あとがき

思っていたことのほんの一握りし書けないし残せない。

人が、あるいは猫が逝った後の思いは、
何が悲しいかって、
あらゆるものすべたがやがて忘れ去られていってしまうことなのだ。

そして人は生きている間、ずっとその悔しさとともに生きてゆく。

このかたの日々の姿に
ひそやかに、
この年齢になって生きてゆく手ほどきのようなものを感じている。

心に住まわせる鬼を失い、辛くで小言をいう師匠もいなくなってしまったら
いよいよ、ヒトは厚かましくなってくる。

優しい鬼がいいな、と思う。

夏の終わりの旅 8月23日から25日 福島

昔の日記が懐かしい年齢になってしまった。
1994年 夏・東北を走った

もうそんなに月日が流れて、果たしてあれが最初だったのかどうかさえも記憶にない。
東北は私にとって封印したくなるような切ないところだ。様々な出来事を巻き上げては何もなかったかのように終わっていった。

何処の何に魅力があるのかは、私が正直に話さない限りは明確にはならないのだけれど、明確にしたところでアホらしい話だろうから。

いっそうここでは、訳もなくただ夢中になってみることもいいだろう。
一種の「エンスージアズム」

塩原温泉にて

夏の終わりに
暑くて熱い夏をさがしに、
ひょっこりと旅に出た。

1556キロを3日間で走った。
ラーメンを食べるためだけに。


峠の釜めし
峠の釜めし 2012年8月23日 (木)

遠い遠い東北まで。
アホだけでは語りつくせないほどのアホな私がかつて執拗に目指した東北へとみんなを誘い連れてゆくのは難しかった。

まず、1日目のお昼御飯を決めて、この日は塩原温泉まで600キロ余りを走る。
かつて私が愛したバイクとさほど変わらない排気量の車に3人が乗ってゆく。

それでいいのだ。
それがいいのだ。



夜明けが次第に遅くなっていくのがわかる。明けの明星がその分一段と元気に輝いている。
蒸し暑くて寝苦しさに目を覚まし開け放った窓の向こうの明るい星を見ながら夜明けを待つ季節もそろそろ終わりに近づいてきた。

6時前に家を出たかったが、地球は私に合わせて回っているわけでもなく、1日は私だけのためにあるのではない。ひとりのツーリングならば太陽が昇るころには大勢の人が集中して住むようなところは通り越しているだろう。

何も考えずにぼんやりとコーヒーを飲む時間を得てその引き換えに、弾けるような出発の歓喜を失ったかもしれない。

ぼちぼち書きます。(つづく)

2012年8月18日 (土曜日)

ギョウザを待つ

久々の王将
久々の王将

2012年8月17日 (金)


ギョウザが来るのを待っています。
久しぶりの王将でした。

この日は熊野の花火大会。
今朝の駅での長蛇の列を思い出しながら

大文字を見て、実家のお墓参りに行ってから帰ってくるツマと
お盆で仕事が少し緩いめの娘を駅で待ち

一緒に王将に行こうということになった。

仕事帰りに王将でビールを飲みながらギョウザを食う。

なかなか。

そうよ、なかなか、ええ気持ち。

「初恋」で昔を辿ってみた

八月のキミのいない教室で ─ 8月上旬篇のコメントに、

「初恋は~色あせていくよ」
ん~切ないですね。

と頂いたので、ちょっと嬉しくなって、 「初恋」 でブログを検索した。
そしたら、結構出てきました。

懐かしくなって、自分で読み耽ってます。


路地裏へときめきながら袖を引き  ─ 6月下旬篇 12/07/06
はも 12/06/06
どっぷりと味のしゅんだ卵食う ─ 1月中旬篇 12/01/25
雨あがるどこぞで魚焼いてはる ─ 八月篇 25日まで 11/08/25
夏休み思い出ぼろぼろ初恋の ─ 八月のはじまり(1日-5日) 11/08/05
φ もくじ 鳥のひろちゃん 11/07/20
銀マド(日記系セレクションから) 2006年 下旬篇 10/09/15
音楽篇 (1)-(6) 10/09/15
いつも空を見ていた 6 10/08/07
いつも空を見ていた 1 10/08/07
サヨナラと書いてわたしは風になる ・ つぶやく十七音─7月下旬篇  10/08/04
塵埃秘帖2nd 10/07/16
恋文  千夜一夜 (121)-(126) 10/07/16
『夢をさがしに/九州』('94・GW) 09/05/11
東北ツーリング('96.7.25.~8.6) 08/08/28
ほろ苦い 07/07/24
やがて消えてゆくもの 07/06/06
放課後の校庭 05/09/22
初冬の風 04/12/08

2012年8月15日 (水曜日)

八月のキミのいない教室で ─ 8月上旬篇

八月の総評としては
思い切り減速をしたのを感じているので
出来上がった作品にも何か変化が出てほしいと思っている。
しかし、痩身になれば、良いモノが残るとは限らない。

写真も少なくなった。
収束点は必要かもしれないが
日常は収束してはならない。

的はいつも揺れていて
片思いの心もいつも浮沈している。
そういう人生でなければ、詰まらないし
第一生きてゆく愉しみがなかろう。

さて、
八月の前半を振り返ってみる。

8月1日(水)

▼赤い雲沖の嵐を眺めるか
▼おはようさん。夜半から風は嵐の端くれで
台風。いやや

8月2日(木)

▼白墨の伝言板に書く秘密
▼梅雨だけど恋のちからを信じたい
▼貴方にはピンクがよろしい首の鈴
▼月見草ちょこんと切って忘れるわ

最近は、作品に面白みがないと自分で思う。
これは、恋をしていないからだ。

8月3日(金)

▼真夜中にトイレに起きて月見かな
▼涼しいね、少しだけ。おはようさん

8月4日(土)

朝早くから目が覚める。
まずまず調子はいいのだが
まだまだ暑い。

朝は、寝床で金星を見ている。
そのあとに朝日が昇るので
寝床から出る。

ねぇ、朝日と夕日、いったいどこが違うのだろう。

▼今さっき新聞屋さん来た、ありがとう。

▼八月のキミのいない教室で
▼白墨で落書きしたのすぐ消して
▼夏合宿セミ鳴く前の猛ダッシュ
▼友だちの兄さん逝ったの五つ上

▼海風の凪いで黒髪アツクなれ

この夜は、ムスメが茨城の夏フェスに行っていないので、
夫婦二人でギョーザを食べてビールを飲みます。
麦ホです。久々の泡やなあ

8月6日(月)

なすびは、味噌あえが一番うまい
そんなことを思いながら家で貰ってきた茄子を食う。

夕焼け (@Chiko9781 さん 2012.8.6)

夕焼け

8月6日、素敵な夕焼けの写真に出会った
今日は立秋で、夏に見た最後の夕陽だったのがあんなに赤いとは素晴らしかった。
私のブログにあの写真を貼らせてほしいっとさっきから考えています。
OKもらえますか?(伺い)
そうメッセージを送って、写真を頂いてきました。

8月7日(火)

▼日めくりをめくってそこに立秋


三国峠は1984年に夫婦タンデムで越えました。
長い長いワインディングダートでした。
原生林の中を縫うように左回りに大雪山を越えたのでした
今日のCountryRoad-今日 の道北(id:tett_k2/@tett_k2)

1984年はCBに乗っていましたので、オン車でオフを走ることをやり始めるきっかけだったかも。
(のちにKLEにしてしまいましたが)。
斜里岳の西側の峠も十勝岳温泉への道も、サファリラリーみたいな土煙を上げてグラベル走る抜けました。
とてもいい思い出です。

オホーツク海のほうには、線路を引きはがした(鉄路もあったかな)跡がくっきりと残っていましたからね。
最後が1989年です(4度目)ので私の頭の中ではストップしたままです


県内産のアナゴを買った。
さて、天ぷらかな。

8月8日(水)

このまま秋に!

8月9日(木)

4:32:49 空が明るくなり始めた。起きようかな
4:37:35 東の空のひときわ明るい星が見えなくなったなあ。あ!高くまで昇ってる。新聞屋さんきた
4:50:43 そろそろ本が読めるほどに明るくなってきた

夕べは、はなの舞
はなの舞にて
8月11日(土)

雷が
なって
JR
2時間
阿漕に立ち往生

8月14日(火)

▼稲刈りをしばし待たれよ盆休み
▼雷に成れんおやじの墓参り

8月15日(水)

▼ひまひまと鳴くセミおらず蒸せる秋

1980年代 ─ 花も嵐もⅡ その19

アンソロジーのカテゴリーの中に「φ もくじ  旅の軌跡」を纏めて載せている。その中に


1989年の北海道〔家族を置き去り〕

1986年の北海道〔夫婦・タンデム〕

1985年の信州〔夫婦・タンデム〕

1984年の北海道〔夫婦・タンデム〕

1984年の九州〔GW・夫婦でタンデム〕

1983年の東北〔幻の東北旅〕

1982年の紀州〔紀伊半島縦横〕

1977年の北海道(R2)

1977年の北海道(R1)

1977年の儚き出会い


という部分がある。
これが1980年代の主な足跡で、記録に残っているのはこれだけだ。

他には

【小さな旅】 1982年乗鞍高原

という記録もあったのだが、長い歳月の間にどこかに仕舞い込むとか消滅してしまうとかして、今となっては頭の中の思い出だけである。

もう少し
あのころを
振り返ってみようか。
(つづく)

2012年8月14日 (火曜日)

夢を叶える ─ 花も嵐もⅡ その18

私の夢を叶えてくれる未知なるものは、途轍もなくたくさんあったのか、というとそうではなかった。

私のそのころの行動範囲は、西は神戸あたりまで、但馬の海、能登半島、信州は戸隠あたりまでだった。静岡県の伊豆方面は未知というより遠くて関心が湧かなかった。

初めて旅した紀伊半島ですら、大き過ぎて捉えようがなかった。訳あって東北地方へ踏み込んだこともあったが、またまた訳あってヘタって帰ってきた。

鶴さんのいる東北は、神の棲むような大山塊の森に包まれたとんでもなく遠くて暑い壁に囲まれた領域だった。

そんな程度の未知空間のなかで私の旅の妄想は夜毎夜毎に増殖してゆく。ツーリングマップという地図(初代)が世に出て、頭の中で未知なる峠や村落を描いた。

何がきっかけで、遠くへ、もっと遠くへと行くようになったのだろうか。

テントを持って野宿をしながら、あてのない気ままな味わいを愉しむようになったとき、失敗や後悔がつきものだった旅に魅せられて、苦い味を噛み締めながら峠を越えたのだろう。

1985年に御巣鷹山に墜落した日航機事故のころも信州の山を駆け回っていた。ちょうど事故の直後に、またその1周忌のころにも、この山岳地帯を越えながら北に向かったことがあった。

日常の暮らしの中で、殺伐とした人間関係と区別をして、自分ひとりの存在感を確認するために旅に出たのだろうか。同じバイクの旅人たちに、何故?と質問をすると「逃避でしょ」という。

あのころは、その言葉に頷いていたかもしれない。しかし、人生は逃避だけでは生きてゆけないのだ。何かをつかむことが大事なんだ、と薄々感じ始めている。

でもまだ、夢を叶えることの本当の意味を捉えていたわけではなかった。

おびき寄せる

836 妻子あるひとなんですと恋語る見習い介護士キシくん二十歳 砂女

.

ここではいささかの酔いがあったうえでのこの綴り文なのかどうかは、不明のままとして、ヒトはひとつの場面のページをめくるときにひとつの言葉を用意しているように思うことがある。

あなたがそれを抱いていたかどうかは、私の勝手な想像で、当たりであってもハズレであっても構わない。ただ、この御茶目でありながらも真剣をぎゅっと握りしめたような想いを読んで、久しぶりに出会った「おびき寄せる」というモチーフに大きく心を揺らされた。

そうよ。あなたと私はいつもおびき寄せあいながらこうしてここまで暮らしてきたのね、と私の妻に語り掛けたい衝動に駆られる。

たったひとつの言葉が、この人の足音を実物のように頭のなかで響かせてくれ、風の音まで送り込んでくれる。煙が目に染みる。夕焼けの色が褪せてゆく。

四度目という数字を、もし会うことがあったら口にすることができるのだろうか。

私も会いたいが
あなたもさぞや会いたかろうに。

二つのグラスに、酒を注ぐ音までも届いてくるようだ。


雨降茫々日々記 836 から

2012年8月 7日 (火曜日)

夢を追う ─ 花も嵐もⅡ その17

夢を叶えてくれるもの。それは私にとって幾つもの実現形で存在した。つまり、京都の御室という歴史的にも素晴らしいところから命名されたオ社という会社が好きだった。この会社の社風のおかげで、仕事にも精を出し1つことを成し遂げながら夢を叶える喜びを教示され、その仕事の傍ら日常においても願いを叶えてゆくこと、即ち夢をきちんと心に抱くことを体験してゆく。数多くの先輩、同輩、後輩たちに感謝の気持ちが絶えない。

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そういう素晴らしい土壌で暮らしながら、京都という古都を歩き回り、好奇心と感動を受け止める肌の感覚を磨きつつ、纏まった休みを節々でいただいては長い旅に出た。仕事のチームのみなさんは多分呆れてモノも言えないほどだったのかもしれないが、パーソナリティーというものを本当の意味で尊重してくださったのだろう。後年になって振り返ると赤面するほどアホな奴だったと反省している。

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特に黄金週間と夏休みには休暇を2.3日頂いて職場の休みを丸ごと利用して1週間以上のツーリングに行くのが普通だった。今考えてみると、旅から帰っても御土産の一つも買ってこなかったのだから、気の利かない勝手な奴だったわけで、今となっては取り返しもつかないことで思い出して語るのも憚られるのだが、そういう未熟なところが私には多々あった。

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タンデムで出かけたところは、九州、北海道、信州などだった。高速道路は当然のこと使えないので、九州や北海道はフェリーで行く。信州は一般国道を走って行った。

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京都から地方へと延びてゆく街道は、かつて夢を京都へ運んできた歴史的な道だ。そこを辿って見知らぬ街へと旅をする。旅とは、未知なるものを自分の目で確かめて、歴史的視点で見つめ直すこと、そしてその歴史に育まれて伝統を守ってきた街道の人々の文化に触れて自分を見つめ直すこと。漠然とそんなことを考えていたのだろうか。

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実際には、その土地のB級グルメを食べて、きれいな山や川、街道や峠を堪能して、温泉に入って、都合の悪いことを一時的に忘れて(棚上げにしておいて)、人と対話をして自分を洗い直す。同じようなバイクツーリストの仲間と他愛もない話をしながら酒を飲んだりおしゃべりをしたりする。次々と湧き出てくる新しい夢を語り合うというようなことをやっていたのだが。

日めくりをめくってそこに立秋─立秋篇

日めくりをめくってそこに立秋

▼8月7日を迎えた。昨日 Twitter で俳句つながりの@Chiko9781 さんが夕焼けの写真をのせていた。今年の夏に出会う会心の茜空だ、と感心をして、その赤色に見入っていた。そしてあくる日、きょうは立秋だ。暦を一枚めくったらそこには秋が待っていた。夏の最後に見た夕焼けをありがとう。


夕焼け (@Chiko9781 さん 2012.8.6)

夕焼け

8月6日、素敵な夕焼けの写真に出会った

▼朝、新聞をひらく。今はロンドン五輪の話題が満載だ。夏の高校野球も吹っ飛ばされてしまっている。去年やおととしより暑くないような気がするな、とこのごろの毎朝の涼しさを思いつつ、いい加減暑さにも人生にも愛想をつかしてきたのかもしれない、と苦笑してみる。鈍感なったのか涼しさに感動を覚えるようになったのか。

▼片隅の記事に訃報の欄がある。市内の人で見覚えのある苗字を見かけた。59歳。友だちにメールを入れてみたら「兄貴です」と短い返事が返ってきた。

▼盆棚のあかりをくぐり逢いにゆく

▼間もなくお盆を迎えようとしている。夏が嫌いだとわはままばかりを言っているひごろであるが、精霊様を迎える準備をするときにはやはりこの蒸し暑さがなくてはならないのだろうとも思う。中古の歴史時代、精霊棚には七夕のかんざしを飾って月光が届く軒先にまで出して、お盆にかえってくる霊を迎えたという。逢いに行きたい人がいる。その人だってきっと同じことを思ってくれているのだろう。

▼もぎたてのトマトを齧るとトマトの匂いがする。かつて、トマトは刺を持っていた。進化とともに刺をなくしてゆくのだが、その過程でトマトはトマトらしく匂いを放つようになったのだ。(真っ赤なウソ)

▼トマト食う真っ赤なウソを食い尽くす

2012年8月 6日 (月曜日)

能動的な愛だけ

北杜夫の言葉から

北杜夫のとくとるマンボウ青春記のなかの言葉から

自己を高めてくれるものはあくまでも能動的な愛だけである、たとえ、それが完璧な片思いであろうとも

(北杜夫、どくとるマンボウ青春記から)

NHK大越健介
思い出す本忘れない本
朝日新聞8月5日付朝刊読書欄 から

夢を叶えてくれるのは、夢のエネルギーではない

余りにもおバカな手紙で
出せなくなってしまって
ここに捨てることになった。。。。
──────────────────

Aちゃん
先日のSkypeは非常に楽しかったね。

おでこが光ってるのもわかる、というようなことを言ったら、いくら友だちでも気を使え、と思わせたみたいで、少し無口にさせてしまったようで申し訳ない。ただ、前が光るか、後ろが光るか(僕)の違いはあるけど、光ったほうが当たり前で、光ってこないほうが恥ずかしいのだとこのごろつくづく思う。

詰まり、発毛剤、育毛剤、植毛、増毛で馬鹿みたいに騒いでる連中を見てると、売りつけるほうも、売りつけられるほうもアホそのもので、人間の生き物としての尊厳を取り違えているとさえ思う。世の中のばかげた風潮に対して、結構まじめに怒りを持っている。もしもサルが禿だったら自分を恥ずかしいと思うか。サルでもこだわらんことに、馬鹿みたいこだわるなよ、といいたい。というか、そういう風に世の中の流れを作っているや面や文化的な側面、経済学者も一緒になって経済効果を叫び、政治学者も巻き込んで自由主義社会を主張することに、私のように本当の自由主義社会論者は怒りを持っているのではないだろうか。

ボケ経済学者、くたばれ、と常々思っているが、社会は変化しない。国民はボケに翻弄されている。

さて、怒りは、ボケに関係することに向けられている。

科学技術が作り出したコンピュータ社会や化石燃料を不必要に、しかもいつまでも固執しながら燃やしてニセの快適社会を作って満足する現代社会のことを考えると、メラメラと怒りが燃える。

・コンピュータ化された社会
・情報化された便利な社会
・婚活、就活などという言葉が普通にメディアに出てくる社会
・遺伝子組み換え技術、そのもの
・原子核工学、とその応用
・IPS細胞
・延命治療の進化
・精神科学と心理科学の体系な進化がもらす新・精神病

しばらく考えてれば幾つかまだ思い出すものもあるだろうけど、その辺で終わりにしておく。

東京では、原発稼動反対することを呼びかけるデモと称するイベントが毎週金曜日に盛大に行われているらしい。
総理大臣や政策を考えるのに毎日眠れぬ夜を過ごしている人の側から見たら、イベントは何ぼやってもイベントで、政策を遂行しようと知恵を絞る人たちには何のヒントも与えないのではないだろうか。

デモをするには策略や政策が必要だ。その最低条件というのが、論座の逆転させて政策実行する策が練れるか。相手の論座からの相手側からみた傷みを理解しているのか。

幸せボケや快適ボケになっている自分たちが、それを既得権としてさらに世の中を改善して、私たちのためのことを考えて最善を尽くし事態の打開を図ることを提案するのは大いに結構ですけど、今の社会に欠乏しているのが、これらの局面を勢いで打開(昔風に言えば一種の多数決論理のようなもので打開)して行こうとするのは間違いだ。

デモをすることや民意を高めることは大いに結構だ。しかし政局を動かせるほど厚みを感じないし知性も論理もみなぎることがない。もちろん一部の知識人たちや理論派の方々は立派であるし、この人たちが先導して世の中を変えてゆかねばならないと思うものの、肝心の群がるパワー軍がスカスカという感じ。だから・・・・というわけでもないが、イベントといわれてもおかしくない。

原子核理論なんてのは、人間が頭の中で考えた素晴らしいことであるのは理解するけど、遺伝子組み換えなどでは抑制が掛かったのに、どうして原子力をエネルギーに使う応用段階でブレーキというか、人道的倫理的な抑制が掛からなかったんだろうか。目の前の明るく輝かしい幸福で快適な未来社会に目が眩んだんだろうか。貧しくて不便で寒くて痛くて苦しい暮らしから脱出することの夢を真っ先に叶えてくれるのは夢のエネルギーだった。

今考えると、そこでストンと潔く諦めて、継続を解消することを考えなかったのは失敗であった。今からでも遅くないのだから疫病を封印した過去の歴史の呪いのように、夢の科学技術を封印すべきだ。そして、人間の宇宙を解明する知識や科学のチカラが、銀河系レベルから見たら、ミミズの脳細胞に思考程度なんだから、夢のエネルギーの技術に手を染めるなんてことは、神の域を犯すに匹敵するのだと、今からでもいいから思うべきなのだろう。

まあ、このように、人は「もっともっと不便になって工夫をしながら暮らさねば・・・・」というと大勢の怒りを買うのだが、人間の本質に戻ってエネルギーと付き合い、文明を拓いてきた何十のステップをもう一度戻って、暮らしを考え直すところから始めることが必要な世紀を迎えている。そのことまで深く掘り下げてエネルギーを見直すことで初めて原子力エネルギーというものを幻のエネルギーであったと言い切ることができる。

スマートグリッドを考え直すこと、風のエネルギーのマイナス面といわれていることをいつまでもマイナスのままで放置して、経済的とか投資効果などという便利な言葉で言い訳をするのをやめて、滅びた文明が生き返ってゆく物語のように自然エネルギーと向き合うことを考える社会を作ることが大事であり、デモのようなイベントやってないで、NHKやその他の放送局の放送時間を11時で打ち切るとか、電車は12時で終わりにするとか。始発は4時から走らせるとか。
国民総IDの時代なんだから、こういうところにITの技術を使って、国民の生活管理を一括管理して、早朝に電車を利用したり昼間に節電したり、不必要なテレビを見ないような協力的な国民を、救い上げてやる政策が必要だ。

年金だって不足ばかりを叫ぶけど、払った以上に貰う人はゼロにしてしまわねばならない。大企業や歴史的企業のOBたちや公務や教員などのOBが自分たちが払った分だけ貰ったら後はもらえなくすることで相当の年金が残る。もらえないまま早逝してしまう人には誠に申し訳ないけど、年金とはそういうものだったはずだ。

得をする既得権は、他にも山積していてそれらを刈り取ることが大事なんだが、国民は目の前の利益と快適さ豊かさ感覚(満足感)に溺れている状態で、国家が心理的にも豊かな心で満たされることは並大抵のことではない。

(中途挫折)

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