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2012年6月29日 (金曜日)

師は無言でなくてはならなかった

私の父はいつも無言で、愚痴や不平は疎か我儘も悪口も殆ど語らなかった。生きているときは、そこにいて当然であると思っているのが普通の人の意識の形で、そういうのを無意識というのだろう。つまりは、父が無口なことは私にしたら無意識の中にあったのだ。

喋りたくなかったのだろうか。そう、あとになって考えてみたが、感じることは人一倍あって、ご先祖から譲り受けた理屈持ちと変人気質であったのだから、無口でいられるような人ではなかったはずだ。

だから、ひっそりと寝床で枕を抱きかかえ日記を綴る日が多かったのかもしれない。日記は私が生まれる前から綴られ、進学するころも書いていたように記憶するので、かれこれ二十冊以上の相当なものであったはずだ。しかしそれは、前にも書いたが、父の死後、たぶん焼却されて無くなってしまったので、何が書いてあったのかは不明なままだ。(もしかしたら父が死の直前に自分で燃やしてしまったのかもしれない)

毎夜、日記を書く。

父が、林芙美子の「遺書」という詩に出会っていれば、何を感じただろうか。

林芙美子は綴る。

遺書

誰にも残すひともなく
書きおきたいこともないのですが
心残りなものがいっぱいあるようです
その心残りなものが何だか
自分でも判りません

土地も祖先もない故
私の骨は海へでも吹き飛ばして下さい。


*

父は無言でなくてはならなかった。

それは、おそらく、誰にも何も理解してもらえぬまま生きてきた六十六年間という刻一刻を、悔やむ一方で諦めていたからではないか、と想像する。

この人の人生は、自由奔放に生きてきた幸せなものであったと、没後にみんなが気楽に語るのだが、もっと奥深くには、無言では済まされない、済ませたくない一言があったのではないかと、私は今思っている。

何も遺さなかった人。
形見もない。

あの人らしく問題提起だけが、宙に浮いたように漂う。

無口な性格を全く私は受け継がなかった。
それはもしかしたらあの人の語りきれなかった夢なのかもしれない。

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