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2012年6月29日 (金曜日)

師は無言でなくてはならなかった

私の父はいつも無言で、愚痴や不平は疎か我儘も悪口も殆ど語らなかった。生きているときは、そこにいて当然であると思っているのが普通の人の意識の形で、そういうのを無意識というのだろう。つまりは、父が無口なことは私にしたら無意識の中にあったのだ。

喋りたくなかったのだろうか。そう、あとになって考えてみたが、感じることは人一倍あって、ご先祖から譲り受けた理屈持ちと変人気質であったのだから、無口でいられるような人ではなかったはずだ。

だから、ひっそりと寝床で枕を抱きかかえ日記を綴る日が多かったのかもしれない。日記は私が生まれる前から綴られ、進学するころも書いていたように記憶するので、かれこれ二十冊以上の相当なものであったはずだ。しかしそれは、前にも書いたが、父の死後、たぶん焼却されて無くなってしまったので、何が書いてあったのかは不明なままだ。(もしかしたら父が死の直前に自分で燃やしてしまったのかもしれない)

毎夜、日記を書く。

父が、林芙美子の「遺書」という詩に出会っていれば、何を感じただろうか。

林芙美子は綴る。

遺書

誰にも残すひともなく
書きおきたいこともないのですが
心残りなものがいっぱいあるようです
その心残りなものが何だか
自分でも判りません

土地も祖先もない故
私の骨は海へでも吹き飛ばして下さい。


*

父は無言でなくてはならなかった。

それは、おそらく、誰にも何も理解してもらえぬまま生きてきた六十六年間という刻一刻を、悔やむ一方で諦めていたからではないか、と想像する。

この人の人生は、自由奔放に生きてきた幸せなものであったと、没後にみんなが気楽に語るのだが、もっと奥深くには、無言では済まされない、済ませたくない一言があったのではないかと、私は今思っている。

何も遺さなかった人。
形見もない。

あの人らしく問題提起だけが、宙に浮いたように漂う。

無口な性格を全く私は受け継がなかった。
それはもしかしたらあの人の語りきれなかった夢なのかもしれない。

2012年6月27日 (水曜日)

手羽中とヤキソバ

手羽中

手羽中

それはきのうの夜のこと。

最近、少し凝っているのだ。

この食べ終わった後の骨を
インスタントの生ラーメンと作るときのダシ汁に使うと
インスタントとは思えないほどラーメンがうまくなるのは、秘密。

thunder
焼きそば

焼きそば

安上がりな夕飯。

焼きそばには
花かつおを!

花かつおは、納豆にもたっぷりと掛けましょう。

遠くへ ─ 花も嵐もⅡ その15

24歳で社会人になり26歳で結婚するのだが、その2年間はそれほど遠くまで出かけて行かなかった。

休日になるとバイクでどこかに消えていってしまうので全然遊んでもらえなかったからある意味では寂しかった、というようなことをツマが後で話してくれたのを聞いたことがある。1階と3階に住んでいたので、すでに家族のような気持ちでいたのかもしれない。

あの頃の私は、バイクに乗って行くあてもなく走り回ってばかりいた。だが、あて無しと言えども、未知なる街や峠道を訪ねてぐるりと回ってくるのが楽しみだったのだが。

そんな日々を過ごしながらも大きな旅をしてみたいと考えていた。

大きな旅というのは、途轍もなく遠いところに行ってみたいということだ。信州とか四国とかではなく、限界に近いほどの遠さを夢見た。つまりは、日本の一番北の端にあるところ、北海道を夢見たのだろう。そのときの日常とは全く違った時間や暮らし景色などがあるのだと夢を見るのは、誰でも同じで私も漏れなく北の大地を目指したいと思ったのだ。

北海道には1977年に初めて行っている。ヒッチハイクで回った旅だった。新品のズック靴は家に帰ったときにはズタズタのボロボロだった。ふたたび行きたいと思った時期もあったのだが、バイクに乗って行ってやろうとは思っていなかったかもしれない。バイクツーリストの多くが考えるようなイメージで北海道を捉えようとはしていなかった。

結婚した1984年にはツマを乗せて旅している。GWに九州。夏に北海道。どちらも無計画な旅だったのだが、未完成で未熟であったからこそ味わえた数多くの思い出が残っている。未熟ゆえに今一歩で遭遇しなかったミーハーなコンテンツもあったのだろうが、それを逃したことに何も後悔はしていない。

二人で走った九州と北海道。ツマは、「ただただ好きで抱きついていたけれど、めちゃくちゃ眠かった」という。乗せて走ることは、もうないだろう。

2012年6月26日 (火曜日)

インゲンの胡麻あえ

25日(月)

ふたたび

居酒屋のようなメニューで

インゲンの胡麻あえ

インゲンの胡麻あえ

2012年6月24日 (日曜日)

小松菜とお揚げ。ふたたび

小松菜とお揚げ。再び

小松菜とお揚げ。再び

ふたたび。

私はこれを、水割りでいただきます。

肉じゃがもあったのだが省略。

2012年6月23日 (土曜日)

夏生まれ貴方は夏が好きかしら ─ 6月台風通過中

6月19日(火)

あめあめふれふれ母さんが
クルマでお迎え嬉しいな
塾前広場は大渋滞

▼ウソだよと言い訳しながら好きという
▼赤いばら、好きだと言えない人がいる
▼赤い薔薇あの人想って立ち往生
 
台風は、お昼に紀伊半島に近づき
夕方、6時過ぎころに潮岬付近に上陸し
熊野市付近、松阪市付近を通過。
夜9時過ぎには雨も上がって静かな空となっていた。

6月20日(水)

▼台風やさあどこからでもかかって来い
行ってから、空元気

▼夏生まれ貴方は夏が好きかしら
▼久しぶりに聞いた乾杯、断酒中

落ち着くと、ゆとりが出る。

父の日や貴方はあの日の朝のまま ─ 6月台風4号接近中

タバコをやめた時に、僕はほんとはタバコが嫌いだったのではないかと思った。
いま、酒をやめている。 もしかしたら、お酒も嫌いなのかもしれない。

そんなことを16日のお昼にメモしているのだが夜には飲んでしまう。
休んだのは、水木金の3日間。

6月16日(土)


台風4号が沖縄の方で発生しているのですが
まだ、14日ころは、へー、そう、くらいしか思っていない。

▼目頭を熱くさせたるじゃじゃ降りに鉛色した入り江見下ろす

雨降りの海は哀しいのだろうなあ。

▼雨音が記憶を叩く揺り起こす

▼しょんぼりとすれば雨あし強くなる

▼人生も飽きずにここまでこれたもの
▼切ないと三回言って蓋をする

▼半島の崖に貴方は消えた人
▼梅雨だけど恋のちからを信じたい
▼貴方にはピンクがよろしい首の鈴

ちかごろ、わけあって、自分の気にいる物語が浮かんでこないのです。
やっぱし。

6月17日(日)


日差しがキツイ。

いよいよですな。
台風がくるそうです、もうすぐ。

▼父の日や貴方はあの日の朝のまま
▼ねえ線路の向こうに繋がった町にいる貴方

便りをおくれよ

ただいま

ただいま


6月18日(月)

こんなに早く台風が来るとは知らなかった。

じーっとしてようか。
あしたは。

台風怖いよー
うぇーん。
怖いので、はよねよ

アスファルト濡れて人生晴れ間なし ─ 6月中旬篇

暑くて汗だくになる日が今のところやってこない。今年は涼しい夏になるというわけでもなかろうが、快適な日は一日でも多いほうがありがたい。

13日ころは雨が続いていたのだろう。

6月13日(水)


▼梅雨だから実らぬ恋バナやめましょか
▼梅雨入りて待ち人こぬか軒の下
▼焼酎やそれ何者か下戸の家
▼酒断ちて痩せた気がする二晩目
▼薔薇一輪あの子の棘に小糠雨
▼あの花を木槿と知った淡い恋

水曜日ころから金曜日ころまで、お酒を飲まなかったように記憶する。
理由はお迎えが続いたからで、ムスメさんが友だちや同期や同僚やらと食事をするというので、駅までお迎えうれしいな♪、という日々。

6月15日(金)


▼アスファルト濡れて人生晴れ間なし
▼おはようございます。雨に落ち着く

仕事に行かないのならば、というか、通勤途上で雨が降っていなければ、ジメジメと雨が降っていても苦にならない。

そう言うと、洗濯物が乾かないと、私が叱られる。

台風4号の、そのあとのころ

スーパーにて

スーパーにて

雨が上がったのだけど、家に帰る間際にまた降り出して。
お迎えに来てくれたうちのんとちょっと買い物をして帰ることにした。
ムスメさんに何か買っていってやろうか。給料日。

6月21日 (木)、断酒は今夜も挫折なり

  -

ひじき

ひじき

ヒジキ煮る髪によろしと人はいう

6月22日 (金)はひじきを食べたのだが、今は手遅れ。

2012年6月19日 (火曜日)

ケータイ

ケータイ

ケータイ

ムスメさんから
ケータイ忘れたと電話があったので
拉致しています。

2012年6月18日 (月曜日)

科学技術は誰のためにあるのか ─ 6月中旬号

●●はじめに

今年は例年通りの時期に梅雨入りとなったようですね。

これからは、肌寒い日や蒸し暑い日が織り交ざりながらやってきて、やがて暑い夏になっていきます。

さて、今年の夏も節電が叫ばれています。みなさまの節電対策はいかがでしょうか。

先日、80歳を回ったお年寄りと電気がないと不便でしかたがないなあ……と話をしておりましたら、その人が子どものころの電気の話を聞かせてくれました。物を冷蔵して保管するのは夢であったころのことで、冷蔵庫などは何処にもなくテレビや洗濯機もまだまだ家庭に普及するずっと以前の話のことと思います。

電灯というものが珍しいころのことでしょうか、家の中なのか街灯のようなものなのかははっきりしませんが、そこには小さな電球があって昼間は消えているのだけれども、夕方になって暗くなるとポッと勝手に点いたものだ、と懐かしそうに話してくれました。明るいうちは田や畑、山へ仕事に出かけていて、暗くなって家に帰って一息つくころになると、昼間は電気などきていないのだが、夜になったら暗くなるので電灯が点いたのだ、というお話でした。

別にただそれだけで、細かいことを追求する必要もない話ですが、人々の暮らしが現代とはまったく違い、電気というものにそれほど依存していなかった時代があったということでしょう。明かりはロウソクか薪か月明かりくらいのもので、涼をとるのも暖をとるのも人が考え出した知恵や工夫だけであった時代です。

現代の私たちにとって電気を失うことは辛いことですが、視点を変えることで昔の人のように知恵を働かせ工夫ができれば、節電に貢献できるかもしれません。

当庁の玄関前のゴーヤも梅雨を迎えていっそう元気に伸び始めました。今年は去年以上に緑をアピールしているように見えます。知恵や工夫を掘り起こす着眼点から見直して、じっくりと考えてみたいと思っています。

●●あとがき

三重大学・環境・情報科学館で四日市公害訴訟の判決40年を記念した写真展が6月に入って始まりました。写真展は7月31日まで開催されています。四日市再生「公害市民塾」の沢井余志郎代表(83)が所有する50枚の写真などが展示されています。

1960年代から70年ころにかけて、四日市市にあるコンビナートは、真っ黒の煙を噴き上げ、空は現在のように青くはありませんでした。そのころの空気の匂いや住民が企業に抗議するようす、裁判のニュースなど、もはや、ほんの一握りの人だけしか知らない時代になっています。

この展示のほか、数々のサテライトでのイベント展示や環境学習センター(四日市市)での展示を見て痛切に感じたことは、これらの記録は、1つの歴史事件として捉えるだけではなく、科学技術史におけるこの出来事の必要性や必然性を考え、その半世紀の後に私たちの成し遂げた技術がもたらした豊かな社会とその副産物、さらには社会システムや環境学などあらゆる面から見つめ直し、統合的に考察することが必要なのだ、ということでした。

分業化や効率化でビジネス市場が巨大化し、経済がめまぐるしく発展を遂げる一方で、私たちの身近な物を生み出す農林漁業やお互いが助け合う社会が衰退し、物を粗末にしたり使い捨てる文化があたり前になり、そして「モッタイナイ」(MOTTAINAI)という言葉が世界の共通語になっていきます。

公害というものを産んだ歴史上の1つの発展期の記録を見るとともに、もう一度、さらに長い目で科学技術史を振り返って、本当に私たちの未来にかけての豊かさを実現してくれるものは何か、を考えてみることも必要ではないでしょうか。

展示は7月31日まで三重大学構内で一般公開されています。夏休み(夏季休暇)を利用してぜひ行ってみてください。

2012年6月16日 (土曜日)

感謝を込めて

初任給は感謝の心を込めて。
先日、うちの知事が年度の初めの挨拶で新採職員向けにこんな話をしておられた。

これを聞いて私は、自分が父にも母にもお礼や感謝を怠ったまま過ごしたことを悔やんだ。今となってはもう遅いので、自分の未熟さを感じる。私はさらに、還暦の祝いも退職の祝いもしなかったので、今さら誰にもその後悔を告白できないことも辛いし悲しい。

自分は一人で生きてきたのではないのだし、あらゆる人にお世話になってここまできていることをいつも忘れてはならない。そのことを若いうちに、実感を持って認識できるかどうかはその人物の善し悪しまで判断できるほど大事なことだ。今更になってそう思う。

それ故に、知事の言葉は、本当に新採の子たちに届けたいと思った。お父さんが健康で生きておられる方には、理屈抜きでお伝えしたい。何も理由はいらないから、今まで自分が生きていることと父が生きていることだけを祝って乾杯をし話をするのがいいと思う。そして、ひとつの人生において得た哲学をひとことでもふたことでも、2時間でも3時間でも、聞いておくのがいいと思う。

話は詰まらなくても大いに価値があるし、亡くなられてからでも価値が出る。その話を生かすも殺すも貴方次第で、生かせないような人は人を活かす才もないと言えるだろう。見る目もなければ自分の才能も芽生えさせることができないはずだ。

私が生まれたのは父が26歳のときで、大学に進学するころは44歳から45歳ほどだった。私が父と同じ26歳になったときに父は52歳だった。つまり私が生まれたときの父の年齢で私は結婚したということになる。その年、私はわずか2年しか社会人を経験していなかったのに。

私が34歳で父は60歳(還暦・退職)になり6年後66歳(私は40歳)で逝く。父が息子を進学させるのに最も苦労した44から45歳に私が到達する前に死んでしまった。その年齢になって、苦労だった頃の話を蘇らせて聞かせて貰うことはできなかった。
さらに、その年齢で私は仕事の転機を迎えた。もし、生きていたら私の人生は違ったものになっていたような気がしてならない。

父は私に学費を送りながら日々苦しい思いをしていると、不定期に送ってくれる手紙の中で綴っている。はっきりとは書いてないのだが、資金的に苦しいのだが父としては弱音を吐けないし、息子が卒業するまではがんばるぞ、オマエもがんばれよ、と自分にいい聞かせるように鞭を打っている様子が私にあてた手紙から伺えるのだ。

決して身体が強かった訳でもなく、精神的にも負けん気のある方ではなかっただろうから、毎日の暮らしの中で何を思って仕事に出かけて行ったのか、どんなことに歯を食いしばって生きていたのか、今となっては不明なままだ。

それを尋ねても正確に答えられる人もいないのだが、それには及ばぬことなのかもしれないと、ふと思うことがある。そう。あの人が何を思っていたのかは、今の私が何を悩んでいるのかと全く同じなのだ。そのことに気づくのが遅すぎた。

【遺す言葉】

シャケのフライ

シャケをフライに

シャケをフライに

娘さんの水曜日は、サカナクションのコンサート。
疲れて帰ってるはずなのに、木曜日の夜は同期の飲み。
それで金曜日(15日)は、コンサートに行った友達と打ち上げおしゃべり。

父はお迎えのため3連続で晩酌なし。
(グレたるぞ)

夕飯のおかずは、シャケのフライ一枚。
日記は乏しく、話題なし。

大いに遊んでください。
まあ、それでいいだろう。

2012年6月15日 (金)

2012年6月14日 (木曜日)

Macのビギナーなので(笑)

Mac Beginners

今年度になってからうちにとついで来たiMacちゃんですが、ボチボチ使っています。

27インチなので、モノカキをするときには、ぼっちいパソコンを使いますけど、少し優雅に浸りたいときはMacの前に座ります。

あんまし、まだ理解できてないのですが、いい感じです。

こういうタッチの操作性ってのが好きです。

丸源ラーメン

丸源ラーメン

丸源ラーメン

6月13日 (水)

三重大の前にも
警察学校の前にもあるのですが
うちの近所にもあります。
娘をお迎えに行った帰りに
ちょっと寄ってみた。

久しぶりのラーメンでした。

2012年6月13日 (水曜日)

日本海 ─ 花も嵐もⅡ その14

峠越えの旅は、私が幾つになるまで続けるのだろうか。いつか、走れなくなる日が来るのか。今ならそんな風にも思うのだろうが、あの頃は考えもしなかった。そして、走れなくなる前に進化の果ての社会が詰まらなくなるとは予想もしなかった。

京都の街を出て出かけるところといえば日本海が多かった。鯖街道を走った。北国へと向かう越前の国道を走った。日本海に面する海は鉄錆色のイメージを放ち、寂しい海岸線だったが、そういう所にも旅情を感じて幾度も出掛けた。

周山街道も走った。そして若狭の海に行くことが多かった。亀岡市から丹波の道を走り抜けて但馬の海を目指したこともあった。

日本海はどうしてあんなに悲しい顔をしているように見えるのだろうか。そう考え続けてある日ひとつのことに気がつく。

日本海に太陽はないのだ。太平洋はいつの時間に行っても、海面に太陽が反射して波が輝くのだが、日本海にはそれはない。夕日が東シナ海に沈むころに、精一杯真っ赤に燃えるチャンスを与えられるのだ。

悲しくなったら日本海を目指す。ホタルイカを食べに浜坂YHに行った思い出。越前では、カニを食べたり鯖寿司を食べたり。海をみながら温泉に浸かったり、砂浜を走ったりする。

本当に一人になりたいと思うときには誰も走ってこない日本海が良かった。

あの頃は、北陸を走り抜ける高速道路などなかったので、国道8号線や9号線を走った。遠くまで延々と地べたを走り続ける旅。そこにはそれなりの美学があったのだ。

2012年6月12日 (火曜日)

山本兼一 利休にたずねよ

この作品をわずか21ページしか読んでいないときに、「山本兼一・利休にたずねよ」から、とし断ってブログに次の箇所を引用している。それは物語の一部始終を何も知らない私であり、何が大事で、何が神経を刺してくるのかさえ想像もできない段階であったのだが、引用した箇所を今読み返してみて、この物語の鋭い棘が私を刺していたことがわかる。


懐から袋を取り出した。美しい韓紅花に染めた麻の上布だが、すっかり色褪せてしまった。なかに小さな壺が入っている。掌にすっぽりおさまる緑釉の平たい壺で、胴がやや上目に張っている。香合につかっているが、すがたは瀟洒で、口が小さい。もとは釈迦の骨をいれた舎利器だったかもしれない。全体にまんべんなくかかった緑釉に、深みと鮮やかさがある。よく晴れた夏の朝、海辺に出て濃茶を練ったら、こんな色に見えるだろうか。気の遠くなる歳月をへて銀色に変じた緑釉の景色は、見ているだけで、顔もこころもほころんでくほどやわらかい。緑釉の色味が、唐三彩の緑よりはりかに鮮烈である。おそらく、何百年もむかしの高麗の焼き物であろう。あの女の形見である。(P21から)

山本兼一 利休にたずねよ


作品は、書き出しからフルパワーで掛かってくる。脳震盪を起こすほど激しく刺激的な文章は、決して攻撃的でも呪文のようでもなく、坦々と読者を利休の居る世界に、あるいは時代に、そしてその場所に誘い込んでしまう。とりわけ、湯が滾り、雑音が消え、花入に花が差されて、私を睨みつける一輪がそこにあるのだという凛としたなか、私は本を手にすることができる。

子どものころ、花を生けている母に向かって「僕も華道を習いたい」と言ったことがあった。母はすかさず「男の人なら茶道がふさわしい。そっちが面白い」と返した。あのときの会話がこの小説を読みながら何度も何度も蘇った。私は陶器が好きで、花を生けてあるのを見るのも─あくまでも私なりに、大好きなのだが、人の言葉や振る舞いは心の奥深くで形や色を変えて刺激を与え続けるものなのだろう。

歴史小説であることも意識せずに読み始めた。そしたらこれがなかなか、直木賞のなかでは指折り上位に入れてもいい作品だった。車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」の読後のときも私は感動することを飛び越してしまって、そう、神経と魂を抜き取られたように腑抜けになってしまった。ああ、直木賞って素晴らしい。でもその言葉だけで表せない「芸術」と「美」がこの作品にはあるのだ。本屋に棚積みした単に売れるだけの小説と区別のできない人は読まないでいただきたい。間違って読んでしまっては詰まらぬ読後感をばら撒くことになりかねない。

あくまでも小説で歴史物語なのだから、そう簡単に歴史は変えられない。変わりますまい。しかし、秀吉でなくても、誰であっても緑釉の棗は欲しい。手に取りたい。私も欲しい。持ってる利休が憎たらしい。もっと、羨んだのはそこまで激しく命を賭けることに美を追求できたということ自体が、なかなか私に真似ができるだろうか。悔しかったのでしょう。

「うたかた 利休」の章の最後で、「利休のこころの闇に、夥しいうたかたがはじけ、饐えた匂いをふりまいた。」と終わり、次の章が「ことしかぎりの 宗恩」となり「─薄情なひと。」と書き出す。

このあたり、いつもなら赤ペンで線を引きまくるところだろうが、この作品はそれを許さない。じっとこちらを見つめる槿の描かれた本を両手で包み込み、女の心というもの、利休の追憶を想像する。

そして私は、そこに栞をそっと挟んだのだった。その理由ですか……「利休にたずねよ」、ということで。

峠を越える ─ 花も嵐もⅡ その13

【峠越え】

「もっと遠くへ」と誘い出すものは、未知の峠でした。地図は刺激的でした。いまだに走っていない曲がりくねった道を想像しては、思いを馳せたものです。

オンロードのバイクでしたが、ダートも走りました。激しく荒れていなければゆっくりとダートを走って山を越えていきます。けっこうクセになるのです。

岐阜県は信州に行くときに通過してしまうことが多かったけど、徳山ダムと八草峠など峠越え 冠峠 [岐阜県から福井県]でも書いていますが、「冠峠」が思い出深いです。
 

徳山ダムができる前に一度訪れています。
そして、ダムが完成してからも行っています。
 
 

峠は越えるだけの愉しみではなく、その山の向こうとこちらに住む人たちの暮らしに出会えます。徒歩で越えた人々が築き上げた歴史のなかで、じわりじわりと文化が交じり合ってゆく。そういうものに出会いながら山を越える。その途中に温泉があり、宿場町がある。

旅は、便利を利用して一瞬にして目的地にいくことが愉しみではないと思っていますので、そういう旅を違った手段でできるようになりたいと今は考えています。

こういう峠越えの味わいが風前の灯になってきている昨今、私の旅のスタイルは、ひとまず休憩して然りなんです。

 

月が、しっぽり ─ 6月初旬篇

入梅りだそうです。
いつもどおり。

この、
いつもどおりが、
よろしい。
何事も。

▼ふと寄ったスーパーで広告の鱧を買う

それは、6日のことであったが
店からの帰りに、月が出ていた。

月がぽっこり。

6月8日(金)

久しぶりに、おはようさん
近頃、twitterで遊んでいなかったの。

ネタがないということは、躍動していないということでもある。

おゆうはん

小松菜とお揚げ

小松菜とお揚げの煮びたし

梅雨のような雨やな。
梅雨に入ったそうで。

6月9日(土)

▼梅雨らしき静かな音に目が覚める
▼梅雨の空見上げて一日家に居り

おはようございます。
用事のない一日。
梅雨の雨をしみじみと眺めて過ごそうかと思ってます。

そう決め込むと雨音がリズミカルで素敵に聞こえてくる。

▼雨音やツマの寝息と時の音
▼森に沁ゅむ振り子の音と恵む水

静かな雨降り。

砂女さんが

 父親は恋多きひと河鹿笛

と詠んでいる

▼難聴の父が愛した河鹿笛
▼河鹿鳴く父と二人で立ち止まる
▼思い出は河鹿の声の如くなり

▼雨降りは漢詩を読むの一人の部屋で

▼恋多きその人山に悠々と
▼梅雨ゆえに独り寝の膝小僧寒し

月が、しっぽり
夜が更けてゆく。

6月11日(月)

▼憎しみも許してやろう木槿かな

▼駄々こねてだだだだだだだ抱っこして

6月12日(火)

▼休日がまたまた雨で戸をピシャリ
▼降り出した雨をひっそり軒で見る

もうすぐ
利休にたずねよ
読み終わります。

もったいなくて
急げない。

2012年6月 8日 (金曜日)

懐かしの飛騨路で別れを果たす ─ 花も嵐もⅡ その12

5月27日日曜日。

この日に、いよいよKLE とお別れをする日となりました。
もう20年以上のバイク友になる恵那のVちゃんが私のバイクをレストアしながら受け継いでくれるというので里子になります。

私はもはや、ツーリングをする気迫を失いかけていましたので、冬の間もバイクを放置していましたが、バイクだけでなくウエアも地図も小道具もほったらかしにしてしまっていました。

本格的な旅など、いったいいつから行かなかったのか忘れるほどで、遠乗りをするときに道路状況を予測する勘さえもすっかり衰えていました。

インターネットで情報が飛び交い、ツーリングマップルに情報が満載され、天気予報がリアルタイムで更新され、高速道路で目的地へ瞬時に行ける時代に、私はすっかり乗り遅れているわけです。

でも、再びそういう波に乗ろうとは考えていません。私なりの新しい愉しみ方で復活するころを夢見ています。

お別れを記念して走りに行きながら、最後に恵那へと到着するようにしたいと考えましたので、信州方面か、美濃とか飛騨を候補にあげていました。 ちょうどそこに、「郡上八幡はりはり焼きそば」という怪しげな名物B級グルメの情報が舞い込み、何の迷いもなくコレを食べてから恵那に行くのだと私は決心 をしたのでした。

この日の朝、家を出たのは8時前だったと思います。もう昔のように夜明け前に国道をぶっ飛ばして行こうなどという気は湧いてきません。日曜日の午前中は車も少ないから、まあのんびりと行こうじゃないかと考えています。

ルートは昔からのいつものルート。国道を北上して、長島温泉への交差点を逆に曲がって、木曽川沿い、長良川沿いを走って、岐阜羽島から再び木曽川沿いに。あとは、国道156号線をだらだらと郡上八幡まで走ってゆきました。

11時前にVちゃんとばったり巡り会えました。何の申し合わせもないのに、同じ場所にやってきて、道端に止めてあるバイクを見つけてしまう。予想 もしていなかったので、めちゃめちゃ驚くところなんでしょうが、何か筋書きのように再会できてしまいました。バイクを置いて街の中を散策します。

そうだ、Vちゃんは岐阜県民なんです。よく知っているはずだ。ひとりじゃできないような観光をして、その間に焼きそばも食べて、木陰で涼んで一息ついたら恵那に出発となります。

恵那までは、最高ののんびりツーリングルートでした。飛騨川沿いを走って、白川町というところを走り抜けます。タイヤも満遍なく使ってやって、KLEにとって、ほんと、素晴らしいお別れツーリングとなりました。

恵那のV邸で少し休ませてもらって、中央本線の快速で帰ってきました。

KLEは、その日のうちにV邸のガレージで身包み剥がされてしまったようですが、さぞやすっきりしたことでしょう。しばらくは、V邸から、レストア日記が公表されるのではないかと思っています。

元気に蘇って欲しいと切実に願っています。

懐かしい(その3) ─ 未完成

未完成
 
わたしの綴る恋文は
いつまでたっても未完成。
 
文月、七月、梅雨明けて
夏が来ても未完成
 
2011-07-02 08:14
誰にもいえない
 

懐かしい(その2) ─ ほら、突然に。よみがえる

ほら、突然に。よみがえる
 
風が誘ったあなたの夢は
明日は私の夢になる
いわし雲追いかけて
この道を走って山を越えるの
 
探し求めるあなたの夢は
遠い昔の古里で
青い青い空を見上げて手を広げ
あなたとどこまでも一緒にゆくの
 
怖れるものなどひとつもない幸せだったひととき
 
2011-07-12 11:35
誰にもいえない

懐かしい ─ 夏を綴る

夏を綴る

私の綴る日記には、
夏がキライと書いてある。

幾年も幾年も。

そして、その先には
あなたが消えた夏がある。

2011-07-02 11:41
誰にもいえない

2012年6月 6日 (水曜日)

はも

鱧を食う

鱧を食う

【昨日の日記から】

雨が本降りになった。
窓を開けて庭じゅうが水浸しになってゆくのを見ていた。
雑草が一面に元気なのだが、放置している。
アジサイはまだ咲かない。梅雨まで待とう。

幸せとは何か。
それを考え続けている。
自分の頭の中にある哲理を問い詰めている。
果たしてあの人も同じように考えた時期があったのだろうか。
私は子路のごとく成ってゆく。

--・

本降りの雨が庭に水溜りを作るようになると
少し梅雨らしくなってきたなと思う。

▼カタバミや恨み辛みの小糠雨

▼桑の実の思い出苦く初恋の

梅雨のしとしとの中を傘をさして職場に向かうのは憂鬱なのだが、雨降りの風景とかはけっこう絵になるものが多くて好きだと思う。雨に降られたくないだけの話なのだ。

きょうは、雨が上がったので
庭に生えた背の高い雑草だけを引き抜いた。

アジサイはまだまだ咲かない。
それでいいのだ。
私はムラサキが好きではないのだし。

「怒らない」 「泣かない」 「笑わない」

人は暮らしに慣れてくるとそのままの状態で居続けたいと思う。幸せであればそれを崩したくないし、豊かであればそれを失いたくない。どん底の暮らしに落ち着いてから這い上がろうとしないのは私の持って生まれた性分なのであろうか。

もともと欲の深くない人間だったのだろうか。まさかそんなことはあるまい、と自答しながらも、自問は続けない。

父は多くを語らない人であったが、何も考えていないというわけではなかった。人生哲学のようなものは持っていてときどきそのことを話すことはあった。しかし、酒を飲んだりテレビを見たりしているときには、人間味の出ることとは無縁だった。

「怒らない」「泣かない」「笑わない」というような人だった。

子どもにもきつくは叱ったことがなく、大きな声も出さなかった。他人の不正な行為にも腹を立てて怒りを発散させることもなく、静かに非難するくらいだった。テレビを見ても、というか滅多にテレビを見ることなどなく、その姿など記憶にないのだが、オモシロ番組を見ても軽くにこっと笑うだけで、知らない間に席を立っていなくなっていた。

引き出しの中には手紙が入っていることは知っていたのだが、今更何を読むものでもなくと思い開けることもなく入れたままになっていた。それこそ何の理由もなく手紙が読みたくなって引き出しを開けてみた。三十四、五年前のものだ。

もっとたくさん入っていると思っていたのだが、束のほとんどが母と弟からのものだった。5歳年下の弟は私が大学生になったときは高校生で、兄にたくさん仕送りをしていることを理由に進学は断念させられ就職するということになるのだが、そのころに私に宛てて書いた手紙が多かった。

三人ともこれといって変わったことを書いているわけではなく、日記のようなものかもしれないが、いつも必ず、健康に気をつけしっかり勉強するようにと書きしたためている。学費を送ったとか、柿がとれたので送るというようなものもあった。

父の手紙は多くはなく、その一通をたまたま取って読んでみると「学費を振り込んだので、しっかり勉強しなさい」と書いてある。

いつも、必ず鉛筆書きで、旧仮名づかいである。

「しょっちゅう手紙を書くと勉強の気が散るので手紙はあまり書かないことにする。健康に気をつけて」と書いて終わっているものがあり、それが最後の手紙だったのかもしれない。

あのころは、街角で電話を掛ける用ができても電話がなければ、通りがかりの店などに飛び込み電話を借りて10円を置いてくるということも多く、公衆電話のような気が利いたものがあるなら、店先に赤電話があっただけの時代だ。

私に手紙を書いてくれた父は、笑いもせず怒りもせず、泣きもせずに日々を送り、手紙を書く夜は、さぞや長かったのではなかろうか。

逝ってからひと昔以上が過ぎて、細かいところでは似ていないように見えるものの、実は非常にそっくりなところが多かったことに気づいている。

「泣かない」という人柄であるが、泣き虫を自称している私である。父も本当は泣き虫であったに違いないという推測を立てている。結婚したころから毎日丁寧に寝床で書いてきた日記は、たぶん母の手によってある時期に灰となって処分されたのだろうが、あの日記には私に手紙を書いた晩のことが書きとめてあって、「泣きながら」書いたのではなかろうかという光景が浮かぶのだ。

私にだけ、それがわかる。

2012年6月 5日 (火曜日)

ささぎ豆とキュウリの花

ささぎ豆

ささぎ豆

キュウリ

キュウリ

別になんの変わり映えもしない5月下旬の畑であるが
いつもの年と比べて雨が少ないと母は呟いていたようだ。

ささぎ豆は、いま花が咲いているので、まもなく実がなる。

そういえば、
せんじつ、父の書いた手紙を読んで気が付いたのだが、私が学生だったころの田植えの時期は6月中旬だったようだ。

麦を作っていたこともあるだろう。

できることなら早く田んぼを片付けて、嵐が来る初秋のころには落ち着いていたいと願うからだろうが、嵐のほうもだんだん気まぐれになってきているので、自然との闘いは絶えない。

衣替え貴方の腕をじっと見る ─ 芒種篇

▼衣替え貴方の腕をじっと見る

6月ですね。
嬉しくもなく、
寂しくもなく。

6月1日(金)

冷麺を食べた。

▼冷麺の辛子がきつくて恋になる

辛子といえば、カツオの刺身にも辛子をつける話をしたら、
よそではそんな文化はなく、当地方だけの模様です。

当県は、食文化の感性が豊かやな。

6月2日(土)

本棚の下の
開けることを忘れていたほどに
ほったらかしだった引き出しを整理する。

おとやんの直筆の手紙がどっさり。

「学費を振り込んだので、しっかり勉強しなさい」と書いてある。;

うちのおとやんが逝ってしまって
今考えると、私の歴史は二転三転したなあ。

心に鬼を、という一節を昔書いたが
追想が停止するのがわかる。

▼訳もなく今夜の月は見えませぬ   
▼駆け落ちて田毎の月も疎かに

駆け落ちなどしたことないが。

6月3日(日)

▼水たまり貴方の心の空模様

梅雨間近のくせに
雨降る気配なく
傘も持たずに出かける。

6月4日(月)

▼泣き虫や一息ついてアイス食う

お夕飯は、ブリの刺身をいただく。

ぶり

ぶり

6月5日(火)

スズメは何故電線から落ちないか。
すべてはここから始まる。

さて、と。

2012年6月 2日 (土曜日)

ひきだし

開けることを忘れていたほどほったらかしにしてあった本棚の下のひきだしに、おとやんの直筆の手紙があった。

学費を振り込んだので、しっかり勉強しなさい

と書いてある。

三十四、五年前のものだ。

鉛筆書きで
旧仮名づかい。

しょっちゅう手紙を書くと
勉強の気が散るので
手紙はあまり書かないことにする。

健康に気をつけて。

と書き、終わっている。

公衆電話といえば、店先に赤電話があっただけの時代だ。
手紙を書く夜は、さぞや長かったのだろう。

もっと遠くへ ─ 花も嵐もⅡ その11

もっと遠くへ、と私は考えた。何故、信州を目指したのだろうか。

卒業の前の年に同僚の井上と一緒に峠越えの旅に行ったときの印象が残っていたのだろうか。旅心は、私を未知なる場所へと誘ってゆく。

温泉に出会い紅葉に感動し地産の味を堪能して走り回った。でもそれだけではなかったようだ。地図を見て、山の稜線を越えてゆくクネクネ道を想像すると血が騒いだ。

散々走り回った挙句、近頃は面白くないと思うようになり、バイクをいったん降りることにしたのは、行く果てに魅力がなくなってきたからだと思っている。

行き尽くしたわけではない。美味しいものがなくなったわけではない。秘湯がなくなったわけでもないのだ。私が地図の上で夢を描くことができなくなったのだと思う。

情報が充分に提供され、旅の結果に当たりハズレという感覚もできてきた。行く前から筋書きが出来上がり、ひとつしか正解はないと思えてくることもある。ココに行けばコレしかない、というようなスタンダードができてきている。

天候にしても、空を見上げて雲の流れを見て考え込むことがなくなった。道は、高速道路で出発地から目的地を繋いでいる。道草はしないし、そのような発想は考えにも及ばない。時間に無駄も許されないし、ルートに冗長性もない。スタイルも画一化されてきて、誰もがどこかの雑誌から切り出したように装い、贅沢に金をかけたバイクに乗っている。本当にバイクの旅が好きかどうかも怪しそうな人もいる。

これらは、旅の姿だけではない。日常に溢れている。受験、就活、婚活、飲み会、仕事、果ては健康管理にもこのような考えが浸透している。

峠の向こうには、まだ行ったことがない町があって、見たことのない道がある。噂にもならない温泉や食い物があって欲しい。そして、同じように旅行く人々は、そこで情報をかわし交流を深めてゆくという私は、もはや昔の(歴史上の)旅のスタイルを大事にしすぎているのだ。ピースが廃れて行った理由もこのあたりにあるのだろう。

美しい景色や単に美味しい食い物なら、本や雑誌で見て人が溢れるレストランで行列に並んで食えばいい。

そうじゃなかったのだ、私の旅は。

ツツジ咲く便りも出せず花を摘む ─ 五月尽

県庁へ、一気にのぼる坂道で毎朝、息が切れる。
おおかたのぼったあたりで、県警本部のパラボラアンテナとヘリポートが見え始めるともう一息だとほっとする。

定年坂と呼ぶと聞いたことがある。悲哀な言葉だ。

この坂道に沿って綺麗にツツジが咲きそろった。
今年は遅いなと思っていたが、そうでもないのかもしれない。

▼ツツジ咲く便りも出せず花を摘む

無礼をしている人に時節の挨拶をと思いペンを取るが、切手を買ったところで御座なりになっている。ふと偶然に日経新聞で名前を見かけて、さまざまな思いが追憶とともによぎった。

同じ道を歩み学生時代を過ごしてきた仲間の大勢が然るべき位置に上り行くのを見ながら果たして私はこんな田舎で1時間以上も列車が通らないところでこの先を送ってゆくのに後悔はないのかと考えたことがあった。もちろん今はそんなことを惜しむ気持ちは微塵もない。

▼冷麺の辛子がきつくて恋になる
▼衣更えやっぱり好きや君のこと

五月が終わってゆく。夏を迎えるのだなと思う。
夜明け前の寝床からどんよりと曇った空を見上げながら、私は冬が好きなのだろうか、と思う。

布団から飛び出るのが辛いとおっしゃる方々が多いなか、私はあの瞬間を嫌だと思ったことはそれほどない。

次の行動の出る一歩が布団から出ることなのだから、嬉しくて仕方がない。布団の中にいるのは死んでいるのと同じだ、は私の口癖だ。

▼独り占めしてはいけない、猫になる

六月が始まった。

2012年6月 1日 (金曜日)

好きだよとイチゴを噛んでキスをする ─ 5月下旬篇

5月15日(火)

▼キヌサヤを摘まんだ箸の行方追い

晩酌のグラスの氷が
ドラマのようにカランと音を立てた。
貴方は水割りを作るのが上手だ。

5月16日(水)

▼失恋をして芍薬の美が見える

何をいまさら。
そう、いまさらなの。

5月18日(金)

▼もう二度と、そう書いてペンが止まる
▼芍薬や似た人の影をおうている
▼青あらし今夜はどなたに添い寝する

▼山茶花の新芽が茫茫と眩い

▼蛇いちご赤鮮やかに空睨み

近頃、いつ死んでもいいな、と思うことが多い。
死にたいとはまったく思わないが

でも、あの人にもう一度、ひと目逢いたい、でしょ。
ツマの視線がそう語っている。

5月19日(土)

▼夕焼けを貴方と独り占めしたい

手紙を書きたい。
でも。

5月20日(日)

▼愛しい人よシロツメクサの冠を
▼嫁ぐ人絡めた指の冷たきや

▼芍薬や遠くからみる好きの眼差し
▼入り江にはミカンの花と海風と

初夏の花は、ときに、
人を惑わすほどに激しい匂いを放つものがある。

見回しても姿もなく、夕暮れの静かな路地で
うしろから私を襲うように
匂いが来る。

5月21日(月)

▼貴方から届いた手紙よ桐の花
▼甘夏を黙って置いて茶を入れる
▼桑の実の色散らかしてチューの味
▼さて今夜、いい夢みよう、こっそりと

夜、窓を開けて寝床に横になると
涼しい風が吹き込んでくるのが心地よい。

5月23日(水)

▼桑の実の紫キライ君は好き
▼森影をゆく風の音、君の息
▼木が騒ぐ胸が騒ぐあの日の別れ
▼ ユウゲショウはぐれ雲みてキミを待つ

桑の実を探しに野山に出かけるのはやめにした。
悲しくなるだけだ。

この季節は、心のどこかで、後悔をしている自分がいるのだ。

▼ 父の日や逝って孔子の如くなり

5月24日(木)

▼摘み食い人差し指だからなお美味い

そうだ。
この日は、から揚げを食べたのだった。

5月25日(金)

▼好きだよとイチゴを噛んでキスをする
▼本当に伝えたいことは何処にも書けない

イチゴの季節は終わったのに
ひとくちイチゴを摘んでみて
唇を尖らせてみる。

イチゴはそれほど好きじゃないらしい。

5月27日(日)

▼今日の日差しで麦が一気にこがね色
▼黎明のときめき辿りつつ花を追う

茶色とか黄色とか紫色という色を私はそれほど好まない。
自分では意識しないが、そういう色のものにはあまり手を伸ばさない。

だが、十七音で見つめるときは違ってくる。

5月28日(月)

▼茶畑でとろけるように昼寝する
▼茶畑ようねりを隠すツボの如
▼あの人の何か秘密を隠す眼差し
▼恋人と別れてきたの言えなくて
▼好き過ぎて眠れない胸弾けそう
▼切りすぎたおでこにそっとチューをして

鈴鹿山麓に通っていたころは、うねる波のように広がる茶畑の中を走っていった。
私にはお茶を飲む習慣は無いのだが
茶道を習いたいと強く思ったことがあった。

自分で生けた花器のある床と陶器を眺めるのだ。

あのころの私は、
無言で語りかけるものと
対面したかったのかもしれない。

5月29日(火)

▼一輪の薔薇が悪魔をひきとめる
▼一輪に呟きかけたキミ想う
▼ 夕立ちに恋のちからが蘇る
▼ほんとうは貴方と乾杯したいのに
▼カミナリや、一息ついて晩酌か
▼ピンクの花貴方の髪で毒になる

車窓から-麦畑

車窓から-麦畑

落書きには、
きょうはカツオのタタキを食べました。猫日和
と書いてある。
猫になれるといいなあ。

▼カミナリに打たれてしまえあんな奴 なんてほんとは思ったことなどないけど

こんなことも書いている。

雷が鳴っているのを窓を開けて
見ているのは気持ちがいい。
近くは怖い。

5月30日(水)

容赦なく夏が来るのだ。
好きだった人は遠くに行ってしまっても。

▼スランプの訳がホントはひとつある

▼引き潮か。月が丸くなるのやなあ

朝、海から4番目の橋にあたる鉄橋を列車が越える。
潮が引いていれば、ちいさな砂洲ができている。

息をしているのだ、河が。

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