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2012年5月 5日 (土曜日)

池澤夏樹 真昼のプリニウス

紙にペンで文字を書いてそれを積み上げて物語を作る。
あたりまえのことなのだが、それだけじゃいつかきっと同じことを別の形で実現しようとしたものに乗っ取られてしまう。つまり、やがてそんな軽薄な小説は簡単に映画にされ、金儲けの手助けをするようになってしまう。

ヒトを惹きつける作品とは、そんな現代の企画商品のようなものではない。

つまり、池澤夏樹がどんなことを考えているのかは、会ってもいないし話も聞いていないのでわからないのだが、この作者の作品は、タダでは済まさないという物書き人の意地のようなものがあって、それを微塵も見せずに、しかし、しっかりと私たちには伝わる作品を投げつけてくる。

一行一行に魂がこもっていて、数ページにわたって押し寄せてくるものがあって、束になって捲るときには重みがあり、中身が詰まっているように思えて、もう一度読み返すに十分価値がある作品なのだ。

話の筋や流れが、特別にドラマチックでもなければ、美文の集大成でもない、といったら叱られる。けれども、こういう作品はこの人にしか書けない。真似をした人がいたら途轍もなく詰まらなくなるだろう。

それは、きっと作者はかつて詩人であって、詩人の血脈を持っているのだろうと、何も知らないころに私が想像をして後に数々の解説を読んで私の大好きな福永武彦の名が出て知らされて、私は腰が抜けるほど驚いたのを、この作品を読みながらも思い出して、そのことが嬉しくて嬉しくて、どこのどのページを読んでも、泣けるほど嬉しくて、仕方がなかった。

大事すぎてなかなかな読み進まずごめんなさい。(老眼のせいです)

この感想を書いているのも満月の夜なのですが、月はひとりで見上げるものだと常々思ってそれを詠んでいる私ですが、そういうひとつの波動をこの人は物語に引いてきている。太陽ではなく月という陰に隠れたクロックの刻む時間の中で、人々がモノの見つめ方を披露し、眼の輝かせ方を見せ合い、大局を見つめるウラ技を哲学的に語り合う。

実は、職場にひとりの女性がいて、その人は既婚か未婚かさえもわからないそれなりの年齢の人なのだが、髪を長くひとつに束ねてヒールの音もコツコツとクールに、そして背も高く毅然としている人で、(なかなか素敵なのですが)、私はその女性をずっと思い浮かべながらこの物語の女性と重ね合わせてしまっていた。

いとも簡単に身近な人に関連付けられるところもあれば、そうではなく、易の話を哲学的に押し出してくるときもありながら、押されているようには感じなくてその魔術に化かされてゆく読者がいる(私だが)。

主人公頼子を上手く書けている。マシアス・ギリを読んだときにも痺れるように引き込まれていったが、この作品でも同じだ。(どちらが先の作品か未調査でわかりません、すみません)

細部まで行き届いた言葉の魔術と、これを取りまとめる数段落の展開、さらに場面や時間を展開してからの向心力のようなものを読みながら感じる。ときどき強制的に頭を休めて遅く読む努力をしたりした。

作者の、電子や映像には負けない、これは文学作品であり言葉を武器にした小説なんだ、という気迫と哲学をひしひしと感じる。声に出して朗読をして大勢の人に知ってもらいたいと思わせるような一面も持つ、凄いパワーを秘めた作品だと思う。

久しぶりに★を5個つけることになる。真剣に小説を読みたいのなら噛み応えのある作品がいい。良いも悪いもわからないような薄っぺらな読書家が増える中、きちんとした作品を読んで次のステップに進んでいただきたいと、まだ読んでない人には伝えたい。

またしても、浅間山に登りたいと強烈に思う。火山からパワーを授かりたいという神がかりのようなことを思うのだ。

池澤夏樹 真昼のプリニウス

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