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2012年5月 9日 (水曜日)

鯖街道 ─ 花も嵐もⅡ その10

【鯖街道】

京都市から日本海に向かって北上する街道には、周山街道のほかに鯖街道がある。この歴史街道のみちのりは、北山の山奥から国境の杣道を通って行くものであったのだろうが、人の往来が激しくなり、荷車や馬が使われたりするようになったこともあって、街道は朽木村のほうへと遷移してきたのではないか。

歴史街道である。

羽柴秀吉と柴田勝家が賤ヶ岳で戦ったときに、秀吉が京都へと必死の思いで逃げ落ちる街道としても有名だ。

1984年から1989年ころにかけて、まだまだこの朽木はたいそうな山の中であった。京都市内から向かうとすれば、三千院や寂光院で有名な大原を通過し途中越へと向かう。途中のトンネルは随分と後になってからできたので、そのころは旧道で越えた。

さらに、花折峠を越えてせせらぎは日本海のうほうへと流れはじめると道路は緩やかなくだりとなり、渓流に沿いながら朽木村を目指して狭い国道をゆく。賤ヶ岳で戦いのころに、数名の武将を連れこの山岳地帯を必死で今日に向かった武者たちの姿を想像しながら、鄙びた集落のなかを道草をしながらゆく。

鯖を背負うて若狭湾から京の都へと昼夜を問わずに昔の商人たちの苦しかったであろうその時代の暮らしぶりなどにも、タイムスリップできそうなほどの山中だった。

日本海は遠かった。

バイクで走り回るというだけではなく、私なりの愉しみをもち、村に佇み、人と言葉を交わし、道端の鯖寿司店を見つけて家に持ち帰ったりした。店はやがて有名になってTVでももてはやされるようになったりするのだが、私の旅が求めるものとかけ離れるにしたがって店に通うのも遠のいてゆく。

道は拡幅工事を施され便利になり、車が増え、村は栄えてゆく。日本海は近づき、味はすべての人のもとにと届く。

村の産業が栄え、人の暮らしは潤い、人材の流出も少しは防げる。しかしながら、犠牲にしたものもあるかもしれない。都会の尺度になじんでしまうのは寂しいと感じ続けている。

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