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2012年4月21日 (土曜日)

花筏見送る人も無言なり

4月の初旬に父を亡くし、急遽帰国したときに、帰る空港から便りをくれた友だちに出した手紙を、上手でないところは少し書き直したが、記録しておく。4月15日早朝に。


私の地方の桜は、まさに今散らんとしていて、
▼花筏見送る人も無言なり
というわけで、信州よりも一足先にソメイヨシノは葉桜になろうとしています。

お父さんがなくなって、そのあとにもmixiの日記を書き足していたりするようですが、人生なんてのは、そんな継ぎ接ぎだらけの驚きや喜びで出来上がっているのだと思っていた。

そんな中、今、自分の頭にあるのは、自分の番もやがて来るということで、もしかしたら、この次に葬式にかかわるのは、81歳の母親の葬式でないならば自分自身の葬式であるのかも知れないということだった。

そう、喪服なんて着られるかどうか、サイズのことなど気にしているなんて(といっても軽く触れただけなのだが)、お笑いネタみたいにも思えてくる。葬式なんてのはそんな感じでやってくるのがありがたいのだろう。

今の時代、いつでも会えるという安心感が潜在的にあるものの、 18歳で家を出てしまったこともあって、父親はそれほどいつもそばにいたわけでもなく、それは父だけでなく母もそうですが、これから死んでい行くという不安や恐怖はなくて、既に私の心の片隅に住むところを持っていた。だから、どうぞ楽に痛みもなく逝ってください、とわりと冷めて祈っていられる。日々一緒に暮らしているならばまた話は変わってくるのだろうと思う。

しかし、生きるということは、人それぞれの思いの違いが歴然として出てくるもので、私の母の場合は、もうすぐ死ぬだろうと自分で言いながらも、ものすごい負けん気で生きたがっているのがわかる。「食事に注意を払って、生活に気を使うように」と、子供らに言われても気にしないようなふりをしながらも、生きたがっているの伝わってくる。

その点、父は14年前に逝きましたが、いつ死んでも仕方がないほどにそれほど健康ではなかった人だったのですが「生きられないのは悲しいなあ」といつも嘆くようにしていた。けれども諦めのようなものを持ってようにも思えるときがあった。

私は父譲りで、生きることには、固執しないような面があって、いつ死んでもいいなと思っている。

人には、人を育てるという、つまり育成し次世代をよいものに改革してゆく大きな使命があって、(貴殿の場合は子供がないのでそのことには、理由もわからないし触れてきませんでしたが)、社会的に、その使命を負うことで、さらにもっと早く若き時代にその使命を意識することで一人前になる条件のひとつが揃うと思う。

夫婦になる、つまり結婚して家庭を持つという基盤のうえで社会に参加をし、その基盤の上で社会を見つめて、人間を見つめて、あらゆるものを理解しながら生きるのだ。人とはそういう社会の中で、社会に貢献して恩返しもしてゆく使命がある。

自分が楽しく。そんな傾向が現代社会に蔓延しているけど、人間なんてちっぽけなもんだから、社会を永遠に引き継いで行くような遺伝的な動物的使命を持っていることをあっさりと認めて、毎日の暮らしを見ることは大事なんだと、45歳あたりを過ぎてから切実に思う。

つまりは、詰まらない見栄や快楽や豊かさや怒りなども必要なことは認めるけど、そんなことにこだわって自分の人生の目標を狭義的に決めてきたことが社会の中での不満を生み、ばかばかしい欲に走る遠因でもあるような気がするのだ。

ボケに満ちた今の社会の奴らに対し、死と向かい合って生きろというわけでもないし、もっと世の中に尽くせというつもりもないが、じじいになってきて、そういう自分のことばっかしを見ている人を見ていて、ああ、あれは間違っていたな、と自分を諫めるわけです。

人にはさまざまな家族があって、そのお父さんがどのような影響や言葉や規範を次の世代に与え、遺していたかまでについて僕の言及するところではないのですが、父の遺したあらゆるものが、ゲーテの残した言葉と同じくらいに、神秘的で、詩的で、あるときは論理的に解釈することで、結構蘇って来る。

つまりは、ささやかな周期で、遠大なる使命を背負っているということなんだ、と思うわけです。

花筏を、歓喜に満ちた酒宴の後の酔いで見送る人もあろうけど、散る花を惜しんで、涙で悔やむ人もあろう。別れと出会いの季節である時にお父さんが逝かれたことは、ご本人がどんな病だったのかはわかりませんが、花の中でのご逝去として記憶に残ると思います。

僕が第15回目の三重県の俳句で
▼散る花と国の峠でわかれたり
と書いて佳作になった時の心はどこにも書かなかったし誰にも言わなかったけど……。

別れとは、そういうものであり、峠道の向こうとこっちでは新しい暮らしが待っているということです。

新しい使命を明確にして、さまざまな社会の一員として、小さな力であり大きな力になって、もうしばらく生きていきましょう。(……と、自分に言っているみたいな手紙になってしまった)

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