2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

« 夜更かしをすればするほどキミ遠し 年度末篇 | トップページ | 向田邦子 あ・うん »

2012年4月 8日 (日曜日)

ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」

ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」
ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」

2012年4月7日 土曜日

心斎橋へ出かけた。
わくわくした。

泣き虫の僕が
このときには、泣くのを忘れた。

2月3月になってスランプに陥っているのだと自分をなじってばかりいる日が続く。なしればなじるほど、自分は委縮するがわかるけど、きっと、カラダに新しいカビのような種をまとって蘇れるような気もしている。

ほんとうは出る幕じゃないような気もするし、その正反対のような気もしながら、ヌカガさんんの個展へと向かう。心斎橋に着いたのが10時ころで雨粒がビルの合間から落ちてきて、田舎者の自分を隠すように空を見上げたりする。

20年以上前だろうか、ハーモニカを楽器屋さんで買ったのを思い出した。1万円以上する私にしたらその当時細やかな贅沢な楽器だったが、寂しいときとか嬉しいときとか、このハーモニカは私をささえてくれた。

時間があるのでぶらっとする。appleストアに行く。ブックとデスクトップのパソコンを交互に眺め、ああ来て良かったと思いながら、何を見て確かめるわけでもなく、マックを見ている。

楽器屋さんにも立ち寄った。ピアノを見て、リコーダーを見て、オカリナを見て、ボントロのところへとゆく。キングとかバックとかコーンしか知らないけど、何の見栄もないのだけど、贅沢など何もしないのだからこれくらいはいいよね、と言いながら40万円くらいのを買いたいな。でも、今買ったもうすぐ迎える自分の最期のときに、この楽器が一番高価な遺品になってしまう。

そんな散策の時間を送りながらも、ずっと写真展のことが気にかかる。なんたって私は素人なんだし、とても素敵な写真をみにいってしかもその作者にも会えるなんて最高にウレシイのだ。

いっぱい喋ってごめんなさい。こういうところでは静かに見てるのが常識なのかもしれないけど、と気にしながら、お構いなしにヌカガさんに話しかけてしまう。たくさん語らない人だけに、自分がふらふらと彷徨うのがわかる。

写っているものと隠しているものと、訴えているものと秘めてるものと、期待しているものと諦めているものを、わたしはどうにかして掴み取りたいと思う。ああ、これって昔の大好きになった人の心が掴めなかったときに必死になって探ろうとした私に似ているのかもしれない、などと思う。同時に、レベルが低すぎる自分を心のなかで大声で叱る。

テーマなんてきいたら野暮なんだなと思いながら、そういうことを言葉にしてしまう。もう、この次にいつ再び出会えるかわからない作品たちを、記憶の中に刻みつけることが不可能なだけに、必死になる自分がいたのだ。言い訳をするならば、だから、記憶を引き出す手がかりを探して一緒に仕舞おうとしたのだと思う。

そんなことは不要なのだとも思う。芸術は爆発だと岡本太郎が言葉を残しているけれど、ほんとうの意味を理解しているわけではないものの、爆発という響きが好きだからいっそうこの言葉も好きだ。

音が伝わる温度という一見メンタルで詩的な響きも、私の頭の中では数学的物理式にイメージ化されてしまう。爆発するエネルギーの変化量のデルタδ=という文字がその先を探っていて、いつも到達するあらゆることが普遍的にもっている結論「モノゴトでも感情でも、そのエネルギーが満足させるものは変化量の大きさで決まってくる」というアレに到達するのだ。

ヒトは、温度という目に見えないものを姿に変えてわかろうとしてきた。音だって見えないもの。見えないものばかりが絡み合って作る物理現象を言葉にすると、詩的になる。

しかし、そこには、ほんとうに人々の心を震わせたものを伝えたい熱情があるのではないか。震えることはエネルギーだ。フクシマが震えて、そのあと、音も立てずに木々を揺らし、人々の心も揺るがせて、社会も震撼させ続けていることと、そのことが減衰してゆくことへの激しい怒りのようなものを、逃したくないのだ。

アナログ的に無限大のステップで、青から赤へと色彩が変化してゆく四季の変化や春に生まれたパワーが冬にかけて滅亡してゆくように、物理的破壊が放ったメッセージが消えてゆくのを引き留めてゆかねばならない。その使命をみんなが均等に担っているのだから、時々刻々と発散されるエネルギーの変化を捉えたいのだ。

瞬間を切り取るためには鋭くてよく見える眼が必要だ。その瞬間を読み切るアンテナも、変化を捉える素早い神経も必要だ。
でもそこには、シャッターが切れなくなるほどに感情豊かに潤んでしまう眼も心も欠かせないし、チャンスを逃して悔しがる意地も、圧し折ってもまた伸びる尖った鼻も、あったほうがいい。

ボクの好きとあなたの好きは正反対かもしれないけど、たった1枚でもいい、同じステージにのっかって別の角度から眺めることができたことが嬉しい。お気に入りは言葉にしないということも大事なのかもしれない。そんなことをつぶやきながら、帰ってきました。

 

« 夜更かしをすればするほどキミ遠し 年度末篇 | トップページ | 向田邦子 あ・うん »

【随想帖 I】」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46088/54418257

この記事へのトラックバック一覧です: ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」:

« 夜更かしをすればするほどキミ遠し 年度末篇 | トップページ | 向田邦子 あ・うん »