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2012年4月14日 (土曜日)

乗鞍高原 ─ 花も嵐もⅡ その6

【乗鞍高原】

1982年の10月、乗鞍高原に向かう。

名神高速道路に京都東で乗ってから地図を持っていないことに気づく。竜王パーキングに設置された高速道路案内地図を頼りに北に向かう。中央道の土岐か中津川あたりで降りて国道19号を北へと走る。乗鞍に行こうと決めるのは中津川を過ぎてまだまだ走って木曽福島あたりまで来てからだろう。

今なら10月の連休の混雑具合は容易に予測するが、あのころは無知だったし、そんなに人があふれる時代でもなかった。しかし、乗鞍だからそう容易くは宿も見つからず、日が暮れても旅館案内所の前で何人もの私のような旅人が群がっていた。車の人もいたがごちゃまぜで泊めてくれる民宿の大部屋に滑り込んだ。

そこは、屋根裏部屋のようなところだったと今になってみれば思う。満室の民宿ばかりだったので、仕方がない。知らない人の集まりだったのだから今だったら不信感に満ちて、貴重品なども肌身離さず持ち歩くところだろうが、このころはそんな乱れたものでもなかった?のか、私がオトボケだったのか、暢気なものだった。事件も事故も起こらずだったのは幸いだったのか必然だったのか。

確かに、80年代は貴重品の保管にも杜撰だった。温泉に入るときもタンクバックに財布以外の貴重品は置いたままだった。ブーツを盗まれたとかいう話も聞いたことがあったが異例だった時代だ。

乗鞍の民宿は4千円ほどで温泉もあった(メシはなかった)。安いと思ったがその後に泊まりを重ねてみるとそれ相当の価格だったかと思う。乗鞍に泊まったことは、私にとって幸運だった。温泉に出会えたことが一番の刺激で、ツーリング観がそちらに動き始める。

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乗鞍には無料の温泉もあるし有料の公共浴場もある。白骨温泉も近いので、何度も行くことになる。高原のど真ん中に位置する大きな駐車場の片隅で野営をしたこともある。お咎めを食らわないほどおおらかな時代だった。

人間が図々しくなってくるとそれも許されなくなり決まりや規制ができ、ロープが張られ、鍵を締められるようになる。

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乗鞍に泊まったあくる日には、石ころだらけの山岳道路を高原側から上っていき、乗鞍スカイラインからも上がってくる一番高い駐車場のところまで行って引き返してきた。

ハイマツが広がる山岳道路を走りながら、この世にこんな素晴らしい景色があるのかと感動した。バイクでなくても登山でもよかった。山に登ろう、自然に触れて旅を続けたいと潜在的にそう思い始めていたのだろう。

その後も秋になるとこのあたりに出かけ、スーパー林道を走り、バイクを置いて歩き、湯に浸かり、蕎麦を食べる旅を繰り返す。

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