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2012年2月29日 (水曜日)

KLE、いよいよサヨナラ間近です

KLEで散歩に行ってきました。

お正月ころから置いたままだったので、エンジンがかかるかどうかが心配だったのですが、まったく、問題なし。 バッテリーのへたりもない。

エンジンがかかれば確認は終了だったのですが、せっかくなので10分ほどで行ける近くの海まで走りました。

3月には岐阜県に行ってしまうのですが、走り始めるとこみ上げるものがあります。

やっぱし、家に永久に飾っておくというのもあったのか。
もう少しがんばってお金を工面して乗ってやるとかいうことはできなかったのか。
大事な娘や息子を手放すような気持ちってこんなもんだろうかと思いながら走ってきました。

でも、私じゃ手に負えなくなったのだからしかたがない。

下取りを宣伝している会社に渡してしまってはあまりにもかわいそうだから、修理をする力のある人に買い 取ってもらって・・・・と考えていたら、
(少し期待も信じて掛けていたのだが)
岐阜県のしんちゃんが乗ってくれるというので、即日お嫁入りが決定しました。

松名瀬海岸にて
松名瀬海岸にて

実は、乗ってみて、思ったこと。

もう、バイクを降りようと思っていたので、引取りに来てもらって渡そうかと思っていましたが、走り始めてみると元気なころのKLEとなんら変わっていないので、私が乗っていこうかな、最後のお別れは乗っていくことで完了なのかも、と思い始めたわけです。

まだまだ寒いけど、
(休みに晴れればそれがいいのですが)

晴れた日に休暇とって、行ってこようかな。
そんなことを考えております。

やっぱし、レストアして乗って欲しいと判断したのは間違ってなかったのだと思いつつ。
寂しいですね。

松名瀬海岸 松名瀬海岸

ちょうど引き潮でした。
引き潮の海は大好きです。
もう少し引くともっと大きな干潟が見えます。

幸せとは、を考え続けて

幸せとは、を考え続けている。

世の中が経済的に成長を続けて、会社が核分裂のように大きくなり続ける中で、私の時代は就職戦線を闘っていた。ある人が、就職をする私に問いかけた。

「会社に入って何になるのが目標か」と尋ねる。「昔の新入りは社長ですというようなことを平気で言ったものだが今の子たちは課長ですというような子もいる」、そんな世の中に変化している話してくれた。会社に入れば未来があった。給料も組織も企業成績も、さらには物価や地価も下がるということは誰もが想像しなかった時代だ。

まさかの急旋回。しかし経済神話だけは残り続けたのではないか。いつか必ずまた昔のように右上がりが取り戻せ、増殖し続けるような会社が次々と生まれる社会が再現できる、と信じ続けている人がゼロにはならない。また、そうでなくては経済学というものの学問的価値がないのではないかと思い続けている人たち。

多くの人々はその神話を信じないと思いながら夢として棄てきれていないから、幸せというものを夢のステージの上に築き上げて、風が吹いたら喜び日が照ったら新しいものに期待して、次を諦めていない。

私が永年、エンジニアとしていた「パー」な会社も、本当はあのときに倒産すればよかったのかもしれない。しかし、本当にバラバラになるまでとことん解体をすることはありえなかったから、やはり今の姿が落ち着くべき姿だったのだろう。経営者というのは先を見据える力が凄い。

でも、会社という生き物は死にたがっていたのだし、贅肉が重くて、重病で腐っていたのだから、10万人の社員の3万程度を整理したからといって、見せ掛けだったのだと思う。7万人ぐらいを整理して、しかも本当に有能な人を残して再出発したいところではなかったか。

まあ、辞めたんだから、関心もまったくないのだが、社会が一向に良くならないのは、あのような腐った企業が、社会や社会を構成する人々を「幸せ」という迷信など飴のようなものを撒き散らすからだ。しかも利益を上げながら撒くものだから、社会が幻のようなその幸せに骨抜きにされてしまった。利益が上がっているころまでは良かったが、優良でありつづけるために迷信のように大企業神話だけが残り続けた。

人々は幸せというもの考える力をなくしている。マクドナルドのハンバーガーを食べるようになって、美味しいパンや美味しいハンバーグの味を見極める力が退化していったように、幸せボケの世紀がやってきたのだと思う。何も外食産業ばかりではなく、情報化社会の中で見直された時間軸上に重みつけられる価値観を背負ったあらゆる概念が、費用対効果のような一見まっとうそうな論理で社会を腐らせ続ける。今も。

いつかは再び。そんなことがあるわけもなく、そんな夢を見続けるようなステージなんかないのではないか。そんなことを考えながら、幸せとは何だろうか、を考え続けている。

2012年2月25日 (土曜日)

貨物列車のゆくところ

仕事の帰りにいつもの列車より少し遅く帰ると、私の降りる駅に長い長いJR貨物が行き違いのために止まっている。何両あるのかは暗がりなのでわからないのだが、ホームの端から端までかかっているように思う。切符を車掌さんに渡して跨線橋の階段を上って向こうのホームへとおり始めると貨物列車はゆっくりと動き始める。

いくつも並んだコンテナが徐々に加速しているのを見ながら、車両の繋ぎ目に小さなデッキがあることを見つけた。手すりがついているけども、ホームから飛び乗ろうと思えば簡単に移れそうだ。

高校時代に伊勢市駅に入ってくるJRの客車には扉がついていたが、走りながらでも飛び乗れたのを思い出したし、子どものころに見た客車にはやはり小さなデッキのようなものがあった。手すりにもたれて走り行く汽車からさようならを叫ぶようなシーンを思い浮かべてしまう。

さて、このデッキにもしも飛び乗れたら、私はJRの行くところに気ままな旅を始めることができるのだろうか。

少し悪戯をしながら、誰にも見つからずにタイムスリップするようにどこかに出かけて行けるという夢のようなコンテナ。しかし、出かけた先には無限の束縛や規制が待っている世の中だから。このまま家に帰って黙って座れば水割りが出てくるのも悪くはないか。

寝床に入ってからも、デッキで揺られている夢を見た。私はどこに行きたがっているのだろうか。

昨日のままなら

Sさんが、心の病気で入院したときの友だちのことを書いていた。退院してからも親交があったのだが、次第に疎遠になり、音信が途絶えたあとしばらくして自殺という話を聞いたという。

人生とはなんだろうか。幸せとはなんだろうかと、問い詰めてゆく。

--
(私は通勤の列車の中で走り書きをしたのでそれを貼って置こう)

人のスタンスってのは、些細なところで幾らでもバランスを崩す。
フラフラしないなんてのは特別な時で、いつもユラユラ。
そんなままで大人になってゆく。
いいのか、悪いのか。
分からないけど、生きていれば世界は広がり続けるし、自分でも変化しなくてはならない。
生きると言う事は成長であるのだが、変化してゆくことでもある。
幸せだって、昨日のままなら、誰も自分を幸せとは思わない。

2012年2月22日 (水曜日)

落とし蓋母の手形に指を置く ─ 雨水篇

2月12日(日)

▼火を囲み昔のことを母に聞く
▼井戸水がぬくぬくしている台所
▼かき餠を焼いて茶漬けでいただくの

♪わらぶきの屋根 高石ともや
なぜか今夜は田舎の家を想い出しています
父も母も祖母も妹も子供の僕もいます
想い出にふとふり返るわらぶきの屋根
田舎の古い家のあとには夏草ばかり

こんな歌を口ずさみながら
真冬には井戸水の温かさを思い出す。
炭をおこした煙が目にしみる。

▼助六の最後のひとつを持ってかれ
▼冬眠をしたいと言いつつ春になる
▼春浅き畑の蕾みをじっと見る
▼白魚や鱗輝く箸の先
▼冬眠をし損ねて肥えたまま

なごを食う なごを食う

2月13日(月)

▼如月の雨雨冷たい雨冷たい

そんなことを呟きながら道を行く。
如月と書いてキサラギと読む。
カタカナで書くと寒々しい。
冷たい冬の雨は意地悪だなあ。

2月14日(火)

立春が過ぎて、春になる。
でもまだ寒い。

▼雨あがりハクセキレイさんおはよう
▼井戸水のあふれる先にフキノトウ
▼白魚の輝く鱗に箸を止め
▼バレンタイン胸にしまうことひとつ

▼春浅しシラサギ丸く旅支度

鳥は北国に帰る時期をどうやって知るのだろう。
2キロも3キロも太って、30時間以上もかかって、北海道の向こうまで飛んでゆく。
地に降り立ったときは痩せ細っているという。

白鷺が丸いような気がしてならない。
春が近いのだ、きっと。

久しぶりのグラタン 久しぶりのグラタン

2月15日(水)

5時40分。
お隣さんのおじさんが仕事に行くクルマのエンジンの音がする。
もう、70歳近いのに、毎朝、偉いな。

ほんと、雨の日も風の日も。

私はそれを布団の中で聞きながら、えい!と布団を飛び出す。
新聞屋さんのバイクは、5時半頃に路地にやって来る。
雨でも雪でも。

子どものころ新聞配達をしたことがあるのを、毎朝思い出す。
あの厳しさが僕を変えた。
それは、間違いのない事実だ。

▼切り干し大根の味噌汁が好き。
▼ふわりふわり舞う雪も見ないまま春になる
▼山に入る炭焼き小屋跡で立ち止まる

炭焼き小屋もなければ、立ち上る煙もない。
このごろは。

2月16日(木)

▼寒くても一歩踏み出せば春になる

意地っ張りになってみる。
そういってみると、元気が出る。

▼風凍え頭冷たい毛が欲しい
▼あの時の名残の雪を胸にしまう
▼別れどきじゃあねといえばツバキ落つ
▼それぞれの別離を紡ぐ藪椿

▼桃の花切って貴方の墓にゆく

そうや、貴方は、母の67歳を祝ったあくる日に、66歳のままで逝ってしまったのですね。
3月。桃の咲くころまで生きていれば67歳になったのに。

ブリの照り焼き ブリの照り焼き

2月19日(日)

雨水。

今夜は冷えるな。
しんしんと染み通る寒さの違いを天性で感じ取れる様々な条件を失ったら、ヒトは自ら滅びる道を歩み始める。

▼落とし蓋母の手形に指を置く

鍋から白い湯気が立ち上る。

▼カレー食う貴方の無き母思いつつ、
▼手さばきが母の形見と鍋を煮る

▼路地奥にそっと控える木瓜の花
▼春寒し銭湯帰りにキミに会う

2月20日(月)

▼ユキヤナギまだ咲かぬかな、別れまで

なんだか、花が咲いて賑やかになるのだから
別れもまんざら悪くないじゃない。
そんな気がしている2月。

2月22日(水)

そうか。花粉の季節か。
芽吹く山、麗しき。

▼ボクの書くおやすみも夜空を舞い飛ぶ

2012年2月19日 (日曜日)

旅の軌跡 1977年北海道

Walk Don't Runのブログ (このブログ)の

にあります 1977年北海道 を少し改定しました。

原文メモは、ほとんど直さずにいます。

35年前のメモを読むと、そこには驚きがあふれていました。

2012年2月18日 (土曜日)

春を待つ 2月号

●● 巻頭言

 一雨ごとに春が近づいてくるのがわかります。冷たい雨の日もあれば柔らかい陽射しの日もあって、どこかで春が生まれている感触を味わう日々が過ぎます。

 外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女

 夜は夜で、木星や火星が明るく輝いてくれて、空を見あげる人たちを釘付けにしてくれます。中村汀女が詠んだこの句は立春のころの丸い月を見あげてのことでしょうか。

 春を待つ人がたくさんいます。受験、健康、家族などなど、みなさんはどのような春をお待ちでしょうか。

●● あとがき

 電気自動車が面白い。電気供給スタンドがガソリンスタンドに代わってしまうまでにはかなりの時間がかかりましょうが、都会では月々3千円ほどの会員価格で充電し放題というところがあるそうです。

 しばらくの間は、電気自動車はセカンドカーとなるかもしれません。しかし、ガソリンよりも電気の方が安いことが広く知れ渡るようになれば、郊外型のショッピングセンターで充電中にお買い物をしたり、家のガレージに車を入れて夜に充電、朝は満タンで出勤という日も近いと思います。

 太陽電池や風力を利用した発電施設が増えてくれば、電気を起こす技術も一緒に進化することになります。自然エネルギーのコンパクトな発電施設がたくさんできれば、暮らしの中の自動車のステータスなどが大きく変化をし始めるのでしょう。

2012年2月15日 (水曜日)

あれこれ ─ 目の衰える話 など

驚きました。
目の衰える話に、あら、っと。

あなたをウチの娘くらいの人と想像してました。
若い人ほど熱心な読書家、という先入観でしょうか。

私の場合も連続読書時間が短くなって。
どんなアツイ小説でも休み休みでなければ読めません。
音楽は、CDとかも買うのですが、あまり落ち着いて聴くことをしなくなりました。

音楽は、十数年前からですが、もっぱら自分の(または自分たちの楽団の)吹く音を聴くだけです。

みんなとやるのが好きなんだけど、なかなか上手にならなくてね。
それが理由というわけではないのですが、楽団も休部中です。
音楽が遠ざかってしまっています。

テレビで流れれているような音楽はまったく聴きませんしね。
AKBって名前しか知りません。いまだに。

ケーキ作り。いいですね。
ご飯もまだ立派に炊ける古い炊飯器があるのですが、こういうのを使うとうまくできるそうですね。
家族が減って1合以下でも炊ける炊飯器が活躍中で、大きなのは遊んでいるのです。
食べるの大好き。
何でも美味しいのです。
古い炊飯器でパンを焼くとかチャレンジしてもいいのですが、パンはあまり食べる習慣がなくて。

手紙書くのは好きです。
こうしてとりとめのないことを書いているのは楽しいです。
でも、期待にかなっているのかどうかわからない手紙なので長いのは良くないですね。

勝手気ままに書いて、私を誰だと思っているのですか、と怒らせてしまったことがあって、なぜ怒られたのかわからない。
お気に召さないことを書いてしまったようです。

寝床でスマホ。
なかなか手紙が上手に書けませんか、お布団の外は寒いですね。

そんなこんなの水曜日。
今日はお休みです。

--
(MTKSさんへの返事)

2012年2月14日 (火曜日)

誰にも言わない

久しぶりのグラタン 久しぶりのグラタン

きょうは、バレンタインデー。
いいことがあったよとだけ記録しておこう。
誰にも言わない。

2012年2月12日 (日曜日)

なごを食う

なごを食う

なごを食う

春になったら、これを食べなければ。
イオンをぶらぶらしてたら見つけたので買ってきた。

2012年2月11日 (土曜日)

一膳の茶漬けを食うて春を待つ  ─ 立春篇

一膳の茶漬けを食うて春を待つ

そう書いてみた。

立春が来ると嬉しいのだ。
そのことが隠せない。

2月5日(日)

▼胸キュンの景色届ける君のフォト

冬ざれた風景の中に感情が動くものを見つけて一瞬を切り取る。
この技術もさることながら、
ひとときも緊張を緩めずにそのモノを観察する心が素晴らしい。

情熱でもなく
悲しみでもない。

その人の持っている天性の執念なのだろう。

▼雨予報どこのどなたが泣くのやろ
▼雨予報あなたも濡れれば憎まない

嫌いじゃないけど、キライだと呟いてみる。

▼一膳の茶漬けを食うて春を待つ

節分に豆を食べ
食というものをしみじみと考えてみる。

茶漬けは、ヒトの思考の原点にあると思う。

▼春が来て黒髪風に吹かれるとき、緑のバイクでキミに会いにいく

▼春の風どこからか吹いて来る

もうすぐ、バイクも廃車だ。
寂しいのだが、新しいステージを待つ。

2月6日(月)

ぬくい雨。
おはようございます。

▼ぬくい雨ベストは鞄に仕舞うだけ
▼節分が過ぎて別れの春ちかく

あてなるもの。
梅の花に雪の降りかかりたる。

枕草紙の、
この時は梅が咲いている時に雪が降り積もったのだな。

私も
別れ雪が降ったあの年に東京を離れたなあ。
三十年前か。

2月7日(火)

▼車窓打つ悲しき雨音もう少し
▼チョコレートひとつ言葉を添えておく

きょうは辛子明太子です。

雨降りの帰り道に店に寄り明太子を買う。

2月9日(木)

▼ショーウインド貴方の唇がチョコと言う

チョコという言葉の響きが好きだ。
唇が揺れている。

▼青空や凧を連れ去るところなし
▼遠くからぼたん雪とどいてサヨナラ

いまは思い出しながら書いているので
この日にボタン雪が風邪で吹けてきたのだろうなと思うだけ。

積もる雪を見ないまま冬を終わってゆく。

▼私の好きな人が遠ざかっていく
▼さあ、長くて寒い夜の始まり

いったい、好きな人って誰なのだろう。
実在しない人を物語りに据えて
長くて寒い冬の夜を、
空想の世界で旅をする。

いったいいつごろから
こんなことを愉しむようになったのだろうか。

2月11日(土)

▼春の空どこかで貴方とつながるの
▼口ずさむ。好きな言葉を文字にする

でもほんとうは、好きな人はそこにいる。
そう書いてみる。

焼き鳥

先週の水曜日、久しぶりに焼き鳥をしました。大きく手抜きをしました。

やっぱし、タレは、皮を剥ぎ取ってグツグツと、みりん+醤油+酒+砂糖(+唐辛子+にんにく)で煮込んで、甘トロにしたものをつくり、その皮は取り出して乾かして串に刺して焼きなおすのが美味いなあ。

あんましこういうタレの作り方をレシピに載せていないようですが、これをやったらやめられません。これは私の自己開発製法ですけど、ぜひ皆さんもお試しください。

(この写真のものは、まったく手抜きですけど)

焼き鳥

焼き鳥

2012年2月 8日(水)

2012年2月 8日 (水曜日)

斎藤孝 コメント力―「できる人」はここがちがう

斎藤孝に踏み込むときに、まず最初に何を読むかでこの人の印象が変わる。

いまや芸能人教授になってしまったのであるが、それはある一部の人から見ると薄っぺらで浮き足立ったタレントのようなイメージにも捉えられがちになり、先生も大きく損をすることになる。

しかし、芸能人教授やタレント教授の中にも、きちんと教授稼業をやり遂げ、素晴らしい研究をなさっている先生もある。教育や啓発も仕事の一環だとまで言えば芸能活動も紙一重になってくる。

そもそも、コメントというものに力を備えさせる必要があるのか。そういう大きな疑問が私にはあるのだ。しかし先生は、これからはコメント力というひとつの系統立った体系で教養として身に着けてゆくことが大切だとお考えです。

英語を話す力、荒野を駆け抜ける力、人間を罵倒する力、必要以上に自分を美しく見せる力、学問を探求する力。さまざまな力が折り重なってそれは大気中の酸素のように当たり前のものとして扱われるように、そして要求されるようになってきた上で、さて人間にはどういった力が必要なのだろう。

真面目さであるとか、誠実さであるとか、冷静さであるとか。教育や学びの場で論理的に身につくものではないものが大きく欠如しているのではないかと思うこのごろの社会の中で、コメント力という本が少し波を立ててくれた。

そうそう、明治大学の新校舎の前を昨年の秋に通った。昔の校舎はなく、私の知っている三十年前の明治の面影はない。それなりに選りすぐられた学生たち が集い、このような学問を若いうちからしているのだなと思うと、遅れを感じる一方、こういうことは自分で開拓することではなかったのかとも思う。

至れり尽くせりでコメント力を身に纏った人々が社会を変えていくことのほうが私には恐怖だ。

斎藤孝 コメント力

2012年2月 4日 (土曜日)

あの人は鬼を迎えに行ったまま 節分篇

1月28日(土)

一月の終わりが近づいている。

この月は一年の一番最初の月だということもあるし、
この寒い冬が少し終わってゆく一歩だとも思う。

▼月は消えさあ今キミを眠らせない
▼送らないメール私に欲しかった

寒い夜に、どこかの地で送らないメールを綴っては呑みこんでいる人がいるのだ。


1月29日(日)

▼月明かり消えて香りを求めけり

ロウバイ
ロウバイ(29日)


1月30日(月)

▼春近し鬼の気合いで床を出る

寒い朝、月曜日。

好きですと、リンゴをかじって言ってみる
さようなら、僕の九月と君の九月

なんてのを書いたことがあるが、去り行く一月。
如月。

▼豆食おうひとつひとつを噛み砕こう

こどもの頃は、おやすみなんて誰にも言わなかった。心からおやすみと言えるようになるのは、自分が自分の力だけて生きているのではないということに気付いて、そのことが永遠の歴史のなかで受け継がれていることに深い意味があるのだと知った時からだ。


1月31日(火)

▼鬼のふりしたのがご縁でここに居る

▼鬼ごっこ好きなその子を追いかける

節分が近づく。
寒さもいっそう厳しく。


2月1日(水)

二月になったので、心なしか嬉しい。

▼海苔巻きをオカン生きてる間に一度

私の実家では海苔巻きは食べませんが、母はこの節分にどうするのだろう。
このごろはあられや豆をいることも少なくなったし、背中を丸くしてコタツに入り編み物をしているのだろうか。

▼キサラギと母が呟く井戸水のぬくたいけれどアカギレ深し

水は冷たいが、まろやかになっているはずだ。
井戸水を使う人だけにわかる。
人の感覚を失わずに生きていることは、無駄な長生きより素晴らしいと、このごろ思うようになった。

▼在宅と心に決めて床の中

お休みにして床にいるのだが、いつまでも入っていられるわけでもなく、起き出してコーヒーを飲む。

▼夏ミカンあなたと食べた四畳半

夏みかんの季節はいつなんでしょうね。

▼大根の味噌汁啜る休肝日
▼電話鳴るアタシもちょうどいい感じ

お刺身を贅沢に連日食べたので
少し質素に。
そのほうがお酒が少しで美味しい。

▼遠くからマスクの中の君を見る   (昔の拙句から)

マスクの人が多いですね。
人類は感染症に滅びる世紀が来るくらいの勢いですよ。


2月2日(木)

▼もつ鍋を食べたいとねだっても、納豆

寒い日が続くと
懐かしいお鍋を食べたくなる。

▼その花にボタン雪かぶってお別れ

静かに雪が舞うのを見ていると
あの日の雪が蘇る。

▼侘助に白き傘かぶせて鬼を待つ
▼ねえお願い好きと言わせて雪夜道

ドラマは、終わったのだが
余韻は雪のたびに戻るね。


2月3日(金)

▼節分や鬼も朝寝の雪化粧
▼泣き言を鬼に内緒で打ち明ける

そんなことを思いながら
冷たい風の吹く道を向かう。

卓球部の朝練にいく女子中生がケーキ屋の前で友だちを待っている。
寒いのに毎日偉い。

いつからか、「おはよう」と挨拶するようになったのだが。
とっても爽やかで可愛らしい子なんです。

ちょっと弱そうですが、卓球部がんばっているようです。

豆をもらう
豆をもらう

きょう、昼食をとったあとに、食堂でお豆をいただいた。
年齢の数だけ食べてね、とメールくれたのはYさん。
でも、その数ほどは入ってなかった。

▼あの人は鬼を迎えに行ったまま
▼今晩は海苔巻き食べて鬼を待つ
▼海苔巻きに鬼さんも巻いて食べてやる

鬼のことを考えると
人に言えないようなことも浮かぶ。

▼雪野原夢が弾けるような無限大

ツイッターが「鬼」で賑やかだ。
賑やかに身を置いていると落ち着く不思議。

鬼は外、福は内、
鬼さん寒かろ、中で呑も。

子どものころには豆まきを真剣にしました。
そして
明日の朝、式台にまかれた豆をそっと掃くのだ。

▼式台にひやり冷たく豆ひとつ
▼ヒイラギも凍える風に震えとる

▼立春の風、優しくなってくれるかな


2月4日(水)

▼節分にわたしにあいに来たひとり
▼あっち向いてホイそっちを向いたら鬼が居る

一夜明けて
鬼の余韻が響いてる

詰まらなくしているもの

(さとこさんの日記へのコメント)

私は永年、パーな会社の技術者をしていましたが、
こういった会社が詰まらなくなっているのは、内外の多くの人が感じているとおりです。

そのことを、あれこれ言うつもりはないですが、面白くないですね、社会が。

高額で美味しいものであっても、好きでなければ食べないような性格ですから
いい商品を出しても、それがつまらないものだと魅力はないです。

いまの世の中はすべてが正反対で
高額で美味しいものには、味も分からないし見抜く力もないのに飛びつく奴らがわんさかいる社会でしょ。
しかもタダたっだりしたら、人気沸騰で。
さらに、持っていないとのけ者みたいで。

そういう社会は嫌なので
田舎に引き篭もっていますけど、
さぞかし、都会は住みにくいのではないでしょうかね。

脱線した。

ソニーも、そういう社会で企業を存続させなければならない使命が、企業経営としてあるのも事実。
まあ、だから嫌気が差して辞めたんですけどね。

あきらめるか
意地を通すか。
そんな気がします。
荒っぽい言い方ですけど。

2012年2月 1日 (水曜日)

錯覚に陥る

平成18年にも大雪が降った。
そのニュースを耳にしたあとに、決して意識したわけではないが、偶然に平成18年(2006年)の春の自分の日記に辿りついた。

まったく別のことで検索をしていたもので、読むうちに雪のことが蘇る。

水ぬるむ春分に ─ 塵埃秘帖  春分篇

など、読んでいて「ハッ!」とする。

花は散るのだ。新しい芽を出すために自らを棄てるのだろうか。
人間は、自然という奥深いものの、ひとかけらにも満たない小さなものだ。
なのに自分が一番だという錯覚に陥っている。

くちびるが今でも好きよとくちずさむ (再)

昔、くちびるが今でも好きよとくちずさむ というのをアップしたことがある。
そのなかに書いた原文を辿っていくと、こんなことを書いていた。(少し直します)

斜線は現在注記


2006年2月18日(土)

■ 好きな言葉は?

くちづさむ。

くちびるが今でも好きよとくちずさむ … ねこ作

おお、なかなかええ作品やん。
※初稿:くちびるが好きよ今でもとくちずさむ

相変わらず自画自賛なわたし

■ あなたの口癖は?

自分ではワカランよ、こればかりは。

「…で…なのは、1つしかない」、、、みたいな言い方をよくするかな。

「あのとき、彼女に惚れてしまった理由は、1つしかなかったのだ」……みたいに。

■ あなたにとって最大の褒め言葉は?

やっぱり、
「若いですね」
といわれるとウレシイみたい。
でも、デブで髪も無いので誰も言いませんけど。

今はそれほど、思わない。
歳相応に生きているのが美しいと思うな。

■ 普段、出来るだけ使わないようにしている言葉は?

心がけていながら使ってしまいますが、(苦笑)
相手発言を否定するような言葉は使わないようにしてます。

(間違っているときは、論理とペンで!)

■ 最近、言われて一番腹の立った言葉は?

すごくカンカンになって怒り、
大声でぼやくヤツなんですが、
その後すぐ忘れてしまうので……。

■ 一度言ってみたいが、きっかけが無かったり、 何らかの理由でまだ言ったことのない言葉は?

「好きです。デートしてください」

すぐ惚れるので、うちのんや娘にも、いつもチェックを入れられています。
ポロっと秘密を漏らさないかと…

■ 普段何気なく使ったりするけど、実は意味を理解していない言葉は?

意味を理解しようとしないで
わが道を行く使い方はします。

ヤバイ。

■ 普段の生活において、思ったことの何%くらいを実際に言葉に出してる?

夫婦の間では100%ですね。憎しみから哀しみ、尊敬も。

私の性格をある程度理解をしている人には五割以上話していると思います。
喋りすぎで後悔することが多い。

■ 面と向かっては言えないけど、メールでなら書けるってどんなこと?

好きだ、とか、抱きしめたい…とかは、実際に言ってしまうと思うし、
言う前にやってしまうような気がする……アブナイ

キザなセリフなら幾らでもメールで書けるじゃんか。

「アナタって、今度はどうな方法で、僕の心を揺さぶってくれるのか、楽しみなんですよ…」

とか。コラコラ

■ プロポーズとして、言いたい、または、言われたい言葉は?

昔の話だなー(遠い目)……と思いながら

「一緒に居て、楽しい話をしようよ」

まさか

「僕が君を救うよ。もう安心だからね。
一生、二人で暮らそうよ。
僕が守ってやるよ。幸せになるんだ、二人で。」

なんて書かせるの?

ああ、現実と夢物語が混乱してくる…。バキ!

■ 人生において「ありがとう」と言った数と言われた数はどっちが多かったと思う?

ありがとうと言わねばならかったことは、すごく多かったのに、
言い逃していることは多いです。

私は大した人間じゃないですから、ありがとう、なんて言って頂くようなことはほとんどしてこなかったなあ。(反省)

■ 現時点で最後に発した言葉は?

何だろうか…

ウンコしてくるわ

■ あなたにとって言葉とは?

「自画像…のようなものです」というブログを書いていますが、
このブログを書いているときは、自分がもっとも素直になれて、
その瞬間に幸せでいられるのです。

言葉を相手に正確に伝えるのは難しいけど、
ある有名な画家だって、
その絵で何かを表現したいわけでしょう。

私には何の才能も無いので、
静かな夜に静かな部屋でコツコツと
湧き出るような言葉をひとつひとつ噛み砕いて
酒の肴にするのですよ。

あしたになったら忘れてしまっているような、
ささやかな心の襞のようなモノを、
形にしてくれるモノかな。


カツオとぶり

月曜日に(30日に)
カツオを食べて

カツオ

カツオ

カツオ、買ってきました。
いつも同じですが。
もう半分はお茶漬けにして食べます。

火曜日に(31日に)
ぶりを食べる。

ぶり

ぶり

本日のお魚は、ぶりです。
脂がのっているのはもちろんですが、
ほのかなとろみと甘みが抜群にいいです。

刺身、煮物、塩焼き。
この繰り返しで1週間。

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
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