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2012年1月28日 (土曜日)

(追記お知らせ) 断想 60-70's 

ホームページ版 Walk Don't Run

φ 断想 60-70's (時々刻々)

を追加しました。

月は消えさあ今キミを眠らせない 1月下旬のころ

1月25日(水)

シャボン玉のやうな恋だった。
そんな物語。
いつかそんなロマンチックな物語を
書いてみたい。

風邪ひいて
一日家に居ると
はっきり言って暇です。

▼木枯らしの一日吹いておりにけり 岩田涼兎

--

今夜はシチューですのんよ。
雪の便りはやむことなく届く。

▼気配なく静かなふつうの冬の夜

1月26日(木)

▼その人のオトコのようなトコが好き

昼は、なまぶし、夜は、サバ。
ネコとしてゆく人生。

▼雪時雨憎しみばかりがふりそそぐ
▼月は消えさあ今キミを眠らせない

寒い日は続いている。
雪は降らない。

1月27日(金)

谷垣、昨日から失望!
権力を欲しがってはいけないのよ。
少しずつでもいいから、改革をするときの変化の
その変化率の微分。
その辺が重要なんじゃないか。

▼夜はほんとに長くて寒いのかい

1月28日(土)

▼苔をむすお地蔵様にお辞儀する
▼どんよりと曇った空のヒステリー

今夜は、鰯が食いたい。
5匹で200円くらいやし
散髪屋さんも行こう。

南国屋さん

▼正月の肉ためたまま一月尽

1月も早いもので、もう25日を回ってしまった。

寒い夜を迎えると
また昔の下宿を思い出してしまう。
 四畳半裸電球の下宿の部屋で
窓を開けると路地の向こうの同じボロ下宿に
年の似た女の子がいて、

結構青春ドラマみたいに、
窓を開けるたびに顔を合わせた。

私のことなど意識せず
裸で平気で、気にせず歩きまわったりして、
気さくなお隣さんだった。

その部屋は、南国屋さんという食堂の二階だった。
でも、彼女の名前は、吉川くんではなかったが。

ほかでも書いたが(※江古田(1)でも触れていたが)、猫をたくさん飼っているおばあちゃんが食堂を経営している。
普通の民家に暖簾を出すだけで、
南国屋と書いてなければ、雑貨屋でも散髪屋でもおかしくない。

ガラガラと戸を開けて入る。
猫が出入りするので、少し開いていることが多かったかもしれない。

なかは土間である。
もうそんな下宿屋は都会にはないだろうな。

2012年1月25日 (水曜日)

どっぷりと味のしゅんだ卵食う ─ 1月中旬篇

1月10日(火)

朝からテンションの高い高校生が近くにいて、また3学期が始まったのだと再確認することになった。やかましいわ、静かにしろ。と言いたいくらいのブスな子たち。

この話は前回の最後でも書いていたが、また書いてしもうた。
それほどブスな子いつもの子。

▼切ないと泣いて満月凍らんせ

お天気もよく、満月が昇っていたのだろう。
そう書き残している。

その傍らでは、こんなことも書く。

▼強がりで意地っ張りなの、好きな人

1月11日(水)

正月が終わって
新しい年が始まって
少しずつ、夢を盛り返そうとしているが

▼月沈み叶わない夢が果てゆく

誰かがブログなどにおしるこの写真を載せている。
私も

▼おしるこが食べたいかの子も同じかも

1月12日(木)

カマス

カマス

年末にいただいたカマスを食べる。
丸干しにしてある。
とても美味しい。

1月14日(土)

インフルかもと心配しましたが、
おでこは冷たいです。

さて、
今夜はお好み焼き。
久しぶりのビールかも。

▼国言葉、寒いといえば温まる

風邪気味で風呂をパス。

1月15日(日)

おはよう。暖かい朝や。
日曜日はゆっくりとコーヒーを飲んで。

久々に尾鷲港。

1月15日の尾鷲港
1月15日の尾鷲港

▼未完成そう書いてみてシューベルト
昔の日記をちょっと思い出した。

▼ゴロゴロしてダラダラしてる休日

▼干し柿や干されてみんなアレに似る
▼凍る空キミのところへメール飛ぶ
▼白い雲雪の予感はきょうもなく
▼いつも母の手作りの半纏を着ていた
▼好きですと言えずにエンピツ隠すだけ
▼消しゴムの裏にひっそり好きと書く

1月16日(月)

▼きょうの空、枯れ野映して知らん顔
▼三日過ぎ十日過ぎよや春よこい
▼知らぬふり気づいていること隠さずに
▼窓越しに冬物語を思い出し

1月17日(火)

▼雨あがり冷たい風も気持よく
▼資源ごみビンが六つも転がって

1月18日(水)

▼白菜をバサリとやりたい失恋日

この句をタイトルにしようと迷った。
バサリという音がみなさんには聞こえるだろうか。

冬は野菜がうまい。
お鍋にして食べるのが好きだ。

近頃はお汁のメーカーも多彩な商品を出しているが、
ポン酢に大根おろしで食べるのが一番好きだ。

▼餠焼いて海苔巻きにする夢を見る
▼肉うどんあなたの肉を盗みとる

寒々とした外の景色を見ていたのかもしれない。

風は冷たいなあ。
子どものころに、麦踏みをしたのを思い出した。

▼寒風や息子をおんで麦を踏む

▼黒土が濡れて春待つ麦畑

ニュースで雪の便りを報じている。

▼今年は山も白くなりません今のところ

▼週末の天気ゆるゆる下り坂

というわけで、週末はやや荒れ模様になるらしい。

▼すらすらといつも出てくる言葉は悲しく別れた人の踏み切りの向こう
▼ただいまと言って玄関開けたときお帰りという声がするような妄想

少し余裕が出てくると
ブログのドラマをとろとろと書き始める。

寒いので
心はマイナス思考か。

▼大好きと言って砕けてあんぽんたん
▼三学期失恋記念日近づいて
▼暮れなずむ石畳の坂その人を追う

1月19日(木)

▼もうすぐ大寒なんだね若潮の朝

曇っている。

▼おはようさん。もうすぐ汽車が動き出す

このごろ、朝の列車の中ではぼんやりとしていることが多い。
冬枯れの景色はけっこうやさしい。

▼曇る空雨がくるくるやって来る

▼通りゃんせ銀のピアスは隠しゃんせ
▼しゃんしゃんと雨音遠しキミの街

雨の予感がしていたのかもしれない。

1月20日(金)

週末は雨降り。
この日は風邪を引いたかもしれないということで医者に行く。

▼山茶花やオマエは雪が待ち遠しかろ
▼雨降れば憎たらしさを思い出す

▼初雪や思わせぶりの恋心

▼風邪引けば私の場合はフルコース

そう、歳を食ってからいっそう風邪の症状が重くなる。

▼霙待つ貴方の傘を胸に抱く

NHKのラジオを聞いていた。
耳に優しい。

東京の雪便りの話をしている。

▼背戸を抜け赤い身の成る井戸端で哀しみひとつ引きちぎりつつ

▼私のブルースは涙色の星♪
▼大雪の降って初めての夜は白く

ぼんやりとコタツに入って相撲を見ていた。

把瑠都。優勝が決まる。

1月21日(土)

芥川賞の発表があった。
まあ、いつあったとしても、さほど大事なことではない。

賞は、あとから聞いても尚更のこと関心を惹かない。
こういう人が何年かごとに選ばれる。

石原慎太郎さんが選考委員を辞めるという。

その石原氏の発言と芥川賞新人さんとの二つの発言を見て、
芥川賞というものの低質化を招いたのは
結局、この新人さんのような人が登場できるようになったこと自体であるのだ
と感じる。

一種のエントロピーと捉えると
石原氏の言葉のほうが正確で重みがあり、
この顛末は社会を劣化させているひとつのモデルとも言える。

石原氏はイデオロギーは根本的に同意できない点が多いけれども
彼の考えの生まれ出てくるところには大きくうなづけるものもある。

しかし、その時代じゃないのだな。私も含めて。

▼おはようの言葉ためらう初恋の

▼大寒や焼きもち食うたおしるこで

▼おならする。寝坊な貴方を燻り出す

▼お地蔵さん一言願う凍える手

1月23日(月)

日暮が少しずつ遅くなっていて
県庁脇の議事堂の向こうに沈む夕焼けが、5時20分くらいだとちょうど真っ赤だ。

足早に坂道を駆け下りてゆく職員のみなさんの後姿もくっきりと見える。
ブーツの足音が夕焼け空の鮮やかさのなかに静かに響く。

▼寒波来る夕焼け色のマフラー欲しい

▼忘られぬ化粧せぬままキミの顔

1月24日(火)

あらら、もう1月も24日が過ぎていこうとしている。

インフルエンザの流行が猛威を奮う。
そんなニュースが流れる中、私は普通の風邪ひき。
もうすぐ1週間になる。

▼記念日の日めくり破って鍋に入れ

東京やそのほかにも日本海側で雪が降っている。

▼ベルがなる扉が閉まる霙舞う

風はとても冷たいが、湿った霙となったりはしない。
津駅のホームを吹き抜ける風はカラカラだった。

家に帰って、おでんを食う。

▼どっぷりと味のしゅんだ卵食う

▼初恋の思わせぶりか凍る夜

おでん 

おでん


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感謝とか恩義とか仇とか憎しみとか。

たくさんの人を見送って自分も大人になってゆく。
親が死んで、世の中がはっと見渡せる。
人の宿命かな。
感謝とか恩義とか仇とか憎しみとか。
いろんな言葉があるけれど、こんな節目をいくつもこなさなきゃ、真意はわからんものよね。
これからよ、人生は。

---

先日、ある方の言葉に走り書きで上述のようなコメントを書いたのだが、この言葉には至らないところが多いことがわかる。
受け取った人は困惑するし、伝えるべきことではない部分で反応なさった可能性もあろうし、このように意味の難解なコメントは避けるべきであろうと自分に言いつつ、少し分析を試みる。

ヒトは、通則として歳の順番に逝ってしまう。このことは千年経っても変化は無い。通則。

しかし、その規則に従わない事例はいくらでもある。世の中は例外によって成り立っている。だから、確率論も存在するし、そのおかげでご飯も食べてくることができた。

親より早く逝く。逝くべきでない人が先に逝く。
私たち人間は、このような一見して不条理のようなことに底知れぬ悲しみを抱き、嘆き、苦やしむ。

ヒトの涙は、すべてが悔しさから成り立っている。悔しさを克服すれば涙はなくなるが、悔しさをなくしたらヒトはヒトではなくなってくるのではないか。つまりは、涙はヒトの証なのだとも言える。

親しい人が死んでゆく。死んで欲しくない人が死んでゆく。引き止めることはできない。
そういうものを運命といい、その重みを背負うことを宿命という。

恩義を強く感し、人を惜しむ。そこには、感謝の気持ちがあふれる。
しかし、場合によっては仇とか憎しみであることもあろう。

死んで欲しい人があるとまでは断言できないにしても、人生の道程の上から消えてしまって欲しいと思う人が過去にいたことは事実だ。私はそういう悪者の側面も持っている。

死んだら終わりであっても、許せないこともある。死刑ではなく、懲役千年というような極刑も世の中に存在して欲しいと思うことすらある。

命を亡くした人を見送るのは辛い。そしてその辛さは必然的に年齢と共に増加し、それは指数関数的に、そう、f(x)=exp(x) 的に増え続け、最後は自分である。

その1コマ1コマに自分の感情の乱れがあり、哀しみはもちろんのこと、苛立ちや憎しみ、同情、後悔、怨念、果ては無関心などもあるのかもしれない。

だが、その瞬間に自分自身を奮わせる波動のようなものは、誰の力や意思によっても揺るがせることはできず、心が正直であればその微動でさえも受け止めざるを得ない。

得てして、人は未熟で未完成で揺らぎに動じやすい時期に、困難やアクシデントなどの大きな変化を受けることが多い。いや、そんな気がするというのが正しく、それは確率の基本式を紐解けばそれほど難解ではないだろう。

人が消滅して行くときに、私たちは何を思うのか。

それは儚くも、巻き戻すことのできない過去であり、死に直面するたびに許せなかった過去や許してもよかった過去を振り返り、消えてしまったもの、─ それは命であり罪であり、または功績でもあろうが ─、を手繰るのだ。

人にはそういう節がある。竹のような節目かもしれない。
その節目を、いったいいくつ数えれば自分の番がやってくるのかは分からないけど、その節目を迎えるごとに一人の人間としての自分の姿を見つめ ─ 暫らくしたら忘れるかもしれないが ─ 、広くて澄みきった視野と、熱くなりすぎない冷静な感情と、いつでも奮えることのできる心を、少しずつ固めてゆくのだ ろう。

ちっぽけな日常の、その刹那的な馬鹿馬鹿しさから身を引いて考えることができる時にはもう手に負えないほどに自分が覚悟をしてしまっているわけで、だから、社会は太古の昔から愚かを繰り返しているのだ。

科学や哲学がどれほどまでに洗練されても叶わないのだろうと思う。川の流れは変えることなどできない。(水は清く、光に輝くようにはなれるとは思うが)

2012年1月24日 (火曜日)

寒波来て

跨線橋を渡るときに冷たい風に吹かれました。
寒波が来てそうですね。
みなさん、温かくしててくださいませ。
私の風邪はもうひと息です。

2012年1月22日 (日曜日)

きくということ。

きくということ。

風邪で床に臥している時間が長くなるにつれて、つまらないことを考えてしまうものだ。
命日を迎えた日に、父親とはどういう人物であったのかをふたたび考えていた。

静かに話す人の語りに耳を傾けるという姿や、そうさせる語りや、またそんな魅力そのものも減りつつある。TVをつけると単発的で薄っぺらい笑いが溢れている。

あるときには、ラジオから流れるアナウンサーの落ち着いた語りが届いてくる。

これらに耳を傾けながら、またアナウンサーの語りと別の時刻にTVで流れていたお笑いのタレントたちの喋りと比較して、語るということが、そしてその語りに耳を傾けるということが少なくなったなあ、とつくづく思う。

良質の語りに出会う機会は激減した。そして、語り自体ももしかしたら忘れ去られつつあるのかもしれない。

私の父は難聴だった。子どものころの不注意でこのような不幸を背負い、人生の大方を片耳で過ごした。残った聞こえるほうの耳も、年齢につれてほとんど役立たない中で生きてきた。

父は、テレビを見ないで、しばしばラジオを聴いていた。聴くということを人一倍大切にする人であったのか……と、はたと、今頃になってそう気づく。

記憶にとどめる

22日は父親の命日だ。しかし風邪で外には出ない。



記憶にとどめる。そのことを風邪で臥す寝床の中で考え続けている。
葬式を記録に残さなかったことを今更ながら悔やむ。
カメラやビデオに収めようとすることは、神妙なる式典の真っ最中に好ましくないことだという見方も多かったと思う。

しかし、その壁を乗り越えて記録に残すべきであった、と今になって思う。

まあ、仕方がないだろう。
あのときの私には冷静さがなく、直面した事態の大きさを受け止めるのが精一杯だったからだろう。

だが、冷静に捉えて記録に残すべきだった。
そう反省をする。

次は、必ず記録に残すつもりだ。

2012年1月20日 (金曜日)

ラーメン食べてしまいました

白戸軒

白戸軒

先日、食べてしもうた。

白戸軒 蓋を剥がす

白戸軒 蓋を剥がす

 蓋を剥がすと、こんなことが書いてある。

白戸軒 大きく

白戸軒 大きく

宣伝の実物を見たことが無いので、イメージはわきませんが、こんなことを書いています。

2012年1月18日 (水曜日)

秒読みは生まれたときから

ふとぼんやり見てたら
誕生日の文字が目に付いて
メッセージなんて送ることは
柄じゃないからしないし
やった試しもないのだけど

どんな顔をして誕生日を過ごしているのか
もしかして知ることができるかもと思ったりして。

だんだん歳をとるので
近頃は遺書めいた言葉を書いて作品作りをしているけど
もっと20歳くらいから書けばよかったと、
くすくす笑いながら 反省している。

秒読みは生まれたときから始まっていたのだ。

(ユウさんの誕生日に)

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その2

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その1 にコメントをいただきましたのでお返事を。


ほんとうは、バイクに乗っていたいけど、結構金食い虫だし、行きたいところはだいたい走ったので、別の形で再訪したいと思います。夫婦でのんびりとか、そういう年齢かな。

大事なバイクだから、乗り手があれば幾らでもあげるけど、価値の思いが伝わらないと粗末になると思うの。だから、言ってみれば一万円な訳で、金が欲しい訳ではなく、気持ちをわかって欲しいのです。

私が乗れない分、走って欲しいその約束のような物です。

バイクは、その気になればいつでも復活できますから、次のステップは新手で行きたいです。


再び走れるようになることを祈っている僕としては、整備をできてそれなりに修理に投資をできる人に渡したいと思っていました。 こちらからお願いにあがるのもあつかましいし、考えておりました。

車検はユーザーで通ると思います。ヘッドライトの光量が自然に弱ってくる時期なのでやや心配ですが。 ひととおり分解できる人であれば大丈夫です。そうでなければ、このまま廃車にしてしまうのでアカンと思っていました。

熱くなるとへたる症状以外は、快調です。プラグも新しいし、タイヤもほとんど新品です。調子が悪くなってツーリングを中断する心配を私はまったく持っていませんので、まだまだ走ります。ですから、綺麗にバラして、掃除をしてやってくだされ。

前回のバッテリーは9年ほど持ってくれました。私はバッテリーの痛まない乗り方ができるらしいです。新しくして4年目くらいです。そんな感じで、秋には元気にかかっていた。12月から乗ってないので、もしかしたら車のバッテリーを借りなあかんかも、と思って掛けると、毎回、かかるんです。

2012年1月16日 (月曜日)

木枯らしのゆくところ

●●
●● 巻頭言
●●

去年の暮れのメルマガで反射式の赤外線ストーブのことを書きましたが、そんなに売れるものか半信半疑でした。ところが、年末に訪ねた家庭では、 どこもこの赤外線式のストーブが赤々と燃えていて、焼き芋をしながらおせちの豆を煮込んでいました。

薪ストーブの話も書きました。友人宅の庭には木の切株がゴロゴロとしていて冬の間は暖炉の火が絶えないのだ、という話です。100万円近くするストーブでありながら予想以上のブームを巻き起こし、新聞やTVでも話題になるなんて、少し驚きです。

……ということは、自然エネルギーや電気自動車のブームもある日突然やってくるのでしょうか。

電気自動車(EV)のCMは、車のイメージから変わって、オシャレな日用品の感覚です。数年後には、ちょっとそのへんまで出かけるときは誰もが オシャレなEVで行く時代が来るのでしょう。家を新築するときは、EV用充電スタンドが標準装備になるのも近い未来です。

新年にこんな夢を考えるのはとても楽しいです。目標に向かってみんなが力を合わせて暮らしのスタイルを変えていけたらいいな、と思います。

●●
●● あとがき
●●

凧もあげないしコマもまわして遊ばないお正月が過ぎてしまって寒の入りとなりました。いよいよ本格的な冬の到来です。

お正月に少しサイズアップしたお腹の周りを気にしながら、魚の丸干しを食べていますと、伊勢平野や紀州の人たちが昔から愛してきた魚文化をしみ じみと感じることがあります。

 木がらしや目刺にのこる海のいろ芥川龍之介

 海に出て木枯帰るところなし山口誓子

芥川龍之介の俳句には幾つも木枯らしが出てきます。一気に吹き抜ける儚い風が彼は好きだったのでしょうか。

木枯らしで思い浮かぶもう一句は、三重県ゆかりの俳人・山口誓子が詠んだ木枯らしで、これは鈴鹿山脈から吹き降ろす強くて冷たい北風でした。三重県の人なら誰でも理解できる風は、海に出て伊勢湾を吹き抜けてゆきます。

巻頭でEVのことに触れましたが、これからの電気を作り出すために洋上風力発電が注目を浴びています。青山高原には40機を超える発電施設がありますが、その調子で海の上にも電気を起こす設備を作ってしまえば、当県は屈指の自然エネルギー活用王国になれますね。

伊勢湾へと吹いてゆく風にはものすごいパワーが隠れていて、これを海上へ捨ててしまうのはもったいないので、上手に利用すれば夢ではない?かも 知れません。

2012年1月15日 (日曜日)

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その1

バイクは、バイク王などを当たれば1万円で買ってくれるという宣伝をしてると教えてくれる人がいるけれども。

前に、知り合いにあげて、そのあとどうなったのか分からないままだったので、今回はどうなるか分からない知り合いには渡さない。

大事に保管してくれるか、
もう一度動くようにレストアして乗ってくれる人に
差し上げたいと思っている。

そんな人が出ないのなら、家に置いて眺めて懐かしむことにするつもりだ。

14年間連れ添ってきたバイクだから、無一文にして価値を棄ててしまうのもバイクに申し訳ないし、私にとっては大いに価値がある。だから、他人には無価値でも1万円くらいと思っている。
いわば、そのあとに乗ってくれるという保証金のようなものと考えている。

走るものとしてだけ見れば、中古車として売り出せば最低10万以上はするだろう。
修理をするのに数万円を掛ければ一通りの中古車レベルに戻ると私は見積もっている。
そして修理をするような工作が好きであれば、これほどいいものは無いと思う。
そんなバイク好きもいまどきいないなあ。

あと2ヶ月あまりで保険が切れて、公道が走れなくなります。
それまでに1万円程度でいいから貰い手があればいいのだが、無ければ3月末に家のガレージに移動して、10年でも20年でも掛けて分解して、思い出の部品だけを残して徐々に棄てていこうと思う。

物語は進まないほうが愉しいかも。その10

物語は進まないほうが愉しいかも。その9 から続く。

ああそうか。あれはクリスマス前のことだったね。
浮いた話もそわそわした話も伝わってこないのだから、本当はどんな人かは不明で不思議いっぱいのその人は、どうやら一人でクリスマスを過ごしたらしい。

仕事納めのころにもメールがあって、今これを書きながら思い出せなくなりかけているほどに、ふだん着を纏ったようなメールで、(仕事が終わって)「これから、忘年会に行ってきます」と書いていた。

明るい人だから、きっと人気者なんだろう。

しゃきっとしたスーツの似合うちょっと厳しい教頭先生といったところかな。某名門高校で国語の先生で、吹奏楽部の顧問もやっていたというのだから、もしも私が生徒なら勉強も部活もきっと一生懸命になれて、国語の勉強もしっかりしてブンガク部とかに進学する…などという人生ドラマを作っていただろうな。

と言うわけで、ちっとも不思議が減らないまま年末を迎えた。

お正月には家にいて年賀を書いているというメールが来て、私も「寒いので家でゴロゴロしている」と返事を書いたら、「インドアな貴方にはそういう過ごし方もいいですね」とスパッとインドア派にされてしまった。本当はそうでもないのだと自分で思ってみたが、新しく出会ったヒトからはすっかり私はインドアな人なのだろう。なかなか人物を見る目も厳しい。

新年に「恋の罪」という映画のことを尋ねようと、メール本文に「恋の罪」と書いたので、

 ─ また新年からほかの誰かと間違えてメールしてきたのかと思ったわ

と厳しく返事が来た。

なかなかこの切れ味が鋭いなと、メールをもらいながらこういうスリリングさを愉しんでいる。

先週末には

 ─ きょうはこれからおでん屋さんで飲み会です

というメールで、食べ終わったら「おいしかったです」と来た。

いつか、いっしょにおでん食べに行きたいね、とは書けずに

 ─ おでんは何が一番好きですか?

と、どうでもいいようなことを聞き返したら、それには、まったく音沙汰なし。

もしも、この人に惚れる人がいたら、どうやって愛を告白するのだろう。そんなことを考えながら私は、ビックリする次の話題も探っているのだった。

2012年1月14日 (土曜日)

遺す言葉 - 5  を書き足す

1月某日。ツマが風邪を引いたらしい。
そんな姿を見たのは何年ぶりだろうか。

お正月も仕事に出て、やっと代わりにもらえたこの土日の休みに風邪引きとは気の毒で。

インフルかどうか、検査の結果では分からないと言う。(浜田先生)

寒さも今年一番かもしれない。そんな風にしてあっという間に半月が過ぎる。
あの冬も小雪が舞ったなと、思い出した。

遺す言葉。少し加えた。シリーズ 5


遺す言葉 - 5

むかしの回想を少し引いてみよう。 ─ 平成24年1月某日

あけましておめでとうございます ─ つぶやく十七音・年末年始篇

あけましておめでとうございます。

いつもと同じ時刻に寝て、いつもと同じ時刻に起きる。
そんな風に始まることがかけがえのない安心感です。

─ つぶやく十七音・年末年始篇

12月31日 大晦日 土

貴方も私も、
総理も孫さんも、
55回めの大晦日。

そんなわけで少しウキウキしていた。

いつものように朝から物干し。
どばっと干した洗濯物の当たる日差しが柔らかく優しい。

▼年忘れ、忘れたくないこともあろ

▼恩人や逝って今ごろ癖を知り

▼少しだけ我儘になったけど大人びて

いつもの年末年始のように
大晦日からおせちを食べる。
(なくなりそうな勢い)

こんぶ食べて髪の毛たくさん増えますように。
もう遅いか。

第九を聴こうと思ってラジオをつけたら
やってなくてショックを受けて。

寝床にはテレビは無いし、
早く寝ました大晦日。

悔しい。

1月1日 日曜日

新年明けましておめでとうございます。
いつもと同じ時刻に寝て、いつもと同じ時刻に起きる。
そんな風に始まることがかけがえのない安心感です。

第九ショックも少なく。

さて、
家族は仕事に行きましたので、私が洗濯干してこよう。

▼零れるの怖がらないで夢の中

初夢を見る晩は、みんな早寝のような気がする

1月2日 月曜日

しまった!初夢、忘れた!

夜半に時雨れたらしい。
フロントガラスが濡れている。

▼水玉が正月朝にツンと濡れ

1月3日 火曜日

▼寝正月ああ寝正月寝正月

寝正月には凧揚げない
トロも食べない
餅食わない
お雑煮食べない
酒飲まない

嘘つかない。

▼薔薇一輪、一輪神域さらに赤く

▼まだカーテン開かず静かな寝正月

♪もういくつ寝ると三連休~

1月4日 水曜日

おはようございます。
いつも通りに列車は来ました。
はじまり。

▼侘助や式台寒かろ淋しかろ

ラーメンをもろて嬉しいな。

ラーメンをもらいに行く

▼愛してる夢の中でも夢をみた
▼暗闇にふるえる星やその予感

1月5日 木曜日

おはようございます。
今日がごみの初日で休暇にしました。

(こら!が聞こえる気がする)

1月6日 金曜日

きょうは小寒です。

▼小寒の朝日に向かって家を出る
▼小寒や駆け出すキミの目は潤み

美味しい卵をもらった。何作る?

ということで、卵どんぶりをしました。

▼ありがとう、ふるえる指で時を手繰る

1月7日 土曜日

その人が毎朝コーヒーを飲むのか紅茶を飲むのかミルクを飲むのか、そういうことを私は一切知らなかった。ましてこういう飲み物に砂糖をいくつ入れるのかなどは想像もつかなかった。

そんな人の出てくる物語。
放置してますが。

▼七草や指にぬくたい井戸の水
▼洗濯物。干したおかげで手が冷たい
▼七草をするすらうとた母老いて

1月8日 日曜日

きようは、平安神宮に行って、
知恩院のほうへと、
お決まりのコースで
散歩をして来た。

別邸に泊まるということもありえたのだが、帰ってた。

1月9日 月曜日

テレビやラジオは成人式のニュースを繰り返している。

成人式ねぇ。

断崖絶壁のオーバーハングに立ち向かっているような状況だった進級試験を控えて、成人式どころか思いつきもしなかったあのころ。

お好み焼きを食べたいと言ったら、
キャベツが高いと言われた

▼オグラジオ、思わずトイレで聞き入りて

▼満月や恋も凍らせ砕かんせ
▼切ないと泣いて満月凍らんせ

古いモノは捨てて、明日の新しい何かを探しに。
早く眠って、出かけよう。楽しみ、明日。
早起きしょ!

1月10日 火曜日

▼テンションが朝から高いぞ女子高生

やかましいわ、静かにしろ。
と言いたいのだが、新学期が始まるから、話も溜まっているのだろうか。

お笑い番組に出てくるようなブス系の子だった。


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カマス

カマス

カマス

2012年1月12日 (木)

年末にいただいたカマスを食べる。
丸干しにしてある。
とても美味しい。

2012年1月 9日 (月曜日)

初詣など

きのうのことですが、これから書きます。

お墓参りにも新年の挨拶にも行きたいのですが、仕事の都合などであなかなか家を出られず、8日になってしまいました。7日には、七草粥の真似事はして食べました。

8日は早起きして特急代も節約する作戦で、部分的な特急利用で30%経費節減に成功。

普段の出勤時間と同じ時刻に目を覚まし三人そろって家を出る。こんなに順調に出られるのは珍しい。

嵯峨嵐山駅

嵯峨嵐山駅 写真は帰りに撮ったもの

家に帰り着いて、少しまったりして、お茶でも飲んでいたらすぐに時間が過ぎました。大急ぎでお墓参りに行って、その帰りにJRの駅に放り落としてもらって、二人は買い物。私は散策となりました。

初詣もまだでしたので、平安神宮に向かいました。京都駅から市バスですが100番で座れてましてラッキーな滑り出し。

平安神宮

平安神宮

平安神宮

平安神宮

平安神宮

平安神宮

神宮道をそのまま下ると知恩院です。

ぶらぶらしながら緩やかな坂を上ってきました。

でも御影堂が大修理ということで、真正面からの参拝はできなくなっていました。

知恩院

知恩院

三門の上の男坂からしばらく景色を見下ろして、女坂を下って帰ってきた。

知恩院 三門

知恩院 三門

円山公園に入り、八坂神社境内を通り抜けて、東山四条へ。おっと、下がり過ぎということで、ひっそりとした路地を伝って三条京阪まで行きバスに乗って嵐山まで。

嵐山に6時集合で、うなぎを食べて、最終より少し早い特急+急行で帰ってきました。

成人の日、昔を辿ることは、ヒトの宿命だ

【- Walk Don't Run -】遺す言葉

というのを加筆しながらホームページへ集めていますが、成人式のニュースをやっていたので、いろんなことを思いながら、成人式とはどうあるべきなんだろうか、などと考えていました。

ちょうど、ちょうど去年の今頃にあれこれと拾い集めた日記があったので、引っ張り出してきて少し読みました。(拾遺集として自分のために書いていますので後ろに貼りますが)

*

「成人式は必要か?」のまえに考える。

成人を祝ってもらいたがる人、さらにその喜びと決意を生かして前進しようとするような進取の気性の青年を育ててゆけるような教育と社会システムを作りあげることが大切なのではないか。

スカばかりの人間を、ニセゆとり教育や甘やかし教育で、あるいは点数至上主義と経済最優先の考えで、育ててゆけば、この国の人(ヒト)は骨抜きばかりになってしまう。社会保障も教育も暮らしをいくら一生懸命に考えても、頭の中が空っぽで哲学なき人物を大量生産して、大衆迎合的波に呑まれていってしまう社会では、今からもいっそう社会は退化してゆく。

負のスパイラルを脱するには、スカとは何なのか、を考えることから始めることが必要だ。


1年前の日記、2011年1月 9日(日) ─ 成人の日ですね 

成人式のころ      [- Walk Don't Run -]

成人式のころ  銀マドも2002年に突入です。今年もよろしく。 -*--- 成人式の話題をニュースでやってましたので、ふと思ったことを書きました。 -*--- 今年も成人式の季節がやってきた。このパティオには成人する人はいないでしょ?結婚する人はいますね。それもこれもひとつの旅立ちといえます。旅立つ時に はきちんと襟を正して心新たに一歩を踏み出すと思います。その一歩が闇の中の一歩であれ晴れ舞台の一歩であれ、心は感動に満ちていることだろうと思うので す。 ところがどうも昨今の成人さんはそうではないらしい。... [続きを読む]

言葉  [- Walk Don't Run -]銀マド / 言葉  ▼言葉は、身の回りにあふれていて、ありふれたものだ。その数々の中からたったひとつに反応し、掘り下げて見つめてしまうことがある。我々はそんな巧みな ことができる人間である。 年末のある日、職場で、対話をすることを失ってしまった悲しい人に出会った。どうにかしてやりたい気持ちと、蝕まれていてそこへは入ってはいけないという 戒めに似た罪悪感とで、しばらく私は考え込んでしまった。 どうしても、対話を放棄しているその人の心の奥に私は踏み込みたかった。しかし、対話を拒む人にはその人の世界があるのか... [続きを読む]

ジンクスが風上へ誘う沈丁花 [- Walk Don't Run -]

成人式にも出る暇もなく日夜机に向かい臨んだ試験であったが、残念ながら満足な感触は無いまま三月を迎えていたと思う。 駅までの歩き慣れた道路のどこかで、沈丁花の花がぷんといい匂いを放っているところがあった。進級発表の日に匂いを嗅ぐと期待が叶わないというジンクスが あるのだという話を聞いて、些か気に掛けていたものの、住宅街を歩いてこの花に遭遇しないで過ぎることは難しい。 当時は、今のように「留年」という言葉があったものの「落第」という呼び方もしっかりと使われていた。 正門を入り階段を駆け上がり教養棟の進級発... [続きを読む]

オヤジの背中   〔2002年6月中旬〕 [- Walk Don't Run -]

オヤジの背中  〔2002年6月中旬〕 ▼(パティオのYさんのメッセージを思い浮かべながら書いています)▼生意気にも、子育てのことでコメントを書いてしまった。ろくに子育てもしないでここ まで来た私が書いたので、まことに失礼なコメントだったかと、幾分消沈気味である。▼これからの未来がある人には、それなりの希望と情熱と信条を持って生 きて行って欲しい。子育ても然りです。それが私になかったわけではないが、ややもすると現代人には(←若者たちというとジジイみたいだしね)それが不足し ているようにも思う。▼正高さんの... [続きを読む]

夢を食べる虫 [- Walk Don't Run -]

94/01/29- 夢を食べる虫--はじめに-- 倉持さんに就職の話をし始めてみると、さまざまな連想が起こりました。それは内省的なものが多く、自分の歩んできた道を省みて一喜一憂をするものでした。 冷静にみるとかなり不平不満が多いようですので、つまりは私のような人生を歩んではいけないと云う示唆なのかなと苦笑いをしています。毎度愚痴ばかりを書 いては恥ずかしい限りなので気をつけて書いて行きたいと思います。こんな愚痴も諸先輩方の厳しい顔色を思い浮かべると尻ごみします。しかし、手厳しい意見 も聞ければ幸いです。特... [続きを読む]

2012年1月 8日 (日曜日)

いつかは飲みたいと願った

遺す言葉を続けよう。

 *

▼怨む、憎む

 そのようなことはなかったと思う。そもそもそんなことをしても勝ち目がなかったので、はなからからそんなモノに刃向かうような真似はしない。

 腹を立てたり失意に苛まれないで生きるためには、自分のやり方を思案してゆくしかなく、そこで哲学的な思考回路が育ったのだろう。たまに理屈も言ったが、表に出ていってまで強く主張することはなく、内に秘めていることが多かったかもしれない。

 片方の耳は大人になるときには聞こえなくなっていたし、もう片方の難聴は年齢ととも進行していたこともあり、さまざまなケースをあれこれと考えても、やはり自分の世界にいるのがよかったのだ。しかし、大人しく引きこもっているようなタイプでもなかった。

 宴会ではカラオケも上手かったというし、何よりもドジョウ掬いの踊りが滑稽で非常に面白かったと母が話す。感情的になったりすることはほとんど無く、穏やかで、他人にも嫌われるようなタイプではなかった。その分、お人好しで騙されることがあったかもしれない。

 とにもかくにも、機嫌の悪い姿は一度もなかったし、他人の悪口を言うこともなかった。冬の朝はどんなに寒くてもポイと布団から跳ね起きて、「辛いのはその時だけや」とあっけらかんとしていた。本当はすこぶる気合を入れていたのだろう。何事もそのような調子で明るく振舞うところが多くあった。

▼八朔が好きだった。

 昔にたびたび日記に書いたように記憶するが、今ごろ探してもそれほど簡単には見つからないものだ。

  • 初霜や八朔ひとつ供えたろ 2008.11.19
  •  総じて甘い物が好きだったが、八朔は酸っぱくても特別に好きなようだった。ミカンは食べたけれど、家族がみんなで大きな籠ごとを一晩で食べ尽くすほとにむしゃむしゃ食べていても自分は食べたいだけ食べて部屋を出て行ってしまうような人で、食べ物においては決して無茶な食べ方はせず、好きな魚があればいつもよりやや多めに食べているなと、傍で見ていて気付く程度だった。美味しいものを食べると素直に美味しい美味しいと繰り返しながら目を細めて食べていた。

    ▼痛めつけた身体のこと

     身体も大きいほうではなかったこともあり、酒を飲んでもほどほどで気持ちよく酔えたらしく、真っ赤になっていつも先に眠ってしまった。やはり、血圧が高かったのを高齢になるまで放置したことが相当に身体を痛めつけたのであろう。定年になって死ぬまでの6年間は身体の随所に在る不具合と、どうしても我慢できなくなったと言ってみんなの反対を押し切って手術に踏み切った腰の痛みとに悩まされた。生きる悔しさを感じていたかもしれない。高血圧の投薬も定年より前から欠かさなかったものの、60歳を過ぎたころにはもはや長生きの望めるような身体ではなかった。

     若いころに難聴になってしまい、身体を張って生きるしかないのだと、自分で考えたのだろう。さらに、親もがそう思い働き続けて育て、結婚後も身を粉にして働いたのが身体に祟った。仕事をコツコツとする真面目な性格と身の回りをいつも綺麗に整理整頓しておくような几帳面さがあったのに、これも50歳を過ぎたころからは自然現象として衰えてきていたように思う。子どもを育てることに追いまくられた挙句に一息ついて失速したのかもしれないが、そのような顔はまったく見せなかった。

     定年を終えて少し気楽な暮らしができるようになったと思ったところで悲しいことに高血圧による脳内出血で倒れて、何度か入退院を繰り返すうちに次は脳梗塞を発症した。高血圧症の人にとって脳梗塞は珍しくなく、大きな手足の不自由は出なかったものの、脳の一部が少し麻痺したらしい。一緒に住んでいる家族は、それほど詳しい原因や症状の特徴などを医師に尋ねなかったこともあって、離れて住んでいる私は詳細を知らないまま、現実以上に元気なのだと思い続けていた。

     今頃になって死亡診断書をじっくりとみて、初めて晩年のことを推測してみることになった。ボケて来たとか気が変になったなどと言った人もあったようだが、やはりあのときの脳は、もう壊れ始めていたのだったと今更気づく。

    ▼いつかは飲みたいと……

     私は悪い息子ったのだ思う。ろくに見舞いにも来ないで、まだそう簡単には死なないと思って甘く考えていたのだろう、身近で死んでゆく人もまだそれほどいなかったこともあって、父親という人のそのすごさに気づかないままいつでも1時間ほどで行ける場所に住み続けた。

     父親が病気で床に伏しているのをそれほどしっかりと記憶に残していない。何度も見舞っていないということかもしれない。いや、倒れたときには見舞っているが、父親のほうも弱った顔を見せなかったのかもしれない。認知症が出始めていても、このときにはその他の臓器は元気だったので顔色も激しくは悪くなかったのかもしれない。

     「卒業したら親父と飲みたい」というようなひとつの目標を、私たちの18歳のころは誰もが夢に描いていた。苦労を掛けて大学を出たらきっとふるさとに帰って身を立てるのだと強い意志を持っていた者も多かった。私はそういう一群の仲間にもなれずにいたことになる。飲んで話をしたこともあまり無かった。もちろんそれは父親の性格にも由るのだが。

    2012年1月 7日 (土曜日)

    胃潰瘍吐血により

    平成10年1月22日午前11時35分、私の父は「胃潰瘍吐血」により死亡した。

    死亡診断書

    これが死亡診断書の一部だ。

    そのとき私は仕事中で、昼すぎに電話連絡を受けたことだけを覚えている。

    いつもそばにいたわけではなかった。脳梗塞で倒れたときも、一二度入院先の病院に顔を見に行っただけで、やがてこんな形で死んでしまうことの現実的な予想はしていなかった。というか、できなかったのだろう。

    18歳で家を出て、東京で6年間、京都で9年ほど暮らしてから古里に帰ってきた。車で1時間弱で顔を見に行ける所だ。そこに住み移って7年ほど、近くにいたことになる。

    しかし、それほど古里の家には寄らなかった。弟がそばにいてくれたこともある。普通に子育てをして仕事に行くサラリーマンをしていると、1時間ほどの所に住んでいれば慌てることも無く心配ごとも無く、自分の家庭の幸せだけを拠りどころにして毎日を暮らしていた。

    ヒトは、失ってから初めてモノゴトの本質を見つめ始め、あらゆることの歴史的な生い立ちからそのときまでの時系列の凸凹を振り返るときに、逝ってしまった人間が何を最も伝えたかったのかを知り、多くの疑問が残されたことにも気づく。

    この資料から分かるように、生死をさまよった私の父の最期の4日間と4時間に、果たしてどんな言葉が誰と交わされ、当人は誰かに何かを伝えようとはしなかったのかどうか、というようなことが埋もれたままなのだ。

    そこにある計り知れないほどのたくさんの不明を、さまざまな人々の語りや自分の記憶から手繰り寄せねばならないのだと、この日付から十年以上も経って思うのだから、ほとほと自分は愚かだと思う。

    2012年1月 5日 (木曜日)

    新年プレミア?なラーメンをいただく

    1月2日 雑煮をいただく

    平成24年雑煮をいただく

    年末に「花かつお」の安売りを発見して買っておいたので、
    それをたっぷりとかけていただく。
    隠れて見えないが、金時人参、丸餅、西京みそ、である。

    1月4日(水) ラーメンをもらいに行く

    ラーメンをもらいに行く

    ラーメンがいただけるというので、ソフトバンクのお店を訪ねた。

    私はテレビを見ないので、これらがCMになっていることは、うっすらとしか知らん。iPhoneユーザーで宣伝を見たことのないのは私くらいかもしれないなあ、と思いながらラーメンのことは、孫さんのツイートで知っていた。

    家族(ツマ)がショップに行って「ラーメンがもらえるそうで来たのですが……」と言ったら、「ケータイを見せてくださった方に」と言われたそうで、私に「行って来て欲しい」と云う。そこで、私だけがソフトバンクなので出番となった。

    仕事の帰りに、店に寄ったらそのままくれました。「ケータイ見せなくてええの?」と聞いたら、「持ってますよね」とニッコリかわい子ちゃんが袋にラーメンを1個入れてくれた。

    八嶋さんが「大事に20年保存しておけば、プレミアものになりますね」とコメントをくださったが、私は食うことしか考えていなかった。

    第一、20年も過ぎたら、親父の享年も祖父の享年も、ともに10年近くオーバーするので、短命一族としては、ラーメンどころか、私自身にプレミアがつくのではないか。

    2012年1月 2日 (月曜日)

    坂口安吾;続堕落論  から

    坂口安吾;続堕落論  から

    天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

    堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。

    善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。

    2012年1月 1日 (日曜日)

    またまたエネルギーの話

    昔にも書いてましたが。
    エネルギーを考えるⅠ 2011年5月17日(火)

    エネルギーを考えるⅡ 2011年5月18日(水)


    ◆お馬鹿投書 ─ 原発

    原発がなくなったら電気に困る、という投書を、先日、新聞で見た。 まだこんなことをマジメに考えている人がいることに驚いた。

    ◆電気自動車

    動力を電気から作り出すことは、もはやそれ以外の方法は簡単には思い浮かばない。
    かつて、歴史の中では、電気以外に蒸気タービン、風の力、人間の力に頼って輸送機器などを動かした。

    海から空へ。または地上をより速く。そのために電気というものが使われるようになってくる。

    しかし、本当は、電気というものはヒトが作り出したものなのだということを忘れてはいけない。

    ◆これからの自動車

    間違いなく電気になる。トヨタ自動車がどうも嫌がっているようだが、主導権をとりたいという企業の潜在意識があるのだろう。

    街の中を走る自動車は、数年で30%を越えて、10年で50%を超える。
    間違いなく、そうならなければ社会が変われない。

    ◆電力供給に変化がある

    電気で走る自動車に供給する電気を今の電力会社だけが供給してゆくとしたら、社会は発展しない。新しいシステムを無から創出するのがこれからの開発者の才能だ。

    ◆近所は電気自動車

    遠くへ行くときには、電気自動車をたとえば各県ごとに乗り継いでいけばいい。
    近所を走るのであっても、電気が切れたら乗り換えて走り回ればいい。
    みんなが共有するシステムが浸透しつつあるが、それがもっと社会に一般化、広範囲化する。
    そうすれば、電気自動車を邪魔する仕組みが消えてゆく。

    ◆通勤や買い物は自宅で充電

    マイカーは消えないだろう。でも、電気自動車はマイカーになって行く。いつかはクラウン……のような車がお宝な社会思想は消滅し、まずは社会に自分がいてその中で車を使わせていただくという考えになってゆくと、自家用車は未来の車になれる。トヨタが拒むだろうか。

    ◆原発は、歴史の遺産

    知恵が生み出したものに失敗があってもいい。
    潔く切り捨ててしまう決断が必要だ。
    自然エネルギーを使う。

    ◆自然エネルギー

    それでは足りないというヒトがいるが、本当に足りないというのならば、その人を筆頭に使わずに暮らす社会を作り、そこから足りるようにエネルギー改革をすればいい。

    しかし、実際は足りなくならないと考えている。技術開発の力で必ず足るようになる。
    ここで知恵を使わずしていつ使うの?

    ◆風と電気とバイオマス

    何年か前の日記でも、しつこく書いたけど、ほとんど無反応だった。
    書くのが早すぎたのと、みんなが幸せすぎたのだった。

    国民が全員失業すれば・・・・社会はかなり改革されると、暴言を吐いている私ですが、エネルギーにおいても不幸があったことで(原発事故で)初めて新しい方向を探し始めた。

    だから、余計に、不幸を無駄にしてはいけない。

    ◆贅沢を見直す

    成金になったからといって安易にお金を無駄に使うな、と言いたい。
    便利を不便にしてから、見直すことも大事だ。

    エネルギ問題と生活スタイルは大きく歩み寄ることが大切だと思う。

    (メモなので、書き直すことは大いにあります)

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