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2011年12月31日 (土曜日)

ごみ─最近の言葉メモから

最近の言葉メモから

◆年金

年金って老後に収入もなくなったときを保証してもらえるように若いうちからかけておく仕組みです。
老人が増えて原資が食いつぶされてきていますので、受給年齢を引き上げていこうとすることは理解できます。
しかし、その負担をほぼ全面的にこれからの世代や払える人に頼るのは、本当に正しい筋道とは言えない。

◆掛けた額に達したら辞退すべき

まず、老人になって年金をもらい始めて、自分が掛けた金額に達したらそこで年金受給を停止するのが正しいと思わない?
余分なお金を払うのは打ち切って、生活保護の支給額に変更すればいい。そうすれば原資の食いつぶしを少しは防げるはずだ。

◆高齢化社会

老人を守る、高齢者を守ることと、年金を受給者に払うことを同一線上に置かない。これは大事です。
贅沢は敵だといった時代に還るべき。優しさも取り戻しながら。

◆あさましい

自分だけ得しようとか、掛けた以上にもらわな損やという卑劣な行為を摘み取ることは、地道であっても大事ではないか。そして、そういうことを当たり前にしている社会へと、今を改革せなあかん。
早く亡くなってゆく人は、せっかく掛けたのに気の毒だが、その人のご不幸をお悔やみするとして、ほかの連中は自分の金でないものをもらって得をする必要はないだろう。そういう時代じゃないのだ。

◆税金

どうして少しでも払わずにしようとするのか。
自分だけ得をしようとするのか。
人間として最もアホな姿じゃないのか。
そう思う。

そもそも論ですが、自分たちの社会は自分たちの歴史の上で築いてきたのだという意識が欠落して、自分の力や努力だけで今の地位や名誉や資産を得たと思っている人が多すぎる。
もう少し、歴史的な先駆者の知恵に感謝をしなくてはいけない。

◆無人島にひとりで暮らしているのではない

税金は、払わされるのではなく、納めるのであろう。
本当に必要な種別なのかどうかの吟味は相当真剣にする必要である。しかし、どこぞのボケ首長みたいに、何でもかんでも減税できるわけがない。
税金とは何か。考えれば分かるでしょう。
なぜそのようなシステムが、太古の昔に考え出されたのかを考えれば、税金は価値あるものであることをしっかり学び、その徴収方法や種類を徹底議論すべきです。

◆暮らしを考える

通貨が不要な暮らしをする人はほとんどいなくなってきたものの、私たちが用いている通貨とそれが流通する社会と、その社会の構造の地域性と、それらがもたらす地域の中での通貨の実質価値を考えれば、税金というもののあるべき姿が見えてきます。
税金というシステムが東京などの都会中心の生活や経済社会を基準に作られていることもわかってくる。
そこから見つめなおしていくことが大事だ。

◆マネーはどこに消えるのか

大きな自然災害と人災を蒙ったのにもかかわらず、全然、反省しないで自分たちだけの幸福を考え続ける。
経済的な理論は知らんけど、ウチの国にある資金は燃えて灰にならない限り、国民に戻ってくるような仕組みを作ることは、それほど難しくないと思うのだが、残念ながら現実は難しかったのだなあ。

◆暮らし

歪んだ波形を合成してゆくと、必ずノイズと損失が発生しますが、その状態に似ているのかと思う。
結局のところはノイズや損失というものは、中流意識の中で発生した贅沢や成金家族の無駄遣い。
一生懸命に東北災害に募金をする方々の姿を見かけても、人の暮らしのスタイルから見直してゆかねばならないのだと痛感する。
高度経済成長社会が遺した社会の中にある吹き溜まりのような無駄やエゴや贅沢をきちんと摘み取ることが不可欠で、経済理論がいくら先行してもこのあたりに諸悪の根源が眠る。
しかし、それらをゼロにすることは今や不可能で、永遠に椅子取りゲームやド貧民ゲームは続くのでしょう。

人の気持ちが変化しなければ上昇な望めない。

◆絆

どうもこの言葉に「待てよ」という気持ちが引っかかる。
人々は優しく労わりあっているようで、情熱を持って前進して活躍する人も多い中、(推測)2割くらいのマイナス因子で社会は随分と混乱して立ち止まっている。
絆は、触媒のようなもので、本当に必要なものがほかにあると思う。

◆SNS

奇麗事を飾って満足するだけの社会や、馬鹿なメディアに煽られるのはやめて、本当の哲理を考えることのできる流れは生まれないものか。
軽々しいネットワークシステムがもう少し損得抜きで動いてくれるといいのだが、無理だろう。
だったら、一切を、麻薬取締りのように両断すればいいのだ、と言いたくなる。
麻薬の拡散は取り締まるが、メディアの進化は無条件で認めてしまった。反省は本当にないのだろうか。

でも、自分のことしか考えない社会なんだから。………という具合に、年金の話のようなところに戻ってくる。

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